2019年1月12日 (土)

今週の読書は経済書にエンタメ小説まで加えて計6冊!

先週の読書感想文からほぼ通常通りの週数冊のペースに早くも戻り、今週も以下の6冊です。経済書はもちろんありますし、新本格派の京大ミス研出身の我孫子武丸による小説もあります。今日はすでに自転車で図書館を回り終えていますが、来週も数冊の読書が楽しめそうです。

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まず、 コンスタンツェ・クルツ & フランク・リーガー『無人化と労働の未来』(岩波書店) です。著者2人はいわゆるホワイトハットハッカーらしく、情報に強い印象です。本書は原書の全訳ではなく、いくつかの章を省略した抄訳となっています。副題は「インダストリー4.0の現場を行く」と題されていて、世界に先駆けて「第4次産業革命」を打ち出して、AIをはじめとするソフトウェアに加えて、ロボットとネットワーク化による製造現場の変革を進めてきたドイツを舞台に、主食のひとつであるパンが出来上がるまでを跡づけます。すなわち、農場で小麦が栽培されて収穫されるまでの機械化の進展を見つつ、農業機械の製造現場も振り返り、ロジスティックスで穀物の運輸、もちろん、パンの製造やその後の製品の流通など、第1部でパンが出来るのを跡づけた後、第2部で労働の未来の考察に進み、まず、話題の自動運転から始まります。結論としては、馬車がトラックに取って代わられた歴史的な例などを参照します。しかし、本書のドイツ語原初の出版は2013年であり、5年前という技術的な進歩の激しい分野では致命的な遅れがあります。もちろん、技術に関する哲学的な考察で有用なものは本書からも決して少なくなく汲み取れるんですが、それにしても、土台となる技術的な発展段階が5年前では見方にバイアスも避けられません。そのあたりは、5年前の技術水準に依拠して書かれている点を忘れず読み進むことが必要です。最後に、この書評ブログでは著者とともに、翻訳書の場合は原語の原題もお示しするんですが、わざわざ、最後に回したのは、ドイツ語原題が Arbeitsfrei となっていて、Arbeits と Frei の間にパワー=力を意味する macht を入れると、とても意味深長、というか、やや使うのはためらわれる場合もありそうです。すなわち、「都市の空気は自由にする」= Stadtluft Macht Frei をもじって、ドイツ人作家ロレンツ・ディーフェンバッハがこれを小説のタイトルとして Arbeits Macht Frei として用いた後、20世紀になってワイマール共和国期に失業対策として実施された公共事業に対しての表現として用いられ、何と、ナチス政権下ではこの表現をアウシュビッツをはじめとする多くの強制収容所の門に記しています。著者をはじめとして多くの教養あるドイツ人や、おそらく、日本人ながら翻訳者には判っていると私は想像しているんですが、私には謎ながら、何らかの意図があるのかもしれません。

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次に、藤井聡『「10%消費税」が日本経済を破壊する』(晶文社) です。著者は、京都大学の工学部教授であり、最近まで内閣官房参与として安倍内閣のブレーンを務めてきた研究者です。タイトルからも理解できる通り、本書では今年10月の消費税率の10%への引き上げに強く反対する論陣を張っています。かなり経済学的には怪しい論拠がいっぱいで、レーガノミクスで税率を引き下げれば税収が増加するというラッファー・カーブというのがあり、当時のブッシュ副大統領が voodoo economics と呼んだシロモノで、大いにそれを思い起こさせる内容もあったりしますが、直感的には理解しやすいと思いますし、例えば、アベノミクスも同じで、最近の税制の変更により法人税を減税して、その分を消費税で徴収している、という主張はその通りです。ただ、1989年の消費税導入時はインフレだったのでOKだが、1997年の税率を5%に引き上げたのはデフレ圧力を強めた、というのは必ずしも私は同意できませんし、本書で大きく批判されている2014年の消費増税についても、タイミングは私自身は正しかった、と考えています。もっとも、今年の税率引き上げについては、私もタイミングについて疑問に感じる一方で、短期的にはともかく、中長期的には消費税率は引き上げざるを得ない、そうしないと政府財政のリスクが大きくなる可能性が高い、と私は考えています。著者は政府財政の破綻は将来に渡ってもないと考えているようですが、私は現実問題として何らかの市場の反応次第では、政府財政が破綻することはあり得ると考えています。実際に何が起こるかといえば、いわゆるキャピタル・フライト、すなわち、資本逃避で海外に資産を移し替える富裕層が増加し、そのために為替が急激に円安になる一方で、外貨が不足して市場介入も限界があるため、輸入ができなくなる、というルートです。そのリスクを抑制するためには政府財政の健全化は避けて通れません。他方で、本書ではスコープ外なんですが、シムズ教授らの物価水準の財政理論(Fiscal Theory of the Price Level:FTPL)もあり、経済学の曖昧さが露呈している気もします。悩ましいところです。

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次に、西部忠[編著]『地域通貨によるコミュニティ・ドック』(専修大学出版局) です。編著者は北海道大学から専修大学に転じた経済学の研究者で、本書は主として北海道の地域コミュニティで実践された地域通貨事業から、ブラジルの実践例も含めて、地域のコミュニティの維持強化を分析しています。特に、ダンカン・ワッツ教授のスモール・ワールド理論などにおけるネットワーク分析はとても特徴的であると私は考えています。専門外ですので、詳しく解説はできませんが、地域通貨が何らかのノードのハブとなる団体、例えば、商店街連合会とか環境NPOとかから、地域住民や商店主にどのような広がりを持っているかは、コミュニティ維持強化の観点からの分析に、あるいは、適しているのかもしれないと実感しました。ただ、地域通貨の経済効果は、本書のスコープ外かもしれませんが、おそらくありきたりのものとなろうかという気がします。というのも、要するに、プレミア付きの地域通貨は財政政策による所得移転であろうと考えますし、あるいは、部分的にはマネーサプライの増加に代替する可能性もあります。さらに、プレミア付きの地域通貨を回収する際に手数料を徴収して、元の通貨価値で回収するのであれば、例えば本書に例に即していえば、500円の現金で525ポイントの地域通貨を発行して、回収する際には5%の手数料を徴収して525ポイントの地域通貨を500円で買い取ることにすれば、典型的にグレシャムの法則、すなわち、「悪貨は良貨を駆逐する」が働いて、通貨の流通速度が大きく増します。その点は本書でも確認されています。ただ、繰り返しになりますが、通常の財政金融政策の観点からの地域通貨の分析ではなく、地域コミュニティの維持強化の方策としての分析は、今後の地域分析のツールとして目新しい気がします。まあ、一応、地域経済研究の論文をものにしているものの、単に私の勉強不足なだけで、ほかにも同様の研究成果はいっぱいあるのかもしれません。

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次に、デイビッド・サックス『アナログの逆襲』(インターシフト) です。著者はカナダ在住のジャーナリストであり、上の表紙画像に見られる通り、英語の原題は The Revenge of Analog ですから、邦訳タイトルはそのままです。2016年の出版となっています。本書はモノの第1部と発想の第2部の2部構成で、第1部ではレコード、メモ帳、フィルム、ボードゲーム、プリントが、第2部ではリアル店舗、仕事、教育が、それぞれ取り上げられています。今までのアナログ礼賛は、単に、デジタルの現時点から昔を懐かしがるノスタルジーだけだったような気がしますが、本書はかつてのアナログから一度デジタルに進化した後、再びアナログに戻る動きを活写しています。これは今までになかった視点かもしれません。ただ、アナログ≃オフライン、かつ、デジタル≃オンライン、とも読めます。というのも、本書ではしばしば「テクノロジー」という言葉が出てきますが、テクノロジーとして考えれば、どこまでさかのぼるのか、という問題があるからで、自動車は問題なくアナログなんですが、馬車までさかのぼる必要があるのかどうか、は本書では否定的な雰囲気があります。レコードとCDではそれほど違いはないのかもしれませんが、デジタルのオンラインではかなりの程度に独立した個人として対応する必要がある一方で、アナログのオフラインではより社会性のある対応が求められる、特にゲームなんぞはそういう気がします。ただし、本書に限らないのですが、最近のオンライン技術やデジタル技術については、1990年台のインターネットの普及のころからそうですが、私のような経済を専門とするエコノミストには製造やサービス提供の場での生産性向上に用いられるよりも、典型的にはゲームのような娯楽で用いられるケースが増えているような気がします。ですから、乗馬が実用的な輸送手段としては街中から消え去って、どこかの乗馬クラブで趣味として生き残っているように、アナログもどこかで趣味として生き残る可能性は大いにありますが、生産の場でのメインストリームとして復活するのは難しそうな気もします。

