2021年1月16日 (土)

今週の読書は通常通りの計4冊!!!

今週の読書は、経済書に教養書・専門書、さらに、学生諸君への参考のために新書まで含めて、以下の通りの計4冊です。

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まず、クラウス・シュワブ, & ティエリ・マルレ『グレート・リセット』(日経ナショナルジオグラフィック社) です。著者は、もうすぐ始まるダボス会議を主催する世界経済フォーラム(WEF)の会長とオンラインメディア『マンスリー・バロメーター』の代表です。英語の原タイトルは COVID-19: The Great Reset であり、2020年の出版です。本書では、タイトルから容易に想像されるように、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の後の世界について、それまでの世界がリセットされる、という印象で議論を進めています。視点は、マクロ、産業と企業、個人の3つなんですが、圧倒的なページ数がマクロに割かれています。そのマクロも、経済、社会的基盤、地政学、環境、テクノロジーとなっています。当然です。特に、資本主義のリセットが念頭に置かれている印象で、その目指す先はステークホルダー資本主義とされています。その昔に「勝ち組の集まり」と揶揄されたダボス会議の主催者とは思えないほどに、ネオリベな経済政策を反省し、リベラルな政策手段で格差を是正し、大きな政府が復活する可能性を論じています。特に印象的なのは、命と経済の間でトレードオフがあるのは別としても、命に圧倒的な比重を置いていて、命を犠牲にしてでも経済を守る姿勢を強く非難している点です。やや、私には意外でした。もっと、ポイントを絞った効率的な政策によって財政赤字が積み上がらないように、といった視点が飛び出す可能性を危惧していただけに、コロナがいろんなものの変容をもたらした、ということを実感させられました。少なくとも、現在の日本の菅内閣よりもずっと立派な視点だという気がします。いずれにせよ、世間一般で、リベラルな中道左派が描きそうな未来図ですから、特に、メディアで示されているメインストリームな未来像と大きな違いはないという気がします。おそらく、何が何でもオリンピックをやりたくて、「自助」を真っ先に持って来る日本の内閣の方が世界標準からして異常なんだろうという気がします。

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次に、ジャック・アタリ『命の経済』(プレジデント社) です。著者は、欧州を代表する有識者といえます。その昔のミッテラン社会党政権のブレーンだったわけですから、社会民主主義的な色彩の強い方向性が打ち出されています。フランス語の原題は L'Économie de la Vie であり、2020年の出版です。舷梯はされませんが、当然ながら、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)を中心とした議論が展開されています。感染対策として、中国が強く避難されるとともに、韓国が称賛されています。すなわち、中国の場合、事実誤認、というか、曲解や恣意的な解釈も含めて、初動に大きなミスがあり、そのため、権威主義国家らしく強権的なロックダウンに頼った感染拡大防止を図った一方で、韓国では検査・追跡・隔離といった科学的な手段が取られて感染拡大を防止した、と評価されています。その意味で、政府だけでなく企業や個人も含めて、「真実を語る」ことの重要性が何度も強調されています。ただし、その昔の「ジャパン・パッシング」よろしく、日本に関する評価、どころか、ほとんど記述すらありません。日本では、山中教授いうところの「ファクターX」があって、科学的方法論では解明しきれない要因により感染者数や死者数が抑制されてきたという説もあるようですから、科学的な一般化は難しいのかもしれません。でも、年末から年明けにかけて、ハッキリと欧州などと歩調を合わせる形で感染拡大が観察されますから、日本だけがファクターXによりCOVID-19の例外、というわけにいくハズもありません。国家や企業や国民のあり方について、スケールの大きな議論が展開されている一方で、決して難解ではなく、むしろ、心に響くような新鮮さを感じました。類書の中で、ここまでマスクの重要視を強調しているのは初めてでした。また、次のランシマン『民主主義の壊れ方』共関連して、「闘う民主主義」の5原則も興味深いものがありました。

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次に、デイヴィッド・ランシマン『民主主義の壊れ方』(白水社) です。著者は、英国ケンブリッジ大学の政治学教授であり、世界的な権威ある政治学の研究者だそうです。英語の原題は How Democracy Ends であり、2018年の出版です。どうでもいいことながら、同じ2018年の出版で How Democracies Die という学術書が米国ハーバード大学のレヴィツキー教授とジブラット教授により出版されていて、私はまったく読んでいませんし、専門外ながら、ソチラのほうが有名なんではないか、という気がしないでもありません。ということで、本書では、クーデタを始めとする暴力、災害などの大惨事、そして、テクノロジーの3つの観点から民主主義が終わる可能性について論じています。たぶん、米国トランプ政権の成立が本書のモティーフのひとつになっている気がしますが、最近の議事堂占拠なんて米国の暴力はスコープに入っているハズもありません。もう少し長い期間を考えていて、大惨事も不可抗力っぽい気がしますし、テクノロジーが主眼に据えられている印象で、例えば、「トランプは登場したが、いずれ退場していく。ザッカーバーグは居続ける。これが民主主義の未来である。」といったカンジです。デジタル技術は直接民主主義への道を開くと論ずる識者がいる一方で、本書のように民主主義を終わらせる可能性もあるということです。本書でも指摘されている通り、古典古代のギリシアにおける民主主義は終了を迎えました。原題の民主主義はヒトラーやファシズムといった暴力で覆されるとはとても思えませんが、新たに出現した民主主義への驚異はテクノロジーに限らず、いっぱいありそうな気がします。ですから、何もしないでノホホンとしていて民主主義が守れるとは限りませんし、アタリのように「闘う民主主義」を標榜しつつ、しっかりと自由と民主守護を守る姿勢が大事なのであろうと思います。いずれにせよ、哲人政治ならぬエピストクラシーと衆愚に陥るかもしれないデモクラシーと、どちらがいいかと問われれば難しい回答になります。最後に、センテンスが短い訳文は好感が持てるのですが、そもそも、章が長くて節とか、小見出しがいっさいなく、それなりに忍耐強くなければ読み進むのに苦労させられます。ご参考までのご注意でした。

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最後に、三浦佑之『読み解き古事記 神話篇』(朝日新書) です。著者は、古事記研究の碩学であり、三浦しをんの父親です。その昔の三浦しをんデビュー時は「三浦佑之の娘」と紹介されていた記憶もありますが、今ではどちらも同じくらいのウェイトか、あるいは、人によっては直木賞作家である三浦しをんの方をよく知っていたりするのかもしれません。ということで、古事記の神話編を歴史学というよりも、文学的かつ民俗学的に解釈した解説となっています。日本書紀と古事記には少し違いがあるようですが、私のような専門外の読者にはよく判りません。まあ、国作りの物語とか、出雲と伊勢の暗闘透とかはよく知られたところです。本書でもヤマタノオロチが出てきますし、因幡の白うさぎも登場します。中国で奇数が陽数とされるのに対して、日本では対になりやすい偶数が好まれ、三種の神器も、実は、剣と鏡は銅製であるのに対して、玉は翡翠製なので違うんではないか、という意見も表明されたりしています。そうかもしれません。常識的には知っているお話が多くて、ひとつだけ、神様のお名前が極めて何回、というか、現代日本人からすれば長ったらしいので覚えにくいんですが、それ以外は常識的な日本の教養人であれば、見知っていることと思います。でも、こういった碩学の本で改めて読み返すと有り難みがあるのはいうまでもありません。

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2021年1月11日 (月)

木元哉多「閻魔堂沙羅の推理奇譚」シリーズ7巻を読み終える!!!

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昨夜、「閻魔堂沙羅の推理奇譚」シリーズ全7巻を読み終えました。小説というよりは、NHKのドラマ、中条あやみ主演で一部に話題になっていたような気がします。ドラマは見ていないのですが、いかにもドラマにしやすそうな短編、かつ、安楽椅子探偵ミステリです。もっとも、それは5巻までで、しかも5巻には沙羅の日常が挿入されていたり、あるいは、犯人当てが成功しなかったりと、少しバリエーションをもたせています。最後の6巻と7巻は長編で、似通ったテーマで、いかにも種切れをカンジさせる微笑ましい終わり方です。閻魔堂沙羅という警察ならざる超越存在が裁いていますので、物証ではなく論理性が重視されているという意味で、それなりに本格ミステリに仕上がっています。

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2021年1月10日 (日)

年末年始からの読書は2週間かかってもわずかに6冊か?

年末年始の2週間に読んだ読書です。ただし、この年末年始の読書は、「鬼滅の刃」のコミック全23巻が中心で、また、中条あやみ主演のNHKドラマで話題になったことから、最近まで『閻魔堂沙羅の推理綺譚』の原作全7巻も読んでいましたので、それとは別枠の通常読書ということになります。このお正月は初詣に出かけることすらなく、ほぼほぼ家で引きこもっていましたから、私の場合、かなり大量の読書をこなしたように思います。ハッキリいって、以下に取り上げた数冊のうちの専門書や教養書については、それほど印象に残るいい読書をした気もしませんから、まあ、すでに忘れ始めているものもあり、簡単なコメントで済ませておきたいと思います。ただし、定評あるミステリ作家の東野圭吾と伊坂幸太郎によるエンタメ小説2冊は面白かったです。コチラは2冊とも大学生協の本屋さんで1割引きで買い求めたもので、買ったかいがありました。

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まず、日本経済新聞社[編]『これからの日本の論点2021』(日本経済新聞出版) です。日本経済、日本企業、世界の3章に渡って、日経新聞の記者が23の論点を取り上げて、先行きの見通しなどをリポートしています。もっとも、脱炭素とか、ジョブ型の雇用とか、どうも誤解、というか、曲解に基づくリポートも見受けられます。第3章の世界の今後については、何分、米国大統領選挙の行方が判然としない段階だったものですから、決定的・断定的な結論が下せていません。バイデン大統領の就任後もしばらくはそうなのかもしれません。でも、米中関係が画期的に改善することもないのだろうという結論は、それなりに受け入れられやすい気もします。何といっても、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)のパンデミックの先行きが誰にもわからないものですから、日本も世界も、経済も政治も社会も、今年2021年がどのようになるかはハッキリしません。もっとも恐ろしいのは、現在の菅内閣がCOVID-19パンデミックについて、ほとんど何も理解していないようにすら見える点です。おそらく、無知や無理解に基づく対応の誤りなのではないかと、私自身は善意に受け止めているんですが、尾身先生がついていてすらこうなのですから、悪くいえば反知性的な対応を取っているようにすら見えかねません。尾身先生ですらダメなのですからどうしようもないこととは思いますが、別の誰かが、ちゃんと科学的な見方を教えてあげればいいのに、とすら思えてしまいます。

