今週の読書は経済史の専門書をはじめとして計5冊
今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、バリー・アイケングリーン『世界大恐慌とリーマンショック』(勁草書房)は、1929-33年の大恐慌と2008-09年のリーマンショック、などを経済史の観点から統計データを用いつつ解き明かそうと試みており、リーマン・ショックでは政策当局により最悪の事態を回避したと評価しています。宮田珠己『そして少女は加速する』(幻冬舎)では、東京都多摩地区の私立高校の陸上部に所属するショート・スプリントの女子部員数名を主人公に、2年に渡るインターハイ出場を目指した青春小説です。高校生らしく恋愛や勉学・進学の話題もありますが、緊張感あふれるラストは読みどころたっぷりです。脇田滋『いまどうするか日本経済』(ちくま新書)では、主流派エコノミストの分析により、利益剰余金を通した企業の貯蓄主体化が日本経済の長期停滞の主因との視点から、「家計軽視・企業重視の政策がマクロ経済の基礎体力を弱めてしまった」(p.302)と結論しています。齊藤誠『日本経済を診る』(ちくま新書)では、2018年末から2020年半ばの円安は金利平価説から逸脱していて、「明解に説明することができない」と率直に結論していたりしますが、貯蓄投資バランスを考える際に貯蓄過剰主体化した企業部門を抜きに、政府だけの財政規律を求めるにはムリがあると感じました。まさきとしか『大好きな人、死んでくれてありがとう』(新潮文庫)は、男性アイドルグループの元メンバーだった30代後半男性が、引退後に暮らしていた北海道で刺殺された事件をめぐって、関係者が章ごとに視点を提供する意味での主人公となり、最後に驚くべき真犯人が明らかにされるイヤミスです。
今年2026年の新刊書読書は、1~4月に合わせて97冊、5月に入ってから先週までの24冊に今週の5冊を加えて合計126冊となります。これらの読書感想文については、別途読んだ学術論文などとともに、できる限り、FacebookやX(昔のtwitter)、あるいは、mixi、mixi2などのSNSでシェアしたいと予定しています。
まず、バリー・アイケングリーン『世界大恐慌とリーマンショック』(勁草書房)を読みました。著者は、米国カリフォルニア大学の旗艦校であるバークレイ校の経済学特別教授・政治学教授です。経済史学会会長の経験もあり、ご専門は経済史だと思います。本書の英語の原題は Hall of Mirrors であり、2015年の出版です。原書の出版から10年余りを経過していますが、決して賞味期限は切れていないと私は感じました。参考文献リストや注などを含めると、軽く500ページを超える力作です。邦訳タイトル通り、1929-33年の大恐慌と2008-09年のリーマンショック、さらに、いくつかの金融危機を経済史の観点から統計データを用いつつ解き明かそうと試みています。さすがに、世界大恐慌ではなく、リーマンショックについて焦点を当てて私は読みました。リーマンショックの政策的失敗の最大の原因のひとつは、いわゆるノンバンクに対する行政権限が財務省にも連邦準備制度にも、どちらにもなかった点を上げています。もちろん、政策当局がモラルハザードを懸念してリーマン・ブラザーズの救済に躊躇した、というのも原因のひとつです。それでも、約100年前の世界大恐慌とリーマンショックやその後の金融危機の大きな違いは、政策当局により最悪の事態を回避した点にある、と評価しています。リーマンショックもひどかったという見方はあるにせよ、統計データから見て、世界大恐慌ほどの事態が回避できたことは疑うべくもありません。もちろん、それでも大きなショックだったし、さらに回避可能な部分があり得る点は私も理解していますし、本書でも、p.229以下で政策対応について議論しています。特に、欧州についてはギリシアの財政危機の発生など、危機脱却後の緊縮財政への転換が早すぎた点を上げています。本書のスコープ外ながら、日本でも、2014年の消費税率引上げがアベノミクスのデフレ脱却の成功を阻害した可能性があるのと同様かもしれません。いずれにせよ、そのあたりの詳細は読んでいただくしかありません。加えて、英国の当時のエリザベス女王のように、なぜ予測できなかったのか、という疑問はありえます。その点について、本書ではそれほど深く掘り下げてはいませんが、歴史学に基づく議論が必要、というよりは経済学の科学としての限界なのだろうと私は考えています。最後に、戦前日本の金融恐慌からの脱却については、第17章で「高橋是清のリベンジ」と題して歴史の観点から分析されています。
