今週の読書感想文は以下の通りです。新学年が始まって、新入生などにオススメする目的もあって新書を多く読んでいる気がします。
まず、宮川努[編]『日本経済の未来と生産性』(東京大学出版会)は、日本経済研究所の特別研究「社会の未来を考える」の一環として企画された「豊かさの基盤としての生産性を考える」シリーズの研究成果を取りまとめ、生産性を技術革新、グローバル化、非市場経済などの観点から考えています。宇南山卓『経済統計』(新世社)は、国民経済計算=SNA統計を中心に経済統計に焦点を当てて、幅広く各種統計を取り上げており、通して読むのもいいのですが、座右に置いて経済統計の辞書のような活用もあり得るかもしれません。山田祐樹『変な心理学』(ちくま新書)では、ものすごい「上から目線」で、アカデミック心理学ならざる大衆心理学にダメ出ししています。ですので、大衆心理学のうちで、アカデミック心理学でも支持されているようなものは、まったく無視されています。長崎励朗『大大阪という神話』(中公新書)では、戦前期の大阪について、「均質化の欲望」(p.ⅲ)という聞き慣れないキーワードで、大阪放送局の開局や小林一三による職業野球や宝塚歌劇などを題材にして、大阪が中央の東京に対抗する過程で独自性を喪失していく、という歴史を追っています。藤井薫『定年前後のキャリア戦略』(中公新書ラクレ)では、初任給の爆上がりなど新卒をはじめとする若手社員の待遇が上がっている中で、十分な活躍の場を与えられずモチベーションが下がり、ずっと会社員でずっと正社員だった中高年サラリーマンの処遇をデータに基づき明らかにしています。後藤宗明『中高年リスキリング』(朝日新書)では、AIなどの技術革新が大きく進み、グローバル化などの環境変化も激しい中で、労働寿命や雇用寿命を伸ばすリスキリングについて、アンラーニングを進めて言葉遣いを改める、などの実践的な方向を指南しています。瀬尾まいこ『私たちの世代は』(文春文庫)は、小学生のころにコロナ禍が始まった2人の女子を主人公に、大きく異なる境遇を明らかにしつつ、主人公2人を支える人物とともに、その後の2人の人生を大学生も終わりに近づいた就活期までカバーしています。
今年2026年の新刊書読書は、1~3月に合わせて73冊、4月に入ってから今週の7冊を加えて合計97冊となります。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のtwitter)、あるいは、mixi、mixi2などのSNSでシェアしたいと予定しています。また、学術論文や政府のリポートなどもSNSで適宜取り上げたいと予定しています。
![宮川努[編]『日本経済の未来と生産性』(東京大学出版会) photo](http://economist.cocolog-nifty.com/dummy.gif)
まず、宮川努[編]『日本経済の未来と生産性』(東京大学出版会)を読みました。編者は、学習院大学経済学部教授です。ご専門はマクロ経済学や日本経済論です。本書は、日本経済研究所の特別研究「社会の未来を考える」の一環として企画された「豊かさの基盤としての生産性を考える」シリーズの研究成果を取りまとめています。3部構成となっており、第1部が技術革新の生産性向上効果は持続可能か、第2部がグローバル化に伴う生産性向上の課題、第3部が非市場経済における生産性を考える、とそれぞれ題されています。フォーマルな定量分析を行っているチャプターも多いんですが、かなり、印象論を展開しているものもあり、精粗まちまちという気もします。第1部では特許や研究開発活動の生産性向上効果を計測しており、第2部ではグローバルな生産性格差がコンバージェンスするかどうかや生産性の国際比較を試みています。第3部では、人的資本や社会資本とともに、終章では市場を離れて豊かさを実現できる生産性向上について考えています。第1部の特許や研究開発については、国内的にも国際的にも研究すでにかなり進んでいる分野ですので、いまさら、という気もします。第2部のグローバル化に伴う生産性向上については、いわゆるサプライチェーンの拡大版であるGVC=Global Value Chainに参加する、それも、より中心性が高い産業分野に参加できると生産性に好影響を及ぼす、というのは当たり前といえばあたりまえなのですが、同時に、経済安全保障も考えているのは、今どきの世界経済情勢によくマッチしている気もします。