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2026年7月 4日 (土)

今週の読書はいろいろ読んで計6冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、前川守『経済財政諮問会議の理念と歩み』(ぎょうせい)では、経済財政諮問会議の発足直前からの歴史を後付けるとともに、政府における経済財政政策の策定プロセスにおいて、経済財政諮問会議の役割を考えようとしています。大雑把に、著者のキャリアから小泉内閣のころが中心となります。斎藤幸平『人新世の「黙示録」』(集英社)では、気候変動、というか、気候崩壊により、それほど遠い将来ではなく、人類の文明が物理的に崩壊しかねないリスクがあることから、テクノ資本主義によるファシズムを避け、脱成長コミュニズムよりもっと強烈な暗黒社会主義の必要性を主張しています。砂原浩太『星月夜』(文藝春秋)は、「藩邸差配役日日控」シリーズの第2作であり、神宮寺藩江戸藩邸の差配役を務める里村五郎兵衛の勤めや日常生活を、藩主である和泉守正親が国もとに帰る参勤の行列を見送るところから始めて、連作短編6話から編まれています。小峰隆夫『地域と人口減少の経済学』(中公新書)では、現在の日本の人口減少に対して、抑制したり反転させて人口増加を目指すのではなく、人口減少を受け入れて適応した上で、どのようなシュリンク=縮み方が望ましいのかを議論しています。ただ、経済学的な分析として限界はあります。榎本博明『絶対「謝らない人」』(詩想社新書)では、「サッサと謝るのが日本人的な美徳」みたいに考えているようで、謝らない人が増えてきた点を印象論的に論じた後、謝らない人の心理が歪であることを主張していますが、謝罪を要求する人の心理も歪かもしれません。石持浅海『花嫁と殺し屋』(文春文庫)は、「殺し屋」シリーズ第5弾であり、殺し屋が殺人を実行しますので、その殺人事件が謎解きの対象となるわけではなく、どうしてそのような殺人依頼が舞い込んできたのか、動機の解明や期日指定といったオプションの必要性などを推理します。
今年2026年の新刊書読書は、1~6月に合わせて151冊、7月に入って今週の6冊を加えて合計157冊となります。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のtwitter)、あるいは、mixi、mixi2などのSNSでシェアしたいと予定しています。

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まず、前川守『経済財政諮問会議の理念と歩み』(ぎょうせい)を読みました。著者は、私が長らく働いていた経済企画庁~内閣府の先輩であり、次官クラスの審議官まで出世した後に退官しています。はい、ハッキリいって、エコノミストのキャリアを積んだ人ではありませんし、ご本人も自分が官庁エコノミストだとは考えていないと私は想像しています。ただ、なぜか、経済社会研究所の次長や所長を務めていて、私が課長クラスの研究官をしていたころにお仕えした記憶がありますし、入庁年次も近いのでキャリアパスが違うとはいえ、小さな役所でもありますから、面識は十分あります。ということで、本書は、タイトル通りに経済財政諮問会議の発足直前からの歴史を後付けるとともに、政府における経済財政政策の策定プロセスにおいて、経済財政諮問会議の役割を考えようとしています。大雑把に、小泉内閣のころが中心で、本書では第3章に当たります。その後の民主党政権に政権交代するまでの短い第1次安倍内閣、福田内閣、麻生内閣もカバーしていますが、第2次安倍内閣はスコープ外です。すでに、退官していた著者には情報が少ないのかもしれません。私自身も内閣府や内閣官房の官邸スタッフとして経済政策策定プロセスは見知っているつもりですが、政策策定の前段階といえる調査や分析にかかわることが多く、実際に、政治レベルでの決定段階はよく知りません。その意味で、参考になった点は少なからずあります。もっとも、まったく出世に縁遠かった私ですら墓場まで持って行くような職務上知り得た秘密がありますから、大臣秘書官を務め、事務次官級の官庁のトップまで上り詰めたご著者ですので、とてもではないが本にして出版なんて考えられもしない部分は少なからず体験していることと思います。その部分は、当然にして、うかがい知ることはできません。そういった欠落情報があることを前提にしつつも、やっぱり、日銀にかかわる金融政策に関する情報が少ないのは少し不満が残ります。本書のスコープ外ながら、第2次安倍内閣においてはアベノミクスとして、3本の矢の筆頭だった金融政策についての情報が少ないのは、政府から中央銀行が独立しているとはいえ、日銀総裁が経済財政諮問会議のメンバーなわけですので、もう少し何とかならなかったものか、という気がしてなりません。また、経済財政諮問会議の評価に着目した第5章では、引用がズラリと並んでいるだけで、評価の評価あるいは評価への反論がまったくありません。引用された評価が妥当なのか、的はずれなのか、著者独自の見方も欲しい気がします。最後に、本書は学術書ではなさそうな気がしますので、余り形式的な点は指摘したいわけではありませんが、時折、常にではなく、あくまで時折、総理や大臣に対して敬語で記述している部分があります。著者のお人柄がしのばれて微笑ましいとは思います。

