2021年4月17日 (土)

今週の読書は遅ればせながらの綾辻行人『Another 2001』のほか計4冊!!!

今週の読書は、昨年9月発売の綾辻行人『Another 2001』のほか、リベラル左派のジャーナリストによる気候変動問題に関するコラム集、新書に文庫本と以下の4冊です。私の趣味に従って、綾辻行人『Another 2001』に大きな比重を起きつつ読書感想を取りまとめています。なお、今年に入ってからの読書は、新刊書読書としてブログにポストした分に限定して、1~3月に56冊、4月は今日の分までで毎週4冊×3週で12冊、計68冊となっています。

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次に、ナオミ・クライン『地球が燃えている』(大月書店) です。著者は、カナダ生まれのリベラル派、というよりも、明確に左派のジャーナリストです。英語の原題は On Fire であり、2019年の出版です。本書では、地球温暖化や気候変動についてのコラムを執筆の時期の順で取りまとめています。ですから、特に目新しい点はなくて、逆に、トピックが飛ぶ印象があるかもしれません。ジャーナリストがいろんな観点から気候変動を論じているわけですから、いろんな事実関係が網羅されていますが、もっとも重要なのは、本書の冒頭で強調されているように、気候変動問題は「市場経済の生み出す局所的な危機と切り離せるものだとは思っていない。」(p.44)との観点が重要です。もちろん、その直後に、資本主義の解体を否定しているんですが、本書の著者だけでなく、英国のかの有名な『スターン報告』The Stern Review でも、"climate change is the greatest and widest-ranging market failure" と強調されているのですから、基本的な認識は共通しているわけです。その上で、エネルギーの生産と消費に関するネオリベな経済政策への批判、グローバル化の進展に関する懸念、最後には、グリーン・ニューディールの必要性などを論じています。日本では遅れている気候変動に関する議論なんですが、歴史的並びに最新の論調に接することが出来ます。

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次に、綾辻行人『Another 2001』(角川書店) です。著者は、我が母校の京都大学ミス研出身の新本格ミステリ作家であり、ホラーにも手を伸ばしている作家です。奥さまはホラー作家の小野不由美だったりします。本書は、1作めの『Another』、スピンアウト作品の『Another エピソードS』に続くシリーズ第3巻です。シリーズ特設サイトも出版社が開設しています。ついでながら、続巻があり、それでもってシリーズを締めくくる予定らしいです。作者のあとがきも含めれば800ページを超える超大作で、私が3日半かかって読了するくらいのボリュームです。なお、続巻は8年後を舞台とする『Another 2009』(仮)らしく、もしもそうなら、本書の主人公である比良塚想がかかっている精神科医の碓氷希羽が小学2年生ですから、中学3年生を1年超えてしまいます。次作の最終作では成長した碓氷希羽が主要な役割を果たすんではないか、と私は想像していたのですが、違うかもしれません。いずれにせよ、800ページのボリュームながら、読み飽きることはありません。プロットとしては超常現象ですので、何ともいえませんが、死者の発見に至る謎解きは秀逸ですし、いかにも綾辻行人らしくミスリードを誘う表現力は抜群です。なお、1作めの『Another』は映画化されており、私はこの橋本愛主演の映画も見ています。
以下、シリーズ全体に渡るネタバレばっかりですので、未読の方はご注意下さい。まず、舞台は夜見山中学校です。これはシリーズ共通です。たぶん、続巻もそうでしょう。夜見山中学校の3年3組が中心になります。この夜見山中学3年3組に死者がよみがえってまぎれ込み、災厄が生じて人死がいっぱい出る、ということなんですが、その範囲は3年3組の担任教員と生徒の2等身以内、で定義されています。そして、まぎれ込んだ死者を死に還すことにより災厄が終了するんですが、この重大ポイントは人々の記憶から容易に忘れ去られてしまいます。そして、対策としては「いないもの」を指定して、3年3組のクラス全員がシカトする、という厳しいものです。1作めの『Another』では1998年の夜見山中学が舞台で、見崎鳴が「いないもの」になって、夜見山に引越してきた榊原恒一が主人公となります。そして、災厄の解決策を探すうちに、死者の色が判る見崎鳴の人形の目の力を使って、クラスにまぎれ込んだ死者をクラスの副担任である三神怜子であると特定し、主人公の榊原恒一が死者を死に還します。8月のクラス合宿の際に大規模な災厄が生じ、死者も多数出ましたが、その混乱の際に榊原恒一が三神怜子を死に還しています。なお、三神怜子は榊原恒一の母の妹ですから、叔母に当たります。スピンオフ作品の『Another エピソードS』は『Another』の8月のクラス合宿の前に1週間ほど夜見山を離れて緋波町に滞在していた見崎鳴が主人公で、その時のお話を榊原恒一が聞くという形を取っています。緋波町には見崎鳴の家の別荘があり、見崎鳴は賢木昇也の幽霊に出会います。賢木昇也は1987年の大災厄の年に夜見山中学3年3組であり、1996年に中学1年生の見崎鳴と出会ったことがあり、1998年5月に自殺してしまいました。なぜかは忘れましたが、賢木昇也の自殺は伏せられ、幽霊は自分の死体を探し始めます。ここで、自分のことを賢木昇也の幽霊だと考える小学6年生が本作『Another 2001』の主人公となる比良塚想です。3年後ですので中学3年生になり、夜見山中学3年3組の生徒となっています。舞台は2001年です。1作めの『Another』では生徒ではなく、副担任の教師が死者だったというオチですが、本作『Another 2001』では、対策を厳重にし「いないもの」を2人指定しまったがために、よみがえってまぎれ込む死者の方も2人になってバランスが取れてしまう、というのがトリックの鍵になります。最初に死に還される死者は主人公である比良塚想の従姉妹の赤沢泉美であり、1作めの『Another』と同じで見崎鳴の人形の目が特定して、主人公である比良塚想が濁流流れる川に落として、死者を1人死に還すのですが、その後も災厄は発生し死者が出ます。そして、2人めのまぎれ込んだ死者も見崎鳴が入院患者の牧瀬未咲であると特定して、比良塚想ではなく見崎鳴がナイフを振るって死に還します。2001年9月11日のテロも効果的に取り入れられています。

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次に、三浦瑠麗『日本の分断』(文春新書) です。著者は、国際政治学者で山猫総研の主催者です。本書のタイトルは判りにくいのですが、副題が「私たちの民主主義の未来について」となっていて、コチラの方に私は興味ありましたし、それなりに為になったのも分断の方ではなく、民主主義の分析と未来の方でした。ということで、特に本書の前半は山猫総研などが2019年に実施した「日本人価値観調査」のデータ分析になっています。おそらく、私の想像ではサンプル数が少なすぎてフォーマルな定量分析ができなかったのであろうと思いますが、一般的にも判りやすいグラフを示した印象論で分析を進めています。まず、分断の方については、銃規制や妊娠中絶などで超えられない溝のある米国と違って、日本では大きな分断は生じていないと結論しています。それはそうでしょう。その上で、日本における対立軸は安保・外交問題と改憲問題であると指摘します。そのため、野党が本格的に政権を取るためには、現在の自公政権と同じように、とまではいわないとしても、外交と安全保障でリアリズム政策を取る必要を説きます。私はここまでいうと否定的です。そうなると、ホテリングのアイスクリーム・ベンダー問題になってしまって、各政党が同じ政策で争うことになれば、資金力で決着がつきそうな気がします。加えて、私は昨年までの安倍政権は経済政策がとても左派的でリベラルであったのが特徴のひとつと考えています。その点も本書では見逃されています。おそらく、現政党の中で最左派の共産党が政権を取れば、理論的根拠なく財政均衡を目指しそうな気がするのは私だけではないと思います。

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最後に、綾辻行人『緋色の囁き <新装改訂版>』(講談社文庫) です。著者については、先の『Another 2001』と同じですのでパスします。本書はもともと1988年に単行本として出版され、もちろん、文庫化されて、その上で、昨年に<新装改訂版>として出版されています。いわゆる「囁き」3部作の最初の作品です。この作品のほかは『暗闇の囁き』と『黄昏の囁き』になります。私はすべて読んでいますが、登場人物については共通部分はなかったのではないかと記憶しています。記憶が間違っているかもしれませんが、たぶん、そうです。しつけが厳しいことで有名な名門女子校に転校して来た主人公の周囲で起こる殺人事件、かなり、綾辻作品らしくホラー調の進行もあいまって、おどろおどろしく進みますが、その殺人事件の謎解きがメインです。最初の被害者の兄が事実関係を調査したりしますが、ホームズのようないわゆる名探偵は登場しません。私は物覚えが悪いので、謎解きのミステリは何度読んでも新鮮で楽しめるのですが、この作品はなぜか記憶にあって、途中ですっかり思い出してしまいました。でも、『暗闇の囁き』と『黄昏の囁き』については、まだ記憶の底に眠っているような気もしますので、<新装改訂版>がでたら読むんではないかと思います。

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2021年4月10日 (土)

今週の読書は経済書2冊と新書2冊の計4冊!!!

今週の読書は、ネット経済の中で巨大な独占企業を形成しているGAFA、特に、インターネット広告の過半を両社で独占しているGoogleとFacebookなどの経済活動について批判した経済書と、まったく逆に、大企業の経済活動を徹頭徹尾擁護したリバタリアンで脳天気な経済書、ほかに、新書を2冊の計4冊です。ほかに、新刊書ではないのでここでは取り上げませんが、柳美里『JR上野公園口』(河出文庫)を読みました。ご案内の通り。英訳版 Tokyo Ueno Station が、TIME 誌の2020年の必読書100選に選ばれ、米国の文学賞である全米図書賞(翻訳文学部門)を受賞しています。なお、今年に入ってからの読書は、新刊書読書としてブログにポストした分で1~3月に56冊、4月には今日の分までで8冊、計64冊となっています。新刊書読書以外の分は除外しています。

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まず、マシュー・ハインドマン『デジタルエコノミーの罠』(NTT出版) です。著者は、訳者解説によれば、米国ジョージ・ワシントン大学の研究者であり、インターネットの政治学を専門としています。英語の原題は The Internet Trap であり、2018年の出版です。著者は、冒頭で本書は関心経済=アテンション・エコノミーの本であると宣言し、次のコーエン教授の大企業擁護本と違って、インターネットやデジタルの世界では規模の経済が大きいために独占や企業から顧客への支配が生まれやすいと結論しています。ですから、インターネット上の広告収入はGoogleとFacebookでほぼ⅓を占めています。加えて、スイッチする切り替えコストが大きいためにロックインが生じ、その分、非効率となってしまう可能性が高くなります。逆から見れば、インターネット普及の初期に期待されたように、参入障壁が低いことから大手メディアの独占を崩して、ブログやSNSの個人でも参入できる零細なメディアが多数生まれて、発信者がすべて平等という意味で、経済学でいえばスミスの完全競争市場のようなメディアの選択肢の拡大が生まれる、との希望的観測は幻想に過ぎなかった、ということになります。現実に、GAFAが超巨大企業となり、本書では取り上げられていませんが、こういったシリコンバレーなどのIT企業が米国を始めとする政府や議会に大規模なロビー活動を行っていることも事実です。ある意味で、政府や議会の決定に影響を及ぼしているわけです。メディアの世界では、関心=アテンションはごく少数のサイトに集中してしまい、個人サイトどころか地方メディアのサイトすら関心を引きつけられないという現実が明らかにされています。最終第8章では、最後にある第8章に、次のような一節がある。「つまり、「インターネット」について述べるときの問題は、インターネットが1つではなく、2つあるということだ。最初のものは、実際に存在して私たちのほとんどが日々、いや途切れなく使い続けているものだ。第2のものは、ここでは空想のインターネットと呼ぼう - 理想化され、フィクション化され、現実的なものとして扱われるインターネットで、通信と経済生活を民主化していると「だれもが知っている」存在だ。」(p.252)として、民主的で発信者が平等なインターネットの世界というのは、結局のところ、幻想に過ぎなかったと結論しています。そして、これを商用に大規模に利用して巨大な利益を上げているのがGoogleとFacebookであり、政治的なプロパガンダに利用したのがケンブリッジ・アナリティカとトランプ全米国大統領、といえるのではないかと私は考えています。経済や市場が歪められるのと同じように、政治や民主主義が歪められる可能性を十分に警戒すべきである、という警告を発する書といえます。