第3部の最終章のゆたかさと生産性について分析しているのは、生産性向上とは、特に、労働生産性向上とは単位マンパワー当たりのアウトプットを増加させることにほかならず、例えば、労働組合のサイドからすれば「労働強化」という見方も成り立ちうるからです。また、その前の人的資本による生産性貢献については、6つの要因、すなわち、(1) イノベーション、(2) 教育・人材、(3) IT・デジタル化、(4) 環境、(5) 所得分配、(6) サプライチェーン、の中で、(2) の教育・人材のスコアが各国と比較して日本では高い、という点が強調されています。はい、大学教育もがんばっているのかもしれません。ただ、出来れば、さらに、教育や人材といった日本の強みをさらに向上させるためにも大学進学率を引き上げる必要があるのではないか、と私は考えています。

次に、宇南山卓『経済統計』(新世社)を読みました。著者は、京都大学経済研究所教授であり、京都大学の前の一橋大学ご勤務の折り、だったと思うのですが、私が総務省統計局に勤務していたころ、いろいろとお世話になった記憶があります。したがって、というか、何というか、統計や経済統計の専門家といえます。本書はライブラリ「今日の経済学」のシリーズ7巻目として発刊されています。私の役所の後輩だった堀雅博教授の『読んでわかる推測統計学の考え方』(日本評論社)を取り上げた際に軽く言及しましたが、統計と経済統計は少し色合いが異なります。本書は後者の経済統計に関する解説書なわけです。経済統計の大きな特徴は、時系列データであるという点です。フローデータにせよ、ストックデータにせよ、過去の時点と比較できる時系列データである場合が圧倒的に多くなっています。加えて、本書で取り上げているような経済指標と呼ばれる経済統計は、多くの場合、マクロ経済に関する統計です。本書でいえば、いくぶんなりとも、大学のセメスターを意識した15章構成のうち、第2章から第8章まで、ほぼ半分のボリュームを国民経済計算=SNA統計に当てていて、経済統計の中心的な存在といえます。SNA統計とは、大雑把に、GDP統計とその関連統計と考えればOKです。第9章から11章までがミクロ統計というタイトルが入っていますが、第10章の家計関連のミクロ統計、とはいっても、国勢調査や労働指標などは集計=aggregateされていますから、ほぼほぼマクロ統計の扱いでOKだと思います。第11章の企業関連のミクロ統計も同じです。私が少し「オヤ」と思ったのは、第13章で賃金と金利を同じ章で取り上げている点です。生産要素という意味で、労働への報酬である賃金と資本ストックへの報酬から派生する金利を同じ章で扱っています。それはそれで合理的か、という気もしました。本書の活用については、私のように通して読むのがひとつの方法ですが、本書冒頭で著者が指摘しているように、経済統計の辞書のような活用もあり得るかもしれません。最後に、パネルデータの説明の直前に、時系列データと横断面データのイメージ図が本書p.131にありますが、これだけは、堀雅博『読んでわかる推測統計学の考え方』(日本評論社)のp.22の方が圧倒的に直感的理解に資すると思います。でも逆に、本書p.131のような概念図が書ける、というのは本書のご著者が頭いい、ということなのだろうと私は受け止めています。

次に、山田祐樹『変な心理学』(ちくま新書)を読みました。著者は、九州大学基幹教育院准教授で、ご専門は心理学のようです。本書のタイトルについては、アカデミック心理学ならざる大衆心理学のことを指しているようです。要するに、医療における民間療法のようなものだと考えればいいかもしれません。第1章では、行動心理学なんてものはアカデミック心理学には存在しないと主張し、第2章以下でその「民間療法」的なアカデミックならざる大衆心理学を取り上げています。第2章ではカラーバス効果、第3章ではウィンザー効果、第4章では逆カラーバス効果、というか、その典型のサブリミナル効果、第5章では蛙化現象、そして、第6章は本書の結論部分であり、このような大衆心理学がバズっている原因について考えています。私はカラーバス効果は知らなかったのですが、色を浴びるという意味で、何らかのキーを指定して街を歩けば、自動的にアイデアが得られる、ということのようです。半分くらいは確証バイアスではないか、と思って読んでいたら、最終第6章p.256でそう出ていました。