2022年12月 3日 (土)

今週の読書はいろいろ読んで計6冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、ブレット・キング & リチャード・ペテイ『テクノソーシャリズムの世紀』(東洋経済)では、やや私には確信の持てない未来社会について著者たちの強い信念が展開されています。米澤穂信『黒牢城』(角川書店)は、今さら感強いとはいえ、直木賞も受賞した時代ミステリ小説です。浜田敬子『男性中心企業の終焉』(文春新書)は、女性ジャーナリストが企業における女性登用の重要性を解明しています。佐々木実『宇沢弘文』(講談社現代新書)は、これもジャーナリストが宇沢教授の人となりを解明しようと試みています。橋場弦『古代ギリシアの民主政』(岩波新書)では、広く市民生活に影響を及ぼしていたギリシアの民主政について歴史家が議論を展開しています。最後に、村上春樹『猫を棄てる』(文春文庫)は、我が国最高峰の小説家が父親について語るエッセイです。
ということで、今年の新刊書読書は、1~3月期に50冊、4~6月期に56冊、従って、今年前半の1~6月に106冊、そして、夏休みを含む7~9月に66冊と少しペースアップし、10月には25冊、11月に入って先週までで18冊で今週は6冊ですので、今年に入ってから221冊となりました。

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まず、ブレット・キング & リチャード・ペテイ『テクノソーシャリズムの世紀』(東洋経済)です。著者は、世界的な起業家・未来学者・テクノロジスト、そして、政府政策アドバイザー・起業家と紹介されています。私にはよく判りません。英語の原題は The Rise of Technosocialism であり、2021年の出版です。著者から本書の前に『拡張の世紀』と『BANK 4.0』が出版されているそうですが、不勉強にして私は前者の『拡張の世紀』だけしか読んでいないと思います。『拡張の世紀』については、本書とともに壮大な未来予想を展開していますが、どこまで現実化されるのかはまったく判らない、と感じたことを記憶しています。というのも、著者たちの強い信念に基づく情報だけが取捨選択されて、その上で未来予想がなされていますので、それほど客観性があるとは思えません。すなわち、本書ではp.53とp.235に同じ4つの未来シナリオを示しており、本書のタイトル「テクノソーシャリズム」では、テクノロジーが普及して自動化が進み、公平性や幅広い繁栄を謳歌できるそうです。別に3つのシナリオがあります。新封建主義」では、格差拡大が極限にまで達し、富裕層はゲーテッド・コミュニティで生活することが予想されています。「ラッダイト世界」では、科学やテクノロジーは拒絶され、法により制限されるらしいです。最後に、「失敗世界」では、気候変動が極限まで達して気候が崩壊し、経済的には不況となり、全面的な独裁政治が世界を支配するとされています。私には、賛同できる論点は少なかったとしかいいようがありません。著者2人の見方はこうですと、かなり強引に示されていて、その方向性に賛同できる読者には、まあ、「内輪褒め」のような形で、それなりに受け入れられやすいのかもしれませんが、議論の進め方はかなり強引かつ独断的で、しかも、翻訳も決してよくないし、さらに、原著の段階で構成なんかも私の理解を超えていて、第7章で革命リスクの緩和について論じられているのは、何の話なのだろう、と思ってしまいました。何よりも私が節s技に感じたのは、AIによる自動化が進み、公平性が担保されるテクノソーシャリズムが未来のひとつの姿である点は、決して拒否しないとしても、その実現可能性、というか、未来への分岐点が何なのかについては、まったく理解できませんでした。何がどうなれば、どのシナリオの実現性が高まるのか、現時点でまったく公平性が担保されていないのはなぜなのか、必要な問いに対する回答はまったくなく、「ボクたちはこう考える」に関して、「将来こうなればいいね」というのが示されているだけな気がする。しかも、その未来社会の中身はアチコチで広く論じられていて、ほとんど著者たちの新たな視点というものは含まれていません。まあ、分厚い本でしたが、それほどタメにならない読書だった気がします。

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次に、米澤穂信『黒牢城』(角川書店)です。著者は、日本でもっとも注目されているミステリ作家の1人であり、本書により直木賞を受賞しています。したがって、というか、何というか、出版社もご褒美的に特設サイトを開設していたりします。舞台は有岡城で、主人公は荒木村重です。これだけでは不親切ですので、もう少し詳しく書くと、時代は戦国時代末期、あるいは、織豊政権の成立前夜というくらいで、荒木村重とは毛利と通じて織田信長に反旗を翻した北摂の戦国武将です。その荒木村重が立てこもるのが有岡城というわけです。そして、その有岡城に織田方の使者として黒田官兵衛が来て、殺されもせず、帰されもせずに、有岡城の土牢に閉じ込められてしまいます。なお、細かいことながら、この当時、黒田官兵衛は黒田姓ではなく小寺姓を名乗っています。そして、本書は4偏の連作短編から構成されています。いずれも、有岡城内、あるいは、城下で不可思議な出来事が起こり、それを官兵衛の知恵を引き出しながら解決する、というものです。第1章では牢の人質が殺され、第2章では戦陣で討ち取った敵将の首の特定が困難を極め、第3章では使者と頼んだ旅の僧が殺された犯人を考え、そして、第4章では第3章の僧殺しの犯人に鉄砲を発射した者を特定します。それぞれの謎解きは興味深くて、それなりに感心しますが、私には少し物足りません。というのは、やはり、馴染みのない時代背景では謎解きに対して感情移入するのが、渡しの場合ということですが、難しいのだろうと思います。不器用なミステリ読者なのかもしれません。その意味で、早く『栞と嘘の季節』図書館の予約が回ってくるのを待っています。古典部シリーズも再開しないものでしょうかね。

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次に、浜田敬子『男性中心企業の終焉』(文春新書)です。著者は、朝日新聞や『AERA』の記者を務めたジャーナリストで、特に、『AERA』に関しては編集長の経験もあるようです。そして、タイトル通りの内容です。ジャーナリストらしく、大きの企業関係者に取材して、あるいは、ご自身の体験も踏まえながら、男性中心企業の終焉を見越しています。まったく、私もその通りと感じています。エコノミストとしてキチンと論理的に説明できないながら、私も、日本企業が女性をクリティカル・マスを超えて、例えば、30%の管理職を女性にすれば、かなり大きく生産性が上がるのではないか、と考えています。そして、何よりも強調すべきであるのは、この女性管理職大幅増の起点となるのは企業サイドである、という点です。何かと、企業での女性活躍が進まない口実として、家庭における男女の役割分担が上げられます。しかし、おそらく因果関係は反対なのだろうと私は考えています。まあ、因果関係などと小難しい議論をせずとも、女性が企業の管理職の半分くらいを占めて、それにともなってお給料が大いに稼げるようになれば、時間がかかる可能性はあるにしても、家庭内の役割分担も必ず地滑り的な変化が生じることは明らかです。マルキストでなくても、経済が社会の下部構造をなしていることは実感しており、その経済の中でも雇用関係が最重要な規定的要因であることは明らかです。家庭内で伝統的な男女の役割分担がなされているから、男性が企業で無限定に働いているわけではなく、男性が企業で無限定に働かされているために、家庭内の家事育児や介護まで女性が担わざるを得なかったのではないでしょうか。ですから、雇用関係で女性の管理職登用が進めば、家庭内でも性別に基づく役割分担が変化すると考えるべきです。日本経済にはそういった女性管理職の大幅増を、逆差別を押してでも進める必要があります。経済政策の切り札だろうと私は考えています。

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次に、佐々木実『宇沢弘文』(講談社現代新書)です。著者は、ジャーナリストであり、前著『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』は私も読みました。前著の感想文でも書きましたが、私の極めて大雑把な宇沢教授に対する印象としては、米国時代はアカデミアの1人として経済学研究に励み、東大、というか、日本に帰国してからは、アカデミックな分野ではなく、むしろ、アクティビストとしてご自身の信念に基づいた活動家としての方にも、もちろん、東大教授としての学術面での活動に加えて、という意味ですが、アクティビストの面も強かったのではないか、と考えています。私とは時代が違いますし、親しいわけでもありませんから、単なる印象ながら、帰国して学術面での貢献がストップしたわけではありませんが、宇沢教授による本当の経済社会への貢献としては、アクティビストとしての活動ではなかったか、と思う次第です。ですから、本書では、生い立ちから始まって、米国における研究での宇沢の2部門モデルの理論的貢献、もちろん、帰国してからの社会的共通資本の研究も重要な論点ですが、米国のベトナム戦争、日本の水俣病などの外部不経済など、宇沢教授の経済学に基づく実践行動にもスポットが当てられています。ただし、止むを得ない面は理解するとしても、やや宇沢教授を美化している面は否定できません。すなっわち、バイアスあるものの、それはそういうもの、と割り切って読むことも必要かもしれません。

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次に、橋場弦『古代ギリシアの民主政』(岩波新書)です。著者は、東大の研究者であり、専門は古代ギリシア史です。本書のあとがきにある著者の思いを引用すると、「古代ギリシアの民主政を、政治のしくみとしてだけではなく、そこに生きた人びとの生業・社会・文化・宗教が織りなす一つの全体として描きたい。そのような願いに衝き動かされて書いたのが本書である。」ということであり、新書というややボリューム不足な出版物という点を考慮すれば、十分に目的が達せられていると私は評価しています。というのも、民主政は単なる多数決による決定方式ではなく、平等の原則に基づく幅広い思考様式や行動様式の中心となるシステムだからです。その意味で、本書では議会活動や行政活動だけではなく、裁判までも民主政の中に含めて考え、市民裁判という解説を加えているのは、ある意味で、自然なことだと私は受け止めました。その他にも、ギリシアでも中心となるアテナイでは、国家としての最盛期を過ぎてから、民主政が成熟して最盛期を迎えた、とか、区単位で民主政が実践され、もちろん、奴隷という身分制であって、近代的な国民すべてが市民というわけではないとしても、市民が生涯の間に何らかの民主制における役割を担うとか、いろいろと私自身も不勉強で知らなかった事実がいっぱいありました。決して大上段に振りかぶって、現代の民主主義に対する何らかの示唆を得るというわけではなく、民主主義発祥のギリシアにおけるシステムや暮らしのあり方を教養として身につけておくのも必要なことではないでしょうか?

