2018年6月16日 (土)

今週の読書は新書の5冊を含めて大量9冊!!!

今週は先週のプラットフォームに関する一連の経済書の続きをはじめ、一挙に9冊読みました。昨日のご寄贈本を含めると10冊に上ります。新書が半分の5冊を占めるとはいえ、日本経済学会春季大会が開催された神戸への往復新幹線も含めて、よく読んだものだと自分でも感心しています。

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まず、アンドリュー・マカフィー & エリック・ブリニョルフソン『プラットフォームの経済学』(日経BP社) です。著者は米国MITの研究者であり、前作は『ザ・セカンド・マシン・エイジ』であり、ムーアの法則に基づく指数関数的なコンピュータの高性能化や経済のデジタル化が、19世紀の第1次機械時代に匹敵する衝撃を社会にもたらす、と論じられたわけですが、本書では第1部でマシンを、第2部でプラットフォームを、第3部でクラウドとコアの3つに焦点を合わせており、本書のタイトルはかなりミスリーディングです。というのも、商店としてあげた3つの潮流のうち、実は、第2部のプラットフォームはもっとも軽く扱われているからです。かなり容易に想像される通り、第1部のマシン編では当然のようにAIやロボットが取り上げられ、第2部のプラットフォーム編ではAmazonやFacebookやGoogleなどのネット企業のビジネスについて分析され、第3部のクラウド編では資金やアイデアのクラウド・ソーシング活用の現状がフォーカスされます。先行きにかなりのバリエーションがあって、必ずしも確定的な方向性を提示できないのは理解しないでもないんですが、研究者ですのでもう少し今後の方向を提示してほしかった気がします。ジャーナリスト的にいろんな事実を羅列するにとどまっているのは少し残念です。

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次に、外山文子・日下渉・伊賀司・見市建[編著]『21世紀東南アジアの強権政治』(明石書店) です。東南アジアのいわゆるASEAN創設時の5か国のうち、シンガポールを除くタイ、フィリピン、マレーシア、インドネシアの4か国におけるストロングマン時代のリーダーを概観しています。タイについてはタクシン-インラックの兄妹政権におけるポピュリスト的な傾向の政治、フィリピンの義賊ドゥテルテ政権、マレーシアのナジブ政権、インドネシアのジョコ大統領です。このうち、マレーシアのナジブ首相については、何と、90歳超のマハティール首相が政権に返り咲いています。東南アジアの民主化についてはフィリピンのマルコス大統領の追放がもっとも先駆けていましたが、いまではドゥテルテ大統領が麻薬追放などで人権虫の非合法活動を容認するような「規律」を展開しています。ただ、ドゥテルテ大統領については、ダバオ市長のころのアンパトゥアン一家に対抗する上で、少し勘違いした、という点もありそうな気がします。また、インドネシアのジョコ大統領は私の考えでは決してストロングマンではないと考えるべきです。いずれにせよ、例えば四国4県の知事さんの共通項があるとは限らないように、東南アジアを一色で染めようとする試みは無謀だという気がします。

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次に、クリストフ・ボヌイユ & ジャン=バティスト・フレソズ『人新世とは何か』(青土社) です。著者2人はフランスの国立科学研究センターの研究員であり、同時に、社会科学高等研究院でも教えていると著者紹介にあります。本書では、人新世 Anthropocène を18世紀半ばの蒸気機関の発明から現在までと提唱し、環境や資源などの有限性を基に、サステイナブルではない人間生活について、必ずしもタイトルと落ちに地質学的な分析ではなく、かなりの程度に社会科学的な研究成果が明らかにされています。その意味で第3部がメインになることは明らかなんですが、熱の発生、戦争を含む死の累積、爆食の実態、環境破壊、などなどが取り上げられ、現在の生産と消費のあり方のままでは、地球が気候や環境をはじめとして、決して、サステイナブルではない現状と悲観的な先行き見通しをこれでもかと並べています。著者2人の主張も判らなくもないんですが、先行きの技術革新を含めて、私はもう少し楽観的です。

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次に、新書5冊を一挙に、橋本健二『新・日本の階級社会』(講談社現代新書)、吉川徹『日本の分断』(光文社新書)、野口功一著『シェアリングエコノミーまるわかり』(日経文庫)、新戸雅章著『江戸の科学者』(平凡社新書)、太田肇『「ネコ型」人間の時代』(平凡社新書) の5冊です。上の2冊は我が国の格差社会について分析を加えています。格差はもはや階級に転じたとの主張や大学進学を境目に乗り越えられない分断が社会に生まれた、との見方が示されています。私の従来からの主張通りに、格差や貧困に対する「自己責任論」が粉砕されています。3つ目はAirbnbやUberなどのシェアリング・エコノミーについての概説書です。仕事の関係もあって少し読んでみましたが、まあ、私のように研究対象にしているエコノミストからすれば、参考程度の内容ではないかという気がします。4冊目の新書では、江戸の科学者について、人口に膾炙した平賀源内や和算学者の関孝和をはじめとして、さまざまな分野の科学者が紹介され、江戸末期には当時の西洋先進国に遜色ない陣容であった点が強調されています。最後は、イヌ型人間とネコ型人間が対比され、標準的な小品種大量生産の近代工業社会ではイヌ型人間が有利であった一方で、情報化社会が進展しデータやノウハウの重要性が高まった現代はネコ型人間の時代を迎えた可能性が示唆されています。

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最後に、綾辻行人ほか『7人の名探偵』(講談社ノベルス) です。どこからカウントするのか、私にはイマイチ不明なのですが、帯にある通り、昨年2017年が新本格ミステリ30周年であったことを記念するアンソロジです。我が母校の京大ミス研の3人を中心に、7つの短編を収録しています。すなわち、麻耶雄嵩「水曜日と金曜日が嫌い - 大鏡家殺人事件 -」、山口雅也「毒饅頭怖い 推理の一問題」、我孫子武丸「プロジェクト: シャーロック」、有栖川有栖「船長が死んだ夜」、法月綸太郎「あべこべの遺書」、歌野晶午「天才少年の見た夢は」、綾辻行人「仮題・ぬえの密室」で、最後の綾辻作品だけはミステリかもしれませんが、エッセイとして仕上がっています。少なくとも、タイトルに異議ありで、綾辻作品には名探偵は登場しません。いずれも読み応えある短編ミステリです。なお、出版社である講談社の「新本格30周年記念企画」のサイトには本書のほか、『謎の館へようこそ 白』と『謎の館へようこそ 黒』、さらに、『名探偵傑作短編集 御手洗潔篇』、『名探偵傑作短編集 法月綸太郎篇』、『名探偵傑作短編集 火村英生篇』などが紹介されています。ご参考まで。

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2018年6月15日 (金)

ご寄贈いただいた『そろそろ左派は<経済>を語ろう』(亜紀書房) を読む!