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次に、我孫子武丸『凛の弦音』(光文社) です。作者は、ご存じの通り、綾辻行人や法月綸太郎と同じく、わが母校の京大ミス研出身のミステリ作家であり、本書は『ジャイロ』に連載されていたものを単行本化した小説です。高校生の女子弓道部員を主人公にその1年生から2年生にかけての連作短編、なのか、長編なのか、ややあいまいなところです。ただ、新本格派のミステリの要素はそれほど強くなく、最初の短編では殺人事件も起き、主人公の女子高校生がなぞ解きをしますが、むしろ、周囲の人々との関係を描きつつ、主人公の成長を跡づける青春小説といえます。実は、ミステリとともに私の好きな小説のジャンルだったりします。7章構成ですが、繰り返しになるものの、最初の第1章に殺人事件が起こり、ほかにも、1年生の新入部員の突然の退部の真相解明とか、高価な竹弓の紛失の謎解きなどもある一方で、放送新聞部の男子部員が主人公にピッタリとくっついて動画に収録したり、新任の女性教諭の弓道指導に対する疑問と理解の進展、同じ高校弓道部の同級生や先輩の部長との人間関係、さらには、ライバル校の花形選手との関係などなど、色んな要素がてんこ盛りなんですが、ただ、弓道に対する考え方については私には理解できないものがありました。本書でも主人公が独白しているように、戦国時代には戦闘の中で実用的に殺人を行う技だった弓の技術が、剣と同じように、徳川期の天下泰平の世の中になって、殺人技術というよりは精神的な要素を強めて、あるいは、形の美しさを極めたりもして、スポーツの要素も取り入れた弓道に変化発展する中で、それが生活の糧をもたらさないにもかかわらず、どのように人生の形成や人間的な成長に必要とされるのか、難しい問題ではないかと思います。ちょうど、お正月休みに「ホビット」3部作のDVDを見て、エルフの戦士が弓を活用しまくっていましたし、人間が龍を倒すのにも矢を使ったわけですから、何となく弓の活用も頭に残っていましたが、道を極めるという意味での弓道の青春物語は面白くもあり、同時に難解でもありました。

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最後に、高嶋哲夫『官邸襲撃』(PHP研究所) です。著者はエンタメ小説の売れっ子作家であり、私は著者の専門分野である核や原子力関係の本や自然災害のパニック本などを何冊か読んだ記憶があります。本書は、タイトル通りに、総理大臣官邸が謎のテロ組織に襲撃され、女性首相の警護に当たっていた女性SPの活躍により制圧する、というものです。もちろん、テロは制圧されます。ただ、日本国内の動機だけでなく、というよりも、テロの目的なむしろ米国にあり、米国国務長官が官邸に滞在している折を狙っての襲撃と設定されています。そして、ご本人も知らないような米国大統領の縁続きの女性が人質になったり、グリシャムの「ペリカン文書」にインスパイアされたとしか思えない文書の公開要求があったりと、いろいろな読ませどころがありますが、こういった書物にありがちな設定ながら、女性総理が官邸で人質になった後、お飾りで優柔不断で、いかにも旧来タイプの政治家であった副総理が一皮むけて立派な決断をしたり、米国と日本で判断のビミョーなズレがあったり、映画の「ダイハード」よろしく不死身の主人公が縦横無尽に活躍したりと、こういったあたりはややありきたりな気もします。私のオフィスからほど近い官邸がテロ組織に襲撃されるというのは、確かに実感としてムチャな気もしますし、著者の専門分野の原子力や自然災害のパニック本よりも、リアリティに欠けるように感じられますが、私自身がもうすぐ定年退官ながら公務員として総理大臣官邸を身近に感じられるだけに、それなりに面白く読めた気もします。私のようにこの作者のファンであれば読んでおいて損はないと思います。また、もしも映画化されれば、主人公の女優さん次第で私は見に行くかもしれません。

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2019年1月 5日 (土)

今週の読書は通常通りに計5冊!

今週は年末年始休みだったんですが、ついつい通常通りの読書をこなしてしまいました。他方、サンソムの「チューダー王朝弁護士シャードレイク」のシリーズもそこそこ年末年始に読んだりもしました。それは別にして、経済書などは以下の計5冊です。

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まず、横山和輝『日本史で学ぶ経済学』(東洋経済) です。著者は名古屋市立大学の研究者であり、専門は経済史です。本書は7章から成っており、前半の基礎編は3章、貨幣、インセンティブ、株式会社で、後半の応用編の4章は銀行危機、取引コスト、プラットフォーム、教育という構成です。ノッケからビットコインなどの仮想通貨と中世日本の宋銭の輸入の同一性について、あるいは、織田信長などの楽市楽座にプラットフォームをなぞらえたりと、かなり強引な立論を組み立てていたりしますし、第2章で「インセンティブ」を刺激と訳してしまっていて、通常の誘引と違うと感じたりしていますが、そのあたりの学術的な正確性を少し無視すれば、それなりに教養あふれる経済書、という気がしないでもありません。歴史を振り返ると、いくつかの経済制度などについては合理的な制度設計をすれば、自然と近代ないし現代的な経済学の応用に落ち着くといえますから、前近代的な不合理性を取り除き、近代合理主義の要素を取り入れれば、そのままに経済合理性が実現できる可能性が大きいと私は考えています。ですから、本書のように、無理やりにこじつけなくても、織田信長のように時代を画する政治家や大岡忠相のような能吏であれば、そこは自然と経済合理性と軌を一にする判断ができるのではないかというわけです。どこかの企業のように粉飾決算を急いだり、あるいは、それがもとで倒産したりするのは、何らかの不合理的な企業行動、経済活動の累積がありそうな気がします。その素材として歴史を持ち出すのは、秀逸というと大げさかもしれませんが、それなりに人口に膾炙していて一般大衆に馴染みある判りやすい比喩や暗喩を用いた本書のような解説本は、繰り返しになりますが、学術的な正確性を大目に見た上で、それなりに有益な読書だという気がします。ただ、歴史を題材に経済学を解説しているのか、逆に、経済学を基に歴史を概観しているのか、やや不分明な気もしたりします。

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次に、ジャック・アタリ『海の歴史』(プレジデント社) です。著者はご存じ、フランスを代表する文化人であり、世界的な知性でもあり、最近では現在のマクロン大統領を見出したことでも注目されています。私の記憶する限り、もともとがミッテラン大統領のころに影響力を持ち始めたんではないかと考えられますから、それなりに左翼的な思考が中心となっています。本書でも触れられている通り、マハンの『海上権力史論』の焼き直しではあるんですが、典型的な会場帝国の英米に比較して、独仏は陸上帝国であり、ロシアや中国はもっとそうですから、本書でも、数回に渡ってフランスは海上制覇を逃していると反省をしています。その観点は基本的に地政学的であり、戦争や安全保障に源流がありそうですが、同時に、海の経済的な側面も見逃してはいません。まず、海洋資源採掘の産業である漁業についてはチョッピリ取り上げられているだけです。そして、大きな比重が置かれているのは貨物と情報の伝達ないし輸送です。確かに、石油をはじめとするエネルギーや小麦などの穀物は船で海上輸送するのに圧倒的な優位があります。従って、本書でもコンテナ輸送と海底ケーブルの敷設にスポットが当てられています。前半⅓くらいは、本書のタイトルと同じで海の世界史をひも解き、それから後の後半、特に最後は海のさらなる活用と保護に関して、著者なりのいくつかの提言めいたリストで終わっていますが、ハッキリいって、とってもありきたりで何度も聞いたような事項が並べられているだけであり、この著者でなければ、多くの人は読み飛ばすような気がします。私はアタリの最新刊、ということで借りて読みましたが、それほどの内容ではありません。期待外れともいえますが、こんなもん、という気もします。読むとしても、大きな期待は禁物でしょう。

