« 日本経済は石油価格上昇に脆弱なのか? | トップページ | 退職者を送るつどい »

2026年3月14日 (土)

今週の読書はいろいろ読んで計6冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、冨山和彦[著]・松尾豊[監修]『日本経済AI成長戦略』(文藝春秋)では、AIによるトランスフォーメーション=AXについて考え、日本が失敗したDXとは不連続であり、情報の伝達や整理担うホワイトカラー職はAIに代替される一方で、ローカルな中小企業にも有利な点が少なくないと強調しています。溝尾良隆『日本と世界の観光史』(古今書院)では、日本近代の観光の歴史について、戦前期には海水浴やスキー・ゴルフといったレジャーを目的とする観光が、また、戦後はレジャーの領域が広がるとともに、1964年の東京オリンピックと1970年の大阪万博の果たした役割が強調されています。斧田小夜『では人類、ごきげんよう』(東京創元社)は、おおむね、麒麟や鴆といった神話や伝説に登場する架空の生物をモチーフにして、神代から現代、そして未来を横断する幻想的なSFないしファンタジー短編が6話収録されています。冒頭短編の「麒麟の一生」の麒麟のような人生が私には理想です。高田崇史ほか『それはそれはよく燃えた』(講談社)は、25人の作家による25のショートショートを収録していて、すべて書き出しの1文が統一されているシリーズ、会員制読書クラブ「メフィストリーダーズクラブ(MRC)ショートショート」で公開された作品です。スキマ時間潰しにはピッタリです。渡辺努『インフレの時代』(中公新書)は、部分的に私には異論ないでもないのですが、我が国の物価指数やインフレに関する第1人者による分析であり、2022年の輸入インフレから始まった現在の物価上昇は一過性のものではなく、持続性があり、第2にインフレは前向きな変化である、と主張されています。善教将大『民度』(中公新書)では、日本の民主主義が転換期にある中で、民度を通じて民主主義を考えようと試みており、コンジョイント実験によって民度の決定要因を探っています。第7章では、2024年兵庫県知事選挙について民度の観点から分析を進めています。
今年2026年の新刊書読書は、1~2月に合わせて49冊、3月に入ってから先週は7冊、今週の6冊を加えて合計62冊となります。また、これらの新刊書読書のほかに、原田ひ香『三千円の使いかた』(中公文庫)も読んでいます。ただ、新刊書ではないので、本日のレビューには含めていません。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のtwitter)、あるいは、mixi、mixi2などのSNSでシェアしたいと予定しています。