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とても久し振りに図書をご寄贈いただきました。ブレイディみかこ×松尾匡×北田暁大『そろそろ左派は<経済>を語ろう』(亜紀書房) です。私個人のブログなんぞはとても貧弱なメディアなんですが、図書をご寄贈いただいた折には、義理堅く読書感想文をアップすることにしております。当然です。
まず、私自身については、官庁エコノミストにして左派、という独特の立ち位置にあり、少なくとも左派であることを隠そうとはしていません。例えば、もう定年に達しようという年齢なんですが、そもそもの採用面接でのアピール・ポイントとして、「大学においては経済学の古典をそれなりに読んだと自負している。スミス『国富論』、リカード『経済学と課税の原理』、マルクス『資本論』全3巻、ケインズ『雇用、利子および貨幣の一般理論』などである。」と、堂々とマルクス『資本論』を読んだことを明らかにした上で経済官庁に採用されたりしています。まあ、その後、立身出世とは縁遠い人生を送ったことも事実ではあります。
ということで、本書の関連としては、著者のおひとりである松尾教授の『この経済政策が民主主義を救う』(大月書店) をほぼ2年前の2016年5月28日の読書感想文で取り上げ、「ジャカルタから2003年に帰国して以来、ここ十数年で読んだうちの最高の経済書でした。まさに、私が考える経済政策の要諦を余すところなく指摘してくれている気がします。」と極めて高く評価しています。その折にも指摘したところですが、痛みを伴う構造調整による景気拡大でなければ「ホンモノ」ではなく、金融緩和による「まやかし」の成長は歪みをもたらし、加えて、財政赤字を累増させるような拡張的財政政策なんてとんでもないことで、逆に増税で財政再建を進め、デフレや円高を容認して、それらに耐えるように構造改革を進めるべし、といったウルトラ右派的かつ新自由主義的な経済政策観が幅を利かせる一方で、現在のアベノミクスの基礎をなしているリフレ派な、かつケインジアンな政策に対する世間一般の理解が進まないことを私自身はとても憂慮しています。そして、こういった私の懸念を払拭するために強力なサポートが本書でも得られるととても喜んでいます。
北田教授の社会学的な視点などの専門外の部分は別にして、そういった100点満点の本書であることを前提に、ご寄贈に応えるために、今後のご出版のご参考として私見をいくつか書き加えると、国際経済の視点をもう少し盛り込んだ経済政策論が欲しい気がします。というのも、本書で指摘されている通り、右派は内向きであり、左派は外向き、というのはその通りで、私はそれをナショナリストとインターナショナリストと呼んだりもするわけですが、米国や欧州におけるポピュリズムの台頭も横目で見据えつつ、本書では移民に対する左派的な promotive な見方が示されている一方で、自由貿易に対する見解はまったく見受けられません。私は、移民政策も同じなんですが、自由貿易についても、基本は条件付き賛成です。すなわち、移民にせよ、自由貿易にせよ、国民経済全体としてはプラスのインパクトがある一方で、平たい表現をすれば、損をする集団もあれば、得をする集団もあるわけで、その得をする集団の経済的厚生増加の一部を、たとえ期間限定であっても、損をする集団に補償することが必要です。その分配政策なしで無条件に、まあ、誤解を招きそうな表現かもしれませんが、いわば「弱肉強食」に近い形で、移民や貿易の自由化を進めるのは、私は大いに疑問を持っています。例えば、実証なしの直観的な議論ですが、高度な技能を持った移民は大企業に有利にはたらく一方で、低賃金な移民は中小零細企業で活用できそうな気がしますし、レシプロカルに自由貿易を進めると仮定すれば、メリッツ教授らの新々貿易理論の示す通り、大雑把に大企業ではないかと想像される国際競争力ある産業に有利なことはいうまでもなく、逆に、国際競争力ない産業や途上国の低賃金労働に支えられた製品と競合する産業には不利であり、後者は極めて大雑把に、大企業も含まれているかもしれないものの、中小企業も少なくないような気がします。もうひとつは、現在の日本経済の景気観です。左派は多くの場合、景気が悪くて賃金が上がらず、失業が蔓延している、といった否定的な景気観を表明することがあり、本書でもそのラインが踏襲されているような気がします。日本経済の現状は、景気局面について、左派はどう考えているのか、失業率が大きく低下しながら賃金が上がらない、あるいは、労働分配率が低下を続けるのはなぜかのか、そして、それはどのように経済政策で対応すればいいのか、とても重要なポイントのように私は受け止めています。特に、現在の安倍政権のアベノミクスを左派的な視点から高く評価しつつも、他方で、党派的な見地からか、何なのか、本書でも踏襲されている「実績が上がっておらず、景気が悪い」と、一見すれば矛盾するような結論を示されると、私のような左派でありながらも頭の回転の鈍い人間には、なかなか左派の語る経済に関する理解がはかどらないような気がします。最後の方は少し筆が滑りましたが、以上の2点はいずれも本書を批判するわけではありません。あくまで、今後のご出版のご参考です。失礼いたしました。
いずれにせよ、過去何度かの選挙結果を見れば、国民がアベノミクスの経済政策をかなりの程度に支持していることは明らかです。メディアなどで見受けるオピニオン・リーダーらの経済実感と違って、国民の経済観や景気観は決して悪くないんだろうと、少なくとも選挙結果からはうかがえます。もちろん、森友・加計問題の解明や安全保障政策の議論、さらに、憲法改正に対する意見表明などはとても大事ですが、日々の生活を抱えた国民の支持を得られるような経済政策の提示は、いずれの政党党派においても極めて重要な課題であり、その昔の米国大統領選挙で当時のクリントン候補の掲げた "It's the economy, stupid." は今でも忘れるべきではないポイントだと私は考えています。

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2018年6月 9日 (土)

今週の読書は経済書などいろいろあって計7冊!

本日、6月9日の土曜日は別途の予定があり、極めて異例ながら、未明の早い時間帯に読書感想文のブログをアップしておきます。経済書をはじめとして、フリードマンの最新作にして最後の著書と示唆されている『遅刻してくれて、ありがとう』を含め、以下の7冊です。

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まず、太田康夫『没落の東京マーケット』(日本経済新聞出版社) です。著者は日経新聞のジャーナリストであり、本書に代表されるように、金融セクターに強いんではないかと想像しています。我が国の金融市場のアジア、ひいては世界におけるプレゼンスが1990年前後のバブル期から大きく低下している事実を取り上げています。そして、その原因のひとつとして日銀による緩和的な金融政策運営を上げ、規制緩和なども進んでいない現状を批判していたりします。確かに、著者の主張は私にも判らないでもないんですが、では、金融市場でそれ相応の金利を復活させて金融機関の利益が上がるようにするのが、果たして国民経済にとっていい金融政策なのか、といわれると大いに疑問です。金融政策は金融機関の健全な経営や運営もマンデートのひとつなんでしょうが、国民経済を犠牲にしてまで特定業界の利益を図るとすれば別問題で、私は大いに疑問です。そもそも、エコノミストの中には金融産業が我が国の比較優位であるかどうかを疑問視する意見もありますし、比較優位にないからこそ、本書でいうところの「没落」する産業なのに、どこまで政策リソースをつぎ込むかは見方が分かれるといわざるを得ません。著者ご自身が取材の対象としていて、おそらくは、知り合いも多いと考えられる業界の支援策をどこまで優先順位高いと考えるかは、ジャーナリストとしての資質にもかかわる可能性すらあります。

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次に、デヴィッド S. エヴァンス & リチャード・シュマレンジー『最新プラットフォーム戦略』(朝日新聞出版) とニコラス L. ジョンソン『プラットフォーム革命』(英治出版) です。一方向への直線的な経済活動を行う伝統的な企業と異なり、ITC技術の進展に裏付けられたデジタル・エコノミーの発達とともにマルチサイドのプラットフォーム企業の活動の場が整備されて来ています。もちろん、中小企業金融などで、その昔からマルチサイドなプラットフォーム企業、あるいは、そういった経済活動は決して存在しなわけではありませんでしたが、民泊などのシェアリング・エコノミーやアマゾン、グーグル、マイクロソフト、アリババ、フェイスブック、ツイッターなどはプラットフォームを顧客に対し提供し、顧客同士がつながるビジネスを展開しています。ここで取り上げる2冊のうち、『最新プラットフォーム戦略』の方がやや理論的な側面が強く、『プラットフォーム革命』はビジネスの実務的な側面が強いといえます。私は開発経済学を施文とするエコノミストとして、『最新プラットフォーム戦略』で取り上げられているケニアのMペサの成功などがとても参考になりました。ただ、『プラットフォーム革命』でも、3~4章あたりではかなり理論的な解説を加えており、5章からの実務的なケーススタディと少し趣きが異なります。『最新プラットフォーム戦略』では、Rochet and Tirole (2003) "Platform Competition in Two-sided Markets" の理論がキチンと解説されています。なお、同じように「プラットフォーム」というバズワードをタイトルに含むマカフィー & ブリニョルフソン『プラットフォームの経済学』(日経BP社) も手元に届きましたので、来週の読書感想文で取り上げたいと思います。

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次に、元村有希子『科学のミカタ』(毎日新聞出版) です。著者は毎日新聞のジャーナリストであり、科学環境部長を務めています。章別に、「こころときめきするもの」とか、「すさまじきもの」とかの、『枕草子』の引用をタイトルにしており、物理、化学、生物をはじめとする自然科学を広くカバーしつつ、さらに、宇宙、医療、気象、などなど、親しみやすいテーマで取り上げています。教育学部出身ながら教員免許は「国語」ということで、必ずしも専門知識のない一般読者にも判りやすく解説を加えています。私は第Ⅱ章 すさまじきもの が印象的でした。気候変動や生物多様性の問題など、今後の地球に対する科学的なリスクが取り上げられています。最終章の医療分野の尊厳死や再生医療などは科学的にできることと社会的に受け入れられることの違いがキチンと表現されていたような気がします。さすがに、ジャーナリストらしく読みやすい文章で、スラスラと一気に読めます。ただ、それだけに、頭に残りにくいような気がしたのは私だけかもしれません。

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次に、トーマス・フリードマン『遅刻してくれて、ありがとう』上下(日本経済新聞出版社) です。著書はご存じの通りの「ニューヨーク・タイムズ」のジャーナリストであり、世界的なベストセラーとなった『レクサスとオリーブの木』や『フラット化する世界』の著者でもあります。本書では、現代を「加速の時代」と位置づけ、そのバックグラウンドにはICT技術の中でも、いわゆるムーアの法則に則った指数的なハードウェアの高集積化、さらにこれに伴うソフトウェアも高度化高速化しています。グーグルのマップリデュースからハドゥープといったソフトウェアがまさにそれに当たります。他方で、著者は『孤独なボウリング』的なコミュニティの崩壊には同意せず、特に第12章以降では著者が生まれ育ったミネソタ州のユダヤ人の比率の高いコミュニティへの回帰を希望を持って楽観的に示唆しています。ただ、ICT技術の発展と対をなすグローバル化の進展で、もはや、中スキルで高所得といった職はなくなったことも事実として受け入れています。本書のタイトルは、宣伝文句にあるように、今までの常識が通用しない世界に入りつつある、ということと、同時に、少し立ち止まって遅刻した相手を待つ間にでも思考のための一時停止が必要、という二重の意味を込めているようです。伏見威蕃の訳であり、クルーグマン教授の著書の翻訳で有名な山形浩郎や少し前にクイーンの国別シリーズの新訳を上梓した越前敏弥などとともに、私のもっとも信頼する翻訳者の1人です。

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最後に、スティーブン・スローマン & フィリップ・ファーンバック『知ってるつもり』(早川書房) です。心理学とマーケティングのそれぞれの認知科学の学際領域の専門家2人が共著者となっています。何を論じているかでどちらの著者が書いているのかがよく判ったりします。幅広くいろんなテーマについて認知の問題を論じているいんですが、特に秀逸だったのは認知の観点から民主主義のあり方を論じた第9章、そして、賢さについて論じている第10~12章です。ポピュリズムの議論を待たずとも、直接民主主義は代議制の間接民主主義よりも望ましい制度とは私にはとても思えなかったんですが、本書の著者たちも同じ考えのようで心強かったです。また、少し前に人間と動物の賢さについて生物学的な観点から論じたフランス・ドゥ・ヴァール『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』を昨年2017年11月4日に取り上げましたが、同じような問題意識が共有されているような気がしました。難をいえば、いわゆるボケ老人の認知症についても何らかの言及が欲しかった気がしますが、何かが判ったようで判らない、認知の不思議さに触れた気がします。

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2018年6月 3日 (日)

先週の読書は経済書・経営書を中心に大量8冊!!