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次に、辛島デイヴィッド『Haruki Murakamiを読んでいるときに我々が読んでいる者たち』(みすず書房) です。著者は早大の文学研究者であり、村上春樹文学が専門なんでしょうか。かなりの程度に学術書的な内容なんですが、タイトルからして私は少し誤解していました。つまり、その昔に『1Q84』でヤナーチェクの「シンフォニエッタ」が注目されたように、文学では何らかの典故が見られるわけですから、b村上文学でコッソリと引用されたり、やや変形させて引用されていたり、もちろん、文学だけでなく音楽や美術などで村上作品で直接でなくとも触れられているような文学以外の他のジャンルの芸術などについて分析している学術書、というよりも、教養書のようなものを想像していましたが、違います。本書では、1080年代半ばのバブル経済初期に村上作品を英訳して米国に売り込もうと試み、結果的には、それに成功してノーベル文学賞候補にまで村上春樹をビッグにした出版社や翻訳家や編集者について取り上げています。すなわち、我が国文学のビッグスリーである谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、あるいは、安部公房を加えてビッグフォーに次ぐ村上を米国出版界に押し出そうとしたわけです。私のように母語で村上作品を読める読者には関係なさそうな気もしますし、それなりに舞台裏や黒子を表に出す作業ですから、どこまで期待していいのかは議論の分かれるところかもしれません。ただ、まだ現役の作家であり、作品を出し続けているわけで、それなりに、同時代人としてインタビューながら村上作品を米国市場に出すための翻訳や編集や出版の実態を現時点で明らかにしておくことは学術的には意味ありそうな気もします。他方で、ほとんどの典拠がインタビューですから、話者と聴取者の双方により脚色・潤色されたり、歪められたりした可能性もやや懸念されます。

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次に、M.R. オコナー『絶滅できない動物たち』(ダイヤモンド社) です。著者はジャーナリストであり、『ニューヨーカー』、『アトランティック』、『ウォール・ストリート・ジャーナル』、『フォーリン・ポリシー』などに寄稿した経験を持っているようです。英語の原題は Ressurection Science であり、直訳すれば「復活の科学」とでもなるんでしょうか。2015年の出版です。ということで、人類に起因した絶滅に瀕した生物をどのようにすればいいのか、遺伝子レベルで復活させるのか、それとも、動物園などにおける「飼育」のレベルではなく、いわゆる生物界におけるニッチを探して自然界に再生させるまでする必要があるのか、などなど、絶滅種やその危惧種に対する議論を取りまとめています。タンザニアのカエルやアフリカのサイ、いろんな本で見受けられるアメリカのリョコウバト、あるいは、思い切ってネアンデルタール人まで、さまざまな種が取り上げられています。かつて、ダイヤモンド教授の一連の書籍を読んだ際に、どの本だったかは忘れましたが、生物の多様性について飛行機のリベットになぞらえられてあり、どれかひとつが失われることによるバランスの議論がなされていたように記憶しています。私は遺伝子レベルで生物多様性を論じることに大きな意味は見いだせず、生物界のバランスの中で失われて仕方ない生物種もあるような気がしますが、他方で、リョコウバトのように人類の勝手な行動により失われる種については惜しいような気もします。経済学はモデルの美しさから物理学に親近感を覚え、歴史的な進歩を生物学的進化になぞらえて、やっぱり、生物学に親近感を覚えるんですが、生物学と経済学は物理学と違って、ともにやたらと多数の変数を含むモデルですから、モデルの数学的な分析だけからでは予測の正確性に欠ける場合があります。本書でも指摘されているように、気候変動と生物進化の関係も解き明かされつつあり、なかなか興味不快問題ながら解決の難しさも感じてしまいました。

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最後に、古市憲寿『平成くん、さようなら』(文藝春秋) です。著者は話題の社会学者であり、若者文化の分析で若くして名を成しています。第160回芥川賞候補に上げられています。なお、タイトルの「平成」は今年2019年4月限りで終わる年号ではなく、その年号の登場とともに生を受けた人物名であり、「ひとなり」とよむようです(p.7)。そして、やや年齢違いながら、著者ご本人や落合陽一などになぞらえられているような気もします。でも、この作品がフィクションの小説ですので、そのあたりは確実ではありません。そして、その主人公は著者の造形らしく、合理的でクールな人柄で、例えば、意図して合理性を失う行為である飲酒を忌避したりします。しかも、平静を代表する人物であるだけでなく、学術的な成果もあってテレビのコメンテータなどでも活躍して金銭的な不自由なく、漫画家の霊場としてビッグコンテンツ管理で、これまた金銭的な不自由ない女性と同棲しつつも、性的な接触を嫌ったりもします。そして、ここからが問題なのですが、この作品がとても小説的で現実と異なっているのは、日本で安楽死が合法化されているだけでなく、かなりの安楽死先進国となっている点であり、平成くんが安楽死を希望している、ということです。同棲しているパートナーは平成くんに安楽死を思いとどまらせようといろいろなことをします。それがストーリーを形成しているわけですが、時間の進みとともに、平成くんが安楽死を希望している理由、あるいは理由の一端が明らかにされたりしますが、ラストの数ページを読む限り、平成くんは安楽死したのではないか、と思わせる締めくくりなんだろうと私は受け止めています。今上天皇の退位と年号としての平成の終了に関しては、大きなリンクはないと考えるべきです。

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2018年12月29日 (土)

今年最後の読書感想文はアジア開発銀行50年史など計6冊!

今年2018年最後の読書感想文のブログです。何といっても目玉はアジア開発銀行(ADB)50年史です。私はドライな人間ですから、どうということはありませんが、熱血漢であれば涙なしには読めない感動モノです。それから、年末年始休みに合わせたわけでもないんですが、何となくフィクションの小説が増えた気がします。いろいろと取りそろえて以下の6冊です。

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まず、ピーター・マッコーリー『アジアはいかに発展したか』(勁草書房) です。著者はオーストラリアのエコノミストであり、やや判りにくいタイトルなんですが、上の表紙画像の英語の原題である "50 Years of the Asian Development Bank" にうかがえる通り、本書はマニラに本部を置く国際機関であるアジア開発銀行(ADB)の50年史です。ですから、まあいってみれば、社史と同じで基本的に提灯本ではあるんですが、私の専門分野とも近く、アジア各国の経済発展の歴史をコンパクトに取りまとめていますので、オススメです。歴代の総裁に対する提灯持ちの姿勢は別としても、世銀や国際通貨基金(IMF)などのワシントン・コンセンサスに従った制作決定や業務運営と異なって、アジア開発銀行(ADB)ではもっとアジア的な色彩が強いのは事実ですし、その意味で、本書では世銀・IMFは国際収支への支援であるのに対して、ADBは医療などの社会政策や教育も含めた財政支援を重視した、というのは事実なんだろうと思います。巻末資料も豊富です。

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次に、オーナ・ハサウェイ & スコット・シャピーロ『逆転の大戦争史』(文藝春秋) です。著者は2人共米国イェール大学法学部の研究者であり、専門分野は国際法と法哲学ということのようです。英語の原題は The Internationalists であり、2017年の出版です。ということで、中世の絶対王政期から以降の現在までの期間における戦争に関する国際法の歴史について概観しています。オランダのグロティウスによる戦時国際法の確立から、基本的に、勝者の理屈が通る世界だった戦争に関する国際法なんですが、1928年のパリ不戦協定によって、それまでの帝国主義的な領土分割の結果が固定され、それ以降の侵略戦争に対する風当たりが厳しくなった点を跡づけています。その点で、日本も着目されており、満州国の成立とそれを否定するリットン調査団は、そういった世界的な風潮の最初の兆候であったと振り返っています。特に、1928年のパリ不戦協定から第2時世界大戦を経て、戦争や領土獲得を目的とした征服が大きく減じた点をパリ不戦協定の功績として着目しています。私は、進歩主義者として、こういった画期を考えるのではなく、世界の進歩の方向がそうであった、としか思えませんが、まあ、興味深い歴史的論考だと思います。