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次に、冨山和彦『コーポレート・トランスフォーメーション』(文藝春秋) です。これも、どうしようもなくありきたりなコンサルの見方を示しているだけで、何の目新しさもありません。データ・トランスフォーメーションのDXにならって、コーポレート・トランスフォーメーションをCXとしているだけで、プレゼンコトコンサルらしくてお上手なんですが、ほとんど何の中身もないと私は見ました。それから、これもコンサルですから仕方ありませんが、上から目線で、今の日本企業の欠陥をあげつらっているだけです。詳しい人からすれば、こんなこと、まだいってるの、というカンジかもしれません。前の『コロナショック・サバイバル』の続編であり、前作がそれなりに面白かったので図書館で借りて読んでみましたが、本編たる本書は決して出来はよくありません。買っていれば大損だったかもしれません。

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次に、ケネス B. パイル『アメリカの世紀と日本』(みすず書房) です。本書も、日本の対米従属を解き明かす鍵があるかと思って読んだのですが、ボリュームほどの内容の充実はありませんでした。日米関係史ではなく、あくまで米国史の中に日本を位置づけているわけで、その意味で、読ませどころはペリーによる開国の要求ではなく、むしろ、第2次世界対戦からコチラの現代史につながる部分なんだろうと思いますが、その中で、第2次世界大戦が終結する前に、米国は明確に「無条件降伏」による戦争の終わり方を目指していた、という下りには目を啓かれるものがありました。ただし、その後の戦後処理から現在に至るまで、米国のサイドから軍事を起点に、外交・政治、経済・社会、そして最終的に生活や文化に至るまで、いかに日本の対米従属を進めたか、そして、日本のエリート支配層がそれをいかに受け入れていったか、といったあたりにはやや物足りないものが残りました。もちろん、経済史ではなくあくまでプレーンな歴史学の研究成果でしょうから、仕方ないのかもしれません。

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次に、東野圭吾『ブラック・ショーマンと名もなき町の殺人』(光文社) です。父親が殺されたアラサーの主人公の視点によるミステリです。なぜか、それほど面識ない叔父、すなわち、殺された父親の弟が事件解決に乗り出します。米国で手品師として成功しただけに手先の器用さや誘導尋問をはじめとする心理戦には強く、ややミステリとしては反則な気がしますが、科学的知識の「ガリレオ」シリーズほどの反則ではありません。いずれにせよ、「ガリレオ」シリーズと違って、ノックスの十戒に反しているわけではないと私は受け止めています。

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次に、伊坂幸太郎『逆ソクラテス』(集英社) です。短編集です。「逆ソクラテス」、「スロウではない」、「非オプティマス」、「アンスポーツマンライク」、「逆ワシントン」の5篇からなっており、私はタイトルにもなっている最初の「逆ソクラテス」は読んだ記憶があり、教員になって改めて「褒めて伸ばす」教育方針の重要性を認識させられています。ほかも、主人公は基本的に小学生、あるいは、せいぜいが中学生といった少年少女の視点からの小説です。バスケットボールや教師の磯憲などでつながりある短編も見受けられますが、すべての短編がつながっているわけではありません。でも、著者独特の正義感が感じられて、私はとても好きです。

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最後に、林望『定年後の作法』(ちくま新書) です。著者は、私にはよく判りません。本書の中で、自分で自ら「ベストセラーを書いた」旨を書いていますので、文筆業なのかもしれません。タイトルからしてそうなのですが、上から目線の押し付けがましい内容です。それを受け入れられる人にはいいのかもしれませんが、そうでなければ迷惑に感じそうな気すらします。本書ん冒頭から男女の枠割分担のような観点がポンポンと飛び出し、さすがに後半ではエディターのご注意があったのか、かなり減りますが、ここまで男女の枠割分担を明確にしているのは最近ではめずらしいかもしれません。ほかにも、定年後は1日2食でいいとか、大丈夫かね、エディターはちゃんと見てるのかね、と思わせるヘンな部分満載です。何よりも、定年前の50歳で早期退職したと自ら定年を迎えたことがないことを明らかにしているにも関わらず、こういった本を書かせるエディターの真意を測りかねます。年末年始で最大のムダな読書でした、というか、ここ10年でもまれに見るムダな時間の潰し方だった気がします。

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2021年1月 3日 (日)

今さらながらに年末年始の読書案内???

もう、明日から通常通りのお仕事が始まろうというサラリーマンも多いことでしょうが、今さらながらに、学生諸君にお示しした年末年始の読書案内は以下の通りです。私は、一応、目を通しているんですが、書評的な紹介文は出版社のサイトから引用しています。以下の6冊はすべて新書です。うち、5番目の伊藤先生のご専門はマルクス主義経済学です。東大経済学部で宇野先生の後を引き継いだ大先生が、日本経済についてマルクス主義経済学の視点から解明を試みています。私の専門分野はマルクス主義経済学ではないんですが、学生諸君の中にはそういった専門分野のゼミに所属している場合もあることを考慮しました。

  1. 吉川洋『人口と日本経済: 長寿、イノベーション、経済成長』(中公新書)
    (出版社のサイトから) 人口減少が進み、働き手が減っていく日本。財政赤字は拡大の一途をたどり、地方は「消滅」の危機にある。もはや衰退は不可避ではないか――。そんな思い込みに対し、長く人口問題と格闘してきた経済学は「否」と答える。経済成長の鍵を握るのはイノベーションであり、日本が世界有数の長寿国であることこそチャンスなのだ。日本に蔓延する「人口減少ペシミズム(悲観論)」を排し、日本経済の本当の課題に迫る。
  2. 伊藤周平『消費税増税と社会保障改革』(ちくま新書)
    (出版社のサイトから) 消費税増税で経済が急速に冷え込むさなか、新型コロナで私たちは痛めつけられた。そもそも消費税増税の理由は嘘ばかりで、社会保障は後退し続けているし、年金・医療・介護・子育てすべてにおいて、高負担低福祉状態にあり、疫病の流行で、その危機は一層深まった。いっぽう大企業の法人税や高額所得者への所得税は減税が強行される。日本の税制と社会保障はいまどうなっているのか。今後どうすれば建てなおすことができるか。
  3. 福田慎一『21世紀の長期停滞論: 日本の「実感なき景気回復」を探る』(平凡社新書)
    (出版社のサイトから) 21世紀型の長期停滞は、本来の実力より低いGDP水準に加え、「低インフレ」「低金利」状態が長期にわたって続くという特徴を持つ。
    日本では、アベノミクス以降、雇用関連など力強い経済指標は存在するが、賃金の上昇は限定的で、物価上昇の足取りも依然として重い。さらに、少子高齢化や財政赤字の拡大など懸念が増す一方である。
    日々高まる経済の現状への閉塞感から脱却するためにも、その原因を丁寧に検証し、根本的な解決策を探る。
  4. 坂本貴志『統計で考える働き方の未来: 高齢者が働き続ける国へ』(ちくま新書)
    (出版社のサイトから) 年金はもらえるのか?貯金はもつのか? 「悠々自適な老後」はあるのか? それとも、生活していくために死ぬまで働かなければいけないのか? 現在、将来の生活や仕事に対し、多くの人が不安を抱いている。しかし、本当に未来をそんなに不安に思う必要などあるのだろうか?本書は、労働の実態、高齢化や格差など日本社会の現状、賃金や社会保障制度の変遷等を統計データから分析することで、これからの日本人の働き方を考える。働き方の未来像を知るのに必読の一冊。
  5. 伊藤誠『日本経済はなぜ衰退したのか: 再生への道を探る』(平凡社新書)
    (出版社のサイトから) いま日本経済は、資本主義市場経済の内部から生じた世界恐慌の打撃に苦しみ続けている。この低迷をどう打開すればいいのか? アベノミクスで本当によくなるのか? 直すべき課題を明らかにする。2008年のサブプライム金融危機は、新自由主義を推進してきたアメリカ経済の内部から生じた自己崩壊だった。この危機はユーロ圏へと連鎖反応を引き起こし、ソブリン危機による新たな世界経済危機へと連なっていく。本書では、日本の経済成長に大きな打撃を与えてきた近年の世界恐慌に分析と考察を加え、日本経済は、今後どうあるべきか、直すべき課題を明らかにしていく。
  6. 浜矩子『「共に生きる」ための経済学』(平凡社新書)
    (出版社のサイトから) 経済活動とはなにか、どうあるべきか――。その問いに著者は、人間による人間のための営みである以上、人間を幸せにできなければ、その名に値しないと述べる。そして、まともな経済活動のあり方と共に生きる社会のあり方は、ほぼぴったり二重写しになるというのである。第三次グローバル化時代に一国主義と排外主義が台頭する中で、異なるもの同士は、いかにして真の共生を築けばいいのか。エコノミストの観点から問題点をあぶり出し、その解決策を探る。

それから、新書以外で、ということで、以下の2冊を2019~2020年の話題の書として示しておきました。ここでも、ご参考まで。

学部生、特に1~2回生には少し難しい内容を含んでいそうな気がしますが、私が接した学生諸君の中には十分読みこなせそうな勉強熱心な学生もいるように感じています。年明けからは、2週間ほどで入試シーズンの春季休暇に入りますので、ややタイミングが遅くなりましたが、このブログでも取り上げておきたいと思います。

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2020年12月27日 (日)

ご寄贈いただいた松尾匡『左翼の逆襲』(講談社現代新書) を読む!!!