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次に、タイラー・コーエン『BIG BUSINESS』(NTT出版) です。著者は、米国ジョージ・メイソン大学の経済学研究者です。英語の原題は邦訳タイトルそのままであり、2019年の出版です。ということで、前書の冒頭にも書いたように、本書はインターネット企業を含めて、世間で悪者視されている大企業を擁護する目的を持っています。ビジネスの生産性が高くて、大量の従業員を高給で雇用し、場合によっては、日本でもそうですが、健康保険などの政府が担うべきインフラも肩代わりする存在として大企業を描き出そうと試みています。加えて、大企業CEOの報酬が高いのは、そういったマネジメント能力を持つ人材が希少なためであり、決して問題とはならない、とか、シリコンバレーの巨大IT企業、GAFAなどの独占力は潜在的な参入企業の存在があってコンテスタブルであり、問題となならず、積極的なイノベーションにも取り組んでいる、とか、金融産業は重要な貢献をしているとか、大企業が政治や行政に対する影響力を強めているわけではないとか、かなり眉唾な論点をことごとく企業サイドの見方で反論しています。ただ、おそらく、本書の中に、本書を再反論する根拠が示されています。すなわち、企業と個人のどちらが悪質かという議論の中で、具体的にはp.35に履歴書の少なくとも40%には露骨な嘘が含まれており、76%は事実を飾り立てていて、59%は重要な情報をあえて書かない、と指摘しています。本書は、この中の多数派に入っていそうな直感的な感触を持つ読者は、私以外にも少なくなさそうな気がします。私は良識あるエコノミストとして、多数の苦しんでいる人々の方に味方したいと直感的に考えています。すなわち、ミャンマーのクー・デタについては、詳細な事実を私は把握していませんが、重火器を含めて武装し訓練され、かつ、お給料も払われている軍隊よりも、丸腰で報酬をもらわずに民主化を訴えるデモに参加する多数の国民のサイドを支持したいと思います。加えて、そう考える人が日本人の中で少なくないことを願っています。本書の大企業批判に戻ると、おそらく、専門外なので、あくまでおそらく、なんですが、大企業に対する厳しい見方は、商業的・金銭的に成功する前後の芸術家などに典型的に見られる心情が参考になるのではないか、という気もします。例えば、セザンヌやゴッホは生ある間はまったく評価されなかったわけですが、死後に高い評価を受けています。音楽家ではそういう例は決して多くないのですが、ままあったりします。極めて少数のファンにしか理解できない例えながら、赤い鳥で「竹田の子守唄」を歌っていた時の山本潤子(旧姓新居潤子)と、その後、ハイ・ファイ・セットでヒットを飛ばして紅白歌合戦にも出た山本潤子の芸術性は、私はまったく変わりないと思うのですが、前者の方を尊ぶ感性は理解できなくもありません。といったことではないでしょうか。

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次に、中山智香子『経済学の堕落を撃つ』(講談社現代新書) です。なかなかすごいタイトルです。著者は、東京外国語大学の研究者であり、社会思想史が専門です。専門的にいうと、経済学の歴史を自由と公正の観点からひもといて、最後は、ポランニーからウォーラーステインの世界システム分析にたどり着き、p.192で示されているような3段階論、すなわち、物質文明・日常世界を土台とし、その上に市場経済が成立し、最上層に資本主義が君臨するわけです。ですから、利益を上げる資本主義の世界よりも、日常的に「食べること」を重視する経済学を取り戻そう、というのが本書の趣旨ではないかと想像していますが、私自身の読解力が貧困なために、それほどの自信がありません。逆にいって、かなりアチコチにお話が飛んでいて、そうそうスンナリと読める読者は少なそうな気がします。タイトルもややエゲツない気がします。ただ、私は貿易なんかで「自由貿易」と「公正な貿易」について、誰かの書評で書いたことがあり、少なくとも無条件な自由貿易を支持するリスクがあり、むしろ、公正な貿易のほうが好ましい、と結論したこともあったような気がします。ただ、本書では著者がことさらに世界システム分析の中心と周辺の概念をかなり広範に応用して、資本主義と社会主義・共産主義、帝国と植民地、などなど、対立的な構図に説得力を持たせようとしていますが、私は逆に、書評を書いた時に、公正な自由貿易というものは私も無条件に支持する、と明記して、少なくとも貿易活動においては自由と公正が対立するものではなく、自由かつ公正な貿易というものがあり得る、と示唆しています。しっかりとバックグラウンドで研究を進めてきたというのは引用の豊富さから理解できますし、それなりに共感できる内容ではありますが、もう少しSDGsをはじめとして地球環境問題とか、あるいは、もっと不平等を掘り下げるとか、正義や公正以外の何らかの計測可能な観点が欲しかった気がします。単に、概念的な正義や公正だけであれば、従来から独裁者の得意とするところですし、現在でもミャンマーの軍部は正義を強く主張していそうな気がします。話の最初から正義という観念論で始めているのが敗因だったかもしれません。そういった商業的・金銭的な成功に対する心理的な反感から大企業批判が形成される可能性があるのではないか、という気がするわけです。判りにくい例えで失礼します。

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最後に、八木正自『古典籍の世界を旅する』(平凡社新書) です。著者は、古書店主であり、今もやっているのかどうか、TV番組の鑑定団で鑑定をしていたことがある、あるいは、今もしているようです。本書は古典籍を扱う古書店主の回想録であり、ですから、書画・骨董のうちの前者の書画の文化財的な価値について幅広く論じています。冒頭に、古本と古書と古典籍の違いが説明されてあり、古本はセカンドハンド、古書はオールド、古典籍はレアなのだそうです。私は長崎大学経済学部の図書館の武藤文庫に所蔵されているアダム・スミスの『国富論』の初版本をガラス越しに見学したことがあります。日本語ではいわゆる稀覯本なのですが、これあたりが古典籍に当たるんではないか、と考えつつ本書を読み進みました。ただ、冒頭にもあるように、日本では古典籍といえば明治期よりも前の本であり、手で書き写されたものも少なくありません。当然ながら、『源氏物語』の初版本は当時にはあったのかもしれませんが、今では利用可能ではありませんし、おそらく、多くは書き写されたものであろうと考えるべきです。その場合、コピーを取っているわけではありませんから、書き写す人の趣味によって修正が施される場合があるらしいです。たとえば、私の知る限りは、西洋世界では、それこそ、アレクサンドリアの図書館とか、中世の修道院とかでシステマティックに写本をしていた時代があり、日本でもお経はお寺でシステマティックに写経されているものが少なくありません。本書ではそういった文字の本だけでなく、書画ですから、壺や皿や焼き物は別にしても、絵画のたぐいはいくつか触れられています。もちろん、本ではなく、手紙といった媒体もありなんだろうと思います。本書では、著者が内外のオークションや定期市などで発見した古典籍、時代でいえば、奈良時代から明治時代にかけての写本や木版画、かわら版、直筆手紙といった、骨董的な価値の高い古典籍について紹介しています。ただ、それだけでは紙幅が保たなかったのだろうと想像しますが、著者の人生を振り返って影響を受けた古書店主やコレクターについても幅広く個人名を出して紹介されています。骨董品ですから、その内容が何か歴史の修正を迫るような学問的な価値があるかどうかは問題にされておらず、むしろ、美術品的な価値を主とした解説です。私は途中までしか読んでいませんが、ラノベやコミックの「京都寺町三条のホームズ」シリーズ、あるいは、そういった本やマンガが好きであれば、バックグラウンドの知識として読んでおく値打ちがあります。

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2021年4月 3日 (土)

今週の読書は子育てに関する経済書をはじめとして計4冊!!!

今週の読書は、ややタイトルが紛らわしいながら、子育てに関する一般向けの経済書を2冊、売れっ子ミステリ作家による連作短編の小説、さらに、著名社会学者による新書の計4冊です。これらの新刊書読書のほかに、読み逃していた東野圭吾『魔力の胎動』(角川書店)を文庫本の宣伝で見つけて文庫本になる前の単行本で読み、また、須賀しのぶ『革命前夜』(文春文庫)の2冊を読んだんですが、どちらもFacebookに触発されて読んだので、重ねてFacebookでシェアすることはしませんでした。新刊書の読書は、先週土曜日の読書感想文で、1月21冊、2月17冊、3月も17冊、と書いたんですが、月曜日の3月29日に大学の同僚教員からいただいた新書を読んで読書感想文をポストしたので、3月は18冊、1~3月で合計56冊になりました。4月の読書感想文は今のところ本日分だけの4冊です。