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次に、澤野由明『澤野工房物語』(DU BOOKS) です。私は音楽の方ではもっぱらにモダン・ジャズばかり聞いていますので、この澤野工房という欧州ジャズの、しかも、ピアノを中心に制作しているマイナー・レーベルは当然に知っています。私が聞いたのは、本書でも紹介されているウラディミール・シャフラノフにトヌー・ナイソー、そして、もちろん、山中千尋の初期作品です。シャフラノフや山中千尋はメジャーに移籍してしまいましたが、少なくとも、山中千尋については、私は移籍前後の、澤野工房でいえば「マドリガル」、あるいは、メジャー移籍後のヴァーヴでのデビュー第1弾「アウトサイド・バイ・ザ・スウィング」をもっとも高く評価しています。ジャズのマイナー・レーベルといえば、本場米国のアルフレッド・ライオン による「ブルーノート」、オリン・キープニュースによる「リバーサイド」、ボブ・ウェインストックによる「プレスティッジ」がとても有名なんですが、かのマイルス・デイビスがプレステッジからメジャーのCBSコロンビアに移籍する直前のマラソンセッションなども有名です。それはともかく、欧州のピアノ・ジャズが多いとは感じていましたが、澤野工房が兄弟2人で大阪の新世界と欧州に展開していたとか、元は履き物屋さんだったとか、知らない話題も満載で、とても楽しむことができました。

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次に、伊坂幸太郎『フーガはユーガ』(実業之日本社) です。作者はご存じの通りの売れっ子のミステリ作家で、数多くのエンタメ小説をモノにしていて、本書は最新作です。兄優我と弟風我の2人が、誕生日に2時間おきに入れ替わるというオカルト的な現象をアレンジして、優我がそれをテレビで取り上げてもらうべくジャーナリストにモノローグするという形でストーリーが進みます。父親のDVから始まって、暗くてノワールなトピックも盛り込みながら、独特の伊坂ワールドが展開されます。時折挟まれる優我の嘘が混じる旨のモノローグもあって、どこまでがホントで、どこからがウソなのか、瞬間移動もウソなんではないか、と思わせつつ、最後に大きなどんでん返しが待っています。なかなか、痛快でスピード感あふれるストーリーなんですが、ひとつだけ、同じような不可解なオカルト的な現象が生じる西澤康彦の『7回死んだ男』では、「反復落し穴」という独特のネーミングを用いています。本書でも双子の瞬間移動に何か特徴的な名前を付けて欲しかった気もします。

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次に、宇佐美まこと『骨を弔う』(小学館) です。今年2018年最大の話題を提供したミステリの1冊ではないでしょうか。ようやく図書館の予約が回ってきました。ということで、小学校高学年10歳過ぎくらいの仲良し同級生の男子3人女子2人の5人による秘密の行動の謎を、その中の1人である男子が解き明かそうと試みます。小学生の男女数名の仲良しグループの再会、ということになれば、スティーヴン・キングの『It』を思い出してしまいましたが、非科学的なホラーの要素はありません。それよりも、私の限られた読書経験の範囲からすれば、柴田よしきの『激流』っぽい気もしなくもありません。それにしても、評判に違わずなかなかの出来の小説です。個々人の名をタイトルにした章に合わせた文体の書き分けはまだしっくり来ておらず、一部に違和感が残るものの、プロット、とうか、構成はとても目を見張るモノがありました。ただ、最終章は蛇足というよりも、ムダそのものです。一気にストーリー全体がウソっぽくなってしまっています。文庫本に収録する際には削除すべきかもしれません。

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最後に、湊かなえ『ブロードキャスト』(角川書店) です。作者はご存じ売れっ子のミステリ作家です。とても明るい青春小説です。ただ、主人公が中学3年生から高校1年生の1年足らずの期間ですので、やや幼い気もします。従って、恋愛感情などは表には現れません。ということで、中学まで陸上の駅伝などの長距離走者だった主人公が、高校の合格発表の帰り道で交通事故にあって陸上を諦めて放送部の部活を始め、陸上部の駅伝で果たせなかった全国大会出場を目指す、というストーリーです。主人公は陸上でも、本書のタイトルとなった放送部でも目標となり、よき刺激を受けるライバルや友人に恵まれ、のびのびと高校生活を送ります。ただ、陸上を諦める大きな原因となった交通事故については、もう少し詳細を明らかにして欲しかった気がします。でも、私は今もってこの作品を読んだ後でも、この作者の最高傑作はデビュー作の『告白』だと思っているんですが、一連のモノローグの暗い物語から、次々に新境地を拓く作者に注目しているのも事実です。

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2018年12月22日 (土)

今週の読書は『宮部みゆき全一冊』や経済書をはじめ計7冊!!!

今週も、経済学や経営書を含めて計7冊、以下の通りです。来週金曜日を本年最後の開館日として、図書館は年末年始休みに入るところが多いような気がします。年末年始は少しDVDを見たり、文庫本を読んでのんびり過ごそうと予定しています。

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まず、ダン・アリエリー & ジェフ・クライスラー『アリエリー教授の「行動経済学」入門 お金篇』(早川書房) です。著者のうちアリエリー教授は実験経済学を専門とする研究者であり、もうひとりのクライスラーは弁護士の資格持つコメディアンだそうです。英語の原題は Dollars and Sense であり、2017年の出版です。タイトルからもお金にまつわる話が多いとされているようですが、中身はそれほどお金の話ばかりではなく、行動経済学一般の入門書となっています。ただ、こういったアリエリー教授の行動経済学の入門書は、類書も含めて、私も数冊読みましたが、どれも同工異曲であって、ツベルスキー・カーネマンのプロスペクト理論を基に、いくつか最近の実験経済学らしい実験結果を盛り込みつつも、よく似た内容が多くて、そろそろおなかがいっぱいになりそうな気がします。すなわち、相対性に幻惑されたセール価格の魅力、心の会計としてお金を分類して無駄遣いを抑制する心理、出費の痛みを軽減して支出させるマーケティング手法、アンカリングによるバイアスの発生、モノだけでなく経験も含めた所有に基づく授かり効果や損失回避、公正の実現と労力、マシュマロ・テストのような自制心の涵養、価格を過度に重視する製品ラインナップの幻惑、などなど、私のような行動経済学は専門外とはいえ、それでも何冊かのこういった本を読んでいれば、今までに見たことのありそうなトピックが満載です。私の方から、本書で取り上げられていない公正と効率のトピックをひとつ上げると、マクドナルドのマニュアルにはフォーク型の1列の行列ではなく、パラレルな平行型のレジごとに並ぶ行列を取ります。1列に順番で並ぶと、行列の先頭からレジに行くまでの時間が無駄を生じることとなり、効率を重視するとレジごとに平行で並ぶ行列が推奨される一方で、フォーク型に並ぶのはお店に着いた準晩が注文する順番と一致するわけですから公正の観点からは受け入れやすい気もします。本書では労力を費やして公正を達成する心理が取り上げられていますが、こういった効率と公正がトレード・オフの関係にある場合も少なくないわけで、本書では取り上げられていないながら、行動経済学はマンネリではなく、さらに発展の可能性があると私は評価しています。