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松尾匡『左翼の逆襲』(講談社現代新書) をご寄贈いただきました。たぶん、ご寄贈だと思います。というのは、大学のメールボックスに入っていたからです。著者は、立命館大学経済学部で理論経済学を専門としている研究者であり、実は、私の同僚教員だったりします。誰かの言葉を借りれば、タイトル以外はとてもいい本です。レフト1.0から2.0を経て、レフト3.0に至る道筋は、本書で明示されていないながら、とてもヘーゲル的な弁証法の世界を具体化しているように私には見えます。そして、この本の精神を具体化させて国政に活かすのは私達の役割です。ただ、その意味で方法論は必要だろうという気はします。ついでに残念ながら、本書で著者が何度も言及しているれいわ新選組は私の選択肢ではありません

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2020年12月26日 (土)

今週の読書は経済書や専門書とともに生誕250年のベートーヴェンの新書も含めて計4冊!!!

今週の読書は、今週の読書は経済書や専門書とともに生誕250年のベートーヴェンの新書も含めて計4冊、以下の通りです。

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まず、井上哲也『デジタル円』(日本経済新聞出版) です。著者は、日銀出身で今は野村総研(NRI)に転じています。本書では、タイトル通りに、スェーデンのデジタル・クローナなどの先進例を引きつつ、日銀が中央銀行としてデジタルマネー、暗号通貨を発行することについて論じています。「中央銀行デジタル通貨」というのは、英語の頭文字を取ってCBDCなる用語も使われているほど、かなり一般的になっています。ただし、本書でも指摘されているように、あるいは、私も授業で学生諸君にいったことがありますが、M0=ハイパワードマネー、すなわち、キャッシュと日銀当座預金については、日銀の負債である一方で、M1から先の預金通貨については、同じようにマネーや通貨と呼ばれ、円単位でカウントされるものながら、実は、発行した民間銀行の負債であって、中央銀行の負債ではありません。ですから、ペイオフの際に1000万円まで預金保険機構で保証されるとしても、銀行が倒産すれば、というか、支払不能に陥れば、銀行預金は価値を失います。もちろん、現金は中央銀行の負債ですから強制通用力があります。現時点で、紙幣やコインは誰でもが受け入れることが出来ますし、逆に、強制通用力が付与されている法貨でもあります。逆に、預金通貨や、あるいは、クレジットカード、電子マネー、いわんや、QRコード決済などは受け入れてくれない経済主体があるのは、広く知られた通りです。しかし、暗号通貨としてのデジタル円が強制通用力を持たせられると、受け入れざるを得ません。お店によって、あるいは、個人によって、受け入れない場合がある、というか、受け入れ体制が整っていない場合にどうするのか、という問題は残ります。従って、本書では二段階導入を提唱していて、まず大口決済で用いた上で、小口も含めた一般的な流通を図るという方向性を打ち出しています。その上で、金融政策を始めとする経済政策へのインプリケーションを最後に提示しています。通常考えられる通りに、マイナス金利の深堀り、あるいは同じことながら、ゲゼル的なスタンプ貨幣の実用化も視野に入ります。金融政策は、通常、合理的な民間銀行の行動を通じて、かなり長いタイムラグを伴いつつ波及し、しかも、財政政策と違って全国一律のユニバーサルなインパクトを持つ、という性質がありましたが、後者のユニバーサルな効果を保ちつつ、さらに、前者のタイムラグの短期化や各種政策の有効性を高める、ということが可能であると私も考えます。加えて、より経済活動の透明性を向上させ、脱税やマネーロンダリングなどの防止にも有効です。ロゴフ教授などはまず高額紙幣の廃止を提唱していますが、その先には、こういったデジタル通貨の導入があるのかもしれません。なおついでながら、私は、経済書を読む際には参考文献が示されている場合には、興味あれば、pdfなどでダウンロードするんですが、本書はかなりダウンロード件数も多くて、勉強になった気がします。

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次に、小熊英二・樋口直人[編]『日本は「右傾化」したのか』(慶應義塾大学出版会) です。編者は慶應義塾大学と早稲田大学の研究者であり、編者も含めた著者は、社会学や政治学などの研究者が多くを占めています。出版社からも完全な学術書といえます。本書は3部構成となっており、第Ⅰ部は国民一般の意識、第Ⅱ部はメディアの論調、第Ⅲ部は政治、をそれぞれ取り上げています。私は長らく公務員をしていて、国会議事堂や総理大臣官邸にもほど近いオフィスに勤務する日々が長かったものですから、ついつい政治レベルで考えてしまいがちですが、明らかに、日本は右傾化しており、さらに、2000年代に入ってからの小泉政権から右傾化が始まったと考えています。本書では政治レベルでは、小泉政権から右傾化が始まったとしつつも、2008年の政権交代を期に、ライバルの当時の民主党が左派なのであれば、政権党を目指す自民党や公明党が対抗する意味で右傾化が強まった、というのはかなりの程度に理解することが出来ます。加えて、地方政治レベルでも大阪維新の会などという右派政党が、何度も否定される「大阪都構想」を持って地方政治に参入し、すでに除名されたとはいえ、北方領土を戦争で取り戻すことを主張する議員もいたわけですから、中央・地方とおしなべて政治レベルでは右傾化が進んだ、と考えるべきです。その上で、いわゆる「上からの右傾化」であって、政治レベルの右傾化が市民レベルまで浸透しているかというのは、少し違う結論を本書でも提示していて、国民連ベルでの右傾化は進んでいない、と結論しています。私はこの結論にやや疑問で、確かに、安保法制や検察法案などで大衆運動が盛り上がって、それに連動する形で世論調査などの結果も左傾化したように見えるかもしれませんが、いわゆるサイレント・マジョリティは右傾化しているのではないか、という危惧を持っています。現在の日本で極めて大雑把に誤解を恐れずに定型化すれば、団塊の世代がヒマになって時間を持て余してその昔の全共闘型の学生運動よろしく世論をリードして、逆サイドでは、常識的な反レイシズムy反ヘイトの意識が高まったのは事実としても、ネトウヨなんぞに集う若者はかなり右傾化している可能性が高い、しかも、それは世論調査などの数字に現れていない可能性が十分ある、と私は考えています。他方、政治レベルに戻ると、本書でも参照されているようなダウンズ型の、あるいは、中位投票者定理の成り立つような政党の中道化が日本では見られていない可能性があり、さらにいえば、日本だけでなく米国のトランプ大統領の当選時の選挙とか、BREXIT投票や大陸欧州における右派ポピュリスト政党の伸長などを見るにつけ、分極化がますます進んで、一方からは左傾化、他方からは右傾化、という政治的な動きが何らかのサイクル的に循環する可能性もあるような気がします。もしそうであれば、もう少し長い目で見る必要もあるかもしれません。

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次に、磯田道史『感染症の日本史』(文春新書) です。著者は、国際日本文化研究センターの歴史学の研究者であり、映画化もされた『武士の家計簿』で有名になった気がします。ついでながら、私も読みました。ということで、歴史学者、というか、経済史の研究者として著者に強い影響を与えた慶応大学の速水教授による『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』を引きつつ、また、歴史人口学の観点からの分析を加えて、タイトル通りに感染症の日本史を解き明かそうと試みています。もちろん、感染症とは新型コロナウィルス感染症(COVID-19)が念頭に置かれていることはいうまでもありません。ほかにも、欧米先進各国と比べて我が国のCOVID-19感染状況がそれほどでもなく、死亡率も低いなどの点に関して、歴史をひも解くふりをして、みそぎ、きよめ、とか、穢れを嫌う歴史を提示する怪しげな歴史書や歴史的観点を提供する見方もありますが、本書は違います。キチンと過去の我が国における感染症に対する対応を歴史的に考察しようと試みています。ただ、その中で、私が疑問に感じたのは、加持祈祷などの宗教的な医療から、隔離を主張する医師が出たのを19世紀初頭と同定しているのは、やや疑問が残ります。というのも、英語の検疫 quarentine の語源はラテン語の40であり、おそらく、私の直感ながら古典古代の遅くともローマ時代には検疫が隔離の方法で、たぶん40日間くらい、実施されていた可能性が高いと考えられるので、中国や日本でももっと早くから検疫や隔離が始まっていたのではないか、と私は考えています。それはともかく、本書の読ませどころは第5章であり、歴史から見た感染症対策は素早くて確実な交通遮断にある、経済やオリンピック・パラリンピックを気にして中途半端な対策ではいけない、と結論しています。まったく、私もその通りと考えます。本書で明記されているわけではありませんが、東京オリンピックは中止すべきと私は強く訴えたいと思います。それはともかく、第6章では京都の街中の女学生の日記をひも解いて、1918年から1920年にわたって万円した当時のインフルエンザの感染拡大、また、中央・地方政府の対策や一般市民の対応など、極めて興味深い100年前の日本における感染症パンデミックの実態が明らかにされています。ほかに、皇室や総理大臣もそのインフルエンザに罹患した事実など、「穢れを嫌う清潔な日本」論を否定する材料もいっぱい収録されています。日本のCOVID-19感染の低さに関するXファクターを求めるには適しませんが、歴史的な観点から現時点のCOVID-19感染症について考えるのには、とても科学的にも史学的にも正しい見方が提供されていると私は感じました。