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次に、斎藤幸平『人新世の「黙示録」』(集英社)を読みました。著者は経済思想家であり、東京大学大学院総合文化研究所の准教授です。たぶん、原書はこの日本語版なんだろうと思いますが、なぜか Die Apokalypse im Anthropozän というドイツ語タイトルが表紙に見えます。どうでもいいことながら、私はドイツ語はほとんど解しませんが、「黙示録」について英語なら、Apocalypse を充てる場合も決して少なくはないのですが、Revelation ではないか、という気がします。それとも、Revelation は「ヨハネの黙示録」だけなのでしょうか。それはともかく、本書の大前提となる見方は、気候変動、というか、気候崩壊により、それほど遠い将来ではなく、人類の文明が物理的に崩壊しかねないリスクがある、という点です。ですので、何としてでも気候崩壊を食い止める必要があり、そのために何をすべきか、どういった考えを改めるべきか、といった議論が展開されています。私自身は、どちらかというと、本書で批判している加速主義の要素も取り入れた見方をしているもので、その部分は勝手ながら割愛します。ただ、気候変動によって人類文明が崩壊するリスクは、私も十分考慮すべきと思います。その上で、本書では、著者の従来の主張である脱成長コミュニズムより、もっと強烈な暗黒社会主義の必要性を主張しています。そのための計画経済も当然必要となります。そうでなければ、テクノ資本主義によるファシズムが先頭に立って、一部の選ばれたテックエリートが地球を脱出する、というシナリオが現実味を増す、と結論しています。ただ、私自身はピケティ教授が『エコロジー社会主義に向けて』(みすず書房)で指摘していたように、100年かそれ以上の長期のスパンで見れば経済社会はいい方向に進んでおり、社会民主主義的な主張が受け入れられ、平等化を目指す政策が幅広く取り入れられている、と考えています。他方で、気候変動を放置すれば文明が崩壊しかねないのも事実です。本書では、高めの釣り球の直球を投げるように、強烈な主張を提示していると私は感じました。エコ独裁で暗黒社会主義を達成し、一部エリートが地球を見捨てる選民ファシズムを克服するまでの強烈なやり方が、やろうと思えばできなくはないのでしょうが、広く一般市民の合意を形成することができるか、といわれてば疑問に感じます。逆から見れば、一般市民の合意が形成されなければ、暗黒社会主義におけるエコ独裁はテックエリートの地球脱出と同じになってしまいかねない、と危惧しています。