ここ何週か経済書の比率が少ないように感じてきましたが、先週の読書はどど~んと経済書や経営書を大量に読みました。以下の8冊です。昨日のうちに自転車で近くの図書館をいくつか回り、今週も大量に読みそうな予感です。

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まず、 カール・シャピロ + ハル・ヴァリアン『情報経済の鉄則』(日経BPクラシックス) です。クラシックスのシリーズ名通り、前世紀の終わり、1998年だか、99年だかに出版された本です。さすがに、現時点で読み返すと、ロータス1-2-3が出て来たりして、ややふるさは感じられるんですが、「ネットワーク外部性」とか、「規模の経済」とか、「勝者総取り」とか、「ロックイン」などは情報経済で今でも有効な分析の視点だという気はします。クラシックス=古典と銘打たれていても、そこは『国富論』や『資本論』なんぞとは違うわけですから、出版された時点の制約を十分に意識して、読みこなせば役立つんではないかという気がします。

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次に、森健・日戸浩之・[監修]此本臣吾『デジタル資本主義』(東洋経済) です。野村総研が取りまとめたデジタル経済分析の第1弾であり、3部作として出版される予定と明記してあります。最終的には、GDPではない新しい指標の構築について議論する、ということのようですので、それなりの試算も示されることともいます。基本的な出発点は、日本経済におけるGDPの成長がほぼ停止したにもかかわらず、それなりに豊かな経済社会を提供しているのは、GDPに計上されない消費者余剰が大きいからではないか、という疑問から始まっていて、私の現時点での研究課題にかなり近いと思います。

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次に、竹中平蔵・大竹文雄『経済学は役に立ちますか?』(東京書籍) です。著者2人の対談です。何ともいえずに、その昔の用語を使えば、とても市場原理主義的な香りがしてしまいます。大竹教授の専門分野ですから、半ばくらいに「働き方改革」のお話が出てくるんですが、この話題について私が常に不満に思っているところで、要するに、企業サイドの利点しか思いつかないようで、「働き方改革」ではなく「働かせ方改革」であることが明らかです。働く労働者の権利や待遇についてはまったく考慮されていません。どこまで適切かは自信がありませんが、マルクス主義的な観点でいえば、末期の状態を迎えた資本主義において企業がいかに労働者をさらに搾取するかを助ける法律ではないのか、という疑いが払拭されません。

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次に、佐藤将之『アマゾンのすごいルール』(宝島社) です。2000年のアマゾン日本法人立ち上げから15年間勤務したアマゾニアン経験者によるアマゾンのすごいところを詰め込んでいます。ただ、私が疑問に思うのは「顧客優先第一主義」はどこの企業でもそれなりに浸透しているんですが、その逆もアマゾンはすごい点は忘れるべきではありません。すなわち、私の友人が少し前に酒の席で言っていたんですが、アマゾンは納入業者と配送業者から利益を得ており、さらに、倉庫の非正規社員を低賃金で雇っており、これも利益の源泉となっている、という説もこれありで、私は本書にかかれていない納入業者・配送業者・倉庫番の非正規社員についても実態を知りたいと思います。まさに、外資系企業だからできたことであり、日本企業ではこういった利益の上げ方は難しいんだろうと思います。なお、上に取り上げた『トマト缶の黒い真実』の著者であるジャン=バティスト・マレはフランスのアマゾン配送センターに臨時工として勤務したルポをものにしています。ただし、邦訳は出版されていないような気がします。

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次に、安岡孝司『企業不正の研究』(日経BP社) です。いくつかの最近起きた企業の不正事案のケーススタディを第1部で展開し、第2部でもう少し一般化したリスク・マネジメントに関する問題点のQ&Aを示しています。かなり幅広く企業不正を考えているようですが、本書にもあるように、経営トップの指示による不正事案、例えば、その昔の山一証券や最近の東芝の粉飾決算については、企業内部では防ぎようがないような気もします。それをいかにして経済社会への影響をミニマイズするかの観点は、本書では持ち合わせていないような気がして残念です。会社が消滅するくらいのインパクトを持った企業不正事案、山一證券の粉飾ですとか、雪印の事件を取り上げていない恨みはあります。それから、本書で俎上に載せている企業不正やリスク・マネジメントなどの経営学の分野については、ケーススタディがメインで、それらに共通する一般法則のようなものの抽出は難しそうな気がします。たくさんのリンゴが落ちるところを観察しつつも、それぞれに異なる原因で落ちているような気が私はしますし、万有引力の法則の発見に至るには私は力不足です。

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次に、ヨハン・ノルベリ『進歩』(晶文社) です。その昔の2011年1月29日付けの読書感想文のブログで取り上げているマット・リドレー『繁栄』と同じような趣旨で、邦訳の山形浩郎があとがきで書いている通り、100年くらいの長いスパンで括った場合、ほぼほぼ常に現在は過去よりもいい状態にある、ということなんだろうと思います。ただ、リドレー『繁栄』の方がイノベーションを基本に先行きの明るい方向性を強調していたのに対し、本書では過去を振り返った歴史書の側面が強そうな気がします。

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次に、ジャン=バティスト・マレ『トマト缶の黒い真実』(太田出版) です。著者はフランス出身のジャーナリストであり、我が国での邦訳書出版は初めてのようですが、フランスのアマゾン配送センターに臨時工として勤務したルポをものにしていたりします。本書では、トマトのピューレを題材にしてグローバル化された世界経済における食品流通の問題点を浮き彫りにしようと試みています。すなわち、例えば、中国で3倍に濃縮されたトマト・ピューレをイタリアに持ち込んで2倍濃縮にしただけで「イタリア産」の表示で世界に流通するとか、その生産・流通過程における劣悪な労働環境やマフィアの介在、などなどを明らかにしています。身近な隣国として中国の暗躍が目につくのは私だけではなさそうな気がします。

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最後に、藤井青銅『「日本の伝統」の正体』(柏書房) です。現時点で、我が国の「伝統」と考えられていて、古くから連綿と続いているように受け止められているしきたりや風習や生活慣行や文化について、必ずしも古くからの歴史があるとは限らない、という視点から考え直したものであり、実は、ここ100年くらいで発見あるいは発明された「伝統」がかなりあり、そういったものを集めて解説しています。エッセイストの酒井順子の作品のように、なかなかよく下調べが行き届いている気がします。まあ、一見すると、どうでもいいような知識の詰め合わせかもしれませんが、「何かおかしい」と思えるようなリテラシーを身につけるにはいいように思います。

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2018年5月26日 (土)

5月後半の読書、来週からブログを再開します!!

来週からブログを再開します。その前に、5月後半の読書のうち、まず、5月第3週、すなわち、5月13日(日)から5月19日(土)の読書は以下の通りです。

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まず、今野敏『棲月』(新潮社) です。隠蔽捜査シリーズ第7話です。シリーズの主人公は竜崎なんですが、隠れキャラの戸髙に続いて竜崎署長に対して「マジっすか?」とタメ口を聞く署員が現れたりする一方で、大森署での最後の事件です。サイバー犯罪への対応も初めてです。

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次に、陳浩基『13・67』(文藝春秋) です。中華圏ミステリの連作短篇集です。タイトルの通りに、香港での事件を2013年から1967年にさかのぼります。

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次に、連城三紀彦『悲体』(幻戯書房) です。島田荘司にもあるんですが、在日朝鮮人のストーリーは私は少し苦手です。

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最後に、ダヴィド・ラーゲルクランツ『ミレニアム 5 復讐の炎を吐く女』上下(早川書房) です。スティーグ・ラーソンのシリーズを引き継いだシーズン2の第2作です。次の第6話で終了予定と私は聞き及んでいます。

次に、5月第4週20日(日)から本日26日(土)の読書は以下の通りです。

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まず、村田晃嗣『銀幕の大統領ロナルド・レーガン』(有斐閣) です。同志社大学の前の学長である政治学者の分析した米国1980年代ののレーガン大統領伝です。やや強引に映画と結びつけたりしています。久し振りに、とても読み進むのに苦労しました。私にしては3日がかりというのはとても遅いペースです。

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次に、生駒哲郎『畜生・餓鬼・地獄の中世仏教史』(吉川弘文館) です。仏教徒として考えさせられ、勉強にもなる本でした。

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次に、関根達人『墓石が語る江戸時代』(吉川弘文館) です。墓石に残された記録を読み解く歴史書です。その昔に、九成宮醴泉銘を書道のお手本にお稽古に励んだ記憶が蘇ってしまいました。

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次に、ステファノ・マンクーゾ『植物は<未来>を知っている』(NHK出版) です。植物に関する知性や進化の考え方が大きく改めさせられます。とても美しい写真も満載です。

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次に、山本理顕・仲俊治『脱住宅』(平凡社) です。やや手前味噌な住宅に対する考え方が見受けられますが、土地制約の大きな日本で住宅にとどまらないコミュニティのあり方に関する興味深い分析です。ただ、経済性はまったく無視されている気がします。

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最後に、イサベル・アジェンデ『日本人の恋びと』(河出書房新社) です。少し前に、平野啓一郎『マチネの終わりに』を読んで感激した記憶がありましたが、本書も大人の恋の物語です。著者はチリのアジェンデ元大統領の姪だったりします。私はチリの大使館に3年間勤務しましたので、なんとなく親しみを勝手に覚えています。スペイン語の翻訳がとてもいいです。

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2018年5月12日 (土)

5月に入ってからの読書やいかに?