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次に、田中靖浩『会計の世界史』(日本経済新聞出版社) です。著者は公認会計士事務所の所長であり、研究者ではなく実務の一線でご活躍のようです。本書は3部構成となっており、第1部では中世イタリアで発生した複式簿記にスポットを当て、イタリアからオランダに簿記が普及し、自分のビジネスがどうなっているかを自分で解明する、というか、お金の観点から把握する試みとして、その歴史が跡づけられます。第2部では英国から米国の大西洋を挟んだアングロサクソンの国で、ルールに則って投資家に対して情報を開示する手段としての財務会計として発展する会計が描き出されます。そして、最後の第3部では米国を舞台にビジネス展開の基礎となる情報を提供する管理会計の発達に着目します。単に、会計や経済の同行だけでなく、絵画や音楽といったハイカルチャーやポップカルチャーの動向も合わせて歴史的に跡づけながら、会計と経済社会、さらに文化も包括的に解明しようと試みています。そして、私の見る限り、かなりの程度にこの試みは成功しているんではないかという気がします。あるいは、マルクス主義的な下部構造と上部構造というのはいいセン行っているのかもしれません。オランダのチューリップ・バブルや英仏両国を巻き込んだ南海会社事件などのバブルも興味深く取り上げられています。全体として、初学者にも配慮された入門編の趣きを持って、会計の観点から西洋先進国の経済社会の歴史を解明しようと試みた本書なんですが、「会計史」を標榜するからには、中世イタリアでかなりの程度に自然発生的に始まった複式簿記のごく初期の歴史にまったく触れていないのはとても大きな欠落ではないかと私は考えています。タイプライタのキーの並びと同じで、複式簿記の開始に当たっても、何らかのエピソードがあるんではないかと私は想像しているんですが、会計史の観点から複式簿記誕生秘話のようなものが冒頭に置かれていれば、もっと印象がよくなったんではないか、という気がします。

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次に、マーク・リラ『リベラル再生宣言』(早川書房) です。著者は、もちろん、リベラルな政治史の研究者であり、米国コロンビア大学教授です。英語の原題は The Once and Future Liberal であり、2017年の出版です。軽く想像される通り、2016年の米国大統領選挙でトランプ大統領の当選を受けてのリベラルの側からの反省の書といえます。一言で言うと、2016年米国大統領選でのリベラルの敗因は、アイデンティティ・リベラリズムによる特定のグループへの特別の配慮を上から目線で恣意的に決定する市民視点の欠落である、と本書では指摘しています。それを、1930年代からのルーズベルト大統領によるニューディールに始まる時期、1980年代からのレーガン大統領による右派反動の政治期、そして、2016年のトランプ当選で新たなポピュリズム期、の3期に分けて論じています。先行きについては、第3部でリベラルが選挙で勝って巻き返すために、著者は市民の立場を強調しています。ただ、私には「市民」あるいは「市民の立場」という概念は大きな疑問です。というのは、市民の構成要員によるからです。米国では150年前の南北戦争後も、おそらく、1960-70年代くらいまで黒人は市民の構成要素ではなかったのではないでしょうか。さらに、その前の時代では女性は市民ではなかった可能性が高いと私は考えていますし、21世紀の現代でも、例えば、イスラム教徒の移民は市民に入れてもらえない場合がありそうな気がします。2008年の米国大統領選の際の当時の現職だったオバマ大統領に対する執拗な批判もその観点ではなかったでしょうか。ですから、私は従来から指摘しているように、リベラルないし左派というのは進歩主義で測るべきと考えています。私は圧倒的に進歩史観であり、多少のジグザグはあっても、生産性は伸び続け、そのため、財やサービスの希少性は低下し、従って、価格は低下し、その昔は金持ちしか利用可能性がなかった財やサービスが広く一般に開放される、という未来を思い描いています。その前の段階では市場において希少性に従った配分がなされるわけですから、それが平等の観点から不都合であれば、再分配を政府が行う必要があるわけです。それすら必要なく、市場に従った配分の下で決定され、平等性には配慮されていないままですから、自由を重視する右派と平等、あるいは、平等を実現するために進歩を旗印にする左派あるいはリベラル、という視点が重要ではないか、と専門がいながら私は考えています。

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次に、リチャード・ブリビエスカス『男たちよ、ウエストが気になり始めたら、進化論に訊け!』(インターシフト) です。著者は、米国イェール大学の人類学や進化生物学の研究者であり、上の表紙画像に見られる通り、英語の原題は Hoe Men Age であり、2016年の出版です。ということで、人類学と生物学の学際的な研究成果、ということであれば、とても聞こえはいいんですが、私の目から見て、進化論的な適応と経済社会的な適応がゴッチャになっている印象で、どこまで区別出来るのか出来ないのか、あるいは、本書のように渾然一体として論じるのが正しいのか、私には判りかねますが、少し疑問に思わないでもありません。加えて、確かに、WEIRD=West; Educated; Rich; and Democraric な男性の老化を論じているわけですが、女性との違いが小さすぎるような気がします。本書で強調されている免疫力の男女差がひいては寿命の差につながる可能性はまだしも、特に、日本語タイトルにしてしまったウェストのサイズは男女ともに年齢とともに太るわけであり、程度差はあるかもしれませんが、年齢とともにウェスト周りが太るのは男女間で方向は同じであるような気がします。そして、結局のところ最後は、オキシトシンとか、テストステロンとかのホルモン、というか、脳内分泌物質に行き着くわけで、それはそれでOKだと私は考えるんですが、同じか別か、進化論的・生物学的な適応や自然選択と経済社会的な適応について、さらに両者のインタラクティブな関係やフィードバックについて、また、男女の性差についても、もう少し掘り下げた議論が欲しかった気がします。最後に、p.127 図4-1 の出展論文の著者なんですが、Kunert とありますが、ウムラウトが付く Künert だと思います。少子化の関係で、私のような専門外のエコノミストでも見た記憶があり、編集の方にはもっと正確を期して欲しいと思います。

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次に、赤上裕幸『「もしもあの時」の社会学』(筑摩選書) です。2016年にオックスフォード辞書でポスト・トゥルースが選ばれて以来、フェイク・ニュースをはじめとして、真実ではない「なにか」をターゲットにした論考が少なくありませんが、本書では1997年出版のニーアル・ファーガソン教授の「仮想歴史」を題材にして、反実歴史、すなわち、事実として確定した過去に歴史に対して、そうでない反事実の歴史を仮定してその後の歴史の同行や流れを考察した社会学、というか、私のは歴史学にしか見えませんが、そういった人文科学分野の学問について紹介しています。典型的に反事実を考えるには戦争の勝者と敗者を逆にすればいいわけで、我が国のSF文学でも半村良の一連のシリーズや第2時世界大戦で日独が英米に勝利する仮定で歴史の流れを考えるSFに近い文学もあります。ただ、本書を読む限り、歴史の流れについての基礎的な認識が私と違っている気がします。すなわち、マルクス主義的な唯物史観に近い私は歴史の流れは、生産性の向上という流れが貫徹しており、基本的に進歩史観ですから、典型的には、コロンブスが米大陸を発見しなかったとしても、結局、誰かが発見していたであろうし、歴史の分岐以降、永遠に離れることはない、と考えているのに対して、本書の歴史観はどうもハッキリしません。私のようなホイッグ的なマルクス主義的な歴史観では、反事実な歴史の分岐があったとしても、例えば、第2時世界大戦で日独枢軸国側が勝利していたとしても、歴史はカギカッコ付きながら「修復」され、結局、自由と民主主義が勝利する方向に変わりなく、やや寄り道するとしても、世界は進歩を止めることはない、ということになります。その基礎となるのは経済の生産性であり、物的な生産性が高まれば、経済学的な希少性が低下し、そのため、価格が低下して、かつてはごく少数の人、すなわち金持ちしか利用可能性がなかった財・サービスでも多くの人に利用可能性が開け、必要に応じて配分されるシステム=共産主義が実現される、それも、血なまぐさい革命なしに経済の生産性向上がそれを実現する、ということになっており、その意味で、私の進歩史観はとても単純で判りやすいんですが、本書の歴史観は私にはやや不可解であった気がします。