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最後に、村上春樹『猫を棄てる』(文春文庫)です。著者は、日本を代表する作家であり、日本人としてもっともノーベル文学賞に近い存在であることは、多くの読者が認めるところだろうと思います。本書は、猫を棄てるという行為を起点として、著者が父親について、そのパーソナル・ヒストリーを簡単に取りまとめるとともに、親子関係を語っています。明示してはいませんが、フィクションではなく、ノンフィクションなんだろうと思います。著者は、何だったかは忘れましたが、エディプス・コンプレックスについて語っていますが、本書ではご自分から父に対するエディプス・コンプレックスは、少なくともその言葉と関連付けては出てきません。父親のパーソナル・ヒストリーを語る際、どうしても時代背景から軍役の関係が多くなります。そして、著者は大学入学とともに親元を離れていますので、大きな段差を感じたりもしますが、父親と倅との間には何らかの確執があるのは当然ですし、確執がありながら淡々と父親について調べて、それを出版物にするというのは、かなり大きな作業なのだろうと感じます。

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2022年11月26日 (土)

今週の読書は国際交渉でのケインズの活躍を収録した経済書ほか計5冊

今週の読書感想文は以下の通り計5冊です。
まず、平井俊顕『ヴェルサイユ体制 対 ケインズ』(上智大学出版)は、欧州諸国を相手に回して、戦間期においてケインズ卿がワンマンIMFの働きを見せる姿が活写されています。道尾秀介『いけない II』(文藝春秋)では、第1作の蝦蟇暮倉市から箕氷市に舞台を替えて、不気味な出来事が連作短編の形で4話収録されています。重田園江『ホモ・エコノミクス』(ちくま新書)では、経済学で前提される合理的な個人について政治社会思想史の観点から跡づけています。渡辺努『世界インフレの謎』(講談社現代新書)では、物価に関する我が国第1人者のエコノミストが、日本の慢性デフレと急性インフレについて分析を試みています。最後に、ピーター・スワンソン『アリスが語らないことは』(創元推理文庫)では米国東海岸を舞台に殺人事件の謎解きがなされます。最後に、読み通したわけではなく、辞書的に座右においてあるだけで、読書感想文の5冊の外数ですが、ジョン・モーリー『アカデミック・フレーズバンク』(講談社)を買い求めて活用に励んでいます。
ということで、今年の新刊書読書は、1~3月期に50冊、4~6月期に56冊、従って、今年前半の1~6月に106冊、そして、夏休みを含む7~9月に66冊と少しペースアップし、10月には25冊、11月に入って先週までで13冊で今週は5冊ですので、今年に入ってから215冊となりました。

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まず、平井俊顕『ヴェルサイユ体制 対 ケインズ』(上智大学出版)です。著者は、上智大学名誉教授であり、ケインズ学会会長ですから、我が国のケインズ研究の大御所といえます。そして、特筆すべきはタイトルであり、まさに、ヴェルサイユ体制にたった1人で孤軍奮闘して立ち向かったケインズ卿の姿が分析対象となっています。もちろん、若き日のケインズから始まって、ケンブリッジでの生まれ育ちやブルームズベリー・グループにも言及されていますが、「平和の経済的帰結」からのあまりにも有名なケインズ卿の慧眼に焦点が当てられています。本書の図コープとしては、対ヴェルサイユ体制であって、第2次世界対戦の後処理である世銀・IMFの創設までは含まれていませんが、ヴェルサイユ体制を相手に回してのケインズ卿の1人国際機関としての活躍が余すところなく活写されています。そうです。まさに、ケインズ卿1人で国際機関の役割を果たしていたといえます。私は劇画の「ゴルゴ13」が好きで、まさに、ゴルゴ13がワンマンアーミーとして20-30人の軍を相手に立ち回るシーンを何回か見てきましたが、本書でのケインズ卿は、現時点での国際機関になぞらえれば「ワンマンIMF」であり、国際金融制度を1人で背負って立っています。対独報復的なフランスの過剰な賠償要求に対して、キチンとした経済計算に基づいて反論し、債務返済の現代流にいえばヘアカットの必要性につき分析しているのがケインズ卿です。歴史がその正しさを立証していて、ヴェルサイユ体制がナチスにつながったのは明らかといえます。しかも、私も経済学者=エコノミストの端くれとして驚愕するのは、戦間期にこういった国際金融制度の中で大きな役割を果たすと同時に、『雇用、利子及び貨幣の一般理論』によりマクロ経済学を確立し、米国のニューディール政策の理論的基礎を打ち立てている点です。私なんぞは、キャリアの国家公務員として経済政策策定の最前線に60歳の定年までいながら、政策策定の実務上も、もちろん、理論展開上も、何らの目立った貢献も出来ませでしたが、まるでモノが違います。国際金融交渉の場におけるワンマンIMFとしての活躍、さらに、マクロ経済学樹立のアカデミックな活躍に加えて、おそらく、ケインズ卿は母国である英国に何らかの有利な方向性も模索していたのだろうと私は想像しています。ただ、そういった英国の国益追求という面は、本書では強調されていません。最後に、出来うべくんば、平井先生に本書の続編を書いていただき、第2次世界対戦の戦後処理のうち、世銀・IMFの創設、特に有名な英国のケインズ案と米国のホワイト案の議論なども取り上げていただきたい、と切に願っております。

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次に、道尾秀介『いけない II』(文藝春秋)です。著者は、中堅どころのミステリ作家であり、やや暗い作風ながら、私の好きな作家の1人です。本書の前編の位置づけであろう『いけない』は海岸沿いの蝦蟇倉市から、本作品では箕氷市に舞台を移します。海は出てこずに山が舞台となる作品がいくつか収録されています。牡丹農家も多いようです。4編の短編を収録しています。第1話「明神の滝に祈ってはいけない」では、1年前に忽然と姿を消した姉のSNS裏アカを発見した妹が、姉が最後に訪れたとみられる明神の滝に向かい、同じように失踪してしまいます。その明神の滝には願い事をかなえてくれる代わりに、大事なものを失うという言い伝えがあったりします。第2話「首なし男を助けてはいけない」では、小学5年生の少年が主人公となり、引きこもりで首吊り人形を作り続けている伯父さんに、ちょっとエバッた同級生に肝試しでいたずらを仕かける人形の工作の相談に行くところから始まります。収録された4編の小説の中では、ストーリーとしては一番怖い気がします。第3話「その映像を調べてはいけない」では、家庭内暴力を振るう子供を殺したと老夫婦が警察に自首するところから始まります。しかし、この第3話の中心は、いかにも怪しい老夫婦の自主内容ながら、その怪しさは次の第4話で謎解きされます。第4話「祈りの声を繋いではいけない」では、第3話の謎解きを中心に、それまでのすべての謎が明らかにされます。ストーリー、というか、小説で語られる事実としては、第2話が一番怖い気がしますが、第1話とこの最終第4話は、ともに、子供を失った、あるいは、亡くした両親の心理描写がとても狂気にあふれるとまではいいませんが、かなり不気味で、このあたりに道尾秀介のミステリ作家としての本来的な能力を感じます。そして、各短編が終了した最後のページに写真が示されています。第3話の写真なんか、ネットでの謎解きを見るまで、感性も頭の回転も鈍い私には理解が進まなかったのですが、第2話の最後の写真は、すぐに理解できました。とても不気味な事実を示唆しています。合わせて、感じるものがある、あるいは、怖がることができたりすれば、さらに本書の、あるいは、道尾作品の読書の楽しみが増えそうな気がします。

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次に、重田園江『ホモ・エコノミクス』(ちくま新書)です。著者は、明治大学の研究者であり、専門は現代思想・政治思想史のようで、フーコー研究者です。ですから、本書の副題は『「利己的人間」の思想史』とされており、経済学的な合理性や限定合理性とか経済哲学的な観点は希薄になっていて、歴史的に経済学がホモ・エコノミクスを前提にする前から、政治社会的な部分も含めての思想史をひも解いています。ですから、逆に、一般ビジネスパーソンには読みやすくなっている気もします。3部構成であり、第1部は富と徳に焦点を当てて、この両者が必ずしも両立せず、古代・中世などの前近代においては、決して「金儲け」が徳ある行為とみなされずに、やや蔑まれていた事実を指摘しています。第2部ではホモ・エコノミクスの経済学を取り上げて、スミスらの古典派経済学から現在までの主流派経済学の中核をなしている新古典派的な限界革命を経て、経済活動だけではなくホモ・エコノミクスが広範な領域に進出し、自己利益の追求が「背徳」的な行為ではなくなって、普遍的な価値観として受け入れられる時代を概観します。そして、最終の第3部ではホモ・エコノミクスの席捲として、シカゴ学派のベッカー教授の経済学帝国主義的な視点などを取り上げています。私の方から、2点だけ指摘しておきたいと思います。すなわち、第1に、本書冒頭で取り上げている公正世界仮説が心理学の学問領域でどこまで認識されているかについて、私は不勉強にしてよく知りませんが、ほかの学問領域は別としても、少なくとも、経済学においてはホモ・エコノミクスを経済モデルの前提にするのは第1次アプローチ=接近としては、十分に合理的であろう、と私は考えています。このホモ・エコノミクスのモデルから、現実に合わせる形でモデルの修正がなされればいいわけです。ただ、従来から指摘している通り、経済学の未熟な点として、モデルを現実に合わせるのではなく、現実の方をモデルに合わせてしまうという欠点は忘れるべきではありません。ですから、ホモ・エコノミクスの合理性のうち、何らかの前提を緩めるという作業が必要なわけです。合理性で前提される完備性、推移性、独立性のうち、ツベルスキー-カーネマンのプロスペクト理論では独立性の前提を緩めているわけですし、そもそも、個人レベルではなく社会レベルではアローの不可能性定理により推移律が成り立たない点は証明されています。限定合理性を含めたモデル化も進んでいます。第2に、ホモ・エコノミクスとは、本書でも指摘しているように、私利私欲を基にした強欲な個人的利益追求主体であるというわけではなく、何らかの効用関数に則って合理的に行動する経済主体と考えるべきです。ですから、「強欲」とかのネガなイメージは効用関数に含まれる説明変数とその偏微係数の大きさによります。かなり説明を端折りますが、結論として、現在、「行動経済学」としてもてはやされているインセンティブによる個人の選択行動へのパターナリスティックな「介入」には、私は大きな疑問を持っています。場合によっては、そういったインセンティブによるナッジなんてものに影響をまったく受けないホモ・エコノミクスの方が、まあ、強くいえば、私には好ましい存在にすら見える場合があります。ひょっとしたら、暗黙裡にそういうホモ・エコノミクスを私自身は目指しているのかもしれません。

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次に、渡辺努『世界インフレの謎』(講談社現代新書)です。著者は、日銀ご出身の東京大学の研究者であり、物価の研究に関しては我が国の第1人者と見なされています。本書では、現在の世界的なインフレは、従来型の需要の超過によるディマンドプルのインフレではなく、供給サイドに起因するインフレであると結論つけています。そんなことは判りきっていえるというエコノミストも多いかと思いますが、単純にコストプッシュだと分析しているのではなく、供給が不足もしくはミスマッチしており、その背景には新型コロナウィルス感染症(COVID-19)パンデミックに起因する消費者や労働者や企業の行動変容があると指摘しています。すなわち、サービス経済化の逆回転が生じて、旅行や外食やといったサービス需要から、巣ごもり需要のモノに消費者の支出がシフトし、労働者は密な職場に帰りたがらず、在宅勤務できる職種に転職したり、あるいは、縁辺労働者は非労働力化したりし、最後に、企業活動ではグローバル化の逆回転が生じ始めている、といったところです。その上で、世界インフレから日本国内の経済とインフレに目を転じて、日本では慢性デフレと急性インフレが共存していると指摘しています。そして、かつての物価上昇期における賃金-物価のスパイラル、すなわち、企業が製品価格引上げ⇒生計費上昇分の賃上げ要求⇒賃金引上げ⇒コストアップ分の価格転嫁⇒製品価格引上げ、のサイクルが、現在の日本ではまったく同じメカニズムにより製品価格と賃金がともに上昇率ゼロで「凍結」されている、と指摘しています。そして、この「凍結」を賃金を起点に「賃金解凍」する条件として3点上げています。第1にインフレ期待の醸成、第2に賃上げ部分が価格転嫁できるという期待の醸成、そして、第3に労働需給の逼迫、となります。細かい論旨は本書を読むしかありませんが、とても注目すべき分析です。もっとも、私が感銘したのは、世界のインフレと日本国内の「慢性デフレに「急性インフレ」を切り分けて分析を進めている点です。世界が利上げしているのだから円安が進み、円安抑制のために日本も利上げすべき、といった乱暴は議論とは大きく異なります。ただ、金融政策の役割に関して疑問点があり、2点だけ上げておきたいと思います。第1に、現在の世界的なインフレをほぼほぼ実物の需給だけで理解しようと試みていますので、金融政策のインフレに果たした役割がスッポリと抜け落ちています。現在のインフレは大きく緩和されていた2022年初頭までの金融政策が、フリードマン教授のようにすべての原因、とまで私は考えませんが、ひとつの無視できない要因だと考えています。すなわち、あくまで一般論ながら、金融緩和の下で大きく増加した通貨供給は中央銀行の準備預金として「ブタ積み」される部分もありますが、一定の購買力となってフローの財・サービスとストックの資産に向かいます。前者の財・サービスに向かえばインフレとなりますし、後者の資産に向かえば、すぐではないとしても、行き過ぎればバブルになります。そして、今回の世界インフレの元凶であるエネルギー価格の高騰は、おそらく、ドル通貨の過剰供給が資産としての石油に向かったのが一因です。金とか、その昔のゴルフ会員権とか、有名画家の絵画、などであれば実物経済への影響はそれほど大きくありませんが、石油価格は実物経済への影響はかなり大きいと考えるべきです。ですから、商品市況で金などの貴金属、あるいは、非鉄金属や穀物といった商品=コモディティという資産として石油が価格高騰し、その資産価格の高騰がフローの財・サービスに影響を及ぼしている可能性を忘れるべきではありません。ですから、米国の金融引締めによってドル供給が縮小すれば石油価格は落ち着きを取り戻すと考えられます。おそらく数四半期、すなわち、1年から、早ければ来年半ばにも事実として観察されるものと私は考えています。第2に、金融政策は需要のみの管理にとどまる政策ではありません。このあたりは、中央銀行と政府の政策のタイムスパンの考え方の違いで、すなわち、私の理解によれば、中央銀行では景気循環の1循環、すなわち、数年をタイムスパンとして金融政策を考えているのに対して、政府では、極端な例としては「教育は国家100年の計」なんてのがありますが、もっと長いスパンで政策を考えます。景気循環1循環では、確かに、金融政策は供給サイドに大きな影響を及ぼすことは難しそうですが、もっと長いタイムスパンで考えれば、利子率が設備投資に影響し生産や供給に何らかのインパクトを持つことは明らかです。まあ、第2の点は大したことではないかもしれませんが、第1の点の緩和的な金融政策が現在の世界インフレをもたらしたひとつの要因であるという事実を本書ではほぼほぼ無視しており、私の目にはこの点がとても奇異に感じます。ですから、現在の米国における金融引締めは、単に米国の国内需要を下押しするだけでなく、資産価格としての石油の価格を引き下げる効果も十分持っていますし、この米国の金融引締めに日本はフリーライドして、棚ぼたの利益を受ける可能性がある、と私は期待していたりします。