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最後に、中野雄『ベートーヴェン』(文春新書) です。著者は、音楽プロデューサーという肩書で紹介されています。本書で取り上げるのが楽聖ベートーヴェンです。本書の帯にあるように、今年2020年はベートーヴェン生誕250周年であるとともに、私の愛聴するジャズの世界では、チャーリー・パーカーの生誕100周年だったりもします。どうでもいいことながら、山中千尋の最新アルバム「Rosa」では、なぜか、ジャズの世界ではコルトレーンの演奏で有名な My Favorite Things から始めて、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第8番 第3楽章や交響曲第5番が収録されており、もちろん、ジャズ・ミュージックからはパーカーの Donna Lee や Yardbird Suite も入っています。ただ、私はまだアルバムとしては聞いていません。交響曲第5番をはじめ、いくつかの曲を拾い聞きしただけです。どうでもいいことを続けると、山中千尋は以前のアルバム「モルト・カンタービレ」に「エリーゼのために」を入れていたと記憶していますし、上原ひろみも何かのアルバムにピアノ・ソナタ第8番 Pathetique を入れていたと思います。ということで、前置きが長くなったのは、私の場合、ベートーヴェンよりもジャズの方に圧倒的に親しみがあるからですので悪しからず。まず、上の表紙画像にあるベートーヴェンの肖像画はかなり美化されているのではないか、という疑問は本書でも記されています。しかし、私からすれば、ベートーヴェンの革新的な役割は判らないでもないんですが、ロマン主義としての位置づけがもう少し欲しいところだった気がします。ベートーヴェンに続くワグナー、ブルックナー、そして、マーラーのロマン主義の特徴を、私が不案内なだけに、もう少し詳しく解説して欲しいところでした。でも、ベートーヴェンの生きた時代というのがピアノという楽器の進歩の最中であり、楽器としてのピアノの進歩に従ってベートーヴェンの音楽も進化していった、というのは私は知りませんでした。とても勉強になりました。当時のピアノはかなり音階が狭かったのも初めて知りました。いまは88鍵でフルスケールと呼ばれていて、私がチリに持っていったのも88鍵でした。でも、当時のピアノは5オクターブ半くらいの音階ですから、私なんぞにすれば十分という気もしますが、革命的な作曲家には音階が増えていくのは嬉しかったに違いありません。ピアノはドイツ語で Klavier だったと思うのですが、ドイツ語でvは清音で、英語のfに当たるハズなのに、濁ってドイツ語の中ではwと同じ発音になるのは不思議な気がして、知り合いに聞いたところ、外国語だから、という回答でした。私はピアノはドイツやオーストリアが本場ではないのか、と思っていました。でも、確かに、Steinway もそのままドイツ語読みしているわけではない、ということに気付かされました。いろいろと、ベートーヴェン以外の話題で大部分を終えてしまいました。

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2020年12月19日 (土)

今週の読書は国際経済の専門書をはじめとしてシャーロッキアンの新書まで計4冊!!!

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まず、まだ読んでいませんが、「鬼滅の刃」全23巻を衝動買してしまいました。上の通りです。ボーナスが出て、それなりの額でしたので、ついつい無駄遣いしてしまいました。まあ、ボーナスの季節にはありがちです。ナオ、ブックシェルフ代わりに左側に置いてあるのは「閻魔堂沙羅の推理譚」のシリーズ全7巻です。中条あやみの主演ドラマがNHKで放送されましたが、その原作本です。コチラは図書館で借りました。どちらも年末年始休みに読みたいと予定しています。

ということで、本題の今週の読書は、経済書に教育関係の専門書、さらに、地政学関係ではとても興味深い専門書とともに、シャーロッキアンに関する新書の計4冊、以下の通りです。

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まず、木村福成{編著}『これからの東アジア』(文真堂) です。編著者は、慶應義塾大学のエコノミストであり、私はごいっしょにお仕事をした経験があって、ジャカルタでODAに携わっていたころには短期で招聘してセミナーを開催してもらった記憶があります。ご専門は東アジアに関する国際経済学であり、製造業立地に関するモデル分析や実証研究、もちろん、自由貿易協定などにも詳しいエコノミストです。ということで、本書では第1章がエディトリアルとなっていて、簡潔に各章の内容を紹介した後、第2章では自由貿易に関する理論的な解説がなされていて、この冒頭の2章が本書のファウンデーションを成しています。その上で、各チャプターごとの専門の著者が自由貿易協定や地域経済などを論じています。また、「東アジア」とは、よくあるパターンで、東南アジアと区別して、日中韓の東アジアだけを指す場合もあるんですが、本書でいう「東アジア」とは、通常考えられる東南アジアに加えて、日中韓を北東アジアとして、この両者を足し合わせた国々を東アジアとしてひと括りにしています。第3章以下の各チャプターでは、経済的な分析だけではなく、第4章では地域統合と安全保障に関して国際政治学の視点からの分析が提供されていたりします。もちろん、東アジアからすれば域外国である米国が重要な役割を果たすことはいうまでもありません。典型的には、オバマ政権の下でTPPに合意しながらも、トランプ政権発足とともにTPPから離脱し、TPPではなくTPP11とか、CPTPPとかのやや変則的な協定になってしまった点が上げられます。バイデン大統領就任で、これまた、大きな変化が生じることとなりますが、日本や中国も含めてアジア諸国にとっては歓迎すべき変化なのであろうと私は考えています。学術書っぽい本ではありますが、必ずしもそうではなく、一般のビジネスパーソン向けにもオススメできるのではないかと私は考えています。経済学の本の場合、特に、学術書であればモデル分析が中心に据えられて、それなりに難しげな雰囲気があるのですが、本書の場合、よくも悪くも、モデルを基にした分析的なものではなく、より記述的な内容、というか、いわば、よく調べ上げたジャーナリストの記事のように、必要な情報が過不足なく、かつ、きちんと系統だって収録されている印象です。バックグラウンドにモデルが感じられない分、やや、私なんかには物足りないものが残りますが、逆に、多くのビジネスパーソンには読みやすいのではなかろうか、という気もします。最終章で新型コロナウィルス感染症(COVID-19)についての分析が示されています。COVID-19の経済ショックについては、供給ショックのモデルを紹介した「通商白書」と需要ショックの面が強いと分析した「経済財政白書」の2つの見方があるんですが、本書最終章では東アジアの貿易構造などを念頭に、中国からの供給が途絶えたという意味で供給ショック説をとっているように見えます。私も少しこの点については考えを巡らせているところです。

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次に、ロバート D. エルドリッヂ『教育不況からの脱出』(晃洋書房) です。著者は、大阪大学大学院で政治学の博士号を取得した研究者であり、2011年3月の東日本大震災の際には、米国海兵隊の政治顧問としてトモダチ作戦の立案に携わっていたそうです。そして、本書では、我が国の経済社会の中で大学の占める位置の大きさを考慮しつつ、さらに、我が国の大学の国際的なレベルを勘案し、大学での教育と研究の水準を引き上げるために、現在多くの大学で採用されているセメスター制からクォーター制へ転換することを提言しています。私も10年振りに大学の教職に復帰し、それなりの興味を持って読んでみたのですが、しかし、上から目線の論調でほとんど説得力ない上に、論理的にも破綻している部分もあり、しかも、クォーター制の利点の論証がメチャクチャなものですから、これではダメだろうなという気がします。どこかの大学で採用されれば、それなりに実証できそうですが、おそらく採用されないでしょうし、採用されても効果はないだろうと見込まれます。でも、効果なしと実証されても、この著者は四の五のいってクォーター制のせいではなく、別の難点をあげつらいそうな気がします。というのは、本書の中で、どこかに、著者が2年間採用されなかった点について、ご本人お能力不足ではなく、別の理由があるかのように記述している部分が目につき、おそらく、クォーター制も同じ論法で、クォーター制が悪いのではなく、その運用とか別の何かが悪い、とすり替えをしてしまいそうな気がします。私の直感ながら、セメスターではない別の何かに起因している問題点、例えば、本書のレベルでいえば、大学の教職員の出席すべき会議が多いとかしかもその会議が蛸足大学でアチコチ離れた場所で開催されるとか、日本人教員の英語力が不足していて海外との交流が少ない、とかは、セメスター制に起因しているわけでもありませんから、クォーター制ではアカデミック・リーブを取れる1年の¼だけ会議出席を免除されるに過ぎないわけで、何の解決にもならないだろうと私は想像します。でも、こういった新たなやり方はどこかの大学で採用して見る価値はあるかもしれません。でも、大阪大学のような名高い大学ではムリでしょうし、さはさりながら、もっと冒険主義的な方針を採用できるクラスの大学はあるんではないか、という気はします。しかし、それにしても、我が学内の議論を脇の方から聞いている限りでも、教員というのは自営業者と同じで独立性高い、という気はします。今、我が学内では、ほかの大学でも同じかもしれませんが、来年度から対面授業をどこまで復活させるか、の議論が進められています。現在のリモート授業・オンライン授業は、やっぱり、教育成果が上がらない恐れがあると私も考えています。例えば、11月4日付けで経済産業研究所のディスカッションペーパー「新型コロナと在宅勤務の生産性」を紹介しましたが、企業の評価によれば職場を100として単純平均で68.3、就労者サーベイに基づく在宅勤務の主観的生産性の平均値は60.6、と示されていました、まあ、オンライン授業もこんなもんではないでしょうか。ですから、私自身は対面授業に積極的に取り組もうと考えています。生産性だけではなく、おそらく、私はオンライン授業では競争力ありません。ハーバード大学の白熱教室ではありませんが、私の授業の動画がDVDで発売されて売れるとはとても思えません。例えば、YouTubeにアップされた動画を比べられたりすると、とても有名ブランド大学の優秀な先生方の授業に勝てるとは思えませんから、リモート授業や動画にはない特徴を生かして、対面で学生の顔色を見たり質問を受けたり、いろいろときめ細かな授業をしないことには、教員としては競争力があるとはとても思えません。おそらく、対面授業に反対している先生方は、ご自分の授業の競争力に大きな自信をお持ちのことなんだろうと想像しています。福田元総理の言葉ではありませんが、私は自分のことをそれなりに客観的に見ることが出来るんではないか、と思ったりしています。そういった競争力のない大学教員の私ですが、それでも、時間のムダと思えるほどの残念な読書でした。