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次に、ロバート H. ラティフ『フューチャー・ウォー』(新潮社) です。著者は米国空軍を少将まで務めて退役したエンジニアであり、英語の原題はそのまま Future War となっていて、2017年の出版です。日本語タイトルの副題が『米軍は戦争に勝てるのか?』となっていますし、宣伝文句ながらAIが戦争や戦闘行為をどのように変えるのか、といった視点が強調されていたりしますが、まあ、そういった私のような一般大衆が興味を持ちそうな論点も含めて、極めて幅広くかつバランスよく論じています。ただ、主要な論点は2点に絞られ、すなわち、兵器の技術的進歩と人間あるいは先頭の先頭に立つ可能性あるロボットなどの倫理性です。前者については、「サイバー攻撃」なんて言葉が広まっていますし、伝統的な戦闘行為だけでなく、電力や水道などのライフラインに対するサイバー・アタックも私のような専門外の一般大衆ですら想像できるような世の中になっています。20世紀半ばから現在まで飛行機が空軍の創設に導いたように、兵器の技術的進歩が軍事組織の再編成を伴いつつ進んでいます。核兵器の開発はその最たるものといえます。今週になって、米国のトランプ大統領が宇宙軍 (Space Force) の創設を明らかにしましたが、これも技術的な裏打ちあってこそのことではないでしょうか。もうひとつの倫理性については、時代の進歩とともに国際法も倫理面を重視するように進歩していることは確かなんですが、本書の用語を用いれば、国際法の縛りを受けない「国家未満」のグループがテロ行為に及ぶケースが増えており、なかなか終息の兆しもありません。ただし、本書のように戦闘行為ではなく、戦争を全面に押し出せば、戦争で倫理を問うのは私には無益なことに見えます。つまり、戦争そのものが倫理性に欠けるからです。例えば、銃に実弾を装填して人間に狙いを定めて引き金を引けば、戦争状態ではないという意味で、通常であれば明らかに殺人を試みた行為として、何らかの法律で裁かれる可能性がありますが、戦争においては敵兵に対して銃をぶっ放すのは、もちろん、その結果として死亡させるのも明らかに免責されます。そのような非倫理的な戦争において、捕虜の扱いとか、毒ガス使用などを倫理や道徳の観点からいくら論じても、かなり無益な行為のように私には思えるんですが、いかがでしょうか。

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最後に、宮部みゆき『宮部みゆき全一冊』(新潮社) です。昨年だか、今年だかに、作家活動30年を迎えた人気作家の未収録短編やインタビュー、書評を含むエッセイを幅広く収録するとともに、何と、ご本人による『ソロモンの偽証』の朗読CDも付属しています。私が借りた図書館は、もちろん、CDごと貸してくれました。確か、昨年の『この世の春』が30年記念の出版だったように記憶していますが、時代小説だったので、私のはあまりピンと来ませんでした。というのも、私はこの作者の作品は、もちろん、広範に読んでいるんですが、どうしても時代小説は後回しになって、現代ものが中心です。そして、宮部みゆきの最高傑作ということになると、直木賞受賞の『理由』や山本周五郎賞受賞の『火車』などが上げられる場合が多いんですが、倒叙ミステリながら私は『模倣犯』を推すことが多いような気もします。ただ、やっぱり、『模倣犯』を超えるとすれば、『ソロモンの偽証』も最高傑作の候補になろうか、という気もします。ということで、最高傑作が何かということはさて置いて、本書では、今までバラバラだったインタビューや鼎談などのナラティブを一挙に読めるという意味で貴重な存在ではないかと受け止めています。まだ、CD-ROMは聞いていませんので、何ともいえませんが、年末年始休みに聞いてみるのも楽しみです。

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2018年12月15日 (土)

今週の読書は経済書中心にボリュームたっぷりの計6冊!!

今週はいろいろあって、経済書を中心、というのは通例通りなんですが、小説や新書なしで以下の通りの計6冊でした。いつもと変わらぬ冊数なんですが、今週の読書では、1冊1冊のボリュームがかなりあり、400ページを超える本も少なくなかったので、経済書中心の質感とページ数の量感ともに、かなり充実した読書だったような気がします。

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まず、安達誠司・飯田泰之[編著]『デフレと戦う-金融政策の有効性』(日本経済新聞出版社) です。著者・編者は、巷間、よくリフレ派と呼ばれているエコノミストであり、私の知り合いはもちろん、その昔にミク友だったところ、mixiが廃れるとともにやや疎遠になった方、あるいは、その昔に書いた論文の共著者も含まれていたりします。ですから、私にはとてもスンナリと頭に入ってくる論文集でした。冒頭の編者によるエディトリアルを読めば、各チャプターの概要や結論は明らかですが、基本的に、現在の黒田総裁の下での日銀の異次元緩和をサポートする内容となっています。その中でも、特に私の印象に残ったのは、第1章では、p.35の図1-5に見られるように、多くのエコノミストの直観的な理解と整合的にも、日銀の金融緩和が生産に及ぼした影響についてVARプロセスで分解すると、株価を通じた影響がもっとも大きい、というものです。ほかに、ブロック・リカーシブ型のVARプロセスの応用、フィリップス曲線のレジーム転換、連邦準備制度理事会(FED)の議長も務めたバーナンキ教授の研究にも応用されたファイナンシャル・アクセラレータに着目した分析、ソロス・チャートとして人口に膾炙したマネタリーベースの為替への影響、さらに、企業パネルデータを用いた為替の影響の分析、各種の予想インフレ率のパフォーマンス測定などなどですが、第8章では定量分析というよりも理論モデル分析で財政政策の物価理論(FTPL)についてサーベイがなされています。ただ、やや厳しい見方に過ぎるかもしれませんが、物価目標達成の時期については何らかの分析は欲しかった気がします。副総裁就任時の国会での所信表明で、当時の副総裁候補であった岩田教授は「2年で達成できなかったら辞任する」と見得を切ったわけですから、現在の金融緩和政策が有効であるとの分析結果を示すだけでなく、動学的というと少し違うのかもしれませんが、どういった期間で物価目標が達成できるのか、についての分析が今後進むよう期待しています。

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次に、岩田規久男『日銀日記』(筑摩書房) です。著者は、ご存じの通り、リフレ派の経済学者から日銀副総裁として金融政策の現場に乗り込み、今年2018年春に退任しています。就任前の国会での所信表明で、2年間で物価目標2%を達成できなければ辞任すると大見得を切って話題になったりもしました。そして、本書では、その2%の物価目標を達成できなかった最大の要因として、2014年4月の消費増税によるリフレ・レジームの転換と国際商品市況における石油価格の下落によるコスト面からの物価下押し圧力を上げています。リフレ派エコノミストの末席を汚している私にはとても判りやすい内容でした。ただ、後に取り上げる権丈先生のご本にあるように、手にした学問が異なれば答えは違ってきますので、私と同じ意見かどうかは手にした学問次第かもしれません。ただ、アベノミクス登場前のリフレ的な経済政策は、どうしても日陰の花だっただけに、本書でもかなり過激な言説が現れています。こういったあまりに率直な、率直すぎる議論の展開で、逆に、リフレ派経済学が国民一般から遠ざかった点は反省が進んでいると私は考えていたんですが、公職を退かれた勢いもあるとはいえ、やや下品に感じる読者もいるかも知れません。そういった率直すぎる感想は、特に、アベノミクスの登場とともに野党に転じた副総裁就任当時の民主党議員との国会論戦に典型的に見受けられます。それを総称して「経済音痴」と表現されていますが、米国のクリントン大統領のころの選挙キャンペーンで人口に膾炙した "It's the economy, stupid!" ということなのだろうと思います。要するに、「経済音痴」であれば選挙に勝てず、政権から脱落する、あるいは、政権を取れない、ということです。

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次に、ダーシーニ・デイヴィッド『1ドル札の動きでわかる経済のしくみ』(かんき出版) です。著者は英国HSBC銀行の立会場でエコノミストとして働いていたときにBBCにヘッドハンティングされキャスターに転身したキャリアの持ち主です。ファーストネームから私はインド系を想像します。英語の原題は The Almighty Dollar であり、2018年の出版です。ということで、世界の基軸通貨たるドルがどのように世界を駆け巡るか、同時にその逆方向にどのような財サービスがドルと交換されるか、について、それぞれのドル札の行き先の国とともに経済現象について、極めて上手に取りまとめています。最初はドル札が米国の消費者によって中国製のラジオを買い求めるのに使われ、もてん派的な比較生産費説による交易の利益が解説され、ドル札の行き先の中国の為替制度に関連して変動相場と固定相場の説明があり、石油と交換されてナイジェリアに注目されて石油開発のための直接投資について、さらに、インドではロストウ的な経済の離陸と発展段階説などの開発経済学とともに、モディ政権下での高額紙幣の廃止による混乱、などが取り上げられ、最後の方では金融資産の購入の意味やバブルとその終息によるリーマン証券の破たんに伴う経済の収縮に触れています。お約束のように、英仏の南海バブルやオランダのチューリップ・バブルにも言及しています。全体として、繰り返しになりますが、とてもよく取りまとめられています。そもそも通貨や貨幣がどうして物々交換に取って代わったかは、とてもシンプルに説明しているのはいいとしても、いきなり基軸通貨の米ドルから始まっていて、英ポンドが米ドルに取って代わられた、という歴史的事実も付け加えて、基軸通貨が交代する可能性についても、もう少し非経済的な要因とともに取り上げて欲しかった気がします。でも、経済に詳しいビジネスパーソンなどは物足りないと感じるかもしれないものの、初学者の大学生とかにはとてもよく出来た経済の解説書だと私は考えます。