photo

まず、冨山和彦[著]・松尾豊[監修]『日本経済AI成長戦略』(文藝春秋)を読みました。著者と監修者は、それぞれ、日本共創プラットフォーム(JPiX)代表取締役と東京大学大学院工学系研究科教授です。本書の主張はまさにタイトル通りなのですが、冒頭第1章では、なぜDXで失敗したのか、から始めています。その主張は、要するに、DXではデジタル人材による業務改革であって、人材との競合や人材からの代替を目指していたのに対して、本書でいうAX、すなわち、AIを活用したAIトランスフォーメーションでは、フィジカルAIも活用しつつ、AIを部下として活用するボス型人材の時代になる、ということのようです。ですから、AXはDXから不連続であって、DXに失敗していても、リープフロッグ的にAXに成功する可能性は十分ある、と強調しています。逆にいって、DXの勝者がそのままAXでも先行できる保障はない、ということです。そして、AIを部下にするボス力として、問いを立てる=プロンプトの設計、決断する、責任を取る、などといった要素を指摘し、p.62から何度か登場する知的スマイルカーブが成立する、と主張しています。同時に、今までの情報の伝達や整理を担っていた部下的存在のホワイトカラーのこなす業務がAIに大きく代替される、という点が強調されています。ただ、この点は日本的なローカルな中小企業にはかえって利点となる可能性も同時に指摘されています。創業者一族のトップダウンによる意思決定や規模が小さくて小回りのきく経営体制などとともに、現在の部下的役割を果たしているホワイトカラーが現場に強い点も強調されています。少し前に流行った「現場力」を私は想像してしまいました。そういった部下的役割のホワイトカラーの現場化を、第4章ではライトブルーカラー、第5章ではアドバンスト・エッセンシャルワーカー、などと表現しています。いずれにしても、ホワイトカラーではなくなる、という含意なのだろうと私は受け止めました。ただ、マクロエコノミストの私の目から見ても、この第4章ないし第5章以降で論旨がよれ始めてスライスし、本書の最後の方はOBゾーンに落ちている可能性もあります。第7章で、個人としての対応にかこつけて Venture for Japan(VFJ) なるプログラムを推薦したり、第8章では、とうとう、著者の主宰する日本共創プラットフォーム(JPiX)の宣伝に走ったりしています。まあ、このあたりは眉に唾つけて読む読者もいそうな気がします。最後に、本書では、文部科学省ばりに首都圏や関西圏の伝統私学の文系学生の処遇についても、ひと捻りした考察を述べています。はい、まさに私が大学教員として教育の対象としている学生諸君であり、知的スマイルカーブの情報の伝達・整理といったボトムの部分でAIに大いに代替されてしまいそうな部下力の高いホワイトカラーです。本書では「現場エキスパート」と呼んでいるライトブルーカラーやアドバンスト・エッセンシャルワーカーへの選択肢を示し、「時間が止まっている親御さんや先生の意見は丁寧に聞き流す」ことにより、決して将来は暗くない未来を描いている点も付け加えておきます。詳しくは、読んでみてのお楽しみです。

photo

次に、溝尾良隆『日本と世界の観光史』(古今書院)を読みました。著者は、立教大学観光学部の教授を長らく務め、現在は名誉教授です。本誌は、冒頭にも明記されているように、観光史であって旅行史を目指しているわけではないようなのですが、まあ、近代以前については旅行史の部分も少なからずあります。4部構成となっていて、第Ⅰ部が近代以前、すなわち、古典古代の飛鳥時代から江戸末期まで、第Ⅱ部が江戸末期から昭和戦中期まで、第Ⅲ部が戦後から現在までの、それぞれの日本の観光史を後づけており、最後の第Ⅳ部で世界の観光史を一気に概観しています。基本的にはタイトル通りに歴史的視点が中心なのですが、もちろん、観光とは旅行を含んでいて、移動の要素もありますので地理的な視点も含まれています。観光ではなく旅行かもしれませんが、海外との交流という視点では、日本はつい最近の50年程度に至るまで、ほぼほぼ歴史的に一貫して後進国でしたから、古典古代の時期には遣隋使や遣唐使で中国からの技術や文明やの移入に努め、中世の時期は倭寇で海賊行為をしたり、宋銭を通貨として用いたり、近代に至ってもお雇い外国人を招聘するとともに、多くの若者を海外留学に送り出したりしています。観光にお話を絞ると、近代以前は経済的な余剰生産力がそれほどなかったことから、観光は寺社への宗教的な参詣や温泉場への湯治旅行が主流となります。江戸期には、松尾芭蕉の欧州への旅行、『東海道中膝栗毛』に収録された観光旅行なども登場し、庶民階層にも観光旅行が広がります。特に、本書でも伊勢参りに注目しています。明治期から大正・昭和の時期にかけて、まず、東京が首都となり、東海道を中心に交通網が整理され、観光の下地が出来上がります。私の住む琵琶湖南岸は、まさに、新しい首都の東京と古都京都を結ぶ東海道の通り道であり、現在では鉄道の東海道線と東海道新幹線、道路では国道1号線と名神高速道路などがよく整備されています。本書でもこういった交通網の整備とともに観光旅行が盛んとなり、戦前期には海水浴やスキー・ゴルフといったレジャーを目的とする観光、さらに、戦後になればさらにレジャーの領域が広がり、特に戦後高度成長期から1970年代までの間の大きなイベント、すなわち、1964年の東京オリンピックと1970年の大阪万博の果たした役割が強調されています。私も、それほど裕福でない家庭でしたので、東京オリンピックはムリでしたが、大阪万博にはいった記憶があります。その後、石油危機に伴う景気低迷などで観光需要は盛上がりを欠きましたが、他方で、1980年代からは海外旅行も庶民の間で広がり始めたと指摘しています。そういった詳細と最終の第Ⅳ部の世界の観光史については、読んでみてのお楽しみです。