まだ、パソコンは入院中ですが、来週あたりには退院できそうな情報が寄せられています。でも、ハードディスクが初期化されて工場出荷時の状態に戻されてのご帰宅ですので、本格的に使えるようになるまで少し時間がかかりそうです。この影響で経済書の読書が大きく減少している気がします。

ということで、我が家ではなくヨソから読書記録だけアップしておきますが、まず、4月最終日から5月第1週、すなわち、4月29日(日)から5月5日(土)の読書は以下の通りです。

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まず、ブレット・キング『拡張の世紀』(東洋経済) です。未来予想の本ですが、どこまで正確なのかは判りません。

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次に、新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済) です。シンギュラリティは来ないし、AIが人間に取って代ることはないという結論ですが、実は、AIが苦手な分野は現在の子供達にも苦手であり、読解力の強化の重要性を強調しています。

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次に、清水真人『平成デモクラシー史』(ちくま新書) です。日経新聞記者による平成の政治史です。

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次に、菅原潤『京都学派』(講談社現代教養新書) です。戦争推進派だった京都学派の哲学を取り上げています。

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最後に、根井雅弘『サムエルソン』(中公文庫) です。数年前に選書で出版されたものの文庫化です。サムエルソン教授のどのバージョンのテキストを読んだかでエコノミストの世代が判ると著者は主張しますが、私は原書第10版でした。もちろん、サムエルソン教授の単著であり、上下2分冊でハードカバーの箱入り豪華本です。まだ、我が家の本棚に飾ってあります。

次に、5月第2週6日(日)から12日(土)の読書は以下の通りです。

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まず、玄田有史『雇用は契約』(筑摩選書) です。幸福学ではなく、労働経済学の本です。特に雇用契約の期間を重視しています。

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次に、ピーター・ラビンズ『物事のなぜ』(英治出版) です。精神科医が因果関係の把握などを考察していますが、物理学のの不確定性定理や数学・論理学の不完全性定理なども引きつつ、真実の把握は不可能という結論です。

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次に、マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』(堀之内出版) です。マルクス主義的なポストモダン・ポスト構造主義の観点から資本の運動と資本主義を論じています。経済学というより哲学のカテゴリーかと考えます。

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次に、志賀健二郎『百貨店の展覧会』(筑摩書房) です。単なる小売業にはとどまらない文化の拠点としての百貨店の役割を強調しています。

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次に、萩尾望都『私の少女マンガ講義』(新潮社) です。イタリアでの講演録ほかが収録されています。少女マンガといえば、私は1980年代の山岸涼子「日出処の天子」が好きでした。

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最後に、望月麻衣『京都寺町三条のホームズ』(双葉文庫) です。7巻まで既読だったんですが、主人公の葵が大学生になってからの8~9刊を読みました。今夏からアニメ化されるそうです。たぶん、私は見ないと思います。

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2018年4月28日 (土)

4月の読書やいかに?

誠に有り難いことに、知り合いから何と多くも2人の問合せがあり、ほかはともかく、読書記録は参考にしているので何とかならないか、というご意見でした。何はともあれ、4月の今日までに読んだ本だけ、以下の通り、羅列しておきたいと思います。

まず、4月第1週1日(日)から7日(土)の読書は以下の通りです

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まず、ブルック・ハリントン『ウェルス・マネジャー 富裕層の金庫番』(みすず書房) です。

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次に、白河桃子・是枝俊悟『「逃げ恥」にみる結婚の経済学』(毎日新聞出版) です。

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次に、落合陽一『日本再興戦略』(幻冬舎) です。

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次に、デービッド・アトキンソン『新・生産性立国論』(東洋経済) です。

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次に、ウンベルト・エーコ『女王ロアーナ、神秘の炎』上下(岩波書店) です。

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最後に、道尾秀介『風神の手』(朝日新聞出版) です。

次に、4月第2週8日(日)から14日(土)の読書は以下の通りです

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まず、ダニ・ロドリック『エコノミクス・ルール』(白水社) です。

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次に、阿部正浩・山本勲[編]『多様化する日本人の働き方』(慶應義塾大学出版会) です。

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次に、城田真琴『大予測 次に来るキーテクノロジー』(日本経済新聞出版社) です。

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次に、波頭亮『AIとBIはいかに人間を変えるのか』(幻冬舎) です。

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次に、エリック H. クライン『B.C.1177』(筑摩書房) です。

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次に、白石雅彦『「ウルトラセブン」の帰還』(双葉社) です。

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最後に、軽部謙介『官僚たちのアベノミクス』(岩波新書) です。

次に、4月第3週15日(日)から21日(土)の読書は以下の通りです

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まず、リチャード・ボールドウィン『世界経済大いなる収斂』(日本経済新聞出版社) です。

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次に、小野塚知二『経済史』(有斐閣) です。

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次に、ロバート H. フランク『ダーウィン・エコノミー』(日本経済新聞出版社) です。

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次に、ロバート H. フランク『幸せとお金の経済学』(フォレスト出版) です。

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次に、デビッド・ウォーラー/ルパート・ヤンガー『評価の経済学』(日経BP社) です。

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最後に、藤田覚『勘定奉行の江戸時代』(ちくま新書) です。

次に、4月第4週22日(日)から本日28日(土)の読書は以下の通りです

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まず、 ガイ・スタンディング『ベーシックインカムへの道』(プレジデント社) です。

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次に、松尾博文『「石油」の終わり』(日本経済新聞出版社) です。

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次に、ジェリー Z. ミュラー『資本主義の思想史』(東洋経済) です。

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次に、塩田潮『密談の戦後史』(角川選書) です。

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次に、ボブ・ホルムズ『風味は不思議』(原書房) です。

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次に、塚崎朝子『世界を救った日本の薬』(講談社ブルーバックス) です。

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最後に、佐藤成美『「おいしさ」の科学』(講談社ブルーバックス) です。

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2018年3月31日 (土)

今週の読書は印象的な経済書をはじめとして計6冊!

今週の読書は、オクスファム出身のエコノミストによる経済書をはじめとして、広い意味での歴史を解説した新書2冊を含めて計6冊を読みました。まあ、読書のボリュームとしてはいいセンではないかという気がします。

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まず、ケイト・ラワース『ドーナツ経済学が世界を救う』(河出書房新社) です。著者は英国の研究者であり、長らくオクスファムのエコノミストを務めていました。英語の原題は Doughnut Economics であり、邦訳タイトルはそのまんまです。2017年の出版です。極めて大胆に表現すれば、新しい経済学の構築を模索しています。先週の読書感想文で取り上げたユヌス教授のソーシャル・キャピタルに基づく経済学といい勝負で、基本的には、同じように貧困や不平等、あるいは、環境問題や途上国の経済開発などを視野に入れた新しい経済学だと言えます。それを視覚的にビジュアルに表現したのがドーナツであり、本書冒頭の p.18 に示されています。成長に指数関数を当てはめるのではなく、S字型のロジスティック曲線を適用し、ロストウ的な離陸をした経済は着陸もする、という考え方です。そして、現在の先進国はその着陸の準備段階という位置づけです。同時に、平均的な統計量としての成長ばかりではなく、分配にも目を配る必要があるというのが第7章でも主張されています。また、本書ではこういった視点を含めて7点の転換を主張しており、例えば、第3章では行動経済学や実験経済学、あるいは、ゲーム理論の成果も含めて、合理的な経済人から社会適用人への視点を変更した経済学を志向していたりします。とても素晴らしい視点の新しい経済学を目指しています。先週取り上げたユヌス教授の本とともに、私は2週連続で大きな感銘を受けました。