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最後に、ピーター・スワンソン『アリスが語らないことは』(創元推理文庫)です。著者は、米国のミステリ作家であり、私はこの作者の『そしてミランダを殺す』も読んでいます。実は、この作者の作品としては、本書と『そしてミランダを殺す』の間に『ケイトが恐れるすべて』という作品があるのですが、これは未読です。英語の原題は All the Beautiful Lies であり、ハードカバーもペーパーバックもともに2018年の出版です。まあ、この英語の原題と邦訳のタイトルを考え合わせると、いかにも、アリス=主人公の継母が嘘をつきまくっている、あるいは、重要な事実を隠しているのだろうという想像ができてしまいますが、ここまでは読まなくてもタイトルだけから感じ取れる範囲ですので、何らネタバレではなくOKと考えます。2部構成となっていて、第2部に入るとガラッと景色が変わり、謎の解明が大きく進展します。ということで、主人公は稀覯本書店を経営する父親を持ち、大学を卒業する直前の大学生です。舞台はメイン州、典型的なニューイングランド、米国の東海岸です。そして、卒業式を数日後に控えた主人公に父親が海岸から転落死したという知らせが入り、卒業式を欠席して大学から実家に戻ります。稀覯本書店を経営していた父の後妻がアリスなわけです。後に警察の調べが進んで、転落による事故死ではなく殺人の線が浮かび上がります。邦訳本で10ページ前後からなる各章が交互に、厳密ではありませんが交互に、現在の主人公の実家周辺と過去、主として、アリスの過去にスポットを当ててストーリーが進行します。まあ、有り体にいえば、現在の捜査の進展とともに、アリスの暗い過去が明らかにされるわけです。その暗い過去の中には、首を絞めたり銃で射殺したりといった明確な殺人ではありませんが、ミステリでいうところの「プロバビリティーの犯罪」あるいは「可能性の殺人」にアリスが関わっていた事実が含まれます。これ以上はネタバレになりかねませんので、最後に2点指摘しておきたいと思います。第1に、途中で名前を変える登場人物がいます。ノックスの十戒の10番目に "Twin brothers, and doubles generally, must not appear unless we have been duly prepared for them." というのがあり、双子はこの作品に登場しますし、途中で名前を変えるというのは「1人2役」のような気もします。でも、作者が "duly prepared" だと認識している可能性がゼロではありません。第2に、この作品はイヤミスです。欧米ミステリ界でカテゴリとして確立しているのかどうかは、不勉強にして私は知りませんが、明らかに日本でいうところのイヤミスです。したがって、読者によっては読後感が悪いかもしれません。

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ホントの最後の最後に、ジョン・モーリー『アカデミック・フレーズバンク』(講談社)です。著者は、英国マンチェスター大学の研究者です。本書は、最初の1ページから始めて最後まで読み通す、といった通常の読書には馴染まないタイプの本で、それこそ、座右において「辞書的に」必要に応じて参照するという使い方だろうと思います。でも、アマゾンのレビューがやたらと高かったので研究費で買ってみました。私は、今の大学に再就職して毎年1本の論文を書くことを自分に課しているのですが、最初の2020年は日本語で仕上げて、その後、昨年2021年と今年2022年はともに英語で執筆しています。しかも、大学院生の修士論文指導を別にしても、通常の授業で年間2コマは英語の授業を受け持っていたりします。従って、本書のようにアカデミックなフレーズを多数収録した参考文献はとても助かります。論文を書く際には、リサーチなんて英語そのままの用語もある一方で、私は explore とか examine なんて、外来語にすら認定されていない用語もいっぱい使うわけですから、用例や用法について豊富に収録されているようで参考になりそうです。ただ、パンクチュエーションはさすがに通り一遍です。私自身の感触としては、mダッシュとnダッシュの使い分けなんて、ネイティブでも相当に教養なければ難しいと感じていますが、本書では、「一般論としては、フォーマルな学術文書の場合には使用を避け、代わりに、コロン、セミコロン、括弧などを適宜使用すること。」とされています。私でも、コロンとセミコロンの使い分けはなんとか初歩的なレベルながら理解しています。

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2022年11月20日 (日)

今年のベスト経済書のアンケートに回答する

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ある経済週刊誌から寄せられていた今年のベスト経済書アンケートですが、結局、マリアナ・マッツカート『ミッション・エコノミー』(NewsPicksパブリッシング)をトップに上げて回答しておきました。政府が後景に退いて企業の自由な活動を前面に押し出すネオリベラルな資本主義ではなく、政府と企業がミッションを軸にコラボ=共同作業を行う経済の重要性を指摘している経済書です。ネオリベな資本主義に対するアンチテーゼとして推しておきました。もちろん、政府と企業とのコラボ=共同作業の有力な候補はSDGsの推進です。17のゴールすべてというわけにいかないとすれば、何といっても重視されるべきは人類の生存をかけた気候変動=地球温暖化の防止のために温室効果ガス排出削減、いっぱい言い換えがありますが、カーボンニュートラルだけ上げておきます。イノベーションの重視はもちろん必要なのですが、ネオリベな経済観に基づく「スタートアップ信仰」、すなわち、スタートアップがイノベーションを担うという考えは、ハッキリいって、もう過去のものであり、現在では打破されるべきと私は考えています。そして、SDGsのもうひとつとしてはジェンダー平等が経済学的に重要だと私は考えています。実証的に示すことは出来ませんし、定量的な把握は不可能ですが、女性管理職比率を無理やりでも30%に引き上げれば、我が国企業の生産性は大きく向上すると思います。

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また、昨年のアンケートにこういう項目があったかどうか失念してしまったのですが、日本の進路に重要な指針を与える経済書・経営書というのがあり、大門実紀史『やさしく強い経済』(新日本出版社)を強く推しておきました。冷たい=格差拡大、弱い=成長できない、から、結局、岸田内閣が腰砕けになってしまった分配の重視、ないし、成長から分配への経済の流れを戻す試みがいくつか提案されています。賃上げと社会保障の充実による所得の底上げ、また、環境重視の気候変動抑止や、ジェンダー平等の達成による成長力の強化といった方向が明確に示されています。『ミッション・エコノミー』の繰り返しになりますが、気候変動=地球温暖化の防止を政府と企業とのコラボに基づき、特殊日本の財政状況だけかもしれませんが、財源がないなら国債を発行しまくってでも、カーボンニュートラルのための技術開発を進めることによりイノベーションが大いに促進されます。そして、民間企業に強力なインセンティブを与えてでも、あるいは法的に強制してでも、ジェンダー平等に基づいて女性管理職比率を飛躍的に引き上げることができれば、我が国企業の生産性は大きく向上します。生産性が向上すれば、雇用者の賃金引上げも進むことになります。現在の岸田内閣は、企業の内部留保に着目して、外生的に賃上げを促進しようとしており、それはそれで一案と私は考えていますが、もしも、ホントに賃上げが内閣の重要課題であるなら、企業の内部留保に課税すべきです。そうではなく、まあ、何と申しましょうかで、女性の管理職比率を障害者の雇用比率と同列に論じるのは適当ではないかもしれませんが、何らかの法制度により女性の管理職比率を引き上げる制度的な改革がなされることから始め、それによる生産性引上げを賃上げに結びつける、というのも十分に実現可能性があると思います。

経済書アンケートにかこつけて、私自身の経済観、政策観を展開していしまいましたが、現在のネオリベな経済政策を打破するために、引き続き、いろんな主張を繰り返したいと思います。

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2022年11月19日 (土)

今週の読書はウェルビーイングに関する経済書のほか計5冊

今週の読書感想文は以下の通りウェルビーイングに関する経済書2冊と明治史に関する新書、そして、ミステリ小説2冊の計5冊です。
まず、山田鋭夫『ウェルビーイングの経済』(藤原書店)は、あまりウェルビーイングとは関係なく、レギュラシオン学派の観点から資本主義の先行きや調整について論じています。草郷孝好『ウェルビーイングな社会をつくる』(明石書店)は、やや「ユートピア的」なウェルビーイングの考え方ではないかと思えるほどですが、成長モデルからウェルビイングのモデルへの転換について論じています。瀧井一博[編]『明治史講義【グローバル研究篇】』(ちくま新書)は、明治期の日本の歴史についてグローバル・ヒストリーの視点から、黒船来航という外圧による開国、そして、アジア各国が明治期日本を参照するという歴史をひも解いています。ネヴ・マーチ『ボンベイのシャーロック』(HAYAKAWA POCKET MYSTERY)は、1880年代の大英帝国の植民地であったインドを舞台にしたミステリです。最後に、ポール・ベンジャミン『スクイズ・プレー』(新潮文庫)は、ポール・オースターの別名義によるハードボイルドなミステリです。ニューヨークを舞台にしています。
ということで、今年の新刊書読書は、1~3月期に50冊、4~6月期に56冊、従って、今年前半の1~6月に106冊、そして、夏休みを含む7~9月に66冊と少しペースアップし、10月には25冊、11月に入って先々週と先週で8冊で今週は5冊ですので、今年に入ってから210冊となりました。

 