いずれにせよ、各章で取り上げている心理学的な装いをまとった効果や現象はアカデミックな心理学では研究されておらず、大衆心理学である、と指摘しています。性格診断や自己啓発本などでいっぱい見られるようですが、私はそういった本はそれほど読まないので、蛙化現象のほかはバズっている気がしませんでした。私の専門分野である経済や経済学に引きつけて考えると、典型的な大衆経済学で、為替相場を円高にすれば物価を沈静化することができる、というのがあります。詳細は展開しませんが、私はこの円高による物価抑制というのはかなり怪しくて、専門用語ですが、為替のパススルーはそれほど大きくない、と考えています。おそらく、エコノミストの間で緩やかなコンセンサスがあるのではないか、と思います。そして、経済学の隣接領域である経営学に関しては、特に、投資行動については、もっといっぱい「民間療法」的な経営学、特に、投資行動に対する示唆がありそうな気がします。例えば、株価チャートでこういった形が現れれば、株価が上昇する、あるいは、下落する前兆である、といったものです。最後に、本書における著者のご指摘はすべて正しいものと思いますし、とても面白い本だったのですが、批判をひとくさり指摘しておきたいと思います。とっても「上から目線」の本です。本書の中では何度か否定していますが、あくまでアカデミック心理学が上で、大衆心理学が下、という意識が丸見えです。ですから、本書のタイトルをそのまま借用して「変な心理学」あるいは大衆心理学のうちで、アカデミック心理学でも支持されているようなものは、まったく無視されています。もちろん、専門外の私には知りようがないところで、まったく存在すらしないのかもしれません。でも、例えば、地球物理学だか宇宙物理学だか、「夕焼けは明日晴れる」というのはたぶんアカデミックにも支持されている民間伝承だと思うのですが、そういった大衆心理学であるものの、アカデミックにも支持される、といったものは完全無視されています。そして、査読論文でないとアカデミックな支持を得る根拠にならないかのような「上から目線」記述も満載です。特に、蛙化現象の発端が学会のパネル発表だったとかで、軽んじている姿勢は鮮明です。私はそれほどでもありませんが、学会のパネル発表は大学院生に勧める先生も少なくなく、ご著者が研究者として優秀でも、教育者としてどうなのか、という疑問は感じました。まあ、学問分野や地域によっては、これくらい「エラそう」にする方が効果があるのかもしれません。

次に、長崎励朗『大大阪という神話』(中公新書)を読みました。著者は、桃山学院大学社会学部准教授であり、生まれの育ちも大阪だということです。本書の中身は、タイトルから受ける印象とは少し違っています。すなわち、広く知られているように、戦前昭和期で日本経済のピークとされる昭和9-11年、西暦でいうと1934-36年ころまで、大阪の経済規模は東京を上回っており、いわば、日本最大の都市でした。本書でも、行政区画の変更で東京市が大阪市を上回ったり、下回ったりというのは軽く言及していますが、少なくとも、21世紀の現時点での大阪の凋落ぶりは微塵もありませんでした。ハッキリいって、徳川期は大坂の方が経済規模は江戸より遥かに大きかったわけですから、そのあたりで逆転したわけです。本書では、経済の視点から大阪が東京を下回るようになった経緯を議論しているのではなく、「均質化の欲望」(p.ⅲ)という聞き慣れないキーワードでもって、大阪が中央の東京に対抗する過程で独自性を喪失していく、という歴史を追っています。序章と終章を除いて4章構成であり、第1章では大阪放送局、NHKに吸収された今もJOBKの愛称が残るラジオ放送開始時の放送局開局の顛末に着目しています。すなわち、当時の大阪の資本家には2種類の人がいて、一方は本書で大阪原人と呼ぶ古くからの大阪商人であり、歴史と伝統がある凡凡、といえます。それに対して、他方で、新興資本家、というよりも、相場で一発当てた成り金の金持ちがいます。この2種類の大阪人が大阪放送局開局に当たってぶつかり合うわけです。前者の大阪原人はなあなあで放送局人事を決めようとする一方で、過去から蓄積した十分な経営スキルを有しています。ラジオ放送の公共性という点も理解しています。他方で、新興資本家たちは資金面では大阪原人に十分に対抗できるだけの余裕があり、多数決で放送局人事を握る一方で、ラジオ放送により儲けを出すことには熱心ですが、放送の公共性を理解せず、経営スキルがそれほどありません。