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次に、木内登英『金融政策の全論点』(東洋経済) です。著者は野村総研のエコノミストであり、本書の基となる公的活動としては、2012年から17年にかけて5年間、日銀政策委員を務めています。とても非凡なエコノミストなんですが、民主党内閣期に就任したものですから、その後の黒田総裁の下の日銀執行部の議案には反対する場面もあり、少し違った見方を示したような気がします。しかし、少なくとも私が認識している限り、公式のボード・ミーティングでは2%のインフレ目標に反対したのではなく、ごく初期の2年間での達成とか、その後の期限を切った目標達成に反対したのであって、いわゆる「拙速批判」ではあっても、2%のインフレ目標に反対したわけではないと受け止めています。本書は3部構成でタイトル通りの内容なんですが、いわゆる非伝統的金融政策、政府からの独立を含む日銀の役割、そして、ごく手短にフィンテックを取り上げています。私が強く疑問に感じたのは、日銀と金融政策をかなり国民生活や日本経済から遊離した観点を強調していることです。政府や内閣からの中央銀行の独立というのはインフレ抑制の観点から先進国では当然と考えるとしても、中央銀行や金融政策がその時々の国民生活や経済状況から無関係に運営されるはずはありません。しかし、本書の著者は、どうもその観点に近く、例えば、本書の著者に限りませんが、日銀財務についてバランスシートを膨らませ過ぎると債務超過に陥る、との指摘がなされる場合があるところ、こういった見方は国民生活や日本経済の実態から遊離した見方との批判は免れません。日銀財務の健全性と国民生活のどちらが重要なのか、もう一度考えてみるべきではないでしょうか。こういった日銀中心史観も、白川総裁時代で終了したと私は考えていたんですが、まだまだ大きな船が舵を切るには時間がかかるようです。

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次に、伊丹敬之『なぜ戦略の落とし穴にはまるのか』(日本経済新聞出版社) です。著者は著名な経営学者であり、一橋大学を退職してから国際大学学長を務めています。本書では、「戦略」というあいまいな表現ながら、何らかの企業行動を実行に移す際の落とし穴について論じています。第Ⅰ部が戦略を考え練り上げる際の思考プロセスの落とし穴、第Ⅱ部が戦略を実行する際の落とし穴、をそれぞれ論じています。具体的には、「ビジョンを描かず、現実ばかりを見る」、「不都合な真実を見ない」、「大きな真実が見えない」、「似て非なることを間違える」、「絞り込みが足りず、メリハリがない」、「事前の仕込みが足りない」などなど、落とし穴にはまるパターンとそれをどのように回避したり、リカバリしたりするかを解き明かそうと試みています。経営学の読み物としてはめずらしく、成功事例と失敗事例を割合とバランスよく取り上げています。でも、相変わらず、私の経営学不信の源のひとつなんですが、結果論で議論しているような気がします。基本はケーススタディですから、現実の事例をいかに解釈するかで勝負しているんですが、成功した例から成功の要因を引き出し、失敗事例からその要因を引き出そうとする限り、その逆はあり得ず、どこまで科学的な事例研究になっているかは私には計り知れません。すなわち、バックワードな研究になっていると考えざるを得ず、成功事例と同じ準備をしたところで、戦略が成功するかどうかは保証の限りではないような気がしなくもありません。

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次に、エミリー・ボイト『絶滅危惧種ビジネス』(原書房) です。著者は、米国のジャーナリストであり、サイエンス・ライターでもあります。本書の英語の原題は The Dragon behind the Glass であり、2016年の出版です。本書で著者はアロワナにまつわるビジネスを追跡するとともに、ハイコ・ブレハなる魚類を専門として前人未到の冒険をしている怪人物とともに、実際に特殊な野生のアロワナを求めて冒険に加わっています。その原資はピューリッツァー研修旅行奨学金だそうです。英語の原書のタイトルは、中国でアロワナを「龍魚」と称するところから由来しています。そして、邦訳本の表紙は、原書を踏襲して赤いアロワナをあしらったデザインとなっていますが、本書では「スーパーレッド」と呼ばれています。また、邦訳書の表紙では頭部が欠けていますが、本書を紹介しているNational Geographics のサイトでは、この真っ赤なアロワナの画像を見ることが出来ます。本書では、ワシントン条約で取引を禁止ないし制限された絶滅危惧種に指定されると、闇市場での取引価格が上昇し、むしろ、絶滅に至る可能性が高い、ないし、早まる、という仮説が提示されています。要するに、絶滅危惧種に指定されると希少性が広く認識されるため、価格が上昇するというメカニズムが発動する可能性は、確かにエコノミストでも否定しないだろうという気はします。そして、絶滅危惧種として指定されると、自然系に存在して、いわゆる野生の種は絶滅に向かう一方で、養殖の種が量産されて、世の中にはいっぱい出回る、と本書の著者は主張しています。そして、養殖の魚類と自然系の野生の魚類は、まったく違う生き物と認識すべきとも主張しています。すなわち、ダックスフントをツンドラに放り出すようなものであると表現しています。そして、本書では絶滅危惧種の魚を巡って犯罪行為が横行しているプロローグから始まって、本書の最終章のいくつかでは、冒険家とともに著者自身がアジアのアロワナを追っています。すなわち、ボルネオでスーパーレッドのアロワナを、政治体制も極めて閉鎖的なミャンマーでバティックアロワナをもとめ、ともに失敗した後、ブラジルのアマゾン川源流でシルバーアロワナを捕獲しています。そのあたりはサスペンス小説顔負けだったりします。

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次に、磯田道史『日本史の内幕』(中公新書) です。著者はメディアなどで人気の歴史研究者であり、今年のNHKの大河ドラマ「西郷どん」の時代考証を担当しているらしいです。書物としては、私は映画化もされた『武士の家計簿』を読んだ記憶があります。また、別の著者ながら、中公新書では『応仁の乱』のヒットを飛ばすなど、日本史の類書が話題となっていて、私の大学時代の専攻は基本的に西欧経済史なんですが、まあ、歴史は好きですので読んでみました。サブタイトルは『戦国女性の素顔から幕末・近代の謎まで』であり、著者が読み解いた古文書を手がかりに、主として、戦国時代に始まって織豊政権期から江戸幕府期、さらに、幕末期にかけての歴史のエピソードが60話以上収録されています。基本的に文学でいえば短編集であり、繰り返しになりますが、著者が読み込んだ古文書から日本史の裏側、というか、決して高校の教科書なんぞでは取り上げないようなトピックを選んで、なかなか興味深く仕立てあげています。

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最後に、小山慶太『<どんでん返し>の科学史』(中公新書) です。著者は早大出身の物理学系の研究者であり、本書のサブタイトル通りに、「蘇る錬金術、天動説、自然発生説」に加えて、不可秤量物質やエーテルなど、近代科学では一度否定されながら、何らかの意味で別の視点から復活した科学について取り上げています。一例として、本書の冒頭で取り上げられている錬金術については、近代科学の基礎を提供したといわれるほどの流行振りだったそうですが、まあ、「賢者の石」が空想的である限りにおいて、少なくとも化学的に混ぜたり熱したりという範囲では金は作り出せないことは科学的に明らかにされた一方で、原子レベルで電子と陽子と中性子を自由に操作できるのであれば金の元素は作り出せる可能性はあるわけで、ただ、市場価格と照らし合わせてペイしない、ということなんだろうと、科学のシロートである私なんぞは理解しています。別のトピックとしては、空間がエーテルで埋め尽くされている、という見方も、ダーク・エネルギーやダーク・マターに置き換えれば、決して的外れな主張ではなかったのかもしれません。アマゾンのレビューがとても高いのでご参考まで。

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2018年3月24日 (土)

今週の読書はいろいろ読んで計8冊!

先週はややセーブしたんですが、今週の読書は文庫本も含めて、とはいうものの、結局、計8冊に上りました。今日はすでに図書館を回り終え、来週はもう少しペースダウンして、5~6冊になりそうな予感です。

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まず、ムハマド・ユヌス『3つのゼロの世界』(早川書房) です。著者はバングラデシュの経済学者・実業家であり、グラミン銀行の創業者、また、グラミン銀行の業務であるマイクロクレジットの創始者として知られ、その功績により2006年にノーベル平和賞を受賞しています。英語の原題は A World of Three Zeros であり、邦訳タイトルはそのままで、2017年の出版です。上の表紙画像に見える通り、3つのゼロとは貧困ゼロ、失業ゼロ、CO2排出ゼロを示しています。そして、著者の従来からの主張の通り、ソーシャル・ビジネスの促進、雇われるばかりではなく自ら事業を立ち上げる起業家精神の発揚、そして、マイクロクレジットをはじめとする金融システムの再構築の3つのポイントからこの目標を目指すべきとしています。定義はあいまいながら、著者は資本主義はもう機能しなくなり始めているという認識です。経済学的には分配と配分は大きく違うと区別するんですが、資源配分に市場システムを用いるというのは社会主義の実験からしても妥当な結論と考えられる一方で、著者の指摘の通り、所得分配に資本主義的なシステムを適用するのは、もはや理由がないというべきです。そして、ここは私の理解と異なりますが、著者はやや敗北主義的に現在の先進国の政府では事実上リッチ層が支配的な役割を果たしており、政府による再分配機能は期待すべきではないと結論しています。「見えざる手は大金持ちをえこ贔屓する」ということです。ただ、政府に勤務していることもあって、私はまだ期待できる部分はたくさん残されていると考えています。そして、雇用されることではなく、自ら起業することによる所得の増加については、資本形成がかなりの程度に進んでしまった先進国ではそれほど一般的ではなく、途上国のごく一部の国にしか当てはまらない可能性があります。特に、私の専門分野である開発経済学においては、途上国経済における二重構造の解消こそが経済発展や成長の原動力となる可能性を明らかにしているんですが、マイクロクレジットによる小規模な企業では二重構造を固定化しかねず、農漁村などの生存部門から製造業や近代的な商業などの資本家部門への労働力のシフトがないならば、日本の1950~60年代の高度成長による形でのビッグ・プッシュが発生せず、途上国から抜け出せない可能性もありますし、いわゆる中所得の罠に陥る可能性も高くなるような気がします。ただ、マイクロクレジットとは関係なく、本書で指摘している論点のひとつであるソーシャル・ビジネス、すなわち、利己利益に基づく強欲の資本主義ではなく、隣人などへの思いやりの心に基づく非営利活動が経済の主体となれば、人類は資本主義の次の段階に進めるかもしれません。そして、本書が指摘するように、貧困と失業を最大限削減し、地球環境の保護に役立つことになるかもしれません。