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次に、ジョージ・フリードマン『アメリカ大分断』(早川書房) です。著者は、ハンガリー生まれの米国の研究者であり、1996年に世界的インテリジェンス企業「ストラトフォー」を創設し、会長に就任しているそうです。英語の原題は The Storm before the Calm であり、「静けさの前の嵐」くらいのカンジかもしれません。2020年の出版です。もちろん、いうまでもなく地政学的な観点から米国を分析した本なんですが、エコノミストの私の目から見て新鮮だったのは、80年周期の「制度的サイクル」と50年周期の「社会経済的サイクル」をいう、景気循環のような波動を持って分析をしている点です。しかも、その周期が景気循環とは違って、かなり周期が一定というから驚きです。例えば、50年周期の社会経済的サイクルは、1933年のルーズベルト大統領の就任から始まって、第2次世界対戦を物ともせずにサイクルは中断することなく、1981年のレーガン大統領の就任まで続き、そこでサイクルが変わって、現在のトランプ政権でも同じサイクルのままであり、2028年まで続く、と断言しています。そして、この80年周期の「制度的サイクル」と、50年周期の「社会経済的サイクル」は2020年代にサイクルの転換点が交わる、というか、衝突するとされていて、この10年間に未曾有の危機が米国を襲うことになると予言しています。すなわち、80年周期の「制度的サイクル」は1780年代後半の独立戦争の終結と憲法制定から始まり、1865年の南北戦争によって終わり、2度目の制度的サイクルはその80年後、第2次世界大戦の終戦1945年に幕を閉じ、そうなると、現在のサイクルは2025年あたりに移行が起きることになります。そして、先ほどの50年サイクルは2028年に転換点があるわけですから、2020年代後半から2030年にかけて、米国は天地がひっくり返るくらいの大転換期を迎えることになるわけです。ついでながら、出版社のサイトから、このサイクルをよく表した画像を引用すると以下の通りです。

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でも、この予言は、トランプ大統領が再選されなかったことで外れたのではないか、と、シロートの私なんぞは考えないでもないんですが、この米国の制度的および社会経済的なサイクルは、トランプ大統領などは何ら問題ではないと断言しています。そして、出版社の売り言葉は「トランプは - そして私たち国民もみな - アメリカというジェットコースターの乗客にすぎない」というものです。私自身は2020年代後半から2030年にかけて70歳過ぎになっています。果たして何が起こるのやら、とても心配ながら、期待もあったりします。

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最後に、北原尚彦『初歩からのシャーロック・ホームズ』(中公新書ラクレ) です。著者は、作家、翻訳家、ホームズ研究家であり、いうまでもなくシャーロッキアンです。ひとつ、私が大いに驚いたのは、本書最後の第7章でアーサー・コナン・ドイル卿が書いた正典60編以外のいわゆるパスティーシュや研究所や漫画なんぞを紹介した後に、ゲームもいっぱい紹介しているんですが、そのゲームを紹介する冒頭に、著者が知りうる範囲でという断り書きを入れていて、逆にいえば、同人誌などの極めてマイナーなものを常識的に別にすれば、マンガも含めてホームズものはすべて目を通しているという自信に裏打ちされているものと考えられます。浩瀚な出版物に目を通しているということなのでしょう。それだけで私は脱帽です。私も、おそらく、正典60編はすべて読んでいると思います。特に、短編集の『冒険』については、ほぼ全話タイトルから中身を思い出すことができます。でも、さすがに、60編すべてが頭に入っているわけではありませんし、ましてや、派生モノとなれば、ほとんど知らないに等しい気がします。ジェレミー・ブレット主演のグレナダTVのシリーズも、少なくともNHKで放映された分はほぼすべて見ていると思います。京都はいざしらず、東京の区立図書館ではDVDで収蔵している館も多かったですし、私も随分と借りました。ということで、いまだに大人気のシャーロック・ホームズなんですが、私も本書で指摘しているように、キャラがキッチリと立っているのが最大の特徴であり、世界でここまで広く読まれている大きな要因だろうと想像します。我が国のミステリ界でも、江戸川乱歩の明智小五郎や横溝正史の金田一耕助など、キャラの立った名探偵は少なくありませんが、ビクトリア朝のロンドンという時代と都市を背景にしたホームズほどのキャラは、空前絶後というべきであり、長く読みつがれることと想像します。出版社でも特設サイトを用意するなど、新書としては格別の扱いではなかろうかと思います。シャーロック・ホームズのファンであれば、というか、ミステリに興味あれば、読んでおいて損はないと思います。

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2020年12月12日 (土)

今週の読書はほとんど新書で計5冊!!!

今週の読書は、全部で5冊なんですが、単行本の学術書1冊以外はすべて新書です。東京にいたころには、新書はほとんど読まなかったんですが、学生諸君にオススメする必要性もあって、関西に引越してからは盛んに読んでいます。ということで、以下の計5冊です。

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まず、三浦秀之『農産物貿易交渉の政治経済学』(勁草書房) です。著者は、杏林大学の研究者であり、専門は、国際関係論や国際政治経済学などです。本書は、タイトル通りの分析を行っているわけですが、戦後日本が経済発展を遂げる中で、高校の社会科でも習うペティ-クラークの法則により、生産や雇用が第1次産業から第2次産業へ、さらに第3次産業へとシフトしていく中で、第1次産業たる農業が貿易や投資の自由化の流れに対して、以下に抵抗してきたか、あるいは、抵抗に失敗してきたか、を跡付けています。農業だけではなく、広く日本の産業一般に見られるステークホルダーの集団として、「鉄の三角形」という3すくみがあります。国会議員のうちのいわゆる族議員、官僚、業界団体です。族議員は官僚に優位を保ち、官僚は行政指導などで業界団体の上位に立ち、しかし、業界団体は選挙の際の票の取りまとめなどで国会議員に対して影響力を行使する、という3すくみです。そして、農業の場合は業界団体がその昔の農協、いまのJAということになります。本書では、それほど昔からの歴史を追っているわけではありませんが、1990年代初頭のウルグアイ・ラウンドの妥結、1990年代なかば以降のAPECにおける貿易自由化、21世紀に入ってからの日本タイ経済連携協定(EPA)、そして、TPPの4ステージを対象としています。基本的背景のモデルとして、パットナム教授の2レベル・ゲーム・モデル two-levels geme modelを用いています。そうです。あの『孤独なボウリング』で有名になったパットナム教授です。そして、この2レベル・ゲーム・モデルとは、国際的な交渉をレベル1、国内の調整をレベル2と考え、合意のためのウィンセットを考え、自国に有利になるように国内の支持を取り付けて自分のウィンセットを大きくしたり、相手国の世論を分断して相手のウィンセットを小さくしたりして、交渉を有利に運ぼうとするモデルです。ただ、このモデルは、私が関連する文献を読んだ限りは、十分シミュレーションに耐える精緻なものなのですが、本書では、枠組みとして用いているだけで、それほど高度な使い方をしているわけではありません。その意味で、学術書としてはやや物足りない一方で、一般ビジネスパーソンにも判りやすくなっている気がします。農業の鉄の三角形の内部の力関係の変化に加えて、農産物は広く一般消費者に需要されますので、その一般消費者が何らかの影響力を行使したり、あるいは、相手国が米国の場合は強い外圧を受けたりと、さまざまなケースでどのような交渉が持たれて、どのような決着が図られたか、なかなかに興味深い分析で、しかも、それが定量的な分析ではなく、とても記述的descriptiveなものですから、印象に流されそうになりましたが、私自身がウルグアイ・ラウンドの最終合意のステージでは大使館で外交官をしていましたので、情報収集にいそしんだ記憶も蘇ったりしました。学術的にも、一般向けとしても、どちらも中途半端な本ですが、ある意味で、お手軽でもあります。

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次に、セルジュ・ラトゥーシュ『脱成長』(文庫クセジュ) です。著者は、フランス経済学会の大御所ともいうべき存在で、まだそれなりの影響力を保持しているようです。本書のフランス語現代は La décroissance であり、2019年の出版です。訳者あとがきか何かで見ましたが、本書の日本語タイトルは「脱成長」なわけで、実にピッタリのdécroissanceに対する翻訳だという気がします。私は他に英語とスペイン語くらいしか理解しませんが、英語西語とも仏語と同じでラテン語系の言語であるにもかかわらず、どちらもピッタリの対応する翻訳がないように感じています。そして、本書で著者がもっとも熱心に主張しているのは、「脱成長」とは、当然ながら、「反成長」ではないし、ましてや「マイナス成長」や「ゼロ成長」ではあり得ない、という点です。私自身は、社会経済的な課題、例えば、貧困や不平等の問題を解決するに際して、ゼロ成長では問題解決のためにリソースが再分配だけになってしまって、もう少しリソース欲しい気がするので、成長はそれなりに目指すべきだという意見です。しかし、著者のラトゥーシュ教授の意見とは大きく異なり、例えば、地球環境の観点などからゼロ成長を目標にすべき、と主張するエコノミストは少なくありません。本書の主張は明らかに異なります。経済政策のプライオリティを考えるに際して、成長のポジションをもう少し下げる、あるいは、もっと極端な場合は、成長にプライオリティを置かない、ということであって、決して「脱成長」とはゼロ成長や、ましてや、マイナス成長を目指して、もって二酸化炭素排出を抑える、とか、サステイナビリティに配慮する、などというものではない、というのが著者の主張です。私は大きく目から鱗が落ちた気がしました。まったくその通りであり、私とて、リソース欲しさに成長しないよりは成長した方がいい、という程度の成長賛成論ですので、新たな理論を得た気すらします。ただし、私は引き続き経済政策の目標に主観的な幸福度を据えるのは反対です。本書第2章では主観的幸福度指標ではなく、客観的な生活の水準、Quality of Lifeとか、Well-Beingについて論じており、それは、まあ、経済政策の目標として可能だという気がする一方で、主観的幸福度は、まさか、脳内分泌物質で幸福度を高めるわけにもいかないでしょうから、政策目標としてはポピュリズム的に過ぎる気がしています。最後に、私はすでに終わったアベノミクスについては成長論は盛り込もうという努力はしていた一方で、分配論はまったく欠けていたと評価しています。ですから、量的な拡大を目指す脱成長から質的な豊かさに目を向ける分配論に重点が移行するのは大いに結構だと考える一方で、繰り返しになりますが、SDGsに代表されるサステイナビリティのために成長を抑制するゼロ成長やマイナス成長、これらは本書でも明確に否定されているところで、そういった分配を無視して、引き続き、量だけを論じる経済政策については賛成しかねます。ビミョーなところですが、違いの判るエコノミストでありたいと思います。