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まず、マティアス・ドゥプケ+ファブリツィオ・ジリボッティ『子育ての経済学』(慶應義塾大学出版会) と山口慎太郎『子育て支援の経済学』(日本評論社) です。著者は、ドイツ出身の米国大学の研究者、イタリア出身の米国の大学の研究者、そして、東大の研究者です。まず、『子育ての経済学』の方は英語の原題は Love, Money and Parenting であり、2019年の出版です。計量的なエビデンスを用いつつも、著者2人の幅広い経験に基づいて、さまざまな地域的な特徴を備えた子育て論を展開しています。育児スタイルについてバウムリンド教授の研究に基づき、親が子供に押し付けがちな専制型、逆に子供の自主性に任せる迎合型、その中間的なタイプで親が子供を誘導する指導型の3類型を考え、さらに、放任ないし無関与を加えて、親の方からの反応性と子供の選択への関与により4分類しています(p.47)。その上で、ホバリングして子供のすべてに関与しようとするヘリコプター・ペアレント、あるいは、中国的なタイガー・マザーなども分析の対象としています。その昔の子育ては放任型ないし無関与であったところ、何よりも、1960-70年代ころから子育てに注目が集まるようになったもっとも大きな経済的要因として、格差の拡大を上げています。ベッカー教授的な視点から子供の人的資本の蓄積を図っておくと、その後の成人してからの子供の幸福に差が出る、というわけです。もちろん、学校制度についても重要であり、日本やフランスなどのように、いわゆる受験が人生を大きく左右しかねない社会では親の子育ての熱心度が上がるのも当然です。子育て指南書ではありませんが、子育ての大きなマクロの枠組みについて明快な分析結果を提供しています。いずれにせよ、親は経済も含めた時代の流れに合致するように、子供が幸福になるべく最善を尽くす、という思想が底流にあります。そして、格差が大きくて、教育のリターンが大きいと、親の子育てへの関与が大きくなる、という分析結果が示されているわけです。他方、『子育て支援の経済学』についてはもっとマイクロな計量分析が中心になっています。というか、分析の結果については、当然ながら、時代や国や地域により差が大きいことから、分析結果よりも分析手法に重点が置かれているようにすら見受けられます。加えて、子供が出来てからの子育てだけではなく、そもそも夫婦ないしカップルが子供を作ろうとするかどうか、別の表現をすれば、少子化対策まで少しさかのぼった分析から始まっています。そのため、差の差分析、回帰不連続デザイン、操作変数法、媒介分析、RTCなどがしょっちゅうボールドの太字にされていたりして、やや読みにくいと感じる人もいそうな気がします。すなわち、各章は少子化対策とか、育休分析とか、学校教育の分析とかのテーマがあるんですが、分析方法が何度も何度も同じように繰り返されます。私のようなエコノミストですら、専門外であれば分析方法の説明の重複が多くて読みにくい、と感じてしまいます。もちろん、それらの分析の結果として、現金給付よりも保育所整備などの現物給付が有効だったり、女性の時間的な余裕が必要だったり、といった政策的な方向性は決して軽視されているわけではありませんが、なぜか、印象に残らないようになっている気すらします。同じ著者の前著である『「家族の幸せ」の経済学』(光文社新書)は、私のこのブログでも一昨年2019年10月12日付けの読書感想文で取り上げていて、ソチラは国民生活の中での一般的な結婚や育児、夫婦関係などを扱っていて、とても好評だったのですが、本書は「経済セミナー」の連載をそのまま単行本にしたこともあって、社会問題としての子育てを分析対象にし、政策効果の計測やその結果の各国比較などが大きなウェイトを占めています。私のようにエコノミストながら子育て方面は専門外で一般ピープルに近い読者からすれば、「二匹目のドジョウ」に失敗した、ように見受けられなくもありません。

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次に、中山七里『銀齢探偵社』(文藝春秋) です。著者は、ベストセラー連発のミステリ作家であり、私なんぞが紹介するまでもありません。主人公の2人は、まず、裁判所判事を体感した80歳の高遠寺静とその10歳年下で名古屋の不動産デベロッパーにして商工会議所の会頭を務める経済界の名士の香月玄太郎です。高遠寺静は『静おばあちゃんにおまかせ』に登場しており、香月玄太郎も『さよならドビュッシー』の香月遥の祖父として登場しています。加えて、上の表紙画像の副題の「静おばあちゃんと要介護探偵2」に見られるように、この2人は『静おばあちゃんと要介護探偵』、すなわち、このシリーズの第1巻で共同して事件解決に当たっています。ただし、第1巻では舞台が名古屋だったのに対して、この第2巻では東京になっています。高遠寺静が練馬の病院へ健康診断に行くと、名古屋から香月玄太郎がんの手術でやって来た、という安直な設定です。5話の連作短編から構成されていて、とてもストーリーがテンポよく進みます。ミステリとしてはそれほど凝ったものでなく、謎解きとしては物足りないと感じる読者もいるかもしれませんが、繰り返しながら、物語のテンポがいいのと登場人物のキャラが際立っているので、楽しくスラスラと読めます。ただ、最後の方は、3月13日付けの読書感想文で取り上げた『毒島刑事最後の事件』と同じように、人を操って犯罪を犯すというパターンなので、光文社と文藝春秋の出版社が違えど同じようなトリックになってしまっている点が心配です。さらにさらにで、この第1巻と第2巻の後日譚が『静おばあちゃんにおまかせ』だろうと思いますが、孫の高遠寺円が主人公で、静の助力を得て事件解決に当たる謎解きながら、静はすでに死んでいる幽霊という設定になっています。毒島刑事シリーズの接続はそれほど難題でもなかった気がしますが、この高遠寺静と円のシリーズはどうつなぐんでしょうか。興味あるものの、危うい気すらします。

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最後に、上野千鶴子『在宅ひとり死のススメ』(文春新書) です。著者は、東京大学を退職したものの、我が国でもっとも有名な社会学者の1人です。本書は、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『男おひとりさま道』(文春文庫)、『おひとりさまの最期』(朝日文庫)の3部作に続く最終巻だそうです。といっても、私はその前の3部作を読んでいませんので、悪しからず。一般的には恐ろしくも「孤独死」と呼ばれているのですが、本書のタイトルでは「在宅ひとり死」と改められています。現象としては同じだろうと私は受け止めています。独身シングルで70歳を超えた著者なものですから、当然ながら、タイトル通りに、「孤独死」だか、「在宅ひとり死」をオススメしているわけです。すなわち、家族から離れて1人暮らしをし、もちろん、老健施設などにも入らず、慣れ親しんだ自宅で自分らしい最期を迎えることの幸せが詰め込まれており、その最新事情も著者自身が取材していたりします。具体的に、医師・介護士・看護師などのコーディネートを考慮したり、費用を試算したりというコンテンツもあります。ただ、私個人の心配として、「在宅ひとり死」に至るまでの経済的なコスト、すなわち、所得や貯蓄面での必要ライン、さらに、防災や治安面での懸念がどこまで解消されるべきか、といったご自分の「覚悟」以外の客観的な条件整備については情報が不足しているような気がします。まあ、かけ声だけで終わっているのは政府の政策と同じかもしれません。

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2021年3月27日 (土)

今週の読書は経済書や専門書をはじめとして計4冊!!!

今週の読書は、健康を分析した経済書のほか、ランキングやその他の選択理論についての教養書、また、新書に文庫本と計4冊です。なお、新刊でない読書として、P.G.ウッドハウスによるジーヴズのシリーズ2冊、すなわち、『ジーヴズの事件簿』才智縦横の巻/大胆不敵の巻 (文春文庫) 及び 本日の読書感想文で最後に取り上げたグレイス・ペイリーの別の2冊の短編集、すなわち、『最後の瞬間のすごく大きな変化』と『人生のちょっとした煩い』、いずれも村上春樹訳で文春文庫、については、Facebookでシェアしておきました。今年2021年に入ってからの新刊の読書数は、1月21冊、2月17冊、3月も17冊で、1~3月で合計55冊です。新刊書だけで年に200冊のペースのような気がします。新刊以外に主として文庫本で週2冊年100冊くらいでしょうか。

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まず、小塩隆士『日本人の健康を社会科学で考える』(日本経済新聞出版) です。著者は、官界から学界に転じたエコノミストなんですが、私も含めて官庁エコノミストはマクロ経済分野が多いような気がするものの、著者はマイクロな選択の問題、特に医療や教育の経済学なんかを専門分野にしているように見えます。一橋大学がホームグラウンドです。ということで、医療に限定せずに日本人の健康について、厚生労働省の国民生活基礎調査や中高年者縦断調査という大規模データをもとにしたフォーマルな定量分析を基にした本です。本になる場合、ご自分の分析結果だけでなく、いわゆるサーベイとして、いろんな他のエコのミストの研究成果なども含めて分析結果を取りまとめることが多い気がするんですが、何と、本書はほぼほぼ著者ご自身の分析結果だけで完結しています。共同研究結果はいくつか含まれているものの、その研究成果の多さにややびっくりしました。ということで、医療経済ではなく、健康というテーマですから、ざっくりと、健康状態を分析対象とするわけで、数量的に把握ができる、あるいは、基数的な把握が困難でもディジットなyes or noのダミーとしてに把握ができる数量分析ですから、私がまったく信頼を置いていない市場価格の基数的な数量分析とは異なり、かなり私の考える経済学的に好ましい分析に近いものが仕上がっています。ただ、あくまで観測可能な数量に基づく分析ですので限界はありますし、いくつか媒介変数を考えているのはいいとしても、因果関係における媒介変数について少し誤解がある可能性も指摘しておきたいと思います。第1に、私は健康や医療については各人に何らかの観測不能な状態変数、スカラーや時系列変数に限らずベクトルも含めた何らかの状態変数があると考えており、それが観測可能なデータに現れていると考える方が自然だと認識しています。ですから、第2に、観測されたデータから何らかの観測不能な媒介データを通じて結果にたどり着くのではなく、むしろ、観測不能な固有のデータから観測可能な媒介データを経て結果となる健康状態にたどり着くのであろうと私は考えています。加えて、ホsんホで想定しているような厳密な内生性に基づく因果関係がどこまで政策的に有益かは疑問があります。例えば、低所得と喫煙と肥満と不健康は相互に因果関係を保ちつつ、強い相関関係を形成しています。特に、ビッグデータの時代にあってサンプルが大きい場合は、特に因果関係を重視しない相関関係で十分な場合も少なくありません。本書ではあくまで健康状態を最終的な分析対象にしていますから、その健康状態に至る原因の追求を重視しているのは理解できますが、健康・所得・社会的関係性などなどは相互に強く相関しており、その背後にある観測不能変数の分析とともに、相互関係の分析そのものが重要であり、因果関係はそこそこ考えておけば十分、という気がしないでもありません。でも、興味深い定量分析でした。一般読者向けですから多くの方にも判りやすいんではないかと思います。

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次に、ペーテル・エールディ『ランキング』(日本評論社) です。著者は、ハンガリー出身で米国カラマズー大学の研究者をしています。英語の原題はそのままに Ranking であり、2020年オックスフォード大学出版局からの出版です。ということで、序数的なランキングと基数的なランキングについて簡単な説明を冒頭に置いた後、ランキングも含めた選択や意思決定に関する理論の議論が展開されています。ですから、経済学の分野のツベルスキー&カーネマンのプロスペクト理論などの経済心理学にも大いに関係しています。まず、ランキングについては、すべての項目の中から任意の2つを取り出したときにその優劣が常に決まるという「完全性」、2つのものが同等ではないという「非対称性」、AがBより上位にあり、BがCより上位にあるなら、AはCよりも常に上位でなくてはならないという「推移性」の3条件を満たす必要性があるわけですが、経済学的にはノーベル賞も受賞したアロー教授の不可能性定理などでは、社会的には推移律が成り立たない場合が想定されています。本書でもコンドルセのパラドックスとして紹介されています。単純にいえば、じゃんけんのように、勝ち負け、というか、選好の順位が循環するわけです。本書では登場しませんが、日本経済では鉄の三角形として知られていて、政治家が官僚に指揮命令権を持って優越し、官僚が民間企業に行政指導を行うなど優越し、しかし、民間企業は政治家に献金や票の取りまとめで優越する、という構図です。そして、こういったランキングの前提となる論理を展開しつつ人間の行動や認知について、社会心理学、政治学、計算機科学、行動経済学などの知見を総動員した議論が収録されており、見方によれば、ランキングに関する本ではなく、議論がアチコチに飛んでいて、やや収拾がつかなくなっている印象すらあります。例えば、ランキングが個人に対してだけでなく、社会的な影響力を持つというのはその通りですが、ランキングに限定せずにreputation=評判について話題が飛んでいたりします。この評判やランキングの客観性についても、批判がなされています。繰り返しになりますが、ランキングに限定せずに、ランキングをはじめとして、個人や社会の意思決定、あるいは、選択の問題を広く論じていると考えて読む方がいいと私は考えます。経済の分野から読めば、慶應義塾大学の坂井豊貴教授の社会的選択理論と通ずるところが大いにあると私は受け止めました。