そういった派閥抗争的な大阪放送局、あるいは、ついでながら、その前哨戦となった大阪電燈の買収を歴史的に追って、経営スキルに欠ける新興資本家が資金力や多数決で経営参加するものの、結局、スキル不足で経営に失敗して、最後は官僚の介入を招く、という結論を引き出しています。当然に、官僚が介入すると大阪独自の色彩よりも、全国一律の「均質化の欲望」が働くわけです。さらに、第2章以降では、放送における標準語でのコミュニケーション、吉本興業の漫才はホントに大阪的か、小林一三による職業野球と宝塚歌劇の展開などに着目して、同様の大阪論を展開しています。そのあたりは、読んでみてのお楽しみです。

次に、藤井薫『定年前後のキャリア戦略』(中公新書ラクレ)を読みました。著者は、パーソル総合研究所シンクタンク本部の上席主任研究員だそうです。本書では、「ずっと正社員だった」あるいは「ずっと会社員だった」60代に対して、その就業やお給料のリアルをパーソル総研などのデータに基づいて解き明かそうと試みています。冒頭から明らかにしている通り、ここ数年、人手不足が声高に叫ばれ、新卒をはじめとする若手社員は引く手あまたで、初任給は爆上がりして30万円もめずらしくない世の中になった一方で、50-60代の中高年社員は十分な活躍の場を与えられているとは考えられていません。本書でも何度も同じいい回しが登場しますが、会社は中高年社員を持て余していて、それほど大きな期待は寄せられていません。そういった観点から、50-60代会社員、ずっと会社員でずっと正社員だったサラリーマンの処遇のリアルを明らかにしようとしています。まず、広く知れ渡っている事実ながら、雇用延長がなされて、60歳定年であっても65歳までは継続雇用、退職後の再雇用という形か、あるいは、定年延長かで、65歳まで働き続けることが普通になっています。しかし、他方で、50歳とか55歳とかで役職定年、あるいは、定年65歳であれば、例えば、60歳で役職定年というものがあります。当然、その段差でお給料は大きく下がるわけです。役職定年がなくても、60歳の定年後再雇用でお給料は半分近くに下がる場合すらあります。働く方からは、モチベーションの維持も難しくなりそうです。そういった事実をデータに基づいて明らかにしています。ただし、建前や制度上のお話ではそうなっていても、ホントのリアルは違っている場合があり、それをアンケート調査などで補っています。雇う方からの見方は、pp.156-7に渡って、60代社員に対する会社のステレオタイプなホンネがいくつか列挙されています。最初のは「企業が望んで雇用しているわけではない。昔ならもう引退している年齢だ」、次が「年功で役職についている人も多い。給料も高い」、そして、「給与もポストも若手に譲ってやってほしい」といったものです。まあ、そうなんでしょうね。ただ、私のキャリアは公務員から大学教員ですから、会社員とは大きく異なる可能性がありますので、何の参考にもなりません。最後に、employabilityという英語がありますが、労働は可能でも、雇用される可能性が低下している人材は少なくない印象です。それでも、平均余命は伸びて時間を持て余す中高年は多いわけで、何らかのスキルアップなしに望ましい形での会社や社会への貢献ができない時代に入りつつあるのかもしれません。

次に、後藤宗明『中高年リスキリング』(朝日新書)を読みました。著者は、一般社団法人ジャパン・リスキリング・イニシアチブを設立した代表理事だそうです。本書では、中高年の労働継続や雇用継続の観点から、タイトル通りにリスキリングについて論じています。ほぼほぼ何の統計にも基づかずに、直感的な、あるいは、著者の体験や経験に基づく分析結果が披露されています。EBPMを重視する政府の政策決定ではまったく無視されるでしょうが、一般国民にはそれなりに支持されそうな要素、それも実践的な要素をいくつか含んでいます。本書は3章構成であり、第1章でAIをはじめとする大きな技術革新の中での労働や雇用について考え、第2章でリスキリングによる労働寿命の長期化を議論し、最後の第3章で実践的なリスキリングについて展開しています。詳細はお読みいただくのがベストですが、私の感想や実感を簡単に取りまとめたいと思います。まず、私の同年代の60代後半の知り合いで、会社を退職した後、スキルを活かして再就職にチャレンジしている、あるいは、まだ確認していませんが、すでに再就職に成功した人がいます。