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次に、北都光『英語の経済指標・情報の読み方』(アルク) です。著者はジャーナリストで、金融市場の情報に詳しいようです。出版社は英辞郎で有名なところです。ということで、本書では投資のプロがチェックしている海外の経済指標・経済情報の中で、いくつか金融市場に与える影響が特に大きいものをピックアップして、着目ポイント、読み解き方などをわかりやすく解説しています。基本的に、データの解説なんですが、中央銀行の金融政策決定会合の後の総裁の発言なども取り上げています。具体的には、第2章の基礎編にて、米国雇用統計、米国ISM製造業景況指数、CMEグループFedウオッチ、ボラティリティー・インデックス(VIX)、経済政策不確実性指数、米国商品先物取引委員会(CFTC)建玉明細報告、のほかに、一般的なデータのありかとして、米国エネルギー情報局(EIA)統計、国際通貨基金(IMF)の各種データ、経済協力開発機構(OECD)景気先行指数(CLI)、欧州連合(EU)統計局のデータを取り上げています。エネルギー関係のデータなどについては私も詳しくなく、なかなかの充実ぶりだと受け止めています。さらに、第3章の応用編では投資に役立つ英語情報の活用法として、要人発言を含めて、データだけでない英語情報の活用を解説しています。最終章では英語の関連する単語リストを収録しています。誠にお恥ずかしいお話しながら、commercialが実需であるとは、私は知りませんでした。これは英辞郎を見ても出て来ません。なお、私が数年前に大学教員として出向していた際にも、実際の経済指標に触れるために2年生対象の小規模授業、基礎ゼミといった記憶がありますが、その小規模授業にて日本の経済指標を関連嘲笑や日銀などのサイトからダウンロードしてエクセルでグラフを書くという授業を実施していました。日本ですから、GDP統計や鉱工業生産指数や失業率などの雇用統計、貿易統計に消費者物価にソフトデータの代表として日銀短観などが対象です。20人ほどの授業だったんですが、理由は不明ながらデータのダウンロードにものすごく時間がかかるケースがあって往生した記憶があります。

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次に、中村吉明『AIが変えるクルマの未来』(NTT出版) です。著者は工学関係専門の経済産業省出身ながら、現在は専修大学経済学部の研究者をしています。本書のテーマであるAIによる自動運転で自動車産業が、あるいは、ひいては、日本の産業構造がどのように変化するかについて論じた本はかなり出ているんですtが、本書の特徴は、自動運転車で人や物を運ぶ方法のひとつとして、乗り物をシェアするUberなどのシェアリング・エコノミーを視野に入れている点です。もっとも、だからといって、特に何がどうだというわけではありません。今週、米国でUberの自動運転中に死亡事故があったと報じられていましたが、自動車の運行については、私もそう遠くない将来に自動運転が実用化されることはほぼほぼ間違いないと考えていて、ただ、自分で自動車を運転したい、まあ、スポーツ運転のようなことが好きな向きにはどうすればいいのだろうかと思わないでもなかったんですが、本書の著者は乗馬の現状についてと同じ理解をしており、日本の現時点での公道で乗馬をしていないのと同じ理由で、自動運転時代になれば自動車の運転をするスポーツ運転は行動ではなく、まあ、現時点でいうところの乗馬場のようなところでやるようになる、と指摘しており、なるほどと思ってしまいました。また、将来の時点で自動運転される自動車は、現時点での自家用車のような使い方をされるのではなく、鉄道化すると本書では主張していますが、まあ、バスなんでしょうね。決まったところを回るかどうかはともかく、外国では乗り合いタクシーはめずらしくないので、私にはそれなりの経験があったりします。また、政府の役割として、規制緩和はいうまでもなく、妙に重複投資を避けるような調整努力はするべきではなく、むしろ、重複投資を恐れずにバンバン開発研究を各社で進めるべし、というのも、かつての通産官僚や経産官僚にはない視点だという気がしました。最後に、特に目新しい点がてんこ盛りとも思いませんので、自動運転の論考は読み飽きたという向きにはパスするのも一案かと思います。

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次に、マイケル・ファベイ『米中海戦はもう始まっている』(文藝春秋) です。著者は長らく米軍や米国国防総省を取材してきたベテランのジャーナリストであり、特に上の表紙画像に示された中国軍との接近事件などを経験した米軍関係者らにインタビューを基に本書を構成しています。英語の原題は Crashback であり、「全力後進」を意味する海洋船舶用語から取っており、米国のミサイル巡洋艦カウペンスが中国の空母・遼寧に接近した際に、間を割って入った中国海軍の軍艦との衝突を避けるためにとった回避行動を指しています。原書は2017年の出版です。ということで、上の表紙画像にも見られるように、中国海軍の戦力の拡充に対し、米国のオバマ政権期の対中国融和策について批判的な視点から本書は書かれています。本書冒頭では、かつての米ソの冷戦に対して、現在の米中は「温かい戦争」と呼び、米ソ間の冷戦よりも「熱い戦争」に近い、との認識を示しているかのようです。ただし、オバマ政権期であっても米国海軍の中にハリス大将のような対中強硬派もいましたし、それほどコトは単純ではないような気がします。中国が経済力をはじめとする総合的な国力の伸長を背景に、南シナ海などの島しょ部の占有占領を開始し、中には小規模ながら東南アジア諸国軍隊と武力衝突を生じた例もありますし、その結果、中国軍の基地が建設されたものもあります。もちろん、米国政府や米軍も黙って見ていたわけでもなく、カウペンスの作戦行動をはじめとして、中国海軍へのけん制を超えるような作戦行動を取っているようです。ただ、私は専門外なのでよく判らないながら、日米両国は中国に対して国際法を遵守して武力でなく対話による紛争解決など、自由と民主主義に基づく先進国では当たり前の常識的な対応を期待しているわけですが、平気で虚偽を申し立てて、あくまで自国の勝手な行動をダブル・スタンダードで世界に認めさせようとする中国の軍事力が巨大なものとなるのは恐怖としか言いようがありません。加えて、戦力的には現時点での伸び率を単純に将来に向かって延ばすと、陸軍では言うに及ばず、海軍であっても米軍の戦力を中国が超える可能性があります。そして、この観点、すなわち、覇権国の交代に際してのツキディデスの罠の観点がスッポリと本書では抜け落ちているような気がします。単純に狭い視野でハードの軍事力とソフトの政権の姿勢だけを米中2国で並べているだけでは見落とす可能性があって怖い気がします。加えて、日本の自衛隊にはホンのチョッピリにしても言及があるんですが、北朝鮮はほとんど無視されており、まあ、海軍力という観点では仕方ないのかもしれませんが、日本や韓国を含めた周辺国への影響についてはとても軽視されているような気がします。

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次に、森正人『「親米」日本の誕生』(角川選書) です。著者は地理学研究者であり、同じ角川選書から出ている『戦争と広告』は私も読んだ記憶があります。本書では、終戦とともにいわゆる「鬼畜米英」から、「マッカーサー万歳」に大きく転換した日本の米国観について論じているものだと期待して読み始めたですが、やや期待外れ、というか、ほとんど戦後日本のサブカルチャーの解説、特に、いかに米国のサブカルチャーを受け入れて来たか、の歴史的な論考に終わっています。ですから、対米従属的な視点もまったくなく、講座派的な二段階革命論とも無関係です。要は、終戦時に圧倒的な物量、経済力も含めた米国の戦争遂行力の前に、まったく無力だった我が国の精神論を放擲して、その物質的な豊かさを国民が求めた、という歴史的事実が重要であり、進駐軍兵士から子どもたちがもらうチョコレートやガムなどの物質的な豊かさに加えて、社会のシステムとして自由と民主主義や人権尊重などを基礎とした日本社会の再構築が行われた過程を、それなりに跡付けています。ただし、繰り返しになりますが、音楽はともかく、美術や文学やといったハイカルチャーではなく、広く消費文化と呼ばれる視点です。すなわち、洋装の普及に象徴されるようなファッション、高度成長期に三種の神器とか、そののちに3Cと称された耐久消費財の購入と利用、そして、特に家事家電の普及や住宅の変化、米国化とまではいわないとしても、旧来の日本的な家屋からの変化による女性の家庭からの解放、などに焦点が当てられています。ただ、私の理解がはかどらなかったのは、米国化や米国文化の受容の裏側に、著者が日本人のひそかな反発、すなわち、米国に対する愛憎半ばするような複雑な感情を見出している点です。それは戦争に負けたから、というよりは、米国的なものと日本的なものとを対比させ、例えば、自動車大国だった米国を超えるような自動車を作り出す日本の原動力のように評価しているのは、私にはまったく理解できませんでした。そこに、戦前的な精神性を見出すのは本書の趣旨として矛盾しているような気がするのは私だけでしょうか。