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次に、永濱利廣『経済危機はいつまで続くか』(平凡社新書) です。著者は、第一生命経済研のエコノミストです。昨年2020年10月の出版なのですが、やや情報が古くてアップデートされておらず、その点は残念ですが、日本経済に対する現状把握については正確であると感じました。2020年における新型コロナウィルス感染症(COVID-19)パンデミックの経済的な影響は、2008-09年のリーマン証券破綻後の経済ショックを上回るものがあり、日本のみならず世界的に大きなマイナス成長を記録しています。ただ、米国では積極的な財政支出の拡大によりGDPギャップが埋められて、物価も上昇を続けているわけですが、日本経済についてはまったく財政による需要の下支えが不足しています。本書でもその点は強調されています。米国、中国、欧州に加えて中東や石油関係も概観した後、日本経済についての分析が最後の方に置かれています。繰り返しになりますが、その分析はおおむね正確です。例えば、COVID-19の影響を受ける前に日本経済は2019年10月の消費税率引上げで大きな負のショックを受けていると分析されています。ただ、経済分野ですから、将来見通しはほとんどモノになっておらず、それは仕方ないと諦めるべきかもしれません。

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最後に、グレイス・ペイリー『その日の後刻に』(文春文庫) です。著者は、ロシアから米国に移り住んだユダヤ人の短編小説家であり、邦訳は村上春樹によっています。17篇の短編にエッセイとインタビューを収録しています。この作者の3部作の最終巻であり、その前の2巻は『人生のちょっとした煩い』と『最後の瞬間のすごく大きな変化』で、ともに、村上春樹の邦訳です。邦訳書の出版順とオリジナルの出版順が違っているようなので、私はオリジナルの出版順に読んで、いずれにせよ、本書は3部作の3番めで、私は3冊とも読んでいます。本シリーズの邦訳出版中に著者は亡くなっています。邦訳者の村上春樹はノーベル文学賞の受賞も噂されるんですが、それにしては言葉の扱いが不適当で、「冥福」を祈る旨の記述が文庫本解説にあったりします。どうして、「冥福」が不適当かというと、本作品の作者はロシアから米国に移住したユダヤ人の社会主義者であり、ユダヤ、ロシア、社会主義・共産主義が3大テーマになっています。解説では、ロシア語と英語とイディッシュ語がミックスされた環境で生活した作者の生い立ちが明らかにされています。そして、この3要素とも日本人にはやや理解がはかどらないところかもしれません。特に、前2巻の『人生のちょっとした煩い』と『最後の瞬間のすごく大きな変化』ではなかったように記憶していますが、本書では割礼のお話が出てきます。このあたりは私にはサッパリ判りません。その意味で、とても濃厚、というか、クセのある短編小説です。でも、オーツやマンローなどのように、英語圏では広く知られた女性短編小説家であることは確かです。本書の著者のペイリーはすでに亡くなっていますが、マンローはノーベル文学賞を受賞しました。本書の邦訳者の村上春樹も日本人作家の中ではもっともノーベル文学賞に近いと噂されており、オーツも村上春樹と同じくらいノーベル賞に近い気がします。

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2021年3月20日 (土)

今週はクルーグマン教授の経済書をはじめとして新刊読書は計4冊!!!

今週の読書は、クルーグマン教授の経済書のほか、新書や文庫本の小説まで合わせて計4冊です。そろそろ、春休みも終わりますので、来週からもせっせと経済書を読みたいと思います。それから、ある人から私の読書量を問われたので、「新刊書で読書感想文を書いてブログにポストするのが年間で150冊から200冊くらい。そのほかに、エアロバイクを漕ぎながら読む文庫本が年100冊くらい。」と回答しましたところ、前者の方は記録が残りますので本格的に数えたいと思います。ということで、今年2021年に入ってからの結果は、1月21冊、2月17冊、3月は今までのところ本日分を入れて13冊となり、今年に入ってから合計51冊です。1~3月期で50冊強ですから、やっぱり年間200冊くらいかもしれません。なお、新刊読書ではない綾辻行人『深泥丘奇談・続々』と浅田次郎ほか『京都迷宮小路』はFacebookの「おすすめの本」と「本好きの会」などのグループでシェアしておきました。

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まず、ポール・クルーグマン『ゾンビとの論争』(早川書房) です。著者は、ご存じの通り、2008年にノーベル経済学賞を受賞したエコノミストです。英語の原題はであり、2020年の出版です。『ニューヨーク・タイムズ』紙に掲載されたコラムやブログを中心に、いくつかのテーマに分類して各セクションにエディトリアルのようなまとめの端書きをおいて取りまとめてあります。なお、翻訳は野村総研の山形浩生さんです。『ニューヨーク・タイムズ』紙のクルーグマン教授の連載は2000年から始まっているそうで、ブッシュ政権8年、オバマ政権8年、そして、トランプ政権4年、本書には収録されていませんが、バイデン政権が始まっていて、見事なくらいに共和党と民主党が交代しています。そして、クルーグマン教授は圧倒的に民主党支持です。というか、少なくともコラムやブログなどではその趣旨を展開しています。経済的には高所得者の減税を志向し、ユニバーサルな医療制度などに否定的な共和党政策を批判しまくっているのが本書です。およそ学識は天と地ほどの違いがあるものの、私と経済学の見地からの見方はよく似通っています。しかし、私の場合は何とか妥協点を見出して現在のネオリベ政策を変更させようとするのに対して、本書で示されたクルーグマン教授の舌鋒は止まるところを知りません。私なんぞの穏健派から見ればヤリ過ぎの観もあります。私なんぞは小心者ですし、大昔のコミンテルン流のディミトロフの統一戦線理論ではないですが、左側からジワジワと右側に支持を広げようとするんですが、クルーグマン教授は一刀両断に「アホ、バカ、マヌケ」で終わっているように見えます。大雑把にいって、分配まで市場に任せるネオリベ政策ではなく、キチンとケアすべきはケアするために政府が分配に一役買うリベラル、さらに、歴史的な流れを押し止めようとする保守ではなく、歴史をさらに一歩前に進めるような進歩派、というのが私の立ち位置です。加えて、イデオロギー的に宗教的・狂信的といえるほどかたくなな態度に終止するのではなく、科学的な知見を認めて柔軟に思考や態度を変更させることも必要です。かつて、今世紀初頭に我が国でリフレ派の経済学が受入れられなかったのも、こういった二分論法的な思考が関係していたのではないか、と私は考えています。ですから、現在のネオリベ政策の診断は尽きているわけで、実際にどのように政策変更、もちろん、必要によっては政権交代を含めての政策変更を成し遂げるのかが問題です。私は、実際の戦略は定評あるコンサルあたりに依頼するのも一案かと考えているのですが、リベラル・進歩派の仲間からは私のような柔軟すぎる見方はなかなか受入れてもらえません。最後の最後に、本書はかなりのボリュームです。一応、それなりに伝統ある大学の経済学部の教授職にあり、かつ、それなりの読書量を誇る私ですら、2日半かかって読了しています。ご参考まで。

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次に、原田ひ香『一橋桐子(76)の犯罪日記』(徳間書店) です。著者は、著書多数の小説家ながら、私はこの作品が初めてでした。タイトル通り、高齢女性が生活に困り始めて、犯罪に走って刑務所に入ろうと試みるというストーリーです。章別構成として、万引から始まって、紙幣贋造、闇金関与、詐欺、誘拐に最後は殺人まで、いろいろと凶悪犯罪を試みるのですが、すべてが上手く行かずに、結局は、周囲の人に支えられて幸福な老後を送る、というハッピーエンドになります。つまらない筋の運びと考える読者もいそうですし、私もそれを理解できなくもありませんが、最近の小説は深みがなくてやたらと心温まるストーリーが主流になった気がしますので、そういった小説を好きな人にはオススメです。私自身はビミョーなところです、というのは、私自身は前々からいわゆる青春小説が好きで、例えば、フィッツジェラルドの『グレート・ギャッツビー』は別格としても、大学生の青春を取り上げたものとして、吉田修一でいえば『横道世之介』、三浦しをんはいろいろありますが、『風が強く吹いている』などなど、万城目学のデビュー作『鴨川ホルモー』、あるいは、高校生を主人公にしたものであれば、これまた、サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を別格としても、恩田陸の『夜のピクニック』とか、朝井リョウの『桐島、部活やめるってよ』、宮下奈都の『羊と鋼の森』なんかです。そして、振り返ってみると、小学生のころには『次郎物語』を読んだ記憶ある人も多いのではないでしょうか。その意味で、この作品はタイトル通りに70代半ばの高齢女性を主人公にしていて、私もとうとうその年齢に達したのかと觀念してしまいそうになりました。たぶん、そうなんでしょう。これから、我が国の高齢化とともに、こういった高齢者を主人公にした小説がヒットするようになるのかもしれません。でも、年齢に抗して『推し、燃ゆ』のような世界を楽しみたいと思います。でも、まだ読んでいなかったりします。

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次に、山竹伸二『ひとはなぜ「認められたい」のか』(ちくま新書) です。著者は、哲学・心理学の分野で批評活動を展開する批評家ということで、特に、ジャーナリストでもないし、ましてや研究者でもありません。本書の承認欲求という点では、私なんかのシロートはまずマズローの5段階を思い出しますし、本書でもチラリと触れています。現代日本の社会にそれほどネグレクトがいっぱいあるわけでもありませんし、私くらいの年齢に達すると他人様の評価も気にならないことはありませんが、我が道を行く方がラクですし、わがままをいうのは年寄りの特権と考えていたりします。ただ、もちろん、古典的なルース・ベネディクトの『菊と刀』において論じられたように、西洋的な内部からくる罪と日本的な外部からくる恥の文化的な特徴は昔からあるわけでしょうし、特に、現代日本では同調圧力が極めて強いわけですので、そういった評価や承認も生きていく上で必要性が高くなっているのは私でも理解できます。少し前には禁煙ファシズムという言葉もありましたし、昨年来のコロナ禍の中でマスクや咳エチケットなどの圧力が高まっていることは私のような鈍感な年寄にでもヒシヒシと感じられます。本書ではさまざまな角度から承認欲求を考えていますが、特に、存在の承認と行為の承認に分けて考察を進め、後者はともかく、前者の存在の承認は基本的人権の自由そのものという指摘は、そうかも知れないと思わせるものがあります。他方で、承認不安は自分自身に自信がないということの裏返しなわけで、他者とうまく付き合う一方で、自己の確立なども必要そうな気がします。最後に、著者はカウンセラーでも研究者でもなく、批評家ですので、解決策を本書に求めるのは間違っています。著者も解決策らしきものを提示してしまっていますが、あまりに一般的で適用可能性はかなり低いと考えるべきです。その点だけは注意が必要です。