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次に、ティム・ハーフォード『50 いまの経済をつくったモノ』(日本経済新聞出版社) です。著者はファイナンシャル・タイムズ紙のジャーナリスト・コラムニストです。英語の原題は Fifty Things That Made the Modern Economy であり、2017年の出版です。ということで、50の財・サービス・システムなどを上げて、ただし、決して重要性の観点から順序付けをしたのではないと著者は断りつつ、近代社会成立への貢献を明らかにしています。50の項目は出版社のサイトにありますので、ご興味ある向きは参照できます。パフォーマンスを保存できる蓄音機、もちろん、現在の電子本やデジタル録画されたDVDなども含めて、その蓄音機などからスーパースター経済の1人勝ち経済社会の基礎ができ、有刺鉄線による囲い込みから私有財産が守られるようになり、などなどなんですが、制度学派が財産権の確立をもってイングランドにおける産業革命の発生の要因としているくらいですから、本書にそのような明記なくとも、そういったバックグラウンドを知っておくとさらに本書の読書が楽しめるかもしれません。加えて、本書では冷凍食品に関連してTVディナーの功罪を取り上げるなど、本書で着目された50のコトが近代社会を作り上げた重要な要素とはいえ、必ずしも、経済社会が倫理的・道徳的に正しい方向に導かれたかどうかは一部に懐疑的な姿勢を示しています。とくに、最後の電球の第50章で、100年前の年収7万ドルと現時点での年収7万ドルのどちらの生活が望ましいか、と大学生に問えば、かなりの学生が100年前に圧倒的に実質価値の高かった年収7万ドルよりも、現時点での年収7万ドルを選ぶ、というポイントは外せません。物価をはじめとする統計に表れない近代・現代生活の利点がいっぱいあるわけです。そして、こういった利点をもたらした発明・発見に本書では焦点を当てています。Google検索やiPhoneといった現在のデジタル・デバイス、銀行・紙幣・保険に有限責任株式会社などの現在経済の基礎的なシステム、紙や時計やプラスチックなどの近代社会の不可欠だったモノ、などとともに、とても意外なモノや制度なども取り上げられています。例えば、日本ではピル解禁が遅れたので女性の社会進出が進まなかった、などの観点も私には目新しかったりしました。その意味で、なかなか興味深く、近代ないし現代の経済社会を論じる好著でした。

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次に、権丈善一『ちょっと気になる政策思想』(勁草書房) です。著者は慶應義塾大学の研究者であり、社会保障の分野の専門家です。従って、短期的な合理性や整合性とともに、長期的なサステイナビリティにも目が行き届いたエッセイに仕上がっていますが、講演やスピーチなどのオーラルなプレゼンをいくつか収録していますので少し重複感を感じる読者はいるかもしれません。冒頭に著者から著書がシリーズ化される弱点があるとの指摘がありますが、私は不勉強ながらこの著者のご本は初めて読みましたので、それなりに新鮮でした。ということで、まず、著者は、需要サイドの経済学を左側、供給サイドの経済学を右側と定義し、現在のような一部の消費の飽和が見られるような経済社会ではなく、その昔の必ずしも生産力が十分に発達しておらず、作れば売れる時代の供給サイド分析を中心とする右側の経済学から、スミスやリカードをはじめとして、究極のところ、セイの法則などが出現した、と分析し、他方で、左側の経済学はケインズの直前のマルサスを起源に据えています。そして、その観点から社会保諸、特に年金の政策思想を分析しようと試みています。特に強調しているのが、社会保障に限らず企業活動もご同様と私は考えるんですが、将来に対する不確実性です。すなわち、シカゴ学派のナイト的なリスクと不確実性の区別に基づき、確率分布が既知であるリスクに対して、事前には情報のない不確実性があるからこそ、貨幣と実物を二分する貨幣ベール説からケインズ的な流動性選好の学説が生まれ、将来の不確実性への対処のひとつの形として貨幣が保蔵される、と主張します。その上で、経済成長とともに平等と安定の実現による経済厚生の向上を政策目標と示唆しています。なお、私が深く感銘したのは、手にする学問が異なれば答えが変わる、という著者の主張です。名探偵コナンではありませんが、よく理想的に真実はひとつとの主張も見かけますが、私は実務的に経済政策に携わって30年超ですから、何となく理解できます。ニュートン的に表現すれば、どの巨人の肩に乗るかで見える風景が違うんだろうという気がします。

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最後に、片岡義男『珈琲が呼ぶ』(光文社) です。小説家の手になるコーヒーに関するエッセイです。ただ、もうすぐ幕を閉じようとしている平成のエッセイではなく、昭和のエッセイです。ですから、本書では「グルメ・コーヒー」と称されているスターバックスとかのプレミアム・コーヒーではなく、伝統的な喫茶店で飲むコーヒーを主眼にしています。その喫茶店の立地は東京が中心なんですが、本書冒頭ではなぜか、京都が中心に据えられていたりします。私は京都大学に通っていましたから、それなりに、京都における昭和の喫茶店は詳しいと自負していたんですが、ほとんど知らないところでしたので、やや不安を覚えたりもしましたが、まあ、こんなもんなんでしょう。こういったエッセイを読んでいると、私自身も片足突っ込んでいるんですが、年配の読者層を意識した本の出版がこれからも増えそうな気がして、少し怖いです。

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2018年12月 9日 (日)

先週の読書は経済・金融の専門書や話題の海外ミステリをはじめ計7冊!

昨日に米国雇用統計が割り込んで、読書日が1日多くなったこともあり、先週の読書は計7冊です。経済や金融の専門書に歴史分野などの教養書、さらに、話題の海外ミステリなどなど、盛りだくさんに以下の通りとなっています。今週もすでに図書館回りを終え、経済書や金融専門書など数冊を借りてきています。

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まず、馬奈木俊介[編著]『人工知能の経済学』(ミネルヴァ書房) です。経済産業総研(RIETI)に集まった研究者による研究成果であり、タイトルといい、馬奈木先生の編著であることからも、かなり期待したんですが、さすがに、せまいAIだけの研究はまだ成り立たないようで、かなり広くICT技術の進歩に関する経済学の論文集と考えるべきです。特に、最後の第Ⅳ部のAI技術開発の課題に含まれているICT技術と生産性については、まだ、生産工程にAIがそれほど実装されているわけではなく、チェスや囲碁といったボードゲームやクイズ番組でチャンピオンを破ったからといっても、特定の産業の生産性が向上するわけではありません。もちろん、AIならざるICTばかりが取り上げられているわけではなく、ドローンや自動運転技術の開発なども含む内容となっています。英国オックスフォード大学のフレイ&オズボーンによる有名な研究も着目されており、AI導入に伴う雇用の喪失についての結果は、極端であると結論しています。また、第Ⅱ部のAIに関する法的課題といったタイトルながら、選択理論においてはゲーム理論のナシュ均衡をはじめとして経済学の思考パターンが応用されており、タイトル通りの狭義AIだけでなく、AIをはじめとする幅広いICT技術の経済学と考えた方がよさそうです。