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まず、山田鋭夫『ウェルビーイングの経済』(藤原書店)です。著者は、名古屋大学を退縮された研究者です。本書では、レギュラシオン学派の調整理論に基づきつつ、大量生産・大量消費といったフォーディズムがどのように将来にわたってウェルビーイングな価値を重視しつつ、資本主義の調整がなされるか、に焦点を当てています。本書の構成は前編と後編にそれぞれ4章ずつを収録し、前編では内田義彦らの市民社会概念を紹介しつつ、ウェルビーイングの観点からの資本主義像を論じています。中国などの権威主義的な経済社会と市民社会が対象的に議論されます。特に、現在の岸田総理が持ち出した「新しい資本主義」については、分配が後景に退いて成長重視に回帰するとともに、賃上げや「所得倍増」ではなく試算所得の倍増に化けたのではないか、と批判しています。ただ、私の理解不足により、物質代謝については十分には判りませんでした。後編では、レギュラシオン理論に基づく資本主義の調整をテーマとしています。すなわち、資本-労働の関係では、テイラー・システムに基づく科学的管理を労働者が受け入れる一方で、労働需給による賃金決定ではなく生産性に基づく賃金が労働者に支給され、結果として、大量生産-大量消費というフォーディズムが資本主義に好循環をもたらした、というのがおそらく、1970年代の石油危機やニクソン・ショックまでのブレトン-ウッズを支えていました。それが、アマーブルのいうような多様性に富む資本主義がウェルビーイングの概念を軸に、いかに資本主義の新たな方向性として目指されるのか、について議論を展開しています。おそらく、私の目から見て、次の草郷孝好『ウェルビーイングな社会をつくる』と同じで、自由かつ格差が小さいという意味での平等が実現され、さらに、ウェルビーイングな経済社会を、少なくとも短期間で構築することは、ユートピア的・空想的であって、それほど現実性は大きくないと考えるべきです。他方で、こういった大きな方向性について、多様な資本主義の累計を念頭に置きつつ議論することは、単なる「頭の体操」を超えて、現在の日本経済を始めとするいわゆる「閉塞感」、あるいは、欧米経済学のコンテクストでいえば、「長期不況」secular stagnationからの方向転換を考える上でとても重要です。ただ、難点をいえば、内容が難しいです。やや専門外であるとはいえ、私には「物質代謝」を含めて、理解が及ばない点がいくつかありました。一般ビジネスパーソンには難解に過ぎる可能性は指摘しておく必要がありそうです。

 

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次に、草郷孝好『ウェルビーイングな社会をつくる』(明石書店)です。著者は、関西大学の社会学部の教授です。本書では、国連のSDGsなどを引用しつつ、p.40で示した利益拡大の競争社会である経済成長モデル、現在のモデルから、p.115で示している循環型共生社会であるウェルビーイングモデルへの転換について考えています。基本的な方向性としては私は大賛成であって、まったく異論ありません。ただ、2点だけ指摘しておきたいと思います。第1に、一時期にせよ成功していたように見える経済成長モデルがどうしてダメになったのかについては説明を要します。経済成長モデルが経済的格差を構造的に生じさせ、社会的な分断をもたらし、現時点でこのままではよろしくない、というのは、百歩譲っていいとしても、高度成長期の1950-60年代くらいまではこの経済成長モデルで日本だけでなく多くの先進国が成功してきたわけであり、21世紀に入った現時点で、どうしてダメになったのかについては、こういったステレオタイプの紋切り型ではなく、もう少していねいな説明がほしい気がします。第2に、ではウェルビーイングモデルをどう実現するか、については水俣市と長久手市の例が示されているだけで、どこまで一般性あるのか、はなはだ疑問です。当事者主体の地域協働を醸成するための6つのポイントがp.172に上げられていますが、後に、リーダーの存在の必要性などが述べられているとしても、はなはだ不親切であると私の目に映ります。ウェルビーイングについては所得と幸福度の関係についてイースタリンのパラドックスを展開したり、あるいは、センやヌスバウムらの潜在能力アプローチ、あるいは、ヘリウェル-サックスなどの幸福度に関する計測の研究、などなど、しっかりとした理論的な基礎があるだけに、方法論があまりにも貧弱と感じてしまいます。まあ、マルクス主義的な暴力革命からプロレタリアート独裁というのも乱暴な方法論だと大学生のころに感じた記憶はあるものの、本書はどうも科学的な観点が少し不足する「ユートピア的あるいは空想的ウェルビーイング理論」のような気がします。もっとも、現状の幸福度やウェルビーイングの研究はほぼほぼすべてこういった水準にとどまっているのも事実です。ひょっとしたら、経済学以上に未熟な科学なのかもしれません。逆に、私自身はウェルビーイングなモデルを大いに支持していますので、今後の学術的、科学的な発展を期待します。大いに期待します。

 

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次に、瀧井一博[編]『明治史講義【グローバル研究篇】』(ちくま新書)です。編者は、国際日本文化研究センター(日文研)の研究者です。本書は、2018年に明治維新150年を記に開催されたシンポジウムの報告から構成されています。なお、同様の出版物として、同じちくま新書から【テーマ篇】と【人物篇】はシンポジウム直後の2018年に刊行されていますが、なぜか、本書【グローバル研究篇】だけは4年遅れでの出版となっています。私も役所の研究所に勤務していたころにこういったコンファレンスの出版を担当した記憶がありますが、私の担当で大きく出版が遅れたのは最終稿の確認が、おそらくたった1人のために、遅れに遅れたことが原因であったと覚えています。それはともかく、本書では内外の16人の報告を収録しています。出版社のサイトに各報告のタイトルが示されています。大雑把にいって、私の理解として、国家近代化として捉えるべき明治期の日本については、その出発点である明治維新がいわゆる外圧、すなわち、象徴的にはペリー提督による黒船来航によってもたらされ、そして、明治期の日本での国家建設がアジアをはじめとする当時の途上国によって参照された、というのが明治期の歴史をグローバル・ヒストリーの中で位置づけるひとつの視点ではなかろうか、と考えています。明治期の歴史の最終的な仕上げのひとつのエポックは日露戦争であり、日本が大国ロシアに勝利したという事実により、当時の途上国から国家の発展モデルとして大いに注目を集めたことは容易に想像できるかと思います。特に、当時の清-中国あるいは台湾や朝鮮といった近隣諸国への影響は無視し得ないものであったと想像しています。本書では、さらに範囲を広げて、タイ、ベトナム、トルコといった国への影響も報告されています。本書のまったくのスコープ外ながら、私が同様に日本の歴史的な発展がアジアをはじめとする途上国のモデルとなったのは1950-60年代の高度成長期であったと考えています。逆に、20世紀なかば以降の戦後の世界経済において、いわゆる経済開発に成功して先進国の仲間入りをしたのは日本モデル以外には、現時点では、ないものと考えています。韓国についてはかなりの程度に日本モデルを採用して経済開発が進められました。ただ、中国が日本モデル以外の新たな経済発展モデルとなるかどうかは、大いに注目です。激しく脱線しましたが、明治期の日本をグローバル・ヒストリーの視野で捉えるとすれば、国家の近代化≈西洋化の際の発展モデルであろうと私は考えます。そして、本書はそういった明治史について、さまざまな観点を提供してくれます。

 

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次に、ネヴ・マーチ『ボンベイのシャーロック』(HAYAKAWA POCKET MYSTERY)です。著者は、インド生まれで現在は米国在住のミステリ作家です。英語の原題は Murder in Old Bombay であり、2020年の出版でこの作品は作者のデビュー作で、そして、米国探偵作家クラブ賞(エドガー賞)の最優秀新人賞にノミネートされています。ということで、舞台は1892年のインドのボンベイ、今でいうところのムンバイです。インドは大英帝国の植民地として発展を遂げており、時代はまさにシャーロック・ホームズの活躍したビクトリア時代です。主人公はインド人女性と英国人男性の混血として生を受けていますが、父親は不明で、姓はインド系、しかも、カースト最上位のバラモンである一方で、名はジェームズ(ジム)と名付けられています。軍人として大尉まで務めましたが、30歳にして傷痍退役し新聞社に勤務します。そして、数か月前にボンベイで話題となった2人の裕福な若い女性の時計塔からの転落死事件について、その被害者の1人である女性の夫から調査依頼を受けます。被害者やその夫はパールシーです。すなわち、ペルシャ系のゾロアスター教徒であり、同じ宗教の信者としか結婚しません。ということで、主人公が謎解きに挑み、もちろん、成功するのですが、とてもびっくりするような謎でした。ハッキリいって、どうもあり得ないような解決だと私は考えます。一応、何と申しましょうかで、莫理斯(トレヴァー モリス)『辮髪のシャーロック・ホームズ』がとてもよかったので、同じような本ということで借りてみましたが、決してオススメしません。かなりのボリュームある長編ですし、解決は現代の日本人には想像できないような内容です。しかもしかもで、パールシーの結婚観に触れておきましたが、女性に対する興味を示さなかった本家のホームズと違って、この作品の主人公の探偵役は、たぶん、ヒンデュー教徒であるにもかかわらず、パールシーの女性に対して求婚したりします。捜査方法もどこまでホームズを参考にしているのかは不明です。少なくとも、『辮髪のシャーロック・ホームズ』で組織されていたベイカー街イレギュラーズを模した少年たちは登場しません。ただ、米国での評価はそれなりですし、ミステリとしては謎解きの妙は味わえます。評価はビミョーなところです。

 

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最後に、ポール・ベンジャミン『スクイズ・プレー』(新潮文庫)です。著者は、米国の作家なのですが、通常は、ポール・オースターとして理解されている作家であり、本書は別名義で執筆しています。英語の原題は Sueeze Play であり、本書巻末の主要著作リストに従えば、何と40年前の1982年の出版ながら、本邦初訳だそうです。ペーパーバック出版の1984年の翌1985年には米国私立探偵作家クラブによるシェイマス賞最優秀ペーパーバック賞を受賞しています。ということで、主人公はニューヨークの私立探偵なのですが、米国東部アイビーリーグの名門校を卒業し、州の検事局を最近辞職しています。そして、この探偵への依頼者は、これまた、アイビーリーグの名門校出身で5年前まで大リーグのスタープレイヤーであって、キャリアの絶頂期に交通事故で片足を失いながらも、今は政治家として注目され、州上院議員に民主党から立候補するとウワサされている人物です。その依頼者が殺意すら匂わせている脅迫状を受け取り、探偵に事実調査を依頼します。いろいろと調査を進めているうちに、実に、その依頼人は実際に毒殺されてしまいます。ほかにも、死者がいっぱい出ます。作風としては、いわゆるハードボイルドであって、私は大好きです。謎解きについては、今となってはそれほど目新しさもなく、ありきたりな気もします。ミステリですので、これ以上は詳細について触れず、どうでもいい脱線をいくつか書いておくと、第1に、タイトルの「スクイズ・プレー」はまさに、野球、特に、高校野球でよく見かけるスクイズそのものを指しています。主人公の探偵が離婚した妻といっしょに暮らしている9歳の息子と大リーグの試合観戦に行って、日本でいうところのツーラン・スクイズ、すなわち、3塁走者だけではなく2塁走者もホームに生還するスクイズからヒントを得て事件を解決に導きます。なお、私がスクイズ・プレーのある競技として知っているのは、野球のほかはコントラクト・ブリッジだけです。第2に、サム・スペード、リュウ・アーチャー、フィリップ・マーロウというハードボイルド御三家ともいえる探偵は3人とも西海岸カリフォルニアで活動しているのですが、私はハードボイルドにはニューヨークが似合うと常々考えています。本書ではハードボイルド探偵はニューヨークを舞台に事件解決を成し遂げます。その意味でも、いい読書でした。

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2022年11月12日 (土)

今週の読書は中国に関する経済書のほか計3冊にとどまる

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、李立栄『中国のシャドーバンキング』(早稲田大学出版部エウプラクシス叢書)はタイトル通り、中国のシャドーバンキングを3分類してその活動の規模や規制当局の方向性などについて取りまとめています。宮本弘曉『51のデータが明かす日本経済の構造』(PHP新書)では、日本の賃金が上がらない理由について、極めて陳腐にも、生産性と結びつけた上で労働の流動性を促すといった的外れな議論がなされているように見えます。小谷賢『日本インテリジェンス史』(中公新書)は戦後日本のインテリジェンス史を概観し、いくつかの興味深い事件についてその裏側を解説しようと試みています。
今年の新刊書読書は、1~3月期に50冊、4~6月期に56冊、従って、今年前半の1~6月に106冊、そして、夏休みを含む7~9月に66冊と少しペースアップし、10月には25冊、11月に入って先週5冊で今週は3冊ですので、今年に入ってから205冊となりました。また、本日の読書感想文で取り上げる以下の3冊のほかに、今週は太田愛『天上の葦』上下(角川文庫)を読んでいます。新刊書読書ではありませんから、別途、Facebookでシェアしたいと思います。さすがに、『ハヤブサ消防団』と『嫌いなら呼ぶなよ』はなかなか図書館の順番が回ってきません。