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最後に、G.K.チェスタトン『知りすぎた男』(創元推理文庫) です。著者は、ミステリ好きなら知らない人はいないでしょう。ブラウン神父のシリーズで有名です。本書は、記者のハロルド・マーチをワトソン役とは少し違うものの相棒にして、上流社会の政治家ホーン・フィッシャが探偵を務める短編ミステリが8話収録されています。タイトルは収録順に、「標的の顔」、「消えたプリンス」、「少年の心」、「底なしの井戸」、「塀の穴」、「釣師のこだわり」、「一家の馬鹿息子」、「彫像の復讐」となっています。英国の総理大臣や閣僚クラスとも親交ある探偵で、英国上流社会の謎を解くんですが、もちろん、殺人事件も少なくありません。主として、政治や政治家に絡んだ事件が多い印象です。植民地統治論や小英国主義など、パクス・ブリタニカの世界で大英帝国を形成していたビクトリア時代が舞台です。チェスタトンといえば逆説的な謎解きもあるんですが、本書に収録された短編は、ミステリとしてはそれほど難解なものではなく、むしろ、文学や音楽などの上流社会らしい教養を楽しむ中身といえるかもしれません。ただ、繰り返しになりますが、政治や政治家が絡んだミステリですので、それなりに重厚という表現ではないにしても、シリアルな内容の謎となっています。ブラウン神父シリーズ以外のチェスタトンの作品としては、私はこれまでに『奇商クラブ』と『ポンド氏の逆説』くらいしか読んだことがなかったのですが、そういった政治とはほとんど関係のない市民階級のミステリとは、また違った味わいのある短編集です。好き嫌いは分かれるかもしれませんし、ミステリとしてはそれほどの秀作というわけではありませんが、文庫本で300ページほどのボリュームですので、時間つぶしにはもってこいです。

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2021年3月13日 (土)

今週の読書はとうとう経済書や教養書なしで小説と新書の計4冊!!!

今週の読書は、何と、とうとう経済書も教養書も専門書もなしで、小説と新書だけになってしまいました。新書も経済の話題ではありません。来週は出来れば、経済書も読みたいと考えています。まあ、それはともかく、以下の通りの計4冊です。

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まず、加藤シゲアキ『オルタネート』(新潮社) です。著者は、男性アイドルグループNEWSのメンバーとして活動しながら、2012年1月に『ピンクとグレー』で作家デビューしています。私は読んでいません。本作品が初めてだったりしますが、第42回吉川英治文学新人賞を受賞したほか、2021年本屋大賞や第164回直木賞にもノミネートされています。出版社も特設サイトを設けて、営業にも力が入っているようです。ということで、タイトルの「オルタネート」というのは、高校生限定のSNSやマッチングのアプリで、フロウを送ってコネクトして友達、あるいは、カップルになることを目的としたスマホ向けのアプリです。かなり厳重なセキュリティのようで、高校を卒業はもちろん、退学してもアカウントが停止されます。という基礎知識を展開して、ストーリーの舞台は東京にある円明学園高校、幼稚園から大学までのエスカレータ式の私立高です。オルタネートを使わない調理部長の蓉、逆に、オルタネート信奉者でマッチングに大きな期待を寄せる凪津、高校を中退し音楽の道を歩もうとして大阪から単身上京した尚志、の3人を取り巻く人間像を描こうとしています。新学期始まったころから、秋の文化祭までがお話の中心になり、調理部が「ワンポーション」という高校生向けのお料理コンテストの決勝に進むころがピークを迎えます。その後、というか、そのお話が進んでいく中にもいろいろとあるんですが、基本的にはラノベですし、しかも、登場人物はほとんどが高校生ということで、ストーリーも人物描写も荒っぽい気はします。でも、荒っぽい中に、私もフォ組めて、多くの読者の感性が刺激される部分が十分にあり、特の、おそらくは高校生であればさらに共感できる部分が多いのではないかと想像します。私が10年あまり前に長崎大学で教員をしていたころには、高校を卒業したばかりであろう新入生は『リアル鬼ごっこ』でデビューした山田悠介のホラー小説が好きな学生が多く、やや私もびっくりした記憶があるんですが、本書くらいののんびりした内容であれば、高校生や大学生を読者に引き入れる役割が果たせそうで、私は大いに期待しています。

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次に、中山七里『毒島刑事最後の事件』(幻冬舎) です。著者は、売れっ子のミステリ作家であり、私なんぞから紹介するまでもないと思いますが、この毒島刑事シリーズは『作家刑事毒島』というのが数年前に同じ出版社から出ていて、私はすでに読んでいます。前作は主人公の毒島がすでに刑事を辞めていて、警察、といいうか、警視庁に刑事技能指導者として再雇用されているところからスタートしていましたが、本書はその毒島が警察を辞めるまでがメインストーリーになっています。ですから、時間軸でいえば出版順とは逆で本作品は前作の前の現役刑事としての毒島の活躍を追っています。ということで、本作品では各章で取り上げられている犯罪の背後に犯罪を教唆する「教授」を追い詰めるという流れです。私自身も肩書は教授であって、学生や院生からそう呼ばれることも時折ありますが、本作品の「教授」はホントの教授ではありません。各章のタイトルはそれなりに難解な4文字熟語なんですが、大手町連続射殺事件、出版社連続爆破事件、連続塩酸暴行事件、復讐殺人事件と続き、最後に「教授」までたどり着いて逮捕したものの、自死されてしまって毒島が退職する、ということになります。自信過剰で性格が悪いものの、能力的には十分な毒島刑事が事件を解決してゆきます。もちろん、第4章ではやや痴呆症気味の高齢者を操る介護職員を、実は、さらに「教授」が操っている、という構図なので、ホントにそんな事が可能なのか、と疑問に思う向きがあるかもしれませんが、まあ、こんなもんでしょう。かなり多くのフィクションの小説ではムリがあるものではないでしょうか。なお、この作家は特にグロな描写を用いることがありますが、本作品、というか、本シリーズはそうではありません。それほど論理的な謎解きではなく、ミステリとしては物足りないと感じる読者もいるかもしれませんが、まあ、時間つぶしのエンタメ読書には十分でしょう。

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次に、黒木登志夫『新型コロナの科学』(中公新書) です。著者は、がんの基礎研究が専門分野で、公衆衛生とか感染症は専門外なようですが、いろんな視点から新型コロナウィルス感染症(COVID-19)に関する科学的な情報を本書で取りまとめています。私はエコノミストですので、本書の著者よりももっとCOVID-19より離れた専門分野なわけですので、必ずしも科学的な地検としてのCOVID-19に関する情報をすべて理解できたわけではありませんが、私にとってももっとも重要な本書から得られた科学的知見は、やっぱり、PCR検査が不足しているという点です。著者も何度か強調しているように、想像の域を出ないまでも、厚生労働省ではPCR検査を多数実施して無症状の感染者に対する医療対応で医療崩壊を来しかねない、という配慮からPCR検査の検査数を制限していることは、感染防止の観点からは望ましくないことはかなり明らかなように思います。すなわち、本書でも指摘しているように、初期には無症状の感染者からの感染が50%を占めていたわけで、無症状であってもPCR検査で陽性であれば隔離する必要があったのですが、それをしなかったにもかかわらず感染が爆発的な拡大を見せなかったのは、私はマスク着用とソーシャル・ディスタンシングで防止したとしか考えられません。「3密」という言葉も流行りましたが、本格的なワクチン接種がほとんど進んでいない現状で、感染防止のためにはマスク着用とソーシャル・ディスタンシングしかありません。日本人はそれを忠実に守ったのだろうという気がします。一部の外国のようにマスクなしでハグしたりすれば、感染が拡大するのは明らかです。PCR検査をケチったという政府対応の誤りを国民の高い意識がカバーした、と私は考えています。いずれにせよ、本書はCOVID-19に関する科学的な知見を集めたものであり、私のような専門外のエコノミストでも、いくぶんなりとも、役に立ちそうな気がします。

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最後に、田中拓道『リベラルとは何か』(中公新書) です。著者は、一橋大学の政治理論お研究者です。本書を読んでいて、5年ほど前の2016年9月10日付けの読書感想文で同じ中公新書で宇野教授の『保守主義とはなにか』を読んだのを思い出しましたが、同時に、ややレベルの差を感じてしまいました。というのも、本書では、カテゴライズにカーテシアン座標を用いるのはいいのですが、横軸が配分・再配分の主体が国家と市場、ここまではOKで、縦軸が保守とリベラルになっているのは、本書のタイトルである「リベラル」の解明にはトートロジーで、リベラルとは保守の反対、ということになってしまいます。宇野教授の『保守主義とはなにか』の感想文でも書きましたが、保守とは歴史の流れを現時点でストップさせようとする考えであり、その逆は進歩主義であると私は考えています。他方で、歴史の流れを逆転させようとするのが反動主義です。その観点からすれば、リベラルとは保守の反対ではなく、むしろ、配分や再配分を市場ではなく政府が主体となる世界観を持つのがリベラルであろうと私は考えています。ですから、本書でいうところのケインズ的な福祉国家はまさにリベラルそのもの、と私は考えています。ただ、ここで注意すべきなのは、配分・再配分については、事後的なものだけでなく、事前的な配分についても考えに含める必要があります。もっとも理解しやすいもので所得の再配分について考えて、徴税と社会福祉で稼得所得を事後的に再配分するのは大いに結構で、私は累進課税の強化と逆進的な消費税の縮小ないし廃止を政策としてすすめるべきとすら考えていルエコノミストなんですが、それだけではなく、事前的な所得に影響する要因への対応という政策もありなわけで、教育とか職業訓練が容易に想像されます。ほかの例を上げることはしませんが、こういった再配分・配分の観点をリベラルと私は考えるべきと主張したいと思います。ということで、繰り返しになりますが、やや物足りない読書でした。

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2021年3月 6日 (土)

今週の読書は経済学と政策形成の歴史に関する経済書をはじめとして計5冊!!!