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次に、佐藤彰宣『スポーツ雑誌のメディア史』(勉誠出版) です。著者は立命館大学の社会学の研究者です。そして、本書は著者の博士論文であり、ベースボール・マガジン社とその社長であった池田恒雄に焦点を当てて、その教養主義を戦後の雑誌の歴史からひも解いています。ほぼほぼ学術書と考えるべきです。なお、雑誌としての『ベースボール・マガジン』は1946年の創刊であり、まさに終戦直後の発行といえます。その前段階として、野球という競技・スポーツが、戦時中においては米国発祥の敵性スポーツとして極めて冷遇された反動で、戦後の米軍進駐の下で、価値観が大転換して、米国の自由と民主主義を象徴するスポーツとして脚光を浴びた歴史的な背景があります。他方、メディアとしての雑誌媒体は、新聞がその代表となる日刊紙に比べて発行頻度は低く、週刊誌か月刊誌になるわけですが、戦後、ラジオに次いでテレビが普及し、リアルタイムのメディアに事実としての速報性にはかなわないわけですから、キチンとした取材に基づく解説記事などの付加価値で勝負せざるを得ないわけで、その取材のあり方にまで本書では目が届いておらず、単に誌面だけを見た後付けの解釈となっているきらいは否めません。でも、スポーツを勝ち負けに還元した競技として捉えるのではなく、その精神性などは戦時中と同じ地平にたった解釈ではなかろうかと私は考えるんですが、著者はよりポジティブに教養主義の観点から雑誌文化を位置づけています。スポーツは、究極のところ、いわゆるサブカルチャーであり、美術・文学・音楽といったハイカルチャーではないと考えるべきですが、競技である限り、スター選手の存在は無視できず、相撲でいえば大鵬、野球でいえば長島、らがそれぞれ本書では取り上げられて注目されていますが、他方で、マイナーなスポーツとして位置づけられているサッカーでは釜本の存在が本書では無視されています。少し疑問に感じます。でも、ひとつの戦後史として野球雑誌に着目した視点は秀逸であり、サッカーなんぞよりは断然野球に関心高い私のような古きパターンのスポーツファンには見逃せない論考ではないかと思います。

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最後に、アンディ・ウィアー『アルテミス』上下(ハヤカワ文庫) です。著者は新々のSF作家であり、本書は何とまだ第2作です。そして、第1作は『火星の人』Martian です。といっても判りにくいんですが、数年前に映画化され、アカデミー賞で7部門にノミネートされた「オデッセイ」の原作であり、本書もすでに20世紀フォックスが映画化の権利を取得しています。実は、私はそれなりの読書家であり、原作を読んだ後に映画を見る、という順番のパターンが圧倒的に多いんですが、原作『火星の人』と映画「オデッセイ」については逆になりました。私の記憶が正しければ、ロードショーの映画館で見たのではなく、「オデッセイ」は飛行機の機内で見たんですが、とても面白かったので文庫本で読みました。そして、最近、本屋さんで見かけたんですが、『火星の人』の文庫本の表紙は映画主演のマット・デイモンの宇宙服を着た顔のアップに差し替えられています。大昔、私が中学生だか高校生だったころ、『グレート・ギャッツビー』が映画化により映画のタイトルである『華麗なるギャッツビー』に差し替えられ、主演のロバート・レッドフォードとミア・ファローの写真の表紙に差し替えられたのを思い出してしまいました。それはともかく、本書の舞台はケニアが開発した月面コミュニティです。その名をアルテミスといい、それが本書のタイトルになっています。直径500メートルのスペースに建造された5つのドームに2000人の住民が生活しており、主として観光業で収入を得ています。もちろん、本書冒頭にありますが、超リッチな人が移住したりもしていて、例えば、足が不自由な人が重力が地球の⅙の月面で、地球より自由な行動を取れることをメリットに感じる、などの場合もあるようです。ただ、この月面都市でもリッチな観光客やさらに超リッチな住民だけでなく、そういった人々をお世話する労働者階級は必要なわけで、主人公は合法・非合法の品物を運ぶポーターとして暮らす20代半ばの女性です。本人称するところのケチな犯罪者まがいの女性なんですが、月面で観光以外に活動している数少ない大企業のひとつであるアルミ精錬会社の破壊工作を行うことを請け負います。でも、月面の資源を基にアルミと副産物である酸素とガラス原料のケイ素を産するプラントの爆破を実行するんですが、実は、この破壊工作にはウラがあって、前作の『火星の人』と同じように、月面都市や天下国家を巻き込んだ大きなお話し、というか、陰謀論に展開して行きます。相変わらず、というか、前作の『火星の人』と同じように、少なくとも私のようなシロートには大いなる説得力ある綿密な化学的バックグラウンドが示され、キャラの設定も自然で共感でき、クライム・サスペンスとしてのスピード感も十分です。映画化されたら、私は見に行きそうな気がします。

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2018年3月17日 (土)

今週の読書は小説まで含めて5冊にペースダウン!

図書館での予約の巡りの関係で、先週、先々週と2週続けて9冊を読んでしまいましたが、今週はなんとか正常化が図られて、以下の通りの計5冊でした。これくらいが適当なペースではないかと思いますが、以下の5冊のうち、最初の2冊はかなりのボリュームです。実効状は6冊分近かった気がします。

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まず、田中洋『ブランド戦略論』(有斐閣) です。著者は中央大学ビジネス・スクールの研究者なんですが、それよりも実務面で電通マーケティング・ディレクターをしていたことで有名かもしれません。なお、同じ出版社から数年前に似たタイトルで『ブランド戦略全書』という本が出版されており、コチラでは編者となっています。ということで、サバティカルの期間を利用して本書を取りまとめたようで、全体は理論編、戦略編、実務編、事例編の4部構成となっていますが、私がついて行けたのは第Ⅰ部だけでした。後はせいぜい第Ⅳ部の個別の会社のサクセス・ストーリーを面白く読んだだけです。本書の冒頭に、スティグリッツ教授のテキストから引用があり、「経済の基本モデルに従えば、ブランド名は存在してはならない」とあります。市場における完全情報が前提されている合理性あふれる伝統的な経済学ではブランドなんてものは存在する余地がありません。でも、実際にあるわけですから、経済主体の合理性が限定的であり、市場の情報が完全ではない、ということをインプリシットに含意しているんだろうと私は理解しています。ですから、昨年のノーベル経済学賞は行動経済学・実験経済学のセイラー教授に授与されましたが、経済学者がエラそうに限定合理性を前提に行動経済学や実験経済学を論じるよりも、実務的なマーケターの方が実際の価格の値付けや量的な需給を表現する売れ行きをよく知っているような気がします。そして、ブランドとは市場の情報に関していえば、不完全な情報を補完するものであり、限定合理性に関していえば、需要曲線を上方シフトさせる要因です。重ねて強調しておきますが、経済学者が行動経済学や実験経済学を新しい試みとして有り難がっている一方で、実務的なマーケターはより実践的にブランドなどを活用して売上を伸ばして利益を上げているんだろうと思います。その点を考慮すると、経済学で行動経済学や実験経済学を限定合理性の下で理論的に精緻化するのは、それほど大きな意味があるわけではないのかもしれません。私はよく若い人に例として持ち出すんですが、内燃機関の理論を知らなくても、最低限、ブレーキとアクセルとハンドルの働きを理解していれば自動車の運転はできなくもありません。工学研究者とドライバーは違うのだと理解すべきです。