photo

次に、斧田小夜『では人類、ごきげんよう』(東京創元社)を読みました。著者は、東京大学大学院情報理工学系研究科修了で、エンジニアとして培った広い技術的背景をもとに創作を行い、本書に収録されている「飲鴆止渇」で2019年に第10回創元SF短編賞優秀賞を受賞しています。本書は短編集であり、6話のSFファンタジーを収録しています。短編すべてではないのですが、大雑把に、麒麟や鴆といった神話や伝説に登場する架空の生物をモチーフに神代から現代、そして未来を横断する幻想的なSFないしファンタジー作品が本書には収録されています。短編ごとのあらすじは、まず、「麒麟の一生」では、宇宙を漂っていた光のような存在が地球の重力に捕らえられ、やがて麒麟という姿を得て漢の武帝に瑞獣として迎えられます。しかし、酒の味を覚えたため、人間の世界の欲望や政治的野心と距離を置いて、歴史の傍らで飄々と生き続けます。「飲鴆止渇」では、民主化運動が最高潮に達した揺碧国の首都に伝説の巨鳥である鴆が突如として現れ、広場に集まった人々や鎮圧に出動した軍隊はその毒によって壊滅的な被害を受け、国家の運命は大きく転換します。10年ほど後、揺碧国は体制が変わり急速な経済的発展を遂げます。明らかに天安門事件を下敷きにしています。「ほいち」は「耳なし芳一」をモチーフに、平家伝説で知られる赤間神社の駐車場に放置された自動運転EV車であるほいちの視点から、周囲で起こる不可解な出来事をセンサーと記録装置を通じて観測しています。「デュ先生なら右心房にいる」では、地球のロバを品種改良した宇宙ロバの驢䍺がデュ先生に診てもらうのですが、行方不明になります。驢䍺をはじめとして、かつて神話として語られてきた生物や何らかの存在が、未知の生命体や宇宙的現象として再解釈されており、宇宙の探査者たちはそれらの存在に遭遇しながら、人間の理解の枠組みを越える知性や生態と向き合うことになります。「海闊天空」では、海底資源採掘のための海中都市である螺京に生まれた高水月は、摂食障害のためチベット高原の精密機械再生工場で働き始めますが、上司の不正に気づき入院させられそうになりますが、それをきっかけに遊牧民の青年であるカンツォと知り合います。冒頭に伝説の翼獣である貔貅が登場します。高水月とカンツォの息子である志海が土中から貔貅の像を掘り出します。最後の表題作「では人類、ごきげんよう」では、月面が舞台となり、全天候型物流拠点であるビアンキー二・センターで貨物が爆発し、流出した液体により施設が損壊し浸水する事故が起こり、月面開発管理局から月面居住者に退避勧告が出されるところから始まり、太陽系に突如現れたアンノウンの正体を探るプロジェクトが始動し、その進捗をAIが報告する、というものです。はい、本書には、私のような感覚も頭の回転も鈍い読者には判りにくい短編がいっぱいありました。コミカルなのは「ほいち」だと思うのですが、「飲鴆止渇」のスケールの大きさは評価されるべきです。ただ、「海闊天空」の世界観は壮大であり、私はこの短編がイチ推しです。でも、「麒麟の一生」の麒麟のような人生を送りたい気もします。まあ、もう人生も終盤に差しかかっているのですが、酒に酔って世間から距離を置く、という人生です。いずれにせよ、本書はSFの好きな読者にはとってもオススメです。