次に、宮田珠己『そして少女は加速する』(幻冬舎)を読みました。著者は、作家なのですが、紀行エッセイを中心に、日常エッセイ、書評、小説なども執筆と紹介されています。本書はエッセイではなく小説であり、舞台は東京多摩地区、高幡不動のたぶん近くの設定であろうと推察される私立の高幡高校、その陸上部、それも女子部員が中心です。第1部で第1年目、また、第2部で第2年目の2年に渡っており、主人公は主として5人、第1部で2年生だった2人の女子陸上部員と1年生だった3名の女子陸上部員、第2部ではその5人が、そのまま学年が繰り上がります。主人公の女子陸上部員はショート・スプリントの選手たちであり、本書で「4継」と陸上競技用語で表現されている100m×4人のリレーのチームを組み、インターハイ出場を目指します。はい、高校生の主人公による青春小説です。高校生による青春小説ですから、恋愛や勉学・進学などもトピックとして扱われてはいますが、ほぼほぼ焦点は陸上に限定されます。その点をどう読みこなすかは、本書を評価する上でのひとつのポイントかもしれません。私は陸上競技には疎くて、その分、楽しめなかった気もします。ただ、陸上競技は超をつけてもいいくらいに個人競技なのですが、そこにリレーという団体競技の要素も加味し、少しでも幅広い読者層に受け入れられる可能性を広げている点は理解できます。スポーツだけにいまだに理不尽なやり方がまかり通っている部分も残っていますし、高校生くらいまでは1年の差が大きく、先輩と後輩の序列も明確です。もちろん、それぞれの女子陸上部員が置かれている家庭生活も千差万別です。加速する少女たちの目標はインターハイ出場なのですから、青春小説としてラストは判りきっているにもかかわらず、最後の数十ページは緊張感あふれる筆致でグイグイと読ませます。ただ、やっぱり、陸上競技に詳しくない読者には500ページ近いボリュームは少し骨かもしれません。
次に、脇田滋『いまどうするか日本経済』(ちくま新書)を読みました。著者は、東京都立大学経済経営学部の教授です。私は何度か役所のセミナーなどでお会いしたことがあります。実に、主流派のエコノミストだと受け止めています。本書の結論は、p.302にあるように、「家計軽視・企業重視の政策がマクロ経済の基礎体力を弱めてしまった」という点につきます。はい、私もその通りだと思います。冒頭でも、本書の視点として、「利益剰余金を通した企業の貯蓄主体化が日本経済の長期停滞の主因」を上げています。マクロ経済政策、それも景気浮揚を目指す政策の主眼は、貯蓄過剰主体の貯蓄を低減して貯蓄投資バランスを投資に向かわせることです。その意味で、日本ではバブル崩壊からしばらくして企業が貯蓄過剰になって投資をしなくなったため、政府と海外が大赤字を出してバランスを取っている、取らざるを得ない形になっています。ただ、だからといって米国の標準モデルを日本に当てはめることを問題と考える本書の見方には、私は賛同できません。経済モデルを正しく日本的に修正すればいいだけで、バックグラウンドのモデルは決して誤っていないと私は見ています。そのモデルに従った本書のエコノミストのカテゴライズがおもしろいのですが、物価を重視するリフレ派、生産性を重視する構造改革派、そして、やや構造改革派に近いながら役所だけでなくアカデミアにも少なくない財政重視派に分類しています。そして、本書の見立てでは、日本の長期停滞の一因はメインバンク制の崩壊にあるということで、メインバンクを頼れなくなった企業がせっせと内部留保の積増しに走り、貯蓄過剰主体になったのがひとつの要因と指摘しています。そうかもしれませんが、逆に、金融市場の未成熟も忘れるべきではない、という気はします。メインバンクからオーバーボロウしていたのが、自己資本比率に関するBIS規制もあって、もちろん、バブルが崩壊して、さらに、国際化が進み銀行に頼れなくなった企業が合理的な行動として内部留保を積み増すというのはありえます。ただ、アベノミクスでそれを助長し、消費税率を引き下げては法人税率を引き下げるという本書や私から見れば逆向きの経済政策を取ったものですから、日本経済の停滞が長期化したのは事実であろうと考えます。アベノミクスが想定したトリクルダウンがまったく生じなかったのは歴史的事実ですし、企業収益から派生する株高など、高所得者層の収入が増加した一方で、低所得者層が本書で「奥田の一喝」(p.83)と指摘しているような賃金抑制があって、さらに、雇用の非正規化が進んで、経済的格差が拡大したのも新自由主義的なアベノミクスの大きな弊害のひとつでした。ほかに、労働生産性計測上の問題、海外M&Aの失敗、日経新聞について政府の「上意」のプロパガンダ機関化、などなど、読むべき主張が満載です。ただ、タイトルの問いには正面から回答できているとはいえません。診断はとっても正確でオススメですが、処方箋はどうなのでしょうか?