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次に、ニック・ボストロム『スーパーインテリジェンス』(日本経済新聞出版社) です。著者はスウェーデン出身の哲学者であり、現在は英国オックスフォード大学の教授を務めています。私の限られた知識の中では、人工知能(AI)脅威論をもっとも強烈に提唱している最重要人物のひとりです。英語の原題は SUPERINTELLIGENCE であり、2014年の出版です。タイトルも、そして、表紙デザインも、邦訳書は原書とほぼ同じです。ということで、本書はAIをコントロールできるか、そして、その上で、人類はAIの脅威から逃れること、すなわち、絶滅を回避することができるかどうかを論じています。最終的には、観点相対的な視点で考えると、AIに職を奪われるどころか、今後100年で人類は絶滅する、という結論に達しています(p.519)。原注、参考文献、索引まで含めて700ページを超える本書の結論を手短に書けば、そういうことになります。私は本書の著者ほどAIの進歩と人類の絶滅に関しては悲観的ではないんですが、別の面からさらに悲観的な見方をしています。すなわち、本書の著者は人類vsAIという意味で、観点相対的な視点から議論を進めているんですが、実は、人類の敵は人類なのではないかと私は考えています。すなわち、AIが人類には向かうのではなく、というか、その前に、一部のグループの人類がAIを悪用して、別のグループの人類を抹殺に取りかかることがリスクであって、それはAIの発達段階にもよりますが、かなりの程度に成功する可能性が高いのだろうと私は考えています。おそらく、悪意を持った攻撃サイドのグループの人類によって操られたAIと、防御サイドのAIが攻防を繰り返しつつ、同等の技術ないし知識水準に達するんではないかと思いますが、ヒトラーの電撃作戦のように奇襲を用いれば攻撃サイドの方が有利になる可能性が高いんではないかと思います。本書の著者が考えるように、AIが一致団結して人類に攻撃を加える可能性よりも、その前の段階で、すなわち、AIが人類に対して悪意も善意も持っていない段階で、悪意ありげな攻撃サイドの人類のグループにAIが悪用されて、別のグループの人類が絶滅、とまで行かないとしても、大きなダメージを受ける可能性の方が大きいし、より早期に実現されてしまうように理解しています。そして、最悪の場合は現在までの文明を失う可能性がある、と考えています。一例としては、北朝鮮ではないにしても、サイバー攻撃を考えれば明らかです。もっと身近なレベルではコンピュータ・ウィルスとワクチン・プログラムもそうかも知れません。サイバー攻撃に関しては、私の認識する範囲では攻撃側がかなりアドバンテージがありそうな気がします。ただ、コンピュータ・ウィルスについては、まだ防御サイドのほうが圧倒的なリソースを持っていますから、防御サイドに有利に展開しているのが現状です。いずれにせよ、本書でも同じような問いかけがなされていますが、2007年にノーベル経済学賞を授賞されたハーヴィッツ教授の有名な論文に "But Who Will Guard the Guardians?" というのがあります。フクロウに守ってもらおうとしたスズメの例は示唆的ですが、たとえフクロウがスズメを守ってくれたとしても、そのフクロウは誰が守るのか、という問題は永遠に残ります。最後に、繰り返しになりますが、本書の著者の結論は2点あり、第1に、AIは極めて大きな人類に対する脅威となり、人類はおそらくAIにより絶滅する、第2に、それでもAIの進歩を止めることは出来ない、ということであり、私はおそらくどちらも合意します。ただし、第1の結論に達する前に人類感の争いが生じる可能性が高く、その場合、現在の文明が滅んで、あるいは石器時代くらいの文明レベルの逆行する可能性があるんではないか、という気がします。ガンダムの世界のように、もう一度人類史のやり直し、になるのかもしれません。

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次に、ジュールズ・ボイコフ『オリンピック秘史』(早川書房) です。著者は米国の政治学の研究者で大学教授なんですが、元プロサッカー選手であり、米国代表メンバーとしてオリンピック出場経験もあるという異色の存在です。英語の原題は Power Games であり、リオデジャネイロ五輪開催の2016年の出版です。何かもう、近代オリンピックに対して、あらゆる角度から批判を加えたみたいな論考で、まあ、どんなに立派なイベントでも、文句の付け方はあるものですし、オリンピックくらい問題あるイベントなら、右からでも左からでも、上からでも下からでも、前からでも後ろからでも、何とでも批判のしようはあると思います。逆に、何とでも称賛のしようもあるような気がします。本書の著者は、商業化が進みプロの参加が促進される前の段階のオリンピックについては、性差別や原住民への差別、人種差別などを上げて、オリンピックの非民主主義的な側面を批判していますが、ベルリン五輪におけるナチスのオリンピック政治利用に関しては、むしろ記録映画について容認的な態度をとっているとすら見え、やや私のような単細胞な見方をする人間は戸惑ってしまいます。最近、1980年代以降くらいの商業化が進み、プロフェッショナルなアスリートにも門戸を開いたオリンピックについては、施設のムダや華美な設備などに対する批判があり得ます。しかしながら、本書でも認めている通り、オリンピックとは所詮はエリートのためのイベントであり、スポンサーにしても大企業しか貢献し得ない大規模な催しとなっているわけで、それを分割して複数国で開催したりしても、見る方も楽しくないだろうし、参加するアスリートにもインセンティブが大きく低下しそうな気がします。要するに、それほど意味のないイベントにするのが本書の著者の目論見なのかもしれませんが、私のような一般ピープルのこれ代表のような人間にまでオリンピックが開かれている必要はないわけで、何らかのオリンピック改革がなされたところで、それなりの閉鎖性や選別された選良意識のようなものは残る可能性が高いんではないでしょうか。いずれにせよ、本を出版したり、テレビで自分の意見を述べたり、ましてやオリンピックに出場したりということになれば、一般ピープルの域を大きく超えるわけで、いくら批判したところで、特権階級のイベントであることは認めざるを得ないのではないでしょうか。

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次に、橋本素子『中世の喫茶文化』(吉川弘文館) です。著者は京都府茶業会議所勤務の研究者です。本書はタイトル通り、平安末期ないし鎌倉期から織豊期までの期間の喫茶文化に着目しています。著者に従えば、この期間で喫茶文化は寺院から出て、茶の湯の文化にまで達します。実は、私は京都は伏見の産院で生まれたんですが、たぶん、物心つく前の2歳くらいの時に宇治に移り住み、以来20年余り、大学を出るまで両親とともに宇治に住んでいましたし、親戚筋にはお茶屋さんもいます。私の代になると血縁も薄くなるんですが、私の父親の従兄弟が伝統ある宇治茶の茶園を経営していました。その一代前はというと、私から見た父方のばあさんの姉がその茶園に嫁いでいるわけです。私の父の従兄弟に当たる茶園経営者は当然ながら地域の名士であり、私の通う小学校のPTA会長さんでした。その名門茶園では代々京都大学農学部を出た経営者なんですが、私と同じ代になると、京大農学部出身の兄の方は伏見の酒造会社の研究者になってしまい、弟の方の一橋大学OBが後を継いだと記憶しています。いずれにせよ、私が今年還暦で同じ小学校に通っていたんですから、似たような年齢に達しているハズです。まあ、どうでもいいことです。本書とは関係薄い我が家の血縁について長々と書いてしまいましたが、要するに、私は平均的な日本人よりも喫茶文化に親しみがある、と言いたいわけです。私は宇治市立の小学校を卒業していますので、例えば、p.31に見える明恵の駒の蹄影伝説なんぞも知っていたりしますし、また、これも現地生まれの私には明らかな事実なんですが、宇治茶とは宇治で栽培されたお茶ではなく、もちろん、宇治で栽培されたお茶っ葉も含むのは当然ながら、おそらく、宇治から南の奈良との県境くらいにかけての地域で栽培されたお茶っ葉であって、宇治で製茶されたものの呼称だと考えるべきです。宇治は栽培後というよりは製茶業の地であるわけです。ただ、よく知られている通り、また、本書でも明らかにしている通り、中世初期の茶の産地でもっとも名高かったのは栂尾、特にその中心地の高山寺の寺域であり、宇治が茶生産の一番と目されるようになったのはせいぜいが室町期、15世紀以降くらいではないかと考えられます。いずれにせよ、私はきれいに整地された茶畑を周囲に見ながら小学校の子供時代を過ごしましたし、季節になれば母親は茶摘みのアルバイトに出たりもしていました。ですから、前世紀末から我が家が暮らしたインドネシアに行って、実に人工的に整備されたココヤシやゴムなんかのプランテーションを見て、京都南部の茶畑と同じ雰囲気を感じて、ある意味で、懐かしさを覚えたのも事実です。

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最後に、牛島信『少数株主』(幻冬舎) です。著者は弁護士であり、コーポレート・ガバナンスやM&Aなどに詳しいようです。この作品では主人公が2人いて、高校の同級生だったりするんですが、バブル期に不動産で大儲けをした企業家と弁護士です。ともに70歳の少し前ですから、まあ、後者の弁護士は作者自身をモデルにしているのかもしれません。ということで、この作品は株式が未公開というか、非上場企業の株式を保有していながら、いわゆるオーナー経営者が過半数ないし⅔の株式を保有しているため、実質的に経営に関して何の権利も発揮できない少数株主をテーマとしています。ほぼほぼ同族会社であるために経営に加われずに、わずかな配当しか得られない株式を、多くの場合は相続によって保有してる少数株主なんですが、本書の主人公の1人である弁護士によれば、経営している同族者の1人と認定されれば、配当のディスカウント・キャッシュ・フローからではなく、会社の保有する資産額の比例配分で株価が算定され、場合によってはとんでもない相続税が課される場合がある、ということで、大日本除虫菊の判例などが引かれています。ただ、私のようなサラリーマンと違って、同族会社の経営者はいろんな場面で公私混同が許容されている場合も少なくなく、自動車は社有車で、専務の社長夫人の毛皮のコートも社員の制服で、ともに経費で落とし、自宅は何と社員寮で固定資産税も払わず、やりたい放題にやっている経営者像が本書では浮き彫りになっています。ただ、私なんぞの平均的なサラリーマンから見れば、たとえ少数株主であっても、生涯の長きに渡って得られる所得階層からすれば、かなりの富裕層であり、しかも、経営者の同族と見なされるほどの近親者であれば、本書で保有している少数株を「解凍」してもらって、その株を会社に買い取らせることにより、さらに億単位の収入を得ることに、「よかったね」と共感する読者は少なそうな気もします。そういう意味で、極めて限定的な読者層を対象に考えているのか、それとも、作者ないし編集者が何か勘違いをしているのか、私にはよく判りませんでした。

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