photo

次に、高田崇史ほか『それはそれはよく燃えた』(講談社)を読みました。著者は、25人の作家であり、若手作家から皆川博子や島田荘司といった大ベテラン作家まで、きわめて幅広い作家が執筆しています。25人の作家による25のショートショートを収録していて、すべて書き出しの1文が統一されているシリーズ、会員制読書クラブ「メフィストリーダーズクラブ(MRC)」で有料会員限定コンテンツ「MRCショートショート」で公開された作品です。『黒猫を飼い始めた』、『嘘をついたのは、初めてだった』、『これが最後の仕事になる』、『だから捨ててと言ったのに』、『新しい法律ができた』に続くシリーズ第6弾だそうです。執筆者は出版社のサイトで一覧されています。私は本書以外のこのシリーズは最初の『黒猫を飼い始めた』と『これが最後の仕事になる』を読んでいます。当然、本書では「それはそれはよく燃えた」で始まるショートショートが収録されています。収録されているショートショートのうち、ホントに燃えたものは少なくありませんが、語感からSNSの炎上をテーマにする作品がもっとあるかと思いましたが、それほどでもなかった、というのが私の印象です。収録作品すべてはムリですので、思いつくままにいくつか取り上げると、米澤穂信「燃えろ恋ごころ」は、高校生の燃える恋で始まって、最後の1行で大きなどんでん返しがあります。短いながらも伏線も巧みに配されていました。我孫子武丸「消えない炎」は、その昔のチャイナ・シンドロームも持ち出しながら、原発の怖さをブラックジョークとして描き出しています。秋吉理香子「ファンの鑑」は、この作者らしいイヤミス的な作品で、女子校の同級生のアイドルをファンとしてサポートし続ける目的がブラックに取り上げられています。矢樹純「人形供養」や三津田信三「忌物を燃やす」は、まさにホラーであり、どんど焼きやお焚き上げなどで呪物を処理しようとする行為を思い起こさせます。最初の1文だけが統一されたお題で、2文めからは何ら関連性を欠くショートショートのアンソロジーで、しかも、作者紹介まで含めても200ページ足らずのボリュームですので、短い空き時間にスマホをいじる代わりにとっても有益な読書ができそうな気がします。

photo

次に、渡辺努『インフレの時代』(中公新書)を読みました。著者は、日本銀行ご勤務の後、現在は東京大学名誉教授、ナウキャスト創業者・取締役であり、ご専門はマクロ経済学だそうです。おそらく、日本における物価指数やインフレに関する権威の1人だと私は思います。本書では、まず、冒頭で第1に2022年の輸入インフレから始まった現在の物価上昇は一過性のものではなく、持続性がある、という点と第2にインフレは前向きな変化である、という2点が示されます。第1の点は私も長らく一過性の物価上昇で、すぐにデフレに近いゼロ近傍の物価上昇率に戻る、と考えていましたので、まさに物価に関する第1人者のご慧眼だと思います。第2の点は、本書では価格が動くことによる市場メカニズム機能の回復として考えてます。はい、私もその通りだと思います。ただ、本書でもそうですし、このご著者の一連の論考でもそうなのですが、デフレと物価が動かない、ゼロインフレとは違うという点はゴッチャにされており、私は正しく認識しておくべきだと考えています。ですので、やや論点がズレている、あるいは、意図的にズラしている印象があります。もうひとつ疑問なのが、本書では、デフレ、だろうと思うのですが、あるいは、日本の物価が動かない原因をグローバル化に求めています。もっと正しくいえば、グローバル化が進む中で、第1に、雇用を確保するために賃金を犠牲にして、すなわち、日経連『新時代の「日本的経営」』で示された非正規雇用の大幅な拡大が生じて賃金引上げが停滞したこと、さらに、第2に、中国からの安価な輸入品が増加したこと、の2点に求めていて、逆に、本書で明記しているのはグローバル化の巻戻しによるインフレの進行、ということになります。本書で明記していない点は、金融政策の失政によるデフレの深刻化です。ただし、黒田総裁時代の異次元緩和がデフレ脱却には役立たなかったという歴史的事実がありますので、私はリフレ政策の限界だという気もしますから、今回明らかにされた日銀政策委員2人の任命に示されたように、現在の高市内閣のリフレ政策志向には少し疑問を持っています。黒田総裁時のリフレ政策がデフレ脱却に失敗したことは、私は明らかだと思います。少し脱線しましたが、本書では、こういった基本的な物価やインフレに関する分析を明らかにした後、インフレの時代に、為替や政府債務がどうなるか、日銀や政府はどう対応するべきか、「自然」実質賃金という概念を用いた分析、令和の米騒動の原因、などなど幅広いマクロ経済のテーマを考えています。そのあたりは、読んでみてのお楽しみです。最後の最後に、私の従来からの主張ですが、グローバル化の中で賃金を犠牲にして雇用を確保した、というのであれば、グローバル化が巻き戻す中で労働分配率を上昇させて、インフレの加速なしに名目賃金を大幅な引き上げることが可能で、したがって、実質賃金の上昇が期待できます。