本書では、労働寿命と雇用寿命を判別しています。すなわち、employabilityという英語がありますが、労働寿命=雇用寿命ではなく、起業とまで大げさではないとしても、フリーランスで働くことも中高年のオプションと考えています。私も知り合いの求職活動に対して、雇われたいというのは理解できるものの、雇われるとなると、特に男性の場合は年齢的に、警備や清掃や介護、あるいは、せいぜいが軽作業などに限定される可能性が高いと思っています。そこで、本書ではリスキリング、ということをオススメしているわけです。労働を続けるとしてもスキルアップは必要ですし、雇用されたいと願うとすれば、もっと必要かもしれません。次に、スキルアップの分野としては、グローバル、デジタル、グリーン、宇宙を著者は上げています。私も中高年リスキリングどころか、大学生に対して、グローバル、デジタル、グリーンまでは同じですが、最後はデータサイエンスを上げています。たしかに、デジタルとデータサイエンスは重複する部分もあるとは思いますが、ちょっと宇宙はハードル高そうな気がします。それから、私なんかは大学生を相手にしていますので、まったく考慮にすら入れていないのですが、リスキリングを考える際にはまずアンラーニングして、過去の成功体験を手放す、あるいは、見直す必要を強調しています。ですので、中高年については言葉遣いから気をつけるべき、と本書では指摘しています。私はその昔に「官尊民卑」とまでいわれた日本で60歳の定年までキャリアの国家公務員をし、今は教師ですので、少なくとも挨拶なんかは「上から目線」の言葉遣いになっています。朝の挨拶は「ございます」なしの「おはよう」で済ませます。気をつけねばと再認識させられました。最後に、実に実践的な観点から、リスキリングを進めるとすれば、アルコールとカフェインはNG、というアドバイスもあったりします。アルコールはともかく、カフェインもダメなんでしょうか。

次に、瀬尾まいこ『私たちの世代は』(文春文庫)を読みました。著者は、私も大好きな人気の小説家です。この作品はいわゆるコロナ文学です。すなわち、かなり長期に渡って、コロナ禍の開始時2020年に小学生だった2人の女子、何の接点もなかった2人が、中学生、高校生、そして、大学生活も卒業に近づいた就活の時期までをカバーしています。ですので、本書の単行本が出版された2023年はもちろん、私が読んだ文庫本が出版された今年2026年から見ても、この作品のラストは2030年より少し先の近未来、ということになります。主人公2人は、まず、シングルマザーながら明るく太っ腹な肝っ玉かあさんに育てられた岸間冴、そして、児童教育に造形深い母親に育てられた江崎心晴、となります。2人は大学生活の最終盤となる就活の場で出会うことになります。それまでは、まったく境遇の異なる主人公2人が別々・独立に描かれます。その叙述の切替えが、いかにも、という感じで、瀬尾作品らしく、とてもさりげないので、私のような表面だけ追うような薄っぺらな読み方では、最初は少し混乱したりしました。ただ、すぐに、2人の主人公の境遇や行動、考え方などが大きく異なりますので、間違えることはなかろうと思います。岸間冴の方は、中学生くらいから、母親が夜の商売であるため、いじめにあいますが、蒼葉という実に力強い味方を得て、というか、母親とともに「発掘」して、明るく強く生きてゆきます。でも、その母親は高校を卒業する前に亡くなったりします。他方、客観的に見て実に恵まれた境遇にあるハズの江崎心晴は、長らく引きこもりになりますが、同じ引きこもり仲間、というか、メッセージだけ交わす相手のカナカナとの交流に支えられて、もちろん、理解のある母親もいて、立派に通信制高校から大学も終えつつある段階で就活に励んでいます。この作者らしい、決して力みかえるわけではなく、ごく自然に人生を送り、決して人から大きな尊敬を集めるわけではないものの、心豊かな生活を送る人々を描き出しています。世間一般は決して平等でもなんでもなく、ひょっとしたら公平ですらなく、親ガチャもあれば、所得の大きさ、学歴や何やの格差が大きいわけですが、しっかり生きて幸せをつかんでいる人がいっぱいいることを実感できるいい小説でした。
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