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次に、砂原浩太『星月夜』(文藝春秋)を読みました。著者は、時代小説作家であり、本書は藩邸差配役日日控シリーズの2作目となります。私は当然ながらシリーズ第1作の『藩邸差配役日日控』も読んでいます。小説の舞台は江戸であり、主人公の里村五郎兵衛は神宮寺藩江戸藩邸の差配役を務めています。藩邸内のさまざまなことを差配するわけで、今でいえば総務部総務課長といった役どころです。基本、上屋敷が舞台となります。加賀前田藩の上屋敷が今の東京大学本郷キャンパスですから、大雑把に上野や湯島から少し西の高台に上ったあたりが本書の地理的な舞台です。本書は、藩主である和泉守正親が国もとに帰る参勤の行列を見送るところから始まり、連作短編6話から編まれています。順にあらすじは、まず、「波と波」では江戸藩邸家老大久保重右衛門の側近である波岡喜四郎が、藩邸御用絵師の菅波景賀の後をつけているのはなぜか、を里村五郎兵衛が推理し解決ます。続いて、「揺れる槌」では、藩邸奥の縁側の普請で出入りの源蔵親方の仕事の跡目について、里村五郎兵衛が相談を受けます。続いて、「梔子日和」では、里村五郎兵衛の次女の澪から小太刀を教わっている奥女中で、太物問屋から藩邸に上がっている玉の悩みを解決しようと腐心します。続いて、「碌々亭日乗」では、差配方下役の若い安西主税が、すでに差配方を引退した父の挙動について里村五郎兵衛に相談します。続いて、「小心者」では、御納戸頭で小心者の窪田吾兵衛に対して不審を匂わせる投げ文があり、波岡喜四郎が里村五郎兵衛を助けて調べに当たります。続いて、最後に、表題作の「星月夜」では、里村五郎兵衛の長女の七緒の嫁ぎ先で、御納戸方を務めていた河瀬新之丞が賄賂の疑いをかけられて自裁したものの、後に真犯人が発見され事件が解決した後の河瀬家で河瀬新之丞の控え=日記から、里村五郎兵衛が賄賂事案の真相に迫ります。最後に読む順番についてご注意です。私は少し前にマクファーデン女史の「ハウスメイド」のシリーズを第2巻を先に読んで、シリーズ第1作にさかのぼって、何の問題もありませんでしたが、この藩邸差配役日日控シリーズは出版された順番通りに読む必要があります。というのは、このシリーズ第2作『星月夜』の冒頭で、シリーズ第1作の重要な、きわめて重要なネタバレが明らかにされているからです。ものすごく要注意です。

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次に、小峰隆夫『地域と人口減少の経済学』(中公新書)を読みました。著者は、私の役所の大先輩の官庁エコノミストであり、その後は学界に転じ、現在は大正大学客員教授だそうです。本書は、少し前に取り上げた『スマートシュリンクへの道』(中央経済社)と同様の論考であり、基本的には、現在の日本の人口減少に対して、抑制したり反転させて人口増加を目指すのではなく、人口減少を受け入れて適応した上で、どのようなシュリンク=縮み方が望ましいのかを議論しています。特に、第1章ではコロナショックにより日本の人口減少テンポが加速し、従来の想定よりも約20年早まった点を強調しています。その上で、政府が取り組んできた地方創生は、「地方創生により人口1億人を達成する」という観点であり、考え直す必要があると主張しています。ただ、前の石破内閣によって進められてきた「地方創生2.0」では、この点はかなり修正されてきていると指摘しています。さらに、これは私と共通する観点で、「東京一極集中の是正」の見直し、というか、東京一極集中の容認を主張しています。はい、私もいわゆる「国土の均衡ある発展」という田中内閣以来の政策は、それなりに重要ではありますが、人口減少下ではどこまで堅持すべきかは疑問なしとしません。国民の選択により東京にさまざまなものが集中しているのですから、政府機能の分散などで強引に地方に分散させるのは考えものだと受け止めています。例えば、総務省統計局が和歌山に「統計データ利活用センター」を開設したりしていますが、統計局勤務の経験者として、いくつかの報告を見ている限り、本格的な移転には疑問が残ります。そして、イベントなどの劇場型の地方おこしから、共有型の地方再生に進み、国民のウェルビーイングの改善を図る、と主張しています。最後に、私自身の専門分野ながら、経済学の限界を感じます。すなわち、本書も経済学的分析に基づいていますので、結局、超長期の対応の部分はムリと感じました。超長期の対応、というのは、人口減少に適応的に対応するとしても、私はどこかに最小限維持すべき人口規模があると考えています。極端な見方かもしれませんが、おそらく日本全土で100万人くらいまで人口が減少すると、国防や産業など、国家としての活動は維持できなくなると私は考えていて、根拠はありませんが、おそらく、2000-3000万人のあたりに非線形な限界がありそうな気がしています。その人口規模を下回ると急激に国家としての活動維持が困難になるポイントがある可能性を考えるべきです。ですから、どこかで人口減少を食い止める必要があるわけで、「適応戦略」が全国の人口100万人規模まで未来永劫に有効なわけではありません。ただ、経済学のスキームでこういった超長期の分析をするのはムリがあります。別の学問分野の課題だという気がします。