photo

次に、善教将大『民度』(中公新書)を読みました。著者は、関西学院大学法学部政治学科の教授です。表紙画像の副題にもあるように、本書は日本の民主主義が危機とはいわないまでも、転換期にある中で、民度を通じて民主主義を考えようと試みています。ただ、私のイメージでは、専門外ながら、民度とは経済データのように計測できる定量的な指標ではなく、何らかのネガな印象を持って用いられる用語だと考えていました。例えば、「民度が低い」という表現は「民度が高い」よりも頻度高くしばしば使われるように思いますし、「X国と日本では民度が違う」といえば、X国の民度は日本より低いというインプリシットな表現だと受け止めています。しかし、本書では、失業率や成長率といった経済データのような定量的な計測を試みるのではありませんが、一定程度の限定的な範囲ながら、高いか低いかを考え、その高低を決める要因についても分析を進めています。まず、冒頭2章で民度に関する概念的な整理や認知度について考えた後、第3章からコンジョイント実験によって民度の決定要因を探っています。ポイ捨て率、図書館利用、大卒者割合、自粛協力率、投票率、支持政党などによる決定要因を考えています。そのあたりは、読んでみてのお楽しみですが、続いて、投票率や党派性を深堀りした分析に進み、さらに、年齢と民度の関係、すなわち、若い方が民度が低いかどうか、第7章で2024年の兵庫県知事選挙の結果が民度とどう関係しているか、にまで考察を進めています。このあたりも本書のハイライトですのでレビューで取り上げるのではなく、読んでいただくしかありませんが、1点だけ、党派性と民度はかなり強いつながりを本書では認めています。私自身は左派リベラルだと感じていますので、同じ党派性の人が多いと民度高いと感じますし、たぶん、ネトウヨの人たちはそういった同じ党派性の人のグループを民度高いと感じる可能性が高い、というのは事実だろうと思います。最後に、第7章で取り上げられている2024年兵庫県知事選挙結果ですが、はい、私も選挙結果の報道に接した際には、兵庫県民の民度が低いと感じました。県立大学の無償化がそこまで争点になっていたのも知りませんでした。逆に、本書のスコープ外ではありますが、1週間ほど前の石川県知事選挙の結果には、民度がどうしたかはともかく、大きな驚きを受けました。最後の最後に、本書でも力説されている通り、民度とも関係させつつ、問題の原因を個人の意識に帰属させる議論には疑問を感じるべきです。私が授業で指摘している通り、交通安全を心から願うよりも、速度制限や信号を設置した方が交通事故を減らす効果が大きいことは明らかです。核兵器廃絶や戦争反対も同じことです。平和を愛する個人の意識だけで解決できるかどうかは疑問です。

|

« 日本経済は石油価格上昇に脆弱なのか? | トップページ | 退職者を送るつどい »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 日本経済は石油価格上昇に脆弱なのか? | トップページ | 退職者を送るつどい »