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まず、李立栄『中国のシャドーバンキング』(早稲田大学出版部エウプラクシス叢書)です。著者は、亜細亜大学の研究者であり、本書は著者が早稲田大学に提出した博士学位請求論文が基になっています。タイトル通りに中国における銀行ならざる金融仲介業を営むシャドーバンキングを分析しています。ただ、博士学位請求論文にしては、仮説の提示とその検証という学術論文ではなく、基本的に、中国のシャドーバンキングに関する情報を網羅的に収集した上で整理しています。ですから、というか、逆に、難解な計量分析などは少なく、一般ビジネスパーソンにも判りやすい内容になっている気がします。ということで、中国におけるシャドーバンキング業者をSB①、SB②、SB③の3種類に分類し、分析を進めています。p.20に簡単に分類が示されていますが、少し詳しく見ると、第1に、SB①については米国のシャドーバンキングや日本のいわゆるノンバンクと同じように、規制当局の監督対象となり、米国ではMMF、あるいは、日本の信託会社や証券会社、保険会社やファンド会社などが該当します。主たる業務は銀行の貸出債権をオフバランス化して理財商品に転換することですから、満期転換機能や流動性転換機能などを発揮します。ただし、預金を受け入れる銀行よりも当局からの規制は緩やかとなっています。第2に、SB②は中国の金融システムが近代化される前から存在する投資組合や質屋などの伝統的な個人間貸借から派生した業態です。そして、第3に、SB③はSB②の逆で超近代的、というか、フィンテックを活用した業態であり、P2Pレンディング、クラウドファンディングなどが該当します。そして、これらの業態ごとに、規模、特徴、性質、金融における役割、などが分析されていますが、SB②とSB③については、本書ではしばしばいっしょくたに議論されている恨みはあります。読ませどころは後半の第5章の潜在的なリスクの分析、さらに、第6章の規制当局の対応に関する現状分析と今後の方向性、などが私には大いに参考になりました。特に、SB②への規制については、その昔の日本における消費者金融の金利上限規制を思わせるものがありましたし、SB③については、逆に、過剰な規制がフィンテック企業の成長を阻害しかねない危惧が示されています。まあ、日本でも同じなのでしょう。米国との比較などは理解を進める点で役立っています。最後に、著者の中国語に関する語学力が大いに生かされています。私はやや専門外なのですが、それでも、これだけの情報に接することが出来るのは有り難く感じます。研究だけでなく、通常のビジネスにも役立てられそうな気がします。ただ、難点を上げれば、シャドーバンキングをシャドーバンキングとして分析しています。すなわち、シャドーバンキングをほかの経済活動との関係性から理解しようとはしていません。ですから、日本でも米国でもシャドーバンキングでは土地や不動産との関係が深く、中国でも同じなわけですので、シャドーバンキングを単なる金融業として分析するだけではなく、不動産との関係でもう少し深く掘り下げて欲しかった気もします。銀行やシャドーバンキングが単独で金融危機を引き起こすことは稀ではないでしょうか。

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次に、宮本弘曉『51のデータが明かす日本経済の構造』(PHP新書)です。著者は、東京都立大学の研究者なのですが、労働経済がご専門と記憶しています。私が役所にいたころにコンファレンスに来ていただいた記憶があります。ということで、賃金や雇用を切り口にして、賃金が下落し続ける日本経済の現状について、その原因を国民が平等に貧しくなる「未熟な資本主義」に求めて、いくつかの、というか、51のデータから解き明かそうと試みています。ただ、結論を先取りすれば、典型的な主流派エコノミストと同じで、個別の労働者の生産性が上がらないから賃金が上がらない、という極めてありきたりな結論で終わっています。この点は残念です。章立ては、物価、賃金、企業経営と労働、そして、「未熟な資本主義」を脱却する方法、と4章構成です。日本経済が低迷し低賃金が継続しているのは、一言でいえば、p.12にあるように、企業が安価な非正規社員や技能実習生などの人件費の安い外国人労働力に頼り、「また、デジタル化などの必要な投資を怠った結果であり、そのために、生産性が低下した、と結論しています。そして、賃金上昇のためには量的な人で不足や失業率の低下などではなく、労働市場の構造的な問題の解決が必要とし、長期雇用や年功賃金といった硬直的な雇用慣行を改革し、労働市場の流動化の必要性を唱えています。しかし、同時に、賃上げが進まない背景として労働組合の役割の低下も視野に入れています。まあ、私から見ればガッカリというしかありません。長期雇用や年功賃金といった「硬直的」な雇用システムを流動化させて、派遣雇用の適用範囲を広くし、安価な外国人労働者を技能実習生という名目で入国させたりして、雇用の流動化をここまで進めたために賃金が上がらない、という現実がまったく見えていないようです。こういった本書のような論調を持ち上げて、非正規雇用の拡大に歯止めをかけなければ、賃金はさらに下落を続ける可能性すらあります。

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最後に、小谷賢『日本インテリジェンス史』(中公新書)です。著者は、日本大学の研究者です。本書の内容はタイトル通りなのですが、ここで、インテリジェンスとは、インフォメーションの情報という中立的な用語ではなく、諜報とか、機密の印象に近く、国家の政策決定のための、特に、安全保障上の情報という意味で使われています。そして、その歴史は本書では終戦後から始めています。ただし、戦前・戦中のインテリジェンス活動にも軽く触れており、交換評価されているほど日本政府や軍はインテリジェンスを軽視していたわけではなかった、と評価しています。実は、私も同じような考えを持っていて、戦前・戦中もインテリジェンス活動はそこそこ行われていて、それが軽視されていた、とする方がホントのインテリジェンス活動には有利だからなのだろう、と解釈しています。ということで、占領期のインテリジェンス活動、組織の創設から始まって、やっぱり、読ませどころはソ連崩壊までの冷戦期のインテリジェンス活動史であることは明らかです。結局、モノにならかった秘密保護法制、ソ連のスパイ事件、ソ連からのベレンコ亡命事件、KAL機の撃墜事件、などなど、私でも聞いたことがあるくらいのエポックをなす出来事について詳しく解説されています。そして、さいごは、第2時安倍内閣での特定機密保護法、国家安全保障会議(NSC)と国家安全保障局(NSS)の創設と活動、米英などとの連携、などなど、これまた、エポックとなるイベントを網羅しています。分析や記述対象がインテリジェンス活動ですから、どこまで明らかにできるか、明らかにするべきか、といった議論はあるとしても、国民の支持がなければこういった活動は成り立ちませんから、少しタイミングが遅れてもかまわないので、インテリジェンス活動についても情報開示が進むことを願っています。

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2022年11月 7日 (月)

ふたたび、今年のベスト経済書やいかに?

先週の11月3日文化の日にポストしたように、予想通り、というか、何というか、今年も経済週刊誌のベスト経済書のアンケートが来ました。候補書として150冊あまりがリストアップされていましたが、文化の日に私がお示しした10冊のチョイスの中で、漏れていたのは2冊めの福田慎一[編]『コロナ時代の日本経済』(東京大学出版会)だけでした。なぜ漏れたかの理由はよく判りません。純粋に学術書なので、その経済週刊誌の読者層にマッチしない、という判断かもしれません。なお、的外れと指摘しておいた2冊も、ちゃんと、候補書リストに入っていました。まあ、当然でしょう。

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今日のところは、3点だけ指摘しておきたいと思います。第1に、文化の日11月3日に私が10冊リストアップした中で、マリアナ・マッツカート『ミッション・エコノミー』(NewsPicksパブリッシング)が漏れていました。米国1960年代の「アポロ計画」を引き合いに出して、政府と企業がミッションを軸にコラボ=共同作業を行う経済の重要性を指摘しています。送られてきたアンケートの候補書リストを見て、私がこれを忘れていた点に気付かされました。この本は、私の見方からすれば、文句なく今年の経済書トップテンに入るべきです。第2に、候補書リストを見て、ダニエル・カーネマンほか『NOISE』(早川書房)を、私はまだ読んでいない点に気づきました。早速に、大学の図書館で借りました。第3に、前回のポストの直後に、日経・経済図書文化賞が明らかにされ、長岡貞男『発明の経済学』(日本評論社)ほか全5冊に授与されています。少なくとも、この5冊のうち、『発明の経済学』と渡辺努『物価とは何か』(講談社)は私は読んでいます。でも、10冊には入れませんでした。それはそれで、私の考え方です。

最後に、さて、どれをベスト経済書に回答しようかと迷っていると、何と、私が昨年のアンケートに回答した野口旭先生の『反緊縮の経済学』(東洋経済)が候補書リストに入っていました。しかも、「半緊縮の経済学」と間違ったタイトルになっています。改めてこの本の奥付を見ると、2021年8月19日発行となっていて、私は出版直後の9月11日付けの読書感想文ブログで取り上げています。ホントに今年2022年の候補書リストに入れていいのかしらん、でも、許されるなら今年ももう一度、この本で出してみようかしらん、と考えないでもありません。

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2022年11月 5日 (土)

今週の読書はゲーム論の入門的な解説書をはじめ計5冊

今週の読書感想文は以下の通りです。ゲーム理論に関する入門的な解説書である岡田章『ゲーム理論の見方・考え方』(勁草書房)、経済や教養に関する新書を2冊、すなわち、夫馬賢治『ネイチャー資本主義』(PHP新書)とレジー『ファスト教養』(集英社新書)、そして、海外ミステリの長編であるホリー・ジャクソン『自由研究には向かない殺人』(創元推理文庫)と短編集のピーター・トレメイン『修道女フィデルマの采配』(創元推理文庫)、となって計5冊です。
今年の新刊書読書は、1~3月期に50冊、4~6月期に56冊、従って、今年前半の1~6月に106冊、そして、夏休みを含む7~10月に66冊と少し跳ねて、10月には25冊、11月に入って第1週の今週は5冊ですので、今年に入ってから202冊となりました。200冊に達したから、というわけでもないのですが、少し経済書をお休みしようかなと考えないでもありません。ミステリを中心とした小説が図書館の予約で届き始めています。今週も2冊が海外ミステリなのですが、こういった読書も進めたいと思っています。

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まず、岡田章『ゲーム理論の見方・考え方』(勁草書房)です。著者は、一橋大学の名誉教授です。本書は、『経済セミナー』2022年10・11月号の新刊書紹介で書評が掲載されていましたので、大学の図書館で借りて読んでみました。冒頭に著者が「ゲーム理論の入門的な解説書」と書いているように、ゲーム理論について私のようなシロートでも判りやすく解説してくれています。一般の経済社会で見られるような実例も豊富に取り入れられています。9章構成なのですが、前半のいくつかの章では、フォン・ノイマン=モルゲンシュテルンの『ゲーム理論と経済行動』から始まるゲーム理論の歴史について、実際のエピソードなどとともに簡単に取り上げています。さらに、そもそも、ゲーム理論とはどういった学問分野であるか、とか、意思決定や効用あるいは利得の考え方なども解説されています。私の解釈では、マイクロな経済学ではすでに基数的な効用という考え方は捨てられているのですが、マクロ経済学では国民所得やGDPといった基数的な計算が用いられていますし、マイクロな経済学の中でもゲーム理論だけは利得=ゲインという考え方で基数的な効用を考えているのではないかと、専門外ながら、受け止めています。もちろん、「社会とは、ルールを守りながら自分の価値や利益を求める人びとがプレイするゲームである。」わけですから、経済に限定せずにさまざまな分野での応用が可能ですし、特に、経済学では成長よりも分配との親和性が高いと私は考えています。また、最近、私は開発経済学のセミナーに参加したのですが、第6章p.151から3人非対称ゲームを取り上げて、コアが存在するゲームは限界生産性が逓増する経済に対応し、存在しないゲームでは逓減する経済に対応する、とされていて、開発初期の段階、日本では高度成長期の時期、また、開発を終えた成熟経済の現在に分析可能だとされていて、それなりに勉強になりました。最後に、基本的に入門的な解説書ですので、それほど複雑な理論は取り上げておらず、例えば、限定合理性などについてももう少し詳細な解説が欲しかった気がしますが、これくらいのボリュームの本で、入門的な解説といえども、ゲーム理論を網羅的に取り上げるのはムリなのか、と考えざるを得ません。出版社こそ、学術書が多い印象ですが、決してそう難しくはありません。その一方で、ここ10年くらいのある程度最新の専門論文にも言及があり、たぶん、それなりの専門知識あるエコノミストでも十分満足できる読書が楽しめるのではないか、という気がします。