今週の読書は、経済学がいかに政策へ反映されていったかの歴史を紐解いたジャーナリストの手になる経済書のほか、将棋界に大きな旋風を巻き起こした藤井聡太八段の勝負の歴史、さらに、メディアやプロパガンダに関する新書の新刊書計4冊、それに、1年半前のミステリ話題作を含めると計5冊です。

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まず、ビンヤミン・アッペルバウム『新自由主義の暴走』(早川書房) です。著者は、ニューヨーク・タイムズのジャーナリストです。英語の原題は The Economists' Hour であり、2019年の出版です。邦訳タイトルはやや意訳が過ぎており、たしかに、結論としては新自由主義ネオリベ経済学の役割が終了したという結論であることは私も同意するものの、少なくともネオリベが暴走したことをジャーナリストとして跡づけているわけではありません。そうではなく、本書は基本的には欧米において経済学がどのように政策形成に影響を及ぼしてきたかについて歴史的な考察を加えています。戦後すぐの米国アイゼンハウアー政権発足のころまではほとんど経済学、あるいはエコノミストは政策形成に影響を及ぼしたとはみなされておらず、ケネディ政権でケインズ政策が本格的に取り入れられるようになり、ニクソン大統領は「今や我々みんなケインジアンである」という人口に膾炙したセリフを口にしたわけですが、その後、1970年代の2度の石油危機からインフレ抑制に失敗したケインズ政策がマネタリズムを始めとするネオリベ経済政策に取って代わられ、1980年前後から政権についた米国レーガン政権、英国のサッチャー政権でネオリベ経済政策が実践され、サプライサイドの重視による減税や規制緩和も含めて、いかに経済的な格差の拡大をもたらし経済を歪め、現在の長期停滞をもたらしたかを明らかにするとともに、2008-09年のリーマン証券破綻後のGreat Recessionでネオリベ政策に終止符が打たれて、ふたたびケインズ経済学に取って代わられるまでの歴史的な経緯をたんねんに追っています。ただし、ジャーナリストらしく、中心に据えられているのは経済学の理念とか方法論ではなく、原タイトルにもあるようにエコノミスト個々人に焦点が当てられています。もっとも、マネタリズムとかのネオリベ経済学がすべて否定されているわけでもなく、典型的にはマネタリストの中心人物だったフリードマン教授が強烈に主張した変動為替相場は今でもEU以外の主要な先進国では堅持されているわけで、経済政策のすべてが大きくスイングしたわけではありません。なお、本書後半で、私が外交官として3年余りを過ごしたチリが取り上げられています。フリードマン教授に率いられたシカゴ学派のシカゴ・ボーイズがピノチェット将軍がクーデタでアジェンデ政権を転覆させた後、民主的ならざる方法でネオリベ政策を展開した例として持ち出されています。現地で経済アタッシェをした経験から、かなりの程度に正確な分析と受け止めています。

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次に、朝日新聞将棋取材班『藤井聡太のいる時代』(朝日新聞出版) です。著者は、朝日新聞のジャーナリスト集団であり、テーマは今をときめく藤井聡太八段です。2016年に史上最年少で四段に昇進してプロ棋士の仲間入りを遂げると、そのまま公式戦での連勝を29まで伸ばして、現在は王位と棋聖の2冠を手中にしています。その藤井聡太八段を2002年の誕生から直近まで朝日新聞のジャーナリストがていねいに取材して構成しています。各章のタイトルが、修行編、飛躍編など、いかにも棋士らしいタイトルにされており、読書の際に心をくすぐられます。私はそれほど藤井八段に関係する本を読んでいるわけではありませんが、本書では中心は人柄とか周囲の人間関係とかに置かれているのではなく、そのものズバリの勝負の軌跡がメインとされています。ですから、まったく将棋のシロートである私にはムズいところがあり、加えて、勝負の展開を中心に据えているにもかかわらず、盤面がほとんど収録されていないので、理解がはかどりませんでした。でも、私も藤井八段がおそらく数十年に一度の棋士であろうことは理解できますし、こういった形で誕生からの歴史を取りまとめておくのも大きな意味があると思います。私なんぞのシロートではなく、将棋にたしなみがあり、藤井八段のファンにはたまらない読書になると思います。

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次に、佐藤卓己『メディア論の名著30』(ちくま新書) です。著者は、京都大学の研究者です。タイトル通りに、メディアの名著30冊について、大衆宣伝=マス・コミュニケーションの研究、大衆社会と教養主義、情報統制とシンボル操作、メディア・イベントと記憶/忘却、公共空間と輿論/世論、情報社会とデジタル文化の6分類で紹介しています。専門外の私が読んだ記憶あるのはパットナム教授の『孤独なボウリング』くらいのもので、書名を聞いたことがあるものですら、リップマンの『世論』とマクルーハンの『メディア論』のほか極めて少なかったです。私は基本的に、原典に当たるのがベストと考えていて、報道を引いてツイートするのとか、書評でもって読んだ気になるのは戒めているのですが、メディア論という専門外の分野では、こういった新書に目を通して古典的な名著を読んだ気になるのもいいかもしれないと考えてしまいました。

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次に、内藤正典『プロパガンダ戦争』(集英社新書) です。著者は、現代イスラムの地域研究を専門とする同志社大学の研究者です。本書の副題は「分断される世界とメディア」となっており、この副題の方が本書の中身をより正確に表しているような気がします。というのも、分断の基となったメディアの報道を引いていて、そういったカッコつきの「プロパガンダ」が分断を引き起こしたといえなくはないものの、結局、イスラム世界の擁護に回っているとしか思えません。私はインドネシアに3年間家族とともに暮らして、宗教的にも地域的にもイスラム世界に偏見や差別は持たないと考えていますが、タイトルからしてプロパガンダによってイスラムや中東世界が先進諸国から分断されている、といいたいんだろうと読んでしまい、かえって逆効果のような気がします。

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オマケで、相沢沙呼『medium』(講談社) です。著者は、ミステリやラノベの分野の作家であり、私は初めてこの作者の作品を読みました。約1年半前の2019年の出版であり、私がこのブログで取り上げる新刊書ギリギリ、もしくは少し外れ気味かもしれませんが、一応、最後に取り上げておきたいと思います。というのも、何せ、出版社の謳い文句そのものに、第20回本格ミステリ大賞受賞、このミステリーがすごい! 1位、本格ミステリ・ベスト10 1位、SRの会ミステリベスト10 1位、2019年ベストブック、の五冠を制したミステリ作品だからです。タイトルのmediumとは「霊媒」という邦訳が当てられており、その複数形がまさにメディアなわけです。ということで、霊媒探偵が降霊によって犯人を特定するというミステリにあるまじき反則技、まさに、ノックスの十戒に真っ向から反するような謎解きに見えるんですが、実はそうではなく緻密な推理による謎解きが最終章にて明らかにされます。極めて論理的な解決です。その意味で、明らかに本格ミステリといえます。ただ、別の観点からはやや反則気味であると指摘する識者もいる可能性は私も否定しません。この「別の観点」は明らかにしないのがミステリ作品紹介の肝だと思います、というか、この点を除けば、本格ミステリ好きのファンには大いにオススメです。本書だけは、別途、Facebookでも紹介してあります。

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2021年2月27日 (土)

今週の読書は経済書のほか文庫本の小説とややペースダウンして計3冊!!!

今週の読書は、エプシュタイン教授の現代貨幣理論(MMT)への批判的な解説書とともに、文庫本の小説2冊と、ややペースダウンしています。税金の確定申告の時期に入り、少し小説を読んでリラックスしたいと考えないでもありません。

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まず、ジェラルド A. エプシュタイン『MMTは何が間違いなのか?』(東洋経済) です。著者は、マサチューセッツ大学アマースト校の経済学の研究者であり、ポスト・ケインジアンの非主流派に属しているらしいです。本書の英語の原題は What’s Wrong with Modern Money Theory? であり、2019年の出版です。ということで、タイトルこそ勇ましくて、正面切ってMMTを批判しているように見えますが、最終章第8章の冒頭にあるように、著者は政策目標の多くをMMT派と共有しているように見えます。加えて、私は、基本的に、自分自身を主流はエコノミストと位置づけていますが、政策目標についてはよく似通っているつもりです。ただ、本書の著者は主流はエコノミストは、米国では民主党リベラルの均衡予算≅緊縮財政、物価安定、中央銀行の独立などのいわゆる新古典派経済学とみなしていて、むしろ、増税回避の観点から共和党は緊縮財政とは親和性ない、とみなしています。そして、著者が批判してようとしているのはMMT派経済学の否定ではなく、むしろ補足的な役割のような気すらします。結論として、私が重要と考える本書のポイントは、MMTが前提とする変動相場制について、ハードカレンシーを持たない途上国へのMMT派的な政策の適用が難しい、従って、MMT派の制作がかなり適用できるのはむしろ米国という基軸通貨国である、という点と、もうひとつは、これは私も同じで、政策適用の現実性、すなわち、MMT派経済政策をフルで適用すると需要超過からインフレになるんではないか、という恐れです。ミンスキー理解などの理論的な指摘もありますが、私は、この最後の財政政策だけで需要管理が適切にできるか、という疑問がもっとも大きいと考えます。現実に、多くの先進国では需要管理は金融政策に委ねられており、財政政策はファインチューニングには向かないと考えられています。むしろ、課税政策を特定の財の消費抑制に当てたり、歳出・歳入ともに格差是正に割り当てたり、という形です。というのは、本書では取り上げられていませんが、私が授業なんかで大きく強調するのは、金融政策はかなりの程度にユニバーサルである一方で、財政政策はそうではありません。すなわち、日本の場合を例にすると、九州で高速道路を建設しても関西の私の便益はそれほど大きくない可能性がありますし、保育所を建設しても一部の高齢者には迷惑施設と見なされる可能性も排除できません。ですから、金利やマネーサプライを市場を通じて操作するのは、全国一律で地域差はなく、年齢海藻屋職業別などの偏りも少ない一方で、財政政策は地域性や年齢や職業・所得階層別に細かな効果の差が生じ得ます。その意味で、マクロ経済安定化政策には私は金融政策が向いているような気がしてなりません。加えて、本書の観点では、詳しくは触れられていないものの、MMT派政策のひとつの目玉であるジョブ・ギャランティー・プログラム(JGP)はむしろ需要超過のバイアスがかかる可能性があると指摘しています。私自身は、MMT派政策を日本に適用する限り、それほどインフレの可能性が大きいとは考えませんが、米国ならそうかもしれません。いずれにせよ、私はMMT派が理論的なバックグラウンドにあるモデルの提示に失敗している現状では、何とも評価できかねるものの、実際の政策適用については、インフレの可能性については保留するとしても、金融政策よりも財政政策でマクロ安定化を図るほうが好ましいとはとても思えません。その意味で、私はまだリフレ派なんだろうと、自分自身で評価しています。加えて、本書で何度か指摘されているように、MMT派は租税回避の政策提言から富裕層、というか、超富裕層のウォール街の金融業者やシリコンバレーのGAFA経営者などの支持を取り付けています。これも、私は、ホントにそれでいいのか、と疑問に思わざるを得ません。これも、私をMMT派から少し距離を取らせている一因です。最後に本書に立ち返れば、貨幣と信用の区別なんて、ほとんど意味のない観点を持ち出してきたりして、ややMMT派経済学に対する無理解があったりして、ちょっとピンとこない点もいくつかあります。繰り返しになりますが、MMT派の背景となるモデルが不明である現時点では、私はマクロ経済安定化政策としての財政政策の適用可能性が最大の論点となると考えています。念のため。

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次に、浅田次郎『地下鉄(メトロ)に乗って 新装版』(講談社文庫) です。作者は、幅広くご活躍の小説家であり、本書はもともと1990年代半ばに単行本として出版され、本作品で吉川英治文学新人賞を受賞し、ついでながら、1997年『鉄道員(ぽっぽや)』で直木賞を受賞しています。この2作品はどちらも映画化されており、『地下鉄に乗って』は堤真一主演となっています。なお、本書は単行本の後、文庫本化され、さらに、昨年2020年10月に新装版が出版されていて、私はその新装版を借りて読みました。たぶん、確認はしていませんが、中身は同じだと思います。高倉健主演で映画化された『鉄道員』は、完全なファンタジーというよりも、主人公が幻想を見るという解釈も可能なのですが、コチラの『地下鉄に乗って』はタイムスリップですので、完全なファンタジーです。戦後闇市から大企業を育て上げた立志伝中の財界人の3人の倅のうち、次男を主人公とし、この主人公が愛人とともにタイムスリップを繰り返し、高校生のころに自殺した長男の自殺を食い止めようと試みつつ、父親が満州に出征するところ、同じく父親が闇市で精力的に活動するところ、などなど、さまざまな場面を目撃し、最後は驚愕の事実に遭遇する、というストーリーです。私のように、地下鉄で通勤する人間にはそれなりに興味を持って読めました。