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次に、鈴木亘『社会保障と財政の危機』(PHP新書) です。著者は、社会保障を専門分野とする学習院大学経済学部の研究者です。本書では、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)パンデミックの経済的な影響の後には、社会保障の問題が浮上するとして、生活保護、医療、介護、年金の現状と対策を取り上げています。他の論考でも同じことながら、COVID-19に対応して、COVID-19とは関係薄クて、従来からの主張が繰り返されている部分も少なくありません。ただ、社会保障と消費税を切り離すというコンセプトは一考すべき価値があるという気がします。消費税を社会保障の財源にするという完全に破綻したいいわけを並べるよりは、かなり問題の真実に近づいて社会保障の課題解決にもつながりそうな気がします。そして、本書でも主張されているのは、切り離すからには社会保障ではなく経済政策の観点から時限的な消費税率の引下げも経済政策の選択肢になる、というポイントであり、共産党をはじめとする野党の主張と極めて近接した見方といえます。私のこのブログでも、7月27日に主張している点でもあります。これまた、何度も繰り返して主張している通り、現在のCOVID-19の経済ショックは、ケインズ的な需要サイドからの過少消費やマルクス的な過剰生産、この両者はとても似通っていますが、こういった従来からの需要ショックではなく、感染拡大防止のために人的接触が避けられないセクターを閉鎖、ないし、活動を抑え込んだ結果なのですから、そういった宿泊や飲食といった人的接触が大きいサービス部門で影響大きいのは当然です。もちろん、人的接触多いセクターだけでなく、街全体をロックダウンしてしまったケースもあります。でも、ロックダウンしても食料品などは日常生活に必要不可欠なわけで、需要はありますし、供給もごく一部の例外的な品目、例えば、一時的な品薄となったマスクなどを別にすれば、需給への影響は大きくありません。他方で、ダメージ大きい宿泊や飲食などの人的接触多いセクターは、COVID-19パンデミックが続く限りは閉鎖して感染拡大を抑える方向で考えるべきです。そして、そのセクターの雇用者に対して万全の所得補償を供与すべきです。そうでないと、シャットダウンされたセクターがある分、通常のケインズ的な乗数が小さくなるからです。しかし、現在の政府のGoToキャンペーンでは、宿泊や飲食などの人的接触多いセクターに補助金をつけて人的接触を奨励する政策であり、まったく真逆でお話になりません。菅内閣がこういった政策を取っている背景として、第1に、財務省的な政策効率の観点があります。本書でも同じように政策の効率性を論じていますが、例えば、10%補助金を付ければ、残り90%は国民自身が負担するわけで、10倍の政策効率が上がります。本末転倒の理論ですが、残念なことに、本書でもよく似た議論が展開されています。第2に、来年の東京オリンピック開催までムリにでも引っ張る意図がミエミエですし、そのために、東京都知事と大阪府知事がビミョーに異なる意見を持っているわけなのでしょう。ですから、私は早めに東京オリンピックを中止するという決定を明らかにすべきである、と主張したいと思います。東京オリンピック・パラリンピックは、延期ではなく、中止の一択だと思います。

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次に、岡山裕『アメリカの政党政治』(中公新書) です。著者は、慶應義塾大学の研究者であり、専門は、政治史やアメリカ政治だそうです。米国の政党の極めて緩い構造を歴史的によく解説してくれています。独立直後くらいに、米国では政党政治が否定された時期があった、というのは、私でも知っているくらい有名な事実であり、その昔の名望家とか哲人による政治を理想と考えた点は理解できなくもありません。その上で、現在の極めて強固な民主党と共和党の2大政党制がいかに形作られてきたのか、についても、よく取りまとめられています。もちろん、新書というメディアの特質から、それほど専門的ではなく、私のような米国にも、政治にもシロートである専門外の人間が読んでもひと通りの理解が進むように工夫されています。私が米国の政党政治でとても不思議だった点がいくつかあり、それもほのかに解決されたような気がします。というのは、第1に、リンカーン大統領の奴隷解放ではないのですが、150年ほど前には共和党が進歩的でリベラルだったのに対して、当時の民主党は南部の頑迷固陋な伝統主義や保守主義の政党だったのが、前世紀の終わりころから、今ではすっかり、民主党がリベラルで共和党が保守、という色分けになっています。本書では1970年代からの変化を示していますが、私は1960年代ケネディ政権、さらに、ジョンソン政権の「偉大な社会」政策にケインズ的、というか、左派リベラルの源流を見ていたのですが、確かに、よく考えれば、「今や我々はすべてケインジアンである」と発言したのはニクソン大統領でしたし、1960年代に源流あるとしても、ハッキリと見えだしたのは1970年代から、そして、確定したのが1980年代のレーガン政権から、ということなのかもしれません。第2に、ローズベルト大統領のニューディール政策の際は、議会がほとんど大統領のマシンのように、ポンポンと法律を成立させていた一方で、オバマ政権は私の目から見てとてもリベラルで好ましい政権だったのですが、結局、大きな政的成果は上げられなかったように見えます。メデュケアとメディケイドについてもそうです。似鳥教授の評価によれば、そもそも米国大統領はそれほど大きな権限は持ち合わせていない、ということのようなのですが、この当たりも興味ありました。ただ、最後に、トランプ大統領があまり公約を実行できなかった、という本書の評価は少し疑問あります。というのは、経済面だけですが、TPPからの脱退、それに、中国との関税率引上げによる貿易戦争、というのはとても大きな経済的なインパクトあったのではないか、と私は考えているからです。

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最後に、浜矩子『「共に生きる」ための経済学』(平凡社新書) です。著者は同志社大学のエコノミストです。この方のご著書は初めて読みました。本書で展開されているのは、とても観念論的な経済学ですが、判らないでもありません。本書で、共に生きるために満たされるべき条件が4項目上げられており、共感性、開放性、包摂性、依存性、となっています。もう少し定義をハッキリさせておいて欲しいところですが、そこはスルーしていきなり理論的根拠に入るのは少し不満の残るところです。話は逸れますが、私は比較的左派リベラルな本書をホリデー・シーズンの読書案内に入れておいたのですが、やや、ごく一部ながら言葉遣いが下品なので後悔しています。「チームアホノミクス」というのがしばしば出てきて、チームはまだいいとしても、「アホノミクス」というのはどうも下品です。左派リベラルや非主流派で時折見かけるところで、まあ、極右派などにもあるんでしょうが、主流派に反対するあまり、本筋ではないところで激論を飛ばして目立つように試みたり、どぎつい表現で目立つことを望んでいるのではないか、とゲスの勘ぐりを入れたくなるようなケースがあります。私は少なくともエコノミストとしては最左派ながら官庁エコノミストという主流派真っ只中の末席を汚していましたので、あまり表現で目立とうとするのはヤメておいた方がいいと考えています。本書でも、繰り返しになりますが、具体性のない観念的なナラティブで終わっているだけに、それだけに、表現上の「工夫」をしてしまっているのかもしれませんが、そうであれば、もう少し具体性を補って、本筋で目立てるように工夫すべきであり、表現で差別化を図ろうというのはエコノミストのやり方ではありません。ですから、エコノミストの3条件として、独善性、懐疑性、執念深さ、というのが出てくるんだと思います。独善性が開放性や包摂性に矛盾しかねないと考えるのは私だけかもしれませんが、少なくとも、最初に上げた共に生きるために満たされるべき4条件とはかなりかけ離れていると感じるのは私だけではないと願っています。繰り返しになりますが、この著者の一般向けのご著書は初めて読みましたが、学術論文はともかく、一般向けのご著書としては最後の読書になるかもしれません。

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2020年12月 5日 (土)

今週の読書は経済書をはじめとしてムックや新書も含めて計6冊!!!

今週の読書は、経済の専門書2冊と大学のテキストの補完として読んだ日本経済の概説書、ムック本1冊に、さらに、経済関係も含めて新書が2冊の計6冊です。以下の通りです。なお、実は、別途、12月に入って年末年始のホリデーシーズンが近づき、学生諸君に新書を中心に読書案内を学内サイトにポストしました。年末年始休みは2週間ほどあるんですから、新書の1冊くらいは読んで欲しいと期待しています。機会があれば、この読書案内をブログでも紹介したいと考えています。

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まず、エマニュエル・サエズ & ガブリエル・ズックマン『作られた格差』(光文社) です。著者2人は経済学の研究者であり、『21世紀の資本』で有名になったピケティ教授との共同研究をしていたのではなかったかと記憶しています。英語の原題は The Triumph of Injustice であり、2019年の出版です。ということで、租税の面からの不平等を分析しています。すなわち、米国のローズベルト政権下のニューディール政策から直接税の限界税率は極めて高率に設定されていたんですが、それが、レーガン政権のあたりからラッファー曲線の呪縛もあって、累進性が弱められるとともに、租税回避が進み、不平等が大きく進んだ、と結論されています。まったく、その通りです。「パナマ文書」で明らかにされたように、租税回避が進めば、行政当局が諦めてしまって、現状追認の税率引下げとか累進性の低下を招く、というわけです。最近では、OECDでデジタル課税も含めて、Base Erosion and Profit Shifting (BEPS) の議論が進んでおり、私のブログでも今年2020年10月15日付けで取り上げたところです。我が国に限らず、税制は極めて複雑ながら、基本となるのは本書でも指摘されている通り、税率の弾性値が小さいところから取る、すなわち、俗にいわれるように「取りやすいところから取る」ということになります。従って、資本課税は資本の海外逃避が容易という意味で空洞化を招きかねない一方で、労働についてはそうそう国外に逃避することはないですし、消費課税についてはさらに国内消費が海外に漏れる恐れが少ないために、ついつい資本より労働に、そしてさらには消費に偏向した課税体系になっている、といえます。本書では基本的に、米国を対象にしていることから、国際協調のようなものはスコープに入っていないんですが、繰り返しになるものの、OECD/G20ジョイントのBEPSプロジェクトも含めて、米国ではすでに、GILTI=Global Intangible Low-Taxed Income 合算課税というシステムを採用しているわけですから、そういった国際協調があればどうなるか、というのも含めて欲しかった気がします。でも、高額所得に対する累進性の強化、すなわち、高額所得に対しては極めて高率の限界税率を課すことの正当性については、とてもクリアに論証されていました。ただ、やや価値判断を含む論証であり、正しい経済理論が政策に反映されるわけではない、という点については、自由貿易なんかでも見られるとおりであり、長い期間を必要とするんでしょうが、正しい経済政策、不平等を減ずる政策への方向性を私は強く支持します。