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次に、夫馬賢治『ネイチャー資本主義』(PHP新書)です。著者は、いろんな肩書があるのですが、基本的に経営・金融コンサルタントではないか、と思います。本書では、基本的なメッセージとして、機関投資家がESG投資をはじめとしてサステイナブル経済に目覚め始めている現状では、マルクス主義的な社会変革や、あるいは、脱成長による環境負荷軽減に頼らずとも、機関投資家から経営者層に投資の結果としての気候変動=地球温暖化の抑制、あるいは、サステイナビリティへの配慮というシグナルを送れば、その方向でのイノベーションが促進され、成長を維持したままで環境負荷軽減というデカップリングが成立する可能性が大いにある、ということです。長くなりましたが、そういうことです。もう少し詳しく敷衍すれば、環境破壊や環境負荷の増大は、基本的に、資本主義的な経済成長や人口増加からもたらされ、さらに、その大本は強欲で利潤最大化を目的とする19世紀的な資本家の経済活動が根本原因である、という認識が基本にあります。ですから、マルクス主義的な社会変革、あるいは、そこまでいかなくても、何らかの資本主義的な経済活動を規制する脱成長が必要、という認識が広がっていたわけです。しかし、本書では、Glasgow Financial Alliance for Net Zero=GFANZ という機関投資家の活動を紹介しつつ、機関投資家が投資対象企業の経営者にサステイナビリティへの配慮を促すシグナルを送り、経営者がそのためのイノベーションに励むことにより、成長や人口増加と環境負荷増大は絶対的にデカップリングされる、という仮説を提唱しています。繰り返しになりますが、確認された事実を提示しているわけではなく、私はあくまで、本書では仮説を提唱していると受け止めています。ですから、実証の一例として、高収益なESG投資を上げています。専門外の私でも、ESG投資などのサステイナビリティを重視する投資がハイリターンを上げている実証研究が出始めていることは知っています。もちろん、疑問が残らないでもありません。この仮説が成立するには5点の実証的な確認とリンケージが必要です。第1に、ホントにサステイナビリティ重視の投資がハイリターンであるかどうか、第2に機関投資家がそれに気づくかどうか、第3に企業が機関投資家の意向に沿った経営をするかどうか、第4に経営者がサステイナビリティを重視する経営の方向性を決めたとしても実際に環境負荷軽減のイノベーションが可能かどうか、第5にこれらのイノベーションによって経済成長や人口増加と環境負荷軽減が絶対的にでカップリングされるかどうか、の5点となります。もちろん、可能性としては、大いにあると思いますが、第1の点については先進国では実証的に確認されている一方で、途上国や新興国ではどうなのでしょうか。特に、中国の動向が気がかりなのは、私だけではないと思います。この5点がすべて満たされないと、本書のデカップリング仮説は成り立ちません。発明のO-ring理論みたいで、関数はかけ算で示されて、ひとつでも失敗でゼロなら結果もゼロなわけです。ですから、単なるグリーンウォッシュにならないように願っています。

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次に、レジー『ファスト教養』(集英社新書)です。著者は、一般企業に勤務しつつのライター・ブロガーというようです。本書について論じる前に、軽く前口上を述べておくと、今年6月25日の読書感想文ブログで稲田豊史『映画を早送りで観る人たち』を取り上げましたが、本書でも同じ視点を提供しています。すなわち、本書では、教養がビジネスに直結し、金銭的な利益をもたらす現状の教養欲求について、やや否定的な見方を提供しています。例えば、第5章のタイトルは「文化を侵食するファスト教養」となっていたりします。他方で、本書でも、何も教養的な活動をしないよりはマシ、という視点も示されています。私は、以前の麻生副総理的な表現ですが「民度」について同時に考えるべきではないか、と受け止めています。というのは、岸田総理が今国会冒頭の所信表明演説で用いた「リスキリング」≅学び直し、の反対の言葉として熟練崩壊を使う場合があります。現在の日本では非正規雇用という雇用形態の拡大や賃金上昇の抑制などから、マクロでスキルの低下や、さらに、熟練の崩壊が生じている可能性があります。進んで、こういった経済の下部構造をなす雇用の劣化から、教養や文化活動の劣化につながる「民度の低下」が生じている可能性を憂慮しています。日本人は、その昔から、手先が器用だとか、まじめな性格の人が多いとか、時間に正確であるとか、いろいろと労働者として高い生産性を持つ可能性を示唆する特徴を指摘されてきています。今でも、「日本人スゴイ」論とか、「日本スゴイ」論を取り上げる書籍やテレビ番組が少なくないのは広く知られているところです。他方で、賃金が上がらない理由として、私の目から見て完全な需要不足であるにもかかわらず、生産性が低い点を根拠にする議論も見かけます。スキルと生産性が需要不足によって乖離しているわけです。しかし、この賃金が抑制されていたり、あるいは、かなりの部分が重なりますが、非正規雇用が広がっていたりするために、日本人の「民度」が大きく低下し、この雇用という下部構造が文化や教養といった上部構造の歪みをもたらしている可能性がある、と私は考えているわけです。私の憂慮が杞憂に終わることを願っていますが、私の年齢では見届けられない可能性があるのが心残りです。

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次に、ホリー・ジャクソン『自由研究には向かない殺人』(創元推理文庫)です。著者は、英国のミステリ作家です。英語の原題は A Good Girl's Guide to Murder であり、2019年の出版です。主人公は、高校最終学年のJKであるピッパ(ピップ)で、英国のグラマー・スクールに通っていますから、日本では進学校の高校といったところです。事実、本書の最後の方で、主人公はケンブリッジ大学への入学を許可されたりしています。ということで、主人公が大学入学のひとつの参考資料となる自由研究で、自分の住む街で5年前に起きたJK失踪事件をリサーチするところから始まります。5年前に失踪したJKはあ同じグラマー・スクールに通っていましたので、まあ、数年先輩に当たるわけです。この失踪事件は、被害者の死体が発見されないながらも殺人事件ということで処理され、被害者の同級生、アルイハ、ボーイフレンドが犯人と目されますが、その同級生は事件直後に自殺します。主人公のJK箱の戸津急性は犯人ではない可能性がある、と考えて調査を始めるわけですが、途中からこの犯人と目された同級生の弟が調査に加わります。関係者へのインタビューから始まって、調査を続けるうちに、動機があったり、アリバイがなかったり、次々と新たな容疑者が浮かび上がります。通常のインタビューだけでなく、なりすましの電話で情報を引き出したり、いくつか倫理的に許容されなさそうな手法で調査を続け、最後に、結論にたどり着きます。もちろん、英国のことですから、高校生であっても、ドラッグや、ポルノまがいの写真や、もちろん、人種差別なんかも出て来ます。日本の読者には名前から人種を想像するのが難しい嫌いはありますが、何となく差別される側であることは理解できるような気もします。そして、あくまで主人公のJKは強気に調査を進めるわけです。最後は、衝撃の結末では決してなく、それなりに論理的なエンディングなので安心できます。ただ、耳慣れな名前が続々と登場しますので、その点だけは混乱する読者もいるかも知れません。他方で、文庫本で600ページ近いボリュームですが、途中で放棄する読者は少ないと思います。なお、続編で同じ主人公の『優等生は探偵に向かない』も図書館に予約を入れてあります。

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最後に、ピーター・トレメイン『修道女フィデルマの采配』(創元推理文庫)です。著者は、英国生まれのけると学者であり、ミステリ小説も数多く執筆しています。英語の原題は Whispers of the Dead であり、2004年の出版です。ただし、原書の15話から5話だけを収録した短編集です。7世紀のアイルランドを舞台にして、タイトル通りに、修道女フィデルマが主人公となるミステリです。英語の原書はいっぱい出ていますし、邦訳も原書の半分までは行きませんが、相当数出ています。私も何冊か読んでいます。というか、大部分読んでいる気がします。私の場合、このシリーズは、エリス・ピーターズ作品の「修道士カドフェル」のシリーズとともに愛読しています。ノルマン・コンクェストの直後の12世紀前半のイングランドを舞台にした「修道士カドフェル」のシリーズは20巻ほどあって、私は全部読んでいると思います。ということで、フィデルマの活躍する7世紀アイルランドは、当時としてはかなりの先進国の仲間であり、法秩序のしっかりと安定した時代と考えてよさそうです。その次代と地理的な背景で、フィデルマはアイルランドにいくつか並立している王国の王の妹という高い身分で、しかも、法廷弁護士にして裁判官の資格を持つ修道女です。本書でも、アイルランドの各地を巡って難事件を解決するとともに、別の本では、キリスト教の総本山であるローマに出向いたこともあると記憶しています。まあ、ラテン語を理解すれば、現在の英語以上に、当時のキリスト教国では広く理解された国際語だったのでしょうから、特段の不便はなかった、ということなのだろうと私は理解しています。繰り返しになりますが、収録されている短編は5話であり、占星術で自ら占った通りに殺された修道士をめぐる事件で訴追された修道院長の無実を明らかにする「みずからの殺害を予言した占星術師」のほか、「魚泥棒は誰だ」、「養い親」、「「狼だ!」」、「法定推定相続人」の計5話となります。ブレホンとか、ドーリィーとか、耳慣れない用語がありますが、ミステリとしては一級品だと思います。このシリーズがさらに出版されれば、私は読みたいと考えています。

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2022年11月 3日 (木)

今年のベスト経済書やいかに?

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昨日から11月に入って、そろそろ、経済週刊誌から今年のベスト経済書に関するアンケートが送られてくる季節になっています。昨年は、私は野口旭先生の『反緊縮の経済学』(東洋経済)を推して、確か、この本自体がまったく上位に入らなかった記憶があります。昨年は『監視資本主義』なんかが流行ったんではなかったでしょうか?
今年の読書感想文ブログを振り返って、以下の10冊が私のチョイスとなります。なお、10冊といいながら、実は11冊リストアップしてあるのですが、最後のスティーブン・ピンカー『人はどこまで合理的か』については、心理学の要素が強くて経済書ではないのではないか、という観点からオマケで付け加えてあります。

  1. オリヴィエ・ブランシャール & ダニ・ロドリック[編]『格差と闘え』(慶応義塾大学出版会)
  2. 福田慎一[編]『コロナ時代の日本経済』(東京大学出版会)
  3. ヤニス・バルファキス『クソったれ資本主義が倒れたあとの、もう一つの世界』(講談社)
  4. ロバート・スキデルスキー『経済学のどこが問題なのか』(名古屋大学出版会)
  5. チャールズ・グッドハート & マノジ・プラダン『人口大逆転』(日本経済新聞出版)
  6. カトリーン・マルサル『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』(河出書房新社)
  7. ペリー・メーリング『21世紀のロンバード街』(東洋経済)
  8. 岩田規久男『資本主義経済の未来』(夕日書房)
  9. 小林光・岩田一政『カーボンニュートラルの経済学』(日本経済新聞出版)
  10. 大門実紀史『やさしく強い経済』(新日本出版社)
  11. スティーブン・ピンカー『人はどこまで合理的か』上下(草思社)

まあ、『格差と闘え』で決まりなのかという気はします。

逆に、以下の2冊は、何人かのエコノミストは選定すると思いますが、私が読んだ中では、やや的外れな印象を持った2冊といえます。これは、単なるご参考です。

  1. 中曽宏『最後の防衛線』(日本経済新聞出版)
  2. 河野龍太郎『成長の臨界』(慶應義塾大学出版会)

世間一般は文化の日のお休みながら、私は祝日授業日ですので出勤しています。軽く読書感想文のブログに分類しておきます。

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2022年10月29日 (土)

今週の読書はいろいろ読んで計6冊!!!