次に、齊藤誠『日本経済を診る』(ちくま新書)を読みました。著者は、國學院大學経済学部教授です。本書では、タイトル通りに、日本経済についてマクロ経済の面からデータをていねいに読み解こうと試みています。その上で、意外性ある処方箋を出そうという意気込みではなく、割合と正直に判らないことは判らないと積み残している点は好感が持てます。典型的には、第5章にあるように、2018年末から2020年半ばの円安は金利平価説から逸脱していて、「明解に説明することができない」と結論しています。金利平価説より現実をよく説明できる適当なモデルを探している、といったところでしょうか。続く第6章では、現在の株高は企業収益に支えられたものであり、労働分配率を低下させて株高が実現している点を率直に診断しています。私も同じ結論です。ただ、労働分配率を上昇させるには賃上げだけでは不十分という診断であり、その理由は賃上げが価格に転嫁されるという前提です。今までは、賃金停滞をせっせと企業収益に注ぎ込んできたことを率直に認めつつも、賃上げは価格に転嫁されて分配率にはそれほど響かないという非対称性の根拠を私は読み取ることができませんでした。企業が収益を上げている事実を背景に株高が進行していて、逆に、労働者への還元がそれほどではなく、株高に関係薄い国民が取り残されている、という事実をどう考えるかはひとつの視点だと思うのですが、そういった議論はそれほど重要ではないと見なしているのかもしれません。もうひとつ、私が疑問に思ったのは、貯蓄投資バランスが政府と家計の間だけで議論されている点です。本書では企業が貯蓄過剰主体になった点についてはまったく無視されています。例えば、本書に限らず、なのですが、コロナショックの時期の政府の特定給付金は貯蓄に回って経済下支えにはつながらなかった、かのごとき議論を見受けますが、ホントに問題なのは企業が内部留保を溜め込んで、一定部分は株主に還元しているとしても、賃上げや設備投資という形で国民経済に広く還元してこなかったのが日本の長期停滞の一因と私は考えていますが、本書では円安について、円安で収益を上げやすくなる輸出企業と輸入品の価格上昇で苦しむ国民を対比させている一方で、企業行動については、ほとんど本書でいう「診断書を書く」ことがなされていません。やや不思議な気がしました。そして、最後の第11章では「健全な経済」のための政策処方箋として、章タイトルの副題になっている「財政規律の回復」を目指したプライマリバランスの黒字化の必要性を主張しています。結局、これが主たる眼目なのだろうか、と考え込んでしまいました。貯蓄過剰主体となった企業を抜きに、政府だけの財政規律を論ずる意味を私は理解できませんでした。
次に、まさきとしか『大好きな人、死んでくれてありがとう』(新潮文庫)を読みました。著者は、ミステリ作家であり、本書も殺人事件から始まり、犯人が明らかにされる驚愕のラストが待ち受けています。ただ、世間的にいえばイヤミスということになるかもしれません。繰返しになりますが、ストーリーの始まりは30代男性の殺人事件です。殺害の現場は北海道Y市とされていて、夕張を強烈にイメージさせます。殺害された被害者は南田蒼太といって、かつて「ファンキーカラーズ」という7人組男性アイドルグループの一員でした。しかし、数年前に解散して、郷里の北海道に帰って親族の経営する菓子メーカーに勤務し、専務になっていました。それなのに、廃ホテルで刃物でメッタ刺しにされて殺害されたわけです。章ごとに、視点を提供するという意味での主人公が入れ替わり、さまざまな事実関係を浮かび上がらせます。章番号が付されていないのですが、第1話では事件当夜に蒼太と接触していた職場のパート女性、第2話では元はといえば同じアイドルグループの一員だった男性、第3話ではかつてアイドルだった被害者に異常な執着と狂信的な愛情を向ける熱狂的ファン、第4話ではアイドルデビューする前に孤児となった蒼太を引き取って育てた伯母、第5話ではアイドルグループだったころの敏腕マネージャー、第6話ではかつてのアイドルグループだったころの絶対的センターと恋愛関係にあって捨てられた女子アナ、がそれぞれ視点を提供します。そして、これも繰返しになりますが、驚愕のラストで真犯人が明らかにされます。ただ、証拠を基に名探偵が推理をめぐらせて真相を明らかにするというわけではありません。どのように真相が明らかにされるかは、真相そのものとともに読んでみてのお楽しみです。ただ、タイトル通りに、被害者が殺害されて、むしろ、喜んでいる人が少なくない、という意味でイヤミスといえます。
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