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最後に、佐伯泰英『幼なじみ』(講談社文庫) です。著者は、スペインの闘牛の小説などを手がけつつも、ソチラはまったく売れず、時代小説で名の売れた小説家です。この作品は、長らく双葉文庫から出版されていた「居眠り磐音」シリーズが講談社文庫に移籍し、そのスピンオフ作品の5作目にして最終作です。なお、同じく「居眠り磐音」シリーズから、磐音のせがれの空也を主人公とする「空也十番勝負」もスピンオフしているんですが、当初予定の10作に満たずにすでに終了していますので、この作品がスピンオフも含めた「居眠り磐音」シリーズの最終作ということになります。スピンオフですので、主人公は坂崎磐音ではなく、鰻処宮戸川に奉公する幸吉と縫箔師を目指し江三郎親方に弟子入りしたおそめの2人です。小さいころから、磐音の媒酌により祝言に至るまで、本編では明らかにされていなかったトピックも交えつつ、幸吉中心の第1部と遅め中心の第2部に分けて語られています。おそらく、シリーズは武者修行を終えた空也がお江戸の神保小路の道場に戻って、この先も続くんでしょうね。私は引き続き買うのではなく、図書館で借りて読み続けるような気がします。

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2021年2月20日 (土)

なかなかペースダウンできずに今週の読書も経済・経営書をはじめとして計4冊!!!

今週の読書は、モビリティ経済に関する経済・経営書2冊に加えて、マルクス主義の新しい見方を示した話題の新書、さらに、例の女性蔑視発言に触発されて女性差別に関する新書まで、いろいろと読んで以下の計4冊です。残念ながら、今週は小説はありませんが、来週は何冊か読む予定です。

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まず、深尾三四郎 & クリス・バリンジャー『モビリティ・エコノミクス』(日本経済新聞出版) です。著者2人はよくわからないのですが、モビリティ・オープン・ブロックチェーン・イニシアティブ(MOBI)の理事と共同創設者らしいです。本書のタイトルというよりも、むしろ、副題である「ブロックチェーンが拓く新たな経済圏」の方が中身をよく表している気がします。すなわち、自動車会社、というか、モビリティ産業の視点が十分ある一方で、ブロック・チェーンやより広い意味での分散台帳技術(DLT)が、さまざまな製造や流通上のブレイクスルーを準備している現状を紹介しようと試みています。冒頭では、取引コストの上昇とEVの価格低下から、自動車産業が規模の不経済に陥っていて、本書が示す解決方法は、現在の車両生産の自動車産業からデータを資源とするモビリティ産業への移行ということになります。すなわち、車両走行時に収集したデータを収益源とすることです。ですから、例えば、最後の方の両著者の対談では、EVのテスラにどうして世界が注目するかといえば、製品価値や技術ではなく、テスラがデータ企業とみなされているからである、と解説しています。要するに、トヨタなんかもこの方向を目指すべきである、ということになります。そして、その基礎となる技術がブロック・チェーンという位置づけです。ただし、本書のタイトルになっているモビリティ産業だけではなく、より幅広い産業で応用可能な技術である点も強調されています。モビリティ産業としては、電気自動車(EV)が走る蓄電池として社会的なインフラを構成する可能性を指摘し、そのためにはブロック・チェーンによる詳細な管理が必要、という指摘がなされています。ですから、インフラという観点から、単に技術面だけでなく、コミュニティについても本書では論じています。すなわち、ノーベル経済学賞を受賞したオストロム女史の研究成果、人間中心のコモンズ管理を引いて、いわゆるハーディン的な「コモンズの悲劇」を避けるサステイナブルな互酬の精神にも触れています。ただし、1点だけ、大学に再就職する前に役所でシェアリング・エコノミーを研究して、それなりの研究成果も得ている私としては、ブロック・チェーンによりシェアリング・エコノミーとコモンズの接点が得られるとは到底思えません。シェアリング・エコノミー、特に日本語の民泊でスペースを貸そうとしているのは、純粋な利潤追求の観点しかないと私は見ています。ただ、そういったコモンズの管理からアジア的なスマート・シティへ視点を広げるのは十分理解できる部分と考えます。繰り返しになりますが、自動車産業やモビリティ産業だけでなく、ブロック・チェーン技術を用いた幅広い産業の進化に関するなかなか興味深い読書でした。他方で、ブロック・チェーンで処理されるビッグデータについても、もう少し解説が欲しかった気もします。モビリティ産業の生み出すデータはどのように活用され、利益を生み出すのでしょうか?

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次に、デロイト・トーマツ・コンサルティング『続・モビリティー革命2030』(日経BP) です。著者のデロイト・トーマツ・コンサルティングはいわずと知れた会計事務所を基とするコンサルティング会社であり、10人を超える日本人スタッフが執筆に当たっているようです。なお、「続」のない方の『モビリティー革命2030』も同じ出版社から出ていて、私のこのブログでは2016年12月24日付けの読書感想文で取り上げています。ということで、『モビリティ・エコノミクス』よりも、より自動車産業に密着したコンサル本です。いずれにせよ、コストアップの割には製品価格の上昇が抑えられ、さらに、環境対応をはじめとしてコロナ禍もあって、自動車産業の先行きが不透明化する中で、産業としての生き残りについてコンサル的に考えを巡らせています。まず、環境をはじめとするESG投資が当然のように見なされるようになり、CO2のゼロエミッションなどの技術的なブレイクスルーが必要とされる中で、特に、私のようなシロートでも、我が国の自動車産業では川下のディーラーや川上の部品サプライヤーも含めたひざ詰めによる開発のすり合わせが、コロナ禍でどのように変化するのか、という疑問があります。加えて、MaaSによるサービス産業化がいわれて久しく、UBERはタクシーに近いサービスですので少し違うとしても、自動車のシェアリングが進む中で、モノとしての自動車の未来がとても不透明になっています。さらにさらにで、我が国でもJALやANAなどの航空産業はコロナ禍で需要が大きく減退し、輸送サービスとしても、輸送手段の自動車の販売も、新たなニューノーマルに着地するまで、どのような方向に進むのかは私ごときにはまったく判りません。ただ、本書ではラチ外のような気もしますが、自動車産業は我が国産業の中でも極めて重要なポジションを占めており、その先行きについては注目せざるを得ません。例えば、我が国産業構造は自動車産業のモノカルチャーとまではいいませんが、MaaSによって自動車交通があまりに効率的に再構成されて、その結果として、自家用車が公共交通機関に近くなれば、ひょっとしたら、自動車販売台数に影響を及ぼす可能性もあります。ただ、それにしては、産業としての重要性を無視しているとはいえ、本書の方向性はやや物足りないものがあり、海外展開とか、系列再編とか、あまりにもありきたりです。前の「続」のない方の『モビリティー革命2030』でも同じ評価を下しましたが、「迫力不足で物足りない」読書でした。

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次に、斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書) です。著者は、大阪市立大学の研究者です。限られた範囲かもしれませんが、それなりに話題の書だと思います。我が家で購読している朝穂新聞に大きな広告が出ているのを見たことがあります。少なくとも出だしはとてもよかったです。外部化とか、外部経済を思わせるような用語を多用し、要するに、私が従来から主張しているように、資本主義が立脚している市場価格による資源配分が、実は、かなりの程度に外部性などによって歪んだ価格により資源配分がなされているような雰囲気を醸し出していました。第2章の気候ケインズ主義もまあ、許容範囲といえますし、第3章の資本主義を否定しないという意味で、改良主義的脱成長を批判するのもいいでしょう。しかし、第4章で未出版マルクス文書の発掘から、「晩期マルクス」に着目するあたりから話がスライスします。その後は、コモンの考え方なんかはいいとしても、史的唯物論の生産力増大の否定と脱成長なんかは、今までのマルクス主義観から大きく外れている点は著者本人も自覚しているようで、私からすればかなりOBに近いゾーンに落ちたような気がします。私は、繰り返しになりますが、資本主義社会とは市場による資源配分であり、それは価格をシグナルとしています。そして、モデルにおける価格はかなり非現実的な仮定から、現実にはあり得ないような前提が満たされる場合に、価格は効率的な資源配分を可能にします。しかし、現実には独占や外部経済により価格は大きく歪められており、ホントに社会的に正しい価格が市場で実現することはほとんどありません。エッセンシャル・ワーカーの賃金とブルシット・ジョブへの報酬が典型的です。その点は、著者が哲学の研究者であることを割り引いても、やや無理解に過ぎる気がします。その上で、私は、本書の著者の見方からすれば旧来マルクス主義なのかもしれませんが、生産力がほぼほぼ一直線に拡大する中で、商品の希少性が失われて社会主義ないし共産主義に到達するルートを無視することはできないと考えています。本書でも、ハーバー・ボッシュ法による廉価な化学肥料の大量生産が可能となり、『資本論』の指摘が当たらなかった点は認めていますし、従って、技術革新のパワーはマルクスの『資本論』でも見通せなかったことは明らかです。加えて、私が疑問に思うのは、「晩期マルクス」がどう考えていたかに、あまりに重点を置きすぎている気がします。有り体にいえば、マルクスがどういおうと、正しいことは正しいですし、間違っていることは間違っているわけです。まるで宗教の教祖の言葉を忠実になぞるようなことをするのではなく、時々の経済社会を正確に分析して把握した上で、その進むべき方向を科学的に明らかにする必要があるように思います。最後の最後に、本書では共産主義ではなく、「コミュニズム」という用語を多用しています。私の知る『ゴータ綱領批判』にある「必要に応じて」と定義される共産主義とは、異なるモノが想定されているのかもしれません。

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最後に、中村敏子『女性差別はどう作られてきたか』(集英社新書) です。著者は、北海学園大学名誉教授の政治学の研究者です。女性差別の歴史について、第1部でイングランド、第2部で日本に、それぞれスポットを当てて、それなりに歴史的に解明しようと試みています。例の、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森会長(当時)の女性蔑視発言が話題になり、私の読書の手がこの本にも伸びた、というわけです。ということで、大きな枠組としてはケイト・ペイトマンのモデルが用いられています。家父長制の例でいえば、p.15にあるように、伝統的家父長制、古典的家父長制、近代的家父長制というカンジです。古典古代のアリストテレスから始まって、イングランドにおける女性差別の歴史、すなわち、ホッブズやロックの社会契約に基づいて女性の地位が低下してゆく経緯が明らかにされます。私は専門外ながら、ロックは女性君主を認めていて、それなりの男女平等論者ではなかったのか、と思っていたのですが、むしろ、無秩序な「自然状態」を考えるホッブズの方が男女平等に近い、という評価のように読めます。そして、産業革命によりミドル・クラス、すなわち、マルクス主義的に表現すればブルジョワジーが誕生し、男が外で経済活動という公的な役割を受け持つ一方で、女性は家庭を取り仕切る主婦という私的な役割が与えられることになります。それが最近まで続くわけなんでしょうが、ここでイングランドの歴史はブチ切れています。他方、日本では公と私という分類ではなく、江戸時代から家庭内の役割分担があり、家の原理である地位に基づく権限、という考え方があって、イングランドよりもある意味で男女平等だった、と評価しています。むしろ、明治維新以降の海外の民法を参照する際に、男性が生物的属性により権力を持つ、という思想が導入された、と指摘します。日本的な男女観では、福沢諭吉を引いて、かなりの平等観を示しています。さらに、日本的な家の中の役割分担は高度成長期まで残り、男性が外で稼ぐ一方で、女性は一家の財布の紐を握るという、「欧米の主婦に比べて居心地のいい立場にいた」(p.168)と指摘しています。我が家もそうです。ただ、私が決定的に物足りなく感じるのは、大きく欠落した部分がある点です。すなわち、結論として、著者は、世界経済フォーラムのジェンダー・ギャップ指数などに見る我が国の男女不平等は、欧米的な基準の見方であって間違っている、と主張したいのか、というとそうでもないようです。では、ジェンダー・ギャップ指数のような日本の女性差別があるとして、そうならば、明治期に欧米から民法を導入する前の日本に比べて、現時点では、ひどい男女不平等社会になってしまったのはなぜなのか、あるいは、欧米と日本が逆転したのはなぜなのか、という点が欠落しています。どうも、オススメできない女性差別論の読書でした。

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2021年2月13日 (土)

今週の読書は経済の学術書『日本経済の長期停滞』のほかは新書ばかりで計4冊!!!