今週の読書感想文は以下の通り、経済学ではなく社会学的に消費を分析した学術書、ダニエル・ミラー『消費はなにを変えるのか』(法政大学出版局)をはじめとして計6冊です。水越康介『応援消費』(岩波新書)は消費の関連で読み、岡崎守恭『大名左遷』(文春新書)と浅田次郎『大名倒産』上下(文春文庫)は、廣岡家文書をひも解いた先週の読書『豪商の金融史』に触発されて読んでみました。リサ・ガードナー『噤みの家』(小学館文庫)は海外ミステリです。
今年の新刊書読書は、1~3月期に50冊、4~6月期に56冊、従って、今年前半の1~6月に106冊、そして、7~9月の夏休みに66冊、10月に入って先週までで19冊、今週が6冊ですので、今年に入ってから197冊となりました。200冊に達するのにカウントダウンに入った気がします。カウントダウンに入ったから、というわけでもないのですが、少し経済書をお休みして、ミステリを中心とした小説が図書館の予約で届き始めています。少しコチラの方の読書も進めたいと思います。

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まず、ダニエル・ミラー『消費はなにを変えるのか』(法政大学出版局)です。著者は、英国のユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の人類学の研究者です。英語の原題は Consumption and Its Consequences であり、2012年の出版です。出版社から受ける印象ほどには学術書ではありません。ビジネスパーソンにも十分理解できると私は考えています。ということで、繰り返しになりますが、著者は人類学者であって、エコノミスト=経済学者ではありません。ですから、消費について考えるにしても、経済学的な観点よりも、人類学的な観点から分析しているのはいうまでもありません。経済学的には、おそらく、マイクロな経済学では個人ないし家計が予算制約下で効用を最大化するように市場において消費財を選択する、というだけで終わりかもしれません。しかし、実際に、一般的に「消費」という用語を用いる際には、市場での選択ではなく、辞書的な意味で、「費やしてなくすること。つかいつくすこと。」といった使い方をするのではないでしょうか。本書では、まさにそういった消費を考えています。実は、経済学でも基本は同じです。家計は効用を最大化し、企業は利潤を最大化するという目的で行動しています。他方で、政府の経済運営の目的はマクロ経済の安定化だったりするわけですが、マイクロな経済においては、将来に渡る消費の現在割引価値を最大化することがひとつの目的とされています。迂回生産のための投資は、あくまで、その後の消費の最大化のためです。ただ、この消費の中身を経済学がややおろそかに扱ってきたという批判は、まあ、あり得るような気がします。私が読んだ限りでは、最初と最後のクリス、グレース、マイクの3人による会話、特に、最後の気候変動=地球環境問題と消費に関する議論については、ほとんど理解できなかったのですが、フィールドワークから得られたトリニダード島の消費社会、著者のホームグラウンドであるロンドンでのショッピング、ブルージーンズが消費者に好んで買われる理由の考察など、とても示唆に富んでいます。購入した後の使用についての文化的、あるいは、人類学的な分析、もちろん、購入する前の検討段階での経済学的ならざる分析などなど、加えて、購入されたものがマイクロに使われるだけではなく、マクロ社会の中でいかに文化を作り出してゆくものなのか、私のような底の浅いエコノミストにはとても勉強になりました。経済学では、あくまで市場における交換、あるいは、取引を考えるのですが、その背景にある何らかの財に対する欲求とか、そして、その購入された財がどのように使われるのか、そして、その使われ方の理由は何なのか、興味は尽きません。ただ、2点だけ指摘しておくと、経済学的な観点からは消費財は耐久性に応じて3分類されます。すなわち、食料などのすぐに使い尽くす非耐久財、衣類など一定期間はもつ半耐久財、かなり長期にわたる効用をもたらす耐久財の3累計です。この分類は人類学的に有効な分類なのかどうか、知りたかった気がします。加えて、同じことのように見えますが、財だけではなくサービスについての消費をどうみるべきなのか、本書ではスコープ外に置いているような気がします。実は、この著者の前作は『モノ』 Stuff であり、サービスがどこまで考慮されているかが不安な気がします。すなわち、現代社会の消費であれば、モノを買うよりもサービスに費やす比率の方が高いケースも少なくなく、また、古典的なサービスである理美容とかはファッションとの関係で文化的行動であると私は考えます。でも、こういった点を別にしても、消費に対するとても有益な読書でした。

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次に、水越康介『応援消費』(岩波新書)です。著者は、東京都立大学の研究者であり、専門はマーケティング論です。ですから、本書では消費についてマーケティングの観点から分析していますが、その消費の中で、応援消費に付いて焦点を当てています。ということで、応援消費は本書によれば2011年の東日本大震災の後に東北地方に対する応援目的で始まった、と指摘しています。逆に、1995年の阪神・淡路大震災においては応援消費は生まれなかった、ということです。この応援消費の対象は、震災の被災地から始まって、好きなブランドはもちろん、推しのアイドルなどに及びます。『推し、燃ゆ』の世界かもしれません。また、本書のスコープ外ながら、私が時折チェックしているニッセイ基礎研究所のリポートでも、「おひさしぶり消費」とか、「はじめまして消費」といった耳慣れない消費が現れているようです。このリポートでは「推し活とステイホームは相性が良かった」と分析していたりします。こういった新しい、かどうかは別にして、消費の中でも、本書では応援消費が個人の購買力の向かう先のひとつとして注目しているわけです。そして、本書では、まあ、データがないので仕方ないとは思いますが、実際の市場における消費の中の応援消費ではなく、地方自治体に対する「ふるさと納税」を主として分析しています。ちょっと違う気がするのは、私だけではないと思います。でも、著者の専門分野らしく、マーケティングをいかに応援消費に結びつけるか、特に、欧米的な寄付文化が十分に育っていない日本社会における応援消費を、倫理的な意味でも、マーケティング手法を用いつつ広げることは決して理由のないことではない、と私も思います。特に、推しのアイドルなどではなく社会的責任を果たそうという消費は何らかの推進力が必要な場合がありそうな気がします。いわゆるボイコットの反対概念である「バイコット」も同じです。日本におけるバイコットについてネット調査をしている分析も本書に収録されています。最後の方で、マーケティングの統治性を持ち出して、英米的な新自由主義=ネオリベとドイツ的なオルド民主主義を対比させているのは、私の理解が及びませんが、決してマーケティングの対象にはならないものの、新自由主義=ネオリベとオルド民主主義を対比させるのではなく、消費に対比するに投資を考えるのも理解がはかどるような気がします。すなわち、投資の分野では、すでに明らなように、ESG投資という概念がかなりの程度に確立していて、すかも、ESG投資はパフォーマンスがいいという実証分析結果もいくつか出始めています。応援消費の場合は、まあ、印象だけかもしれませんが、やや価格競争力の面からは劣位にある可能性ある商品を「応援」の目的で効用が追加されて消費につながる、という結果が生まれるわけで、したがって、何らかのマーケティングによるプッシュが必要となる一方で、投資については、純粋に経済合理的にリターンがいいのでESG投資を選択する、という経済行動が現れているわけです。応援消費がESG投資のように、むしろコスパがいい、という時代が近づいているのかもしれません。

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次に、岡崎守恭『大名左遷』(文春新書)です。著者は、日経新聞のジャーナリストなのですが、歴史エッセイストとしても江戸期を中心にいくつかの出版物を上梓しています。本書では、まさに、タイトル通りに、織豊政権期から江戸期における大名の改易=取潰しを含めた転封について焦点を当てています。ただ、転封ですから、必ずしも「左遷」ばかりではなく、当然に、「栄転」も含まれています。もちろん、大名ですから上は老中や大老までのそれなりのお役目もあって、ソチラの左遷や栄転を取り上げているのではなく、あくまで所領地の交代や変遷といった改易・転封を取り上げています。8章省構成であり、最初の章の棚倉に着目した章だけが所領地の地理的な位置を軸にしていり、2章以降は大名の家を軸にしています。第2章以下では、高取藩植村家、津山藩森家、福知山藩稲葉家、松本藩水野家、松平大和守家、堀江藩大沢家、そして、最後は明治維新とともに将軍家から一大名に大きく格下げされた静岡藩徳川家、となります。水野家と田沼家の失脚からの失地回復のストーリーなどは、まあ、サラリーマン社会に近いものがあるかもしれませんが、やっぱり、私が定年までお勤めしたサラリーマン社会とは大きく異なります。当然です。一代の間に5回も転封されて映画の「引っ越し大名!」の元ネタにもなった実例も面白かったです。タイトルからして、大名や大名家を中心にお話が進みますが、お引越しですから、お殿様が直接に引越し準備や作業をしたわけでもないと思います。家老以下の家臣の苦労もしのばれます。

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次に、リサ・ガードナー『噤みの家』(小学館文庫)です。著者は、米国のミステリ作家です。英語の原題は Never Tell であり、2019年の出版です。本書は、ボストン市警のD.D.ウォレン部長刑事が主役となる『棺の女』と『完璧な家族』のシリーズの続編であり、私の知る限り、邦訳は3冊なのですが、米国内では1ダース近く出版されていると聞き及んでいます。なお、本書は、ミステリというよりはサスペンス小説と米国内で評価されているようです。小説の舞台はボストンで、銃声に気づいた地域住民からの通報により警察が駆けつけると、部屋には頭を撃ち抜かれた男性の遺体と大量の弾丸を受けたラップトップ、そして銃を手にした被害者男性の妻イーヴィ、という状況でした。拳銃から発射された15発の弾丸のうち、3発が男性に、12発がラップトップに打ち込まれています。当然、D.D.ウォレン部長刑事が捜査に当たります。銃を手にしていた女性イーヴィは32歳なのですが、16年前にも銃の暴発により自分の父親を撃って死なせています。その際は事故ということで罪には問われていません。その16年前と同じ刑事弁護士が今回の事件でも弁護に当たります。父親は数学の天才といわれてハーバード大学教授を務めていて、弁護にあたった刑事弁護士は古くからのイーヴィの両親の友人でした。捜査が進むと、射殺された男性の偽造された身分証明書が数種類見つかります。さらに、D.D.ウォレン部長刑事に対する秘密情報提供者のフローラからの情報が寄せられたりします。フローラは6年前に472日間にわたる誘拐・監禁から生還者した女性なのですが、その犯人に連れられて行ったバーで、一度だけイーヴィの夫、すなわち、被害者の男性に会っていました。この射殺された男性は、一体、何者なのか。また、今回の事件は16年前の銃の暴発事故とどんな関係があるのか。いろんな謎が解き明かされます。謎自体はかなりシンプルで、決して、凝ったミステリに見られるような難解な謎解きではないのですが、人間関係がやや入り組んでいる印象でした。

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最後に、浅田次郎『大名倒産』上下(文春文庫)です。著者は、著名な小説家です。私もいくつか作品を読んだ記憶があります。本書では、幕末期第13大将軍徳川家定のころの江戸と越後を舞台にした時代小説です。主人公は丹生山松平家13代当主であり、次男三男を飛び越えて庶子の四男から21歳独身のまま大名となります。しかし、その裏では、先代第12代の当主がタイトル通りに大名倒産を企んでいるわけです。というのは、天下泰平260年の間に借金が累積して合計25万両に膨れ上がり、その利払いだけでも年3万両となることから、3万石の領地で年間1万両の収入しかない藩財政は借金の返済のしようもなく、いわゆる「雪だるま式」に借金が増える構造となっています。しかるに、事情をよく理解していない第13代当主を藩主に立てて、先代第12代藩主は計画的に蓄財を進めて、最後は藩財政が悪化して幕府から取潰しになることを覚悟の上、第13代藩主の切腹をもって藩を倒産させるというムチャな策に出ます。しかし、9歳になるまで足軽の下士の倅として育てられていた第13代藩主は融通がきかない真面目一辺倒で、襲封後に初のお国入りをし、倹約に継ぐ倹約、名物の鮭を使った殖産興業、国家老や大商人を巻き込んでの金策、などなど藩財政の立て直しにこれ努めます。そこに、何と、この作者らしくファンタジーで神様が絡んできます。貧乏神が、また、七福神が、はたまた、間接的ながら薬師如来が、この藩財政の立て直しに助力し始めるわけです。最後の結末までなかなか面白く読めたエンタメ時代小説でした。それにしても、神頼みは別にして、巨額の債務を残して後世代に負担を押し付けようとするのは、まさに、現在の日本の財政の姿をそのまま引き写しているような気すらしました。

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2022年10月22日 (土)

今週の読書はいろいろ読んで計5冊!!!