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次に、榎本博明『絶対「謝らない人」』(詩想社新書)を読みました。著者は、著者は、心理学の博士号を持ち、MP人間科学研究所代表ということなのですが、私にはよく理解できていません。この著者の新書は何冊か読んでいて、最初に2年ほど前に読んだ『勉強ができる子は何が違うのか』(ちくまプリマー新書)はまずまずよかったのですが、『「指示通り」ができない人たち』(日経プレミアシリーズ)とか、最近読んだ『すぐに「できません」と言う人たち』(PHP新書)に至っては、もはや年配の頭の固い高齢者が若い人に向かって愚痴をいっているような印象すらあり、本書もかなりの程度にご同様です。まあ、何と申しましょうかで、コンサルとかカウンセリングの場面で、「若い人が謝らない」といった年配の経営者なんかの意見を真に受けて、「サッサと謝るのが日本人的な美徳」みたいに考えているように私は受け止めました。冒頭で、タイトル通りに、謝らない人が増えてきた点を印象論的に論じた後、謝らない人の心理が歪であることを主張しています。ただ、私は逆に、強く謝罪を要求する人の心理も歪なのではないか、という気がしてなりません。すなわち、本書でも指摘していますが、ネットでいうところの誤ったら死ぬ病のように、「謝ったら負け」という心理の反対側に、相手に「誤らせたら勝ち」という心理がある点は、どうも本書では見逃されているようです。ほとんど愚痴のオンパレードなのですが、ただ最終章だけは、謝らない人との付き合い方があり、これはこれで、参考になる部分もありました。謝罪要求がタブーであるとか、親切心が「いちゃもん」と曲解されリリスクとか、まあ、この最終章だけは読んでよかった気がします。

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次に、石持浅海『花嫁と殺し屋』(文春文庫)を読みました。著者は、ミステリ作家です。本書は、「殺し屋」シリーズ第5弾であり、前4作は、『殺し屋、やってます。』と『殺し屋、続けてます。』と『男と女、そして殺し屋』と『夏休みの殺し屋』になります。たぶん、私はシリーズすべて読んでいます。少なくとも第3作と第4作は読書感想文ブログに残っています。このシリーズでは、殺し屋が殺人を実行しますので、その殺人事件が謎解きの対象となるわけではありません。そうではなく、どうしてそのような殺人依頼が舞い込んできたのか、動機の解明と、もしもあれば、期日や殺害方法の指定などのオプションが、どうして必要か、などなどを推理します。少し趣向の違う安楽椅子探偵であり、謎の確実な解明はなされません。ということで、殺し屋は男女2人いて、経営コンサルタントとして表の顔で働く富澤允、そして、インターネット通信販売業を偽装する鴻池知栄です。なお、諸物価高騰、かつ、サラリーマンのお給料もアップした折ですし、富澤は料金を引き上げましたが、鴻池は据え置いています。本書では短編5話が収録されていて、第1話と第3話では富澤が、第2話と第4話では鴻池が登場し、第5話では両方とも出てきます。あらすじは簡単に、まず、「一礼」では、通勤途中に他人の家に一礼する男の殺害依頼が富澤に舞い込みます。その通勤途上の一礼というターゲットの奇妙な行動が、そのまま謎になります。続いて、「生きていたら」では、ターゲットが7月10日を過ぎても生きていたら殺人を実行して欲しいという依頼が鴻池に来ます。続いて、「宴の後」では、異業種交流セミナーで知り合った4人のうちの1人が殺され、その死を弔う飲み会が開かれたりしますが、残った3人のうちの1人の殺害依頼がきます。続いて、「後から後から」では、なぜか、次々と殺人のオプションが追加されます。最後に、表題作の「花嫁と殺し屋」では、婚約中の男女2人両方に対する殺害依頼が富澤と鴻池のそれぞれに舞い込みます。最後に、2人の殺し屋が交差する「花嫁と殺し屋」は、まあ、何と申しましょうかで、同様に2人登場の前作の「夏休みの殺し屋」の方がずっとよかったと私は思います。表題作にしては低調だと感じるのは私だけでしょうか。

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