今週の読書は、本格的な経済学の学術書のほかは新書ばかりで計4冊読みました。以下の通りです。なお、新書といえば、話題の『人新世の「資本論」』がそろそろ予約が回ってきそうで、私はマルクス主義経済学にはまったくシロートなんですが、それでも楽しみです。

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まず、小川一夫『日本経済の長期停滞』(日本経済新聞出版) です。著者は、大阪大学をホームグラウンドとしていた研究者ですが、すでに定年退職しているようです。本書は、2部構成となっており、第1部では供給サイドから、また、第2部では需要サイドから、それぞれ、タイトルである日本経済の長期停滞について分析しています。なお、決して、一般のビジネスパーソン向けの経済書や教養書ではありません。かなりレベルの高い学術書です。おそらく、学部学生のレベルを超えて大学院の教科書として採用してもおかしくない水準であると考えるべきです。ということで、第1部の供給サイドでは、企業の設備投資が停滞している原因として先行きの不透明さ、あるいは、悲観的な期待の役割が大きいとの結果が示されており、その期待形成には需要、とりわけ消費の伸びが低いことが大きな原因となっている、と指摘しています。逆からいって、巷間よくいわれるような生産性の伸びの鈍化は日本経済の長期停滞の要因としては否定されています。私のように適当な直感ではなく、本書で展開されている緻密な計量分析の結果として、供給サイドの生産性が日本経済の停滞の要因ではなく、需要、特に消費が停滞の大きな要因との分析結果を得ています。ここまではOKだという気がします。ただ、第2部の需要サイドに入って、その消費の停滞の原因として、年金の不足が原因として上げられています。第7章では家計調査のデータを基に、家計の消費行動について、その基礎となっている所得や資産・負債までスコープに入っていながら、そこから大きくスライスしてしまって、なぜか、第8章から家計が公的年金制度をどう見ているか、に分析を進めています。とても不可解です。消費を決めるのは、所得とマインドであり、その消費をダイレクトに決める要因の分析がなされて然るべきなのですが、消費の裏側で決まる貯蓄の決定要因の方に分析を進めてしまっています。おそらく、何らかの強い思い込みが基礎にあって、それに引きずられたのであろうと想像しますが、消費の低迷が設備投資の停滞の原因となり、日本経済が長期停滞に陥っているというのであれば、消費を正面から分析すべきです。そうすれば、年金なんて迂遠な原因ではなく、日々の生活費のもとになっている賃金・所得の要因が大きくクローズアップされると私は考えるのですが、その賃金・所得については分析対象とすらせず、なぜか、年金に分析を進めてしまっているのは、すでに結論を決めてからのあと付けの分析になっているような気がしてなりません。賃金・所得の要因と年金の要因の両方が分析された後の結論であればともかく、賃金・所得をパスした上で年金だけを分析対象にしたのは本書の大きな欠陥といわざるを得ません。ただ、夫婦ともに正規雇用であれば貯蓄取崩しに抵抗低いので、雇用面での政策の必要性だけはまあ、いいような気はします。年金については同意しかねます。私のような研究者には、読んでいて勉強になったことは確かです。途中までの生産性要因を否定して需要要因を分析し始めたところまではいいんでしょうが、途中から大きくスライスして、結論においてはOBゾーンに落ちてしまった気がします。クオリティの高い分析だけに、とても残念です。

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次に、野口悠紀雄『リープフロッグ』(文春新書) です。著者は、財務省出身のエコノミストであり、私なんぞよりもずっと名が売れていますので、紹介の必要もないと思います。リープフロッグとは、その名の通り、カエル跳びであり、経済的には遅れた状態から一気に歴史的な段階を経ずして先に進む、ということです。本書冒頭では中国の例を引いています。すなわち、通信においては、固定電話に必要な基地局とかをパスして、固定電話の段階をすっ飛ばして携帯電話に進んだり、あるいは、金融においては、銀行網を構築した上で決済システムを形成するという段階をすっ飛ばして、いきなり、現金流通が不十分なままの段階でキャッシュレス決済の段階に進んだり、といった点が指摘されています。我が日本では、通信も金融も歴史的に欧米先進国がたどった段階を経つつ、いわゆるキャッチアップを果たしていますが、中国やほかのいくつかの新興国などでは、日本を含む先進国のたどった経済発展段階をすっ飛ばしたリープフロッグで進んでいる場合が少なくありません。そういった歴史を、近代少し前の大航海時代のポルトガルから始まって、ラテンアメリカに大きな植民地を築いたスペイン、さらに、短いオランダの覇権を経て、英国、そして、20世紀に入って第1次世界対戦後の米国と、まあ、リープフロッグで説明できる範囲は限られているような気もするものの、経済分野に限定せずに覇権国家の変遷を歴史的に、かつ、経済的な基礎を持ってあと付けています。その上で、キャッチアップならざるリープフロッグによって、我が国経済が世界のトップに躍り出る可能性について考えています。結論として、とてもありきたりで月並みなのですが、既得権をいかに乗り越えるか、という課題があることが示唆されています。しかし、最後に私の付足しながら、これら覇権国の交代模様を見ていると、トゥキディデスの罠よろしく、ホントに戦争で決着をつけたのはアテネとスパルタ以降ではスペインと英国ぐらいのもので、米国から中国にもしも覇権が移行するとしても、武力による決着ではないような気がします。

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次に、中野敏男『ヴェーバー入門』(ちくま新書) です。著者は、東京外語大学などに在籍した研究者であり、当然ながら、ヴェーバー社会学が専門です。ヴェーバー社会学を理解社会学と位置づけ、いくつかのヴェーバーの代表的な成果、すなわち、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、『経済と社会』などから、少しだけ宗教社会学までスコープを広げつつ、入門書として取りまとめています。私は『プロ倫』くらいしか読んだことはありませんが、本書でも指摘されているように、大塚教授のような目的論的関連の因果関連への組みかえ、という視点しかありませんでした。本書で批判しているように、資本主義の起源論なわけです。もちろん、資本主義の精神がプロテスタンティズム、特にカルバン派の倫理にとても良くフィットしたのは当然ながら、それら市民階級の専制に寄与したという視点はまったく持ち合わせていませんし、本書を読み終えた後でもまだ疑わしく感じています。というのは、私はマルクス主義的な史的唯物論が世界の歴史にはよく当てはまり、それ故に正しいと考えていますから、経済的な土台の上に上部構造が乗っかっている、というのは、とてもよく現実を説明していると考えており、ヴェーバー的なその経済的土台と上部構造の関係だけに還元できない文化・思想領域における相対的に独立した展開は、歴史的に無視できる範囲と考えています。欧州中世の宗教戦争、もちろん、カトリックとプロテスタントとの争いの中に、こういった視点を見出そうとする向きもあるようですが、ルターがそもそも反対したのは免罪符の販売という宗教的というよりは経済的な行為に対してですし、その昔のキリスト教はいうまでもなく、21世紀の現在における新興宗教はほぼほぼ経済の原理に従って動いていると私は考えています。最後に、とても興味本位な読み方ながら、p.171に『宗教ゲマインシャフト』の構成について、ヴェバーの妻マリアンネの手になる編集に対して、本書の著者が考える構成が示されています。私くらいのシロートがどうこういう見識は持ち合わせていませんが、よく知られたようにマルクスの『資本論』は第1館飲みがマルクス本人による編集であり、第2巻と第3巻はエンゲルスによる編集です。少なくとも私の恩師は、第3巻の最終章が三大階級で終わっているので、エンゲルスの編集は正しい、と考えていたように私は受け止めていえるんですが、アノ当時はこういった形でパーツを書き散らしておいて、最後に編集するというスタイルだったのだろうか、とついつい考えてしまいました。

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最後に、坂井孝一『源氏将軍断絶』(PHP新書) です。著者は、創価大学の研究者であり、専門は日本中世史だそうです。本書では、源頼朝が開いた本格的な初めての武士政権である鎌倉幕府について、2代目の頼家と3代目の実朝が指導者としての資質に欠け、あるいは、京の公家のように蹴鞠や和歌に目が行った惰弱な性格で、源氏将軍が途絶えて、摂家将軍から親王将軍と名目的な将軍を北条執権体制が補佐する、といいつつ、実は、北条家が実質的な支配を強める、と中学校や高校の歴史では習っています。私もまったくの専門外ですので、そのような考えを持っていたりします。それに対して、本書では、蹴鞠や和歌などは京の朝廷や公家との交渉に当たるに必須の嗜みであり、決して「惰弱批判」は当たらず、実朝は武士であるとともに、治天の君である後鳥羽院の従姉妹を御台所に迎えた公家でもあることから、そもそも、実朝が自分の後任将軍に親王を要請し、後鳥羽院も実朝が後見する親王将軍の可能性を肯定していた、という視点を提供しています。逆に、実朝が暗殺されたがゆえに、後継将軍は親王ではなく摂関家から出す、ということしか認められなかったのではないか、と指摘しています。後鳥羽院が深く信頼する実朝が後見するから、京と鎌倉の二重政権になる恐れなく、親王を鎌倉に将軍として送り出すことが可能と後鳥羽院が考えたわけで、実朝なき鎌倉に親王将軍は許可できなかった、という見立てです。実朝が後継たる嫡子を得られなかったにもかかわらず、妾を取らなかったことも補強材料とみなされています。ただ、それにしては、もう少し後になれば親王将軍がでているわけですから、やや疑問が残らないわけではありません。いずれにせよ、古典古代の奈良時代や平安時代から中世をつなぐ重要なポイントにある鎌倉期については、私はまったくのシロートですが、というか、日本史一般にシロートなんですが、シロートなりにも興味を引き立てられる歴史書でした。

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