今週の読書感想文は以下の通り、純粋な経済書はないものの、いくつかの学術書をはじめとして、ミステリや新書まで合わせて計5冊です。
今年の新刊書読書は、1~3月期に50冊、4~6月期に56冊、従って、今年前半の1~6月に106冊、そして、7~9月の夏休みに66冊、10月に入って先週までで14冊、今週が5冊ですので、今年に入ってから191冊となりました。200冊に達するのにカウントダウンに入った気がします。それから、新刊書読書ではありませんから、このブログの読書感想文には取り上げませんが、第164回芥川賞を授賞された『推し、燃ゆ』を読みました。そのうちに、Facebookあたりでシェアしたいと思っています。

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まず、ダニー・ドーリング『Slowdown 減速する素晴らしき世界』(東洋経済)です。著者は、英国オックスフォード大学の研究者です。専門分野は地理学です。英語の原題も Slowdown であり、2020年の出版です。振幅と位相をもった独特の時系列図で、およそあらゆる減速をオンパレードで示しています。すなわち、人口、経済成長、情報、債務、などなど、これでもかこれでもか、というくらいに、いっぱいデータを示して実証しています。注を入れれば軽く500ページを超えるボリュームです。もちろん、世界の中で減速の先頭に立っている国は日本です。もちろん、科学的な減速の証明は十分ではありません。しかも、将来時点で仮置きされているのは2222年だったりします。ですから、気候変動=地球温暖化が十分進んで、海水面が数メートルも上昇した後だったりします。私から見ても、スローダウン=減速の原因が何かについては本書でも明確にされていません。その意味で、科学的な主張とは見なさない向きもあるかもしれません。ただ、いわうる経験則というのはマラゆる科学にあるのではないかと思いますし、とりわけ、経済や経営分野には「ジンクス」も含めた理由の不明な経験則がいっぱいあります。日本に住んでいて日本人をしているからというわけでもなく、私もスローダウン=減速は進んでいるのではないか、と思わないでもありません。特に、経済学に関しては、サマーズ教授が長期停滞論を主張し始めたり、ロバート・ゴードン教授の『アメリカ経済 成長の終焉』にあったように、イノベーションの先行きに不安があったりと、停滞色が強くて成長鈍化あるいは成長停止の議論がある一方で、生産力は加速しないまでも、もっと長期にわたって伸び続ける、とする見方も少なくありません。本書でも指摘されているように、気候変動=地球温暖化をはじめとするサステイナビリティの議論との関係も重要ですが、本書で仮置きされているように、2222年までに地球はすでにサステイナビリティを失ってしまっているという可能性もゼロではないと、私は危惧しています。いずれにせよ、一見して悲観論に見える減速を持って楽観的な将来を語っている点は評価すべきか、と考えています。最後に1点だけ、本書で世代の呼び方に、X世代とか、Y世代とかありますが、通常の世代の時代区分と異なっています。米国と英国の違いかもしれませんが、十分気をつけて読み進む必要があります。

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次に、高槻泰郎[編著]『豪商の金融史』(慶應義塾大学出版会)です。編者は、神戸大学の研究者であり、専門分野は日本経済史です。本書は、数年前のNHKの朝ドラで放送された「あさが来た」で注目された廣岡家の古文書発見により、その研究成果として公開されています。ですから、タイトルのように広く豪商一般というわけではなく、あくまで、現在の大同生命の創業家である廣岡家の歴史をひも解いています。そして、出版社から受ける印象ほど、カッチリした学術書ではありません。江戸期の大坂における先物市場、デリバティブ市場などについては、それ相応の金融に関する知識が必要ですが、経営者としての廣岡家の歴史ですから、広く一般ビジネスパーソンが楽しめる読書ではなかろうかと思います。ということで、廣岡家の創業の地である大阪からお話が始まります。「天下の台所」大坂で米市場が開かれ、堂島の米市場で先物やデリバティブが取引されるようになった歴史をひも解くとともに、同時に、廣岡家が加島屋久兵衛=加久として、こういった世界でも稀に見る先進的な金融業に乗り出したことが明らかにされます。堂島米市場におけるデリバティブ取引から、三井家家訓では「博打」として否定された大名貸しに乗り出し、巧みにリスクをコントロールしながら業績を伸ばしてゆく様子が伺えます。そして、明治維新とともに大名貸しという事業形態ではなくなって、近代的な金融業を始め、加島銀行は昭和金融恐慌で破綻した一方で、大同生命は長らく生き残る、という歴史が実証的に分析されています。しかも、学術書ではないという意味で、適度にコラムを設けて、廣岡家の邸宅とか、節句飾りとか、西本願寺への信仰とか、いろいろなテーマで断片的な情報ながら、廣岡家の事業活動以外の側面を浮き彫りにしようと試みています。今となっては、岩崎家の三菱は明治維新直前の成立とはいえ、三井、住友などの財閥の家系からすれば廣岡家の加島屋はすっかり歴史に霞んだ気がするのですが、こういった古い文書の発見とともに、まあ、NHKの朝ドラに起因する発見であり、かなり気を使って加島屋の廣岡家を持ち上げている提灯本とはいえ、我が国の経済史の新たな発見があるのは決して悪くないと私は考えています。

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次に、莫理斯(トレヴァー・モリス)『辮髪のシャーロック・ホームズ』(文藝春秋)です。著者は、香港出身で、英国のケンブリッジ大学を卒業後、香港に戻り、映像業界で活躍中ということです。いわゆるホームズもののパスティーシュであり、ホームズ役が福邇、満洲旗人であり、ワトソン役が華笙、武科挙の進士であり、負傷して現役を退くと香港で医師をやっています。この2人は下宿しているわけではなく、ホームズ役の福邇が立派な住まいを所有し、そこにワトソン役の華笙が下宿しています。ハドソン夫人の役割をこなすのは鶴心という名の小間使です。なお、依頼のうちいくつかは差館(警察)から寄せられ、英国人の養子となった中国生まれのクインシー警部やインド人のグージャー・シン警部がスコットランド・ヤードのレストレイド警部やグレグスン刑事、ということになるのかもしれません。舞台はもちろん香港で、主人公たちは荷李活道(ハリウッド・ロード)221乙に暮らしています。時代は1880年代のホームズと同時期のビクトリア女王のころです。ということで、前置きが長くなりましたが、収録されている短編は6編で、「血文字の謎」、「紅毛嬌街」、「黄色い顔のねじれた男」、「親王府の醜聞」、「ベトナム語通訳」、「買弁の書記」となります。冒頭短編の「血文字の謎」でホームズ役の福邇とワトソン役の華笙が出会います。ついでながら、正典ではベイカー街イレギュラーズとして登場するストリート・チルドレンのグループが本書でも登場し、この「血文字の謎」で荷李活道義勇隊として活躍します。また、「ベトナム語通訳」はタイトルからして「ギリシア語通訳」を思い起こさせるのですが、ストーリーは大きく違います。でも、何と、シャーロックの兄のマイクロフトが登場した短編ですから、この短編でも福邇の兄の福邁が登場します。やっぱり、政府機関にお勤めだったりします。中でも私が最も高く評価するのは「親王府の醜聞」であり、コナン・ドイルの正典の「ボヘミアの醜聞」に当たります。正典と違うのは、ホームズ役の福邇とワトソン役の華笙が最高級ホテルの一室に呼び出されて、京劇の面をつけた依頼者+ボディガードの計5人と会って依頼される点などです。ひょっとしたら、ミステリ・ファンの中には正典の「ボヘミアの醜聞」よりも、出来がいいと感じる人もいそうな気がします。実は、私もそうです。私は詳しくないのですが、ミステリとして上質であるだけでなく、当時の香港に関する歴史小説としても読めるかと思います。なお、訳者あとがきによれば、このシリーズは全4巻が予定されており、最後の4巻ラストは1911年の辛亥革命だそうです。本書出版時点では「第2巻を完成させつつある」ということだったのですが、すでに出版されているという情報にも接しました。邦訳されたなら、私はまた読みたいと思います。

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次に、中野剛志『奇跡の社会科学』(PHP新書)です。著者は、経済産業省にお勤めで、MMTに近い財政政策観を持っている方であると、私は認識しています。ということで、本書では古典的な社会科学者8人が取り上げられています。順に、官僚制に関してマックス・ウェーバー、保守主義に関してエドマンド・バーク、民主主義が生み出す専制制についてアレクシス・ド・トクヴィル、市場経済を「悪魔の挽き臼」と称したカール・ポランニー、自殺についての考察を進めたエミール・デュルケーム、戦争の起こる機器を歴史的に見ようとしたE.H.カー、リアリズムの極致ともされるニコロ・マキアヴェッリ、そして、マクロ経済学の創始者であるJ.M.ケインズです。現在からの視点としては、すべて、それなりにリベラルな社会科学者に注目した、といえそうです。私のようなエコノミストからすれば、最後のケインズ卿がもっとも親しみあるのですが、不況の世の中にあふれる失業者に思いを致し、生活に困窮する失業者に職をもたらすべく、古典派的な自由放任から政府による雇用創出を理論的に解明した功績はとても大きいと思います。ほかの7人にしても、活躍した当時だけでなく、21世紀の現在に至るまで理論的な正当性はいささかも失われていません。私は大学のゼミで「古典を学ぶ」と称してケインズを学生に読ませていますが、こういった古典的名著を振り返る余裕も欲しいものだと改めて感じました。

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最後に、野田隆『にっぽんの鉄道150年』(平凡社新書)です。著者は、都立高校の教員ご出身で、鉄道に関するノンフィクションのライターです。ということで、今年は広く知られているように、新橋~横浜間で1872年10月14日に鉄道が開業してから150年という記念の年であり、さまざまなイベントなどもありましたが、本書もそれを記念する意味で出版されています。まずは、走る車両の歴史ということで、蒸気機関車から始まって、何と、高速鉄道に飛んで新幹線となり、私鉄で走っている電車、ブルートレインの寝台車や豪華列車・観光列車、その間に、青函トンネルや瀬戸大橋などの本州と北海道・四国を結ぶ線路の拡充が語られ、最後の方は、廃止された路線、もうすっかり廃れた切符、鉄道ミュージアムが取り上げられています。私は決して鉄道ファンではありません。でも、鉄道唱歌で「線路は続くよ、どこまでも」というのがありますが、私は長崎大学に出向した折に、長崎駅では線路が終わっていて「続かない」のを目にして、ある種の衝撃を受けた記憶があります。中学校の通学から電車に乗り始め、ほぼほぼ私鉄の通学が多く、東京に出てからも私鉄や地下鉄を使う通勤が多かったのですが、関西に戻って、今では主としてJRに乗っています。20歳前後の今の学生諸君と話をしていても、「国鉄』というのは、まったく死語になったと感じています。中曽根内閣の1980年代後半に、国鉄だけでなく、専売公社や電電公社の3公社が民営化される法案審議の際には、私はすでに国家公務員として働いていたのですから、年を取るはずです。最後に、本書は300ページを超えるボリュームで、新書としては分厚い本なのですが、モノクロながら写真が多数収録されていて、写真を眺めるだけでも楽しい気分にさせてくれます。

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