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次に、清家篤・風神佐知子『労働経済』(東洋経済) です。著者2人は慶應義塾大学の労働経済学の研究者です。本書は2部構成であり、第1部がマイクロな基礎理論、第2部はマクロ政策も含めた実践編となっていますが、どちらもとても標準的な労働経済学の議論が展開されています。特に、バックグラウンドにあるモデルが私レベルでも明快に理解できるようになっており、特に、ノーベル賞受賞者のベッカー教授の人的資本論や結婚の経済理論については、とても判りやすかったと受け止めています。ただし、レベル感が今ひとつハッキリしません。第1部の最初の方なんかは、学部レベルよりもさらに初学者のレベルに近いんですが、引用文献がモロにジャーナル論文だったりしますので、私の専門分野ではないので、十分な判断はできないものの、学部生にはややハードルが高いものも含まれていそうな気がします。ただ、引用文献まで入らなくても、まったくの初学者からマイクロな労働経済学を十分に把握することができそうな気がします。実際の統計データに基づいてプロットされたグラフや表などとともに、無差別曲線なども概念的なグラフとしてていねいに解説されており、専門外の私なんぞにもとても理解しやすくなっています。また、基礎的な理論がしっかり解説されているだけではなく、応用編では日本経済が直面する諸課題もバランスよく取り入れられており、高齢者雇用、女性雇用に加えて、オックスフォード大学の研究者が試算したAIやコンピュータによる職の代替可能性も紹介されています。ただ、大学の研究者なのですから、もう少し若年層の職や雇用についても応用編で取り上げて欲しかった気がします。高度成長期の雇用政策や雇用慣行では、中核労働者を成す中年男性雇用者が企業にメンバーシップ的に所属意識を高められ、長時間労働や無制限のロイヤリティを示すために過酷な労働を強いられていた一方で、配偶者が育児や高齢の親の介護、もちろん、炊事洗濯などの家事全般を受け持つ、というやや偏った性別の役割分担があり、中核労働者ではない縁辺労働者である学生アルバイトや主婦パートタイマーが不況期には雇用の調整弁となり、不況がもしも長引けばそのまま労働市場から退出して、そのため、失業率が高まらない、というシステムとなっていました。また、いわゆる世代効果として、高校や大学を卒業して新卒一括採用される時期が景気後退期に当たれば、生涯賃金にまで響きかねない所得格差を生む慣行が広く観察されたことも事実ですから、学生や若年層、さらには、可能な範囲で、フリーターやニート、などの若年雇用の問題も幅広く取り上げて欲しかった気がします。

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次に、小峰隆夫・村田啓子『最新 日本経済入門[第6版]』(日本評論社) です。著者2人は、官界出身のマクロ経済研究者です。基本的に、大学の授業のテキストを意図して作成されている本であると私は認識しています。現時点で、私が授業で教科書として用いているのは、浅子和美・飯塚信夫・篠原総一 [編]『入門・日本経済論[第6版]』(有斐閣)なんですが、いろいろと考えを巡らせて参考までに読んでみました。ただ、結論からいうと、私の授業スタイルを前提にすれば今のテキストの方がベターであると考えています。私自身も考えるところがあるんですが、日本経済論を教えるに当たって、ひと通りの戦後の日本経済の歩みは、特に、戦後GHQのいくつかの経済改革、すなわち、財閥解体や農地開放や労働民主化、さらに、高度成長期に形つくられた慣行、すなわち、終身雇用とまで呼ばれた長期雇用やそれに応じた年功賃金は、例えば、年金制度でサラリーマン雇用者の妻がどうして年金保険料負担なしに年金給付を受けられるか、とか、夫婦と子ども2人のモデル家系をもとにした制度設計が山ほどあるわけですから、それなりに歴史的な経緯を把握しておく必要があると思います。日本評論社版では第2章にあるだけですが、有斐閣版では3章を割いています。また、日本評論社版では物価と為替レートと金融政策が連続しない章でバラバラに取り上げられています。細かい点では、例えば、貿易の章でGATTの下で多国間関税率交渉、いわゆるラウンドが7回に渡って成功した旨の記述があるなら、その7回のラウンドのリストくらいは欲しいんですが、それがなかったりする不便さもあります。そして、何よりも、私は一貫して、経済について解説する場合、バックグラウンドにあるモデルを重視するんですが、日本評論社版では経済の解説に当たって、いくつかの要因を並べるのに忙しくて、やや一貫していないモデルをもとにした説明と受け取られかねない記述が散見されます。ひとつの経済事象について、多面的に見ることも含めて、部分均衡ではなく一般均衡の立場から、複数の要因を並べて解説することはとても重要だと思いますが、その背景となるモデルについては一貫性が求められます。そうでなければ説得力が落ちると感じるのは私だけではないような気がします。最後に、有斐閣版では専門分野のエコノミストがチャプターを分担する形で書き上げていますが、やっぱり、少数のエコノミストが全体を通して教科書を書くのはどうもムリがあるような気がしてなりません。もっとも、この点は私自身がその能力ないから、そう思うだけかもしれません。

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次に、高橋源一郎『「読む」って、どんなこと?』(NHK出版) です。作者は、小説家であり、長らく明治学院大学の文学の研究者でもありました。本書では、小学校の国語教科書の抜粋から始まって、6時限目までの授業のような体裁の章割りで続きます。ただし、内容はかなり高度です。すなわち、1時間目のオノ・ヨーコ『グレープフルーツ・ジュース』もそうですが、2時間目の鶴見俊輔『「もうろく帖」後篇』に至っては、高校生でも読みこなせないような気すらします。もちろん、3時間目の永沢光雄『AV女優』は、著者自身も学校では教えないと言い切っていますし、4時間目に坂口安吾『天皇陛下にささぐる言葉』、5時間目に武田泰淳『審判』などは、決して一定の思想傾向ではなく、その時代背景を反映しているだけなのでしょうが、人によっては「危険思想」に分類する場合もありそうな気すらします。ただし、こういったアブナい文章を紹介した後、最後の6時間目は藤井貞和の詩「雪、nobody」でゆったりした気分にさせてくれます。私のようなレベルの低い読者には、とてもついていけないような、ある意味で、高度な内容を満載しています。少なくとも、かなりの程度に文章を読む訓練を受けていて、それなりに感受性も磨かれていないと、何のことだかわけが判らない気すらします。私は図書館で借りて読んだのでダメでしたが、おそらく、ちゃんと手元において定期的に何度も読み返すべき本だと考えます。

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次に、伊藤周平『消費税増税と社会保障改革』(ちくま新書) です。著者は、厚生労働省や国立社会保障・人口問題研究所などを経て、現在は社会保障法の研究者です。多面的に、社会保障や消費税をはじめとする税制に関する批判を繰り広げています。序章では、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の経済的な影響を受ける前から、すなわち、昨年2019年10月の消費税率引上げから経済が大きな打撃を受けていた、さらに、その前からすでに景気後退局面に入っていたわけですが、そういった需要不足の景気後退局面に入った後で、追い打ちをかけるような消費税率の引上げ、さらに、今年に入ってからのCOVID-19による需要供給両面での経済的な影響などから、医療をはじめとする社会保障が極度に疲弊していることは事実です。ただ、本書では、最初に「多面的に批判」と書きましたが、とても理にかなった批判ながら、惜しむらくは、体系的な全体像ではなく、本書の章別構成を見ても理解できるように、年金・医療・介護に加えて、子育て支援などという形で、現行の社会保障制度を前提にした部分的な、というか、各個撃破的な批判にとどまっています。要するに、基本は政府と同じ土俵の上で、個別政策を批判するという形でしかなく、本来の憲法に従った社会保障のあるべき姿を示し切れていない不満が残ります。その昔の「野党的な何でも反対論」とまではいいませんが、確かに、個別問題を個別に批判して、個別の解決を図る、というのもひとつの方法論として成り立つ可能性は否定しませんが、エコノミストとしては、特に、マクロ経済を考える場合は、いわゆる「合成の誤謬」についても配慮しなければなりませんし、もう少し全体像を背景に持った批判を求めたいと思います。

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最後に、島田裕巳『捨てられる宗教』(SB新書) です。著者は、ヤマギシ会の経験もあり、宗教に関する発言も多く出版しています。本書では、我が国に限らず西欧の先進各国で、伝統的な宗教の信者が減少している現状を平均寿命の伸長による「死」への距離から論じようと試みています。すなわち、「死」が身近にあり、いつ死ぬかわからないような時代の死生観Aにあっては、宗教をそれなりに必要とした一方で、現在の日本が典型ですが、人生100年とか、本書の著者によれば人生110年時代を迎えて、死のない世界の死生観Bでは終活さえもが面倒になり、葬式は不要となって宗教は捨てられる、と結論しています。私も、ほのかに理解するところがあります。私自身が還暦の60歳を少し過ぎて、祖父母はすでに亡くなり、父も死んで母だけが残っているというご先祖の構成で、同級生や役所で同僚だった年齢の近い友人は、ほとんどがこの世に残っています。1人だけ役所の同期入庁者が亡くなりましたが、ほぼほぼ例外扱いといえます。そして、もちろん、祖父母や役所の諸先輩が亡くなった際には葬式が営まれるわけですが、どうも、不文律のような基準があって、80歳を過ぎると大規模な葬式はないようです。今年に入ってからも、役所で上司としてお仕えした著名エコノミストが亡くなりましたが、大学の知り合いとともに弔電を打った一方で、お通夜や葬式への出席はもちろん、供花やお香典も受け付けず、ただ、生前の交流関係を知りたいという趣旨で弔電のみ受け付ける、ということでした。こういった形で、「死」を感じない、あるいは、近親以外では葬式やお通夜にも出席しない、という意味での宗教離れが起きているのも実感します。逆に、現在の新型コロナウィルス感染症(COVID-19)パンデミックの世の中で、宗教は何をしているのか、という気もします。もちろん、病気や科学で治癒を目指すものであって、医学が未発達だった過去の加持祈祷で治すわけではありませんが、人びとの心の平安のためになすべきことがないというのも、どうかとも思います。私は従来から主張しているように日本人としては信心深い方で、念仏を唱えることも少なくありません。宗教が必要とされる出番には、それなりの役割を果たして欲しいと考えているのは、私だけではないと思いたいです。

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2020年11月28日 (土)

今週の読書はコロナ危機に関する経済書と家族に関する社会学書と新書が3冊の計5冊!!!