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次に、ジョナサン・マクミラン『銀行の終わりと金融の未来』(かんき出版) です。著者にクレジットされているジョナサン・マクミランとは架空の存在であり、実は2人の人物、すなわち、マクロ経済学者と投資銀行家という意外な組み合わせと種明かしされていますが、誰かは明記されていません。英語の原題は The End of Banking であり、2014年の出版です。ということで、本書の定義する「バンキング」とは、信用からマネーを作り出すこと、と定義し、産業経済時代には小口の短期的な流動性高い預金から大口の貸付を行って資本蓄積を進める必要あったものの、デジタル経済時代には、本書でいうソーシャルレンディング、我が国では一般にクラウド・ファンディングと呼ばれる手法により、金融機関に小口の預金を集中させることなく資金調達が可能となっており、本書で定義するバンキングなしの金融活動は可能であるし、望ましい、と結論しています。そして、そのひとつの方法としてナローバンキング、すなわち、投資行為なしに決済だけを業務とする銀行・金融機関などを提唱しています。私はなかなか理解がはかどらなかったんですが、現時点の金融システムは、ある程度は、政府や中央銀行がデザインしたものも含まれるとはいえ、それなりに資本制下で歴史的な発展を遂げてきたものであり、政府や中銀の強力な規制により著者の目論むようなバンキングのない金融システムを構築する合理性が、単に、金融危機の回避だけで説明でき、国民の納得を得られるのか、という疑問は残りました。さらに、その上で、金融機関による決済業務の重要性について、キチンとした分析ないし説明がなされるべきではないか、と思いますし、自己資本比率の引き上げによりマネーの創造の上限を抑制できるわけですから、自己資本比率の引き上げとの違いについてももう少し詳しい議論の展開が求められるような気がします。とても良い目の付け所なんですが、少し、そういった点で、手抜きではないにしても、説明不足あるいは不十分な考察結果のような気がします。

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次に、スティーブン・レビツキー & ダニエル・ジブラット『民主主義の死に方』(新潮社) です。著者は2人とも米国ハーバード大学の研究者であり、英語の原題は How Democracies Die となっていて、2018年の出版です。タイトルからも明らかな通り、最近におけるポピュリズムの台頭を民主主義の危機と受け止め、特に米国トランプ政権が多様性を認め寛容な米国民主主義に対する大きな挑戦をしている点を、いかに米国の伝統的な民主主義を守るか、という観点から考察を進めています。そして、ひとつのゲートキーパーとして、以前は政党やその指導者が過激勢力を分離・無効化、ディスタンシングし、インサイダーが査読していたのが、シチズンズ・ユナイテッド判決以降に少額寄付も含めて外部からの政治資金が膨大に利用可能となり、その昔の大手新聞やメジャーなテレビなどの伝統的なメディア以外のCATVやSNSなどの代替的なメディアで知名度を上げる道が開かれた点をあげています。トランプ政権の戦略について考察を進め、司法権などの審判を抱き込み、主要なプレーヤーを欠場に追い込み、対立勢力に不利になるようなルール変更を行う、の3点の戦略で典型的な独裁政権と同じと結論しています。さすがに、あまりに刺激的と著者が考えたのか、授権法によるナチスの独裁体制の確立やイタリアにおけるファシスト政権などを引き合いに出すことはためらっているように見えますが、戦後のマッカーシーズムはいくつかの点で参照されており、米国的な寛容な民主主義を取り戻すための一考にすべきような気がします。

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次に、氏家幹人『大名家の秘密』(草思社) です。著者は我が国近世史を専門とする歴史学者だそうですが、国立公文書館勤務とも聞いたことがあります。私は詳細を知りません。本書は上の表紙画像に見られる通り、江戸期の大名家、特に、水戸藩と高松藩の藩主について記した小神野与兵衛『盛衰記』を中心に、その後年に『盛衰記』について徹底的に検討を加えて削除と加筆をほどこした、というか、主君に対するやや冒涜的な内容を徹底的に批判した中村十竹『消暑漫筆』、加えて、『高松藩 盛衰記』などの類書を読み解いた結果を取りまとめています。私は、フィクションの時代小説ながら、かつて冲方丁の『光圀伝』を読んだことがありますので、光圀とその兄の間で子供を交換した、などの水戸藩と高松藩の歴史については、それなりに把握しているつもりでしたが、なかなか、高松藩の名君藩主の動向など、興味深いものがありました。基本的に、戦国期を終えて3代徳川家光くらいからの文治政治下では、武士は戦闘要員たる役割を終えて役人化している中で、さすがに、大名=藩主だけは役人が成り上がるのではなく、代々家柄で決まるものであり、圧倒的に家臣団から超越した存在ですから、現在の公務員の事務次官とは大きく異なるわけで、もっと大胆、というか、当時の時代背景もあって独善的に決断を下していたものだと私は想像していたんですが、名君とはこういう思考パターン、行動様式を持つのかと感心してしまいました。そして、部下たる侍も武士道や忠義一筋、といったステレオ・パターンと異なり、かなり実務的、実益本位の面があったというのも、薄々知識としては持っていたものの、歴史書に触れて感慨を新たにした気がします。第3章の子流しと子殺しについては、必ずしも大名家をフォーカスしたものではなく、ややおどろおどろしい世界ですので、読み飛ばすのも一案か、という気がします。

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次に、鹿島茂・井上章一『京都、パリ』(プレジデント社) です。著者は明治大学の仏文学者と京都の建築史の専門家で『京都ぎらい』がベストセラーになった井上先生です。共著というよりは、対談を収録しています。タイトル通りに、パリと京都だけでなく、フランスと日本を対照させた文化論なども展開しています。私が印象的だったのは第5章の食文化で、食べ物、というか、食文化については京都ではなく大阪、パリではなくローマ、というのがおふたりの共通認識で、なかなか参考になりました。また、鹿島先生が最近のフランス語の変化について判りやすく、ガス入りの水がかつての eau gazeuse から eau pétillante が主流になった、とのことで、私が大昔に読んだスタンダールの『赤と黒』にムッシュ95という人が登場し、どうしてこんなあだ名かというと、95をquatre-vingt-quinze(4x20+15)というその時点、というか、今現在そうである表現ではなく、nonante-cinq(90+5)という昔ふうの表現をするそうで、フランス語とは数の数え方という基礎的な表現ですらかなり短期間に変化する言語である、という印象を受けた記憶があり、それを思い起こしてしまいました。もっとも、ベルギーではまだ90をnonante-cinqで表現する、ということはEU勤務の経験ある友人から聞いたことがあります。といったことを早くも始まった忘年会でおしゃべりしていると、日本でも100年ほど前に「ひい、ふう、みい」から「いち、に、さん」に変更されたんではないのか、と反論されてしまいました。それはともかく、第2章から第3章にかけては、フェミニストにはそれほど愉快ではない論点かもしれませんし、かなり「下ネタ」的な内容もあったりするという意味で、品位に欠けると見なす読者もいるかも知れませんが、私が読んだ範囲でも、井上先生の『京都ぎらい』はかなり斜に構えた本でしたので、そういった観点で文化論とかいうのではなく半分冗談のつもりで軽く読み飛ばすべき本なのかもしれません。

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最後に、A.J.フィン『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』上下(早川書房) です。著者はエディタから本作品で作家デビューを果たしています。英語の原題は日本語訳そのままに、2018年の出版です。ということで、主人公のアナ・フォックスはアラフォーの精神分析医であるものの、夫と娘の生活と離れて暮らし、広場恐怖症のためにニューヨークはハーレムの高級住宅街の屋敷に1年近くも閉じこもって暮し、古いモノクロ映画のDVDを見て、ワインを浴びるほど飲み、そして、隣近所を覗き見して場合により一眼レフのデジカメに収める、という生活を送っています。そして、そのご近所で1人の女性が刺殺されるのを偶然にも見てしまいます。いろんな物的証拠が主人公の精神異常性を指し示していながら、実は、最後にとても意外な殺人犯が明らかになる、というストーリーです。決して、本格推理小説のような謎解きではありませんが、ミステリの範疇には入りそうな気がします。私は精神状態の不安定な主人公の動きの中で、デニス・ルヘインの『シャッター・アイランド』と同じプロットではなかろうか、と考えながら読み進んだんですが、最後の解説ではギリアン・フリンによる『ゴーン・ガール』との比較をしていたりしました。『ゴーン・ガール』では妻が夫を殺人犯に仕立てようとする中で、最後のどんでん返しは、何と、この夫婦が仲睦まじく夫婦生活を再開する、というところにオチがあったんですが