今週の読書は、主流派のエコノミストによる経済書と広く社会学ないし社会科学の専門書に加えて、大学に再就職してから学生諸君にオススメするために盛んに読んでいる新書3冊の合計5冊、以下の通りです。

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まず、小林慶一郎・森川正之[編著]『コロナ危機の経済学』(日本経済新聞出版) です。経済産業研究所の関係者の研究者が集まって、まさに、コロナ・パンデミックの経済学を展開しています。第1部 今、どのような政策が必要なのか、と、第2部 コロナ危機で経済、企業、個人はどう変わるのか の2部構成であり、各部が10章ずつの大量の論文を収録するとともに、序章や終章まであって、とても盛りだくさんな内容です。ただ、それだけに、精粗まちまちな印象はありますが、この時期のこのテーマの出版でそこまで求めるのは酷というものだと私は思います。まあ、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)とは何の関係もなく、おそらくは従来からの自説を展開しているだけ、に近い印象の論文も第9章と第10章をはじめとして、いくつか含まれているような気がします。加えて、私なんかにはとても勉強になるんですが、一般のビジネスパーソンに役立つというよりは、学術書の要素の方が強そうです。私が特に興味を持ったのは、第1に、パンデミックに関するSIRモデルです。古い古いモデルで、1927年にKermackとMcKendrickの論文で明らかにされています。このSIRモデルにおいては、国民を免疫のない非感染個体(S)と感染個体(I)と免疫を保持した回復個体あるいは隔離個体(R)の3カテゴリーへ分割され、①非感染個体(S)は感染個体(I)に移行し、その際、非感染個体(S)と感染個体(I)の積に比例して定率で移行します。そして、②感染個体(I)は別の定率で回復個体あるいは隔離個体(R)に移行します。また、③感染期間は指数分布に従うとして、この①から③が仮定されます。時刻tの時点における免疫のない非感染個体数S(t)と感染個体数I(t)と回復個体あるいは隔離個体数R(t)の3つの未知関数の時間変化に伴う増減は時間tで微分されていますから、その連立微分方程式を解けばいいわけです。これで理解できた人は素晴らしく頭がいいんですが、私自身もまだ一知半解な部分も残っています。少なくとも、パラメータを置いて表計算ソフトで手軽に計算できそうな気がします。そのうちに挑戦したいと思います。第2の関心は、当然ながら、雇用に関するものです。第2部のいくつかの章で格差の拡大、エッセンシャル・セクター労働者の過重労働の問題、在宅勤務の生産性の問題、などが取り上げられていました。現時点までの、というか、本書が執筆された5月時点くらいまでのデータでどこまで実証分析が可能なのかの問題はありますが、ongoingで展開している問題ですので、こういった分析を早めに世に問うのはとても意味あると私は受け止めています。

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次に、津谷典子ほか[編著]『人口変動と家族の実証分析』(慶應義塾大学出版会) です。多数に上るチャプターごとの著者は、津谷教授の定年退職を記念して集まられたような雰囲気があり、最後に、津谷教授の履歴・研究業績が示されています。どちらかといえば、家族を中心にしているので人口学や社会学の系統なんだと私は理解していますが、経済学とも密接に関連していることは事実です。私は大学で学部でも大学院でも「日本経済論」という授業を担当していて、この授業の呼称は10年ほど前の長崎大学とも共通するのですが、マクロ経済学の応用分野である日本経済論いついては、日本経済の大きな特徴である少子高齢化や人口減少をどこまで重視するのか、というスタンスの違いが現れます。本書は人口減少を人口変動のひとつのバリエーションとして分析対象としており、まあ、人口増加はスコープ外ながら、人口変動が経済に及ぼす影響も同時に別の意味でスコープ外となっています。私自身は人口減少は日本経済の停滞の要因である可能性は否定しないものの、それほど大きな影響を及ぼしているとは考えていません。ほかにいっぱいあります。ただし、高齢化については財政や社会保障の分野、特に、サステイナビリティの観点から大きな影響があると考えています。それほど突き詰めて考えたことはないという気もしますが、ある意味で、役所のカルチャーの部分もあろうかと思います。例えば、平成20年版の「経済財政白書」の第3章などでは、明確に人口減少が成長率の低下につながることを否定していますし、逆に、14~15世紀のペストのパンデミックが成長率を引き上げた事例なども紹介していたりします。ですから、吉川先生の中公新書『人口と日本経済』なんかもすんなりと頭に入りました。かつての日銀白川総裁が藻谷浩介『デフレの正体』に飛びついて、デフレは日銀の金融政策が悪いからではなくて人口減少のせいである、年て主張し始めたときはとても下品なものを感じました。まあ、それはともかくとしても、本書は完全な学術書です。家族というマイクロな社会学の対象から、マクロ経済学への橋渡しとなるのが人口動態だと私は考えています。その意味で、なかなかに勉強になる読書でした。少なくとも、私の専門分野からして、実証的な分析手法に大きな違いはなかったような気がします。

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次に、太田康夫『スーパーリッチ』(ちくま新書) です。著者は日経新聞のジャーナリストです。一昨日のブログで、もっとも重要な新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の経済的帰結のひとつは格差拡大であると、いくつか授業の教材を紹介しつつ主張しましたが、IMFブログやBrookingsなどが社会的な海藻の下の方の女性や黒人や若年者に注目して、支援を呼びかけているのに対して、逆に、本書ではタイトル通りに超富裕層について取り上げています。COVID-19パンデミックでは、インターネット宅配のアマゾンをはじめとして、GAFAとマイクロソフトなどが在宅勤務で収益を増加させ、あるいは、在宅時間の増加とともにSNSも収益を上げていると私は考えており、ますます格差が拡大しています。ただ、決して覗き見趣味ではないつもりですが、本書の第3章で取り上げられているようなスーパーリッチの新貴族文化については、私も興味ないわけではありません。もっとも、私なんぞのサラリーマンで一生を終える一般ピープルには手の届かないことばっかりで、ついついため息が出そうです。特に、従来勢力というか、王侯貴族をはじめとする欧米先進国のスーパーリッチだけでなく、最近の時点でシェアが増加している中国人のスーパーリッチは、かつての日本人的な「成金趣味」がうかがえる部分もありました。格差先進国の中国の動向を中止しつつ、格差拡大が進めば経済社会がどうなるのかについてもエコノミストとして考えを巡らせたいと思います。

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次に、坂本貴志『統計で考える働き方の未来』(ちくま新書) です。著者はリクルートワークス研の研究者です。内閣府に出向して官庁エコノミストとして「経済財政白書」を執筆していた旨の紹介がなされています。失礼ながら、「官庁エコノミスト」のカテゴリーがとても広い意味で使われ始めた気がします。まあ、私も大学教授なんですから、いろんなカテゴリーを幅広く使うのはいいことかもしれません。ということで、高齢社会が進む一方で、様々な観点から高齢者の労働参加促進が政府の重要な政策のひとつとなっており、いくつかの統計からいろんな観点を提示しています。さすがに、私にとっては目新しい視点があったわけではありませんが、楽しく読めるビジネスパーソンも少なくないように思います。政府の視点からは、本書では出て来ませんが、年金支給までなんとか食いつないでもらうために、高齢者をおだて上げてても、企業を叱りつけてでも、なんとか65歳まで所得を政府以外から得て欲しいと考えていることは明白です。ですから、女性雇用などとセ抱き合わせにして、かつ、働き方改革なんて、勤労世代をはじめとして全世代を巻き込む形で高齢者の労働参加を促進する政策が展開されています。しかし、「生涯現役」を喜んで受け入れる高齢者がいる一方で、私もそうですが、従来から主著している通り、「生涯現役」なんて真っ平御免で、一定の年令に達したら引退してラクをしたい、と考える人々も一定数いることは本書でも主張されています。まあ、どこまで健康寿命が伸びるかにも依存しますが、果てしなく「生涯現役」はカンベンして欲しいです。

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最後に、筒井淳也『社会を知るためには』(ちくまプリマー新書) です。著者は、社会学を専門としており、何と、学部は違えども、私と同じ大学の社会科学の研究者です。どこにも明示的に書かれていないんですが、おそらく、大学に入学したばかりの20歳前後の学生を対象にしているんではないか、という気がします。ですから、専門外の私なんかにはそれなりにフィットしたレベル感でした。前の書評と重なりますが、経済学と社会学は同じ社会科学であり、同じ経済社会の分析をします。おそらく、私のような計量的な分析を主とする研究者であれば、分析手法も大きくは違っていません。何が違うかといえば、分析の対象です。経済学が経済行為や経済システムを分析対象とするのに対して、社会学はもっと広義の社会、ないし、経済関係で結ばれているわけではない家族や地域を分析します。ですから、本書のどこかにありましたが、「系」ということばは社会学では「家系」とか、「母系と父系」などのように、家族なんかのつながり方で用いる一方で、経済学では自然科学と同じで「システム」という意味でしか使いません。物理学の「太陽系」と同じです。でも、どちらも社会や社会をなして生活ないし生産している人間はとても緩い関係を保っていますので、太陽系の万有引力の法則みたいなのは十分な説明力を持たない場合がほとんどです。それでも、私は世のため人のために役立つようにと願って経済学の研究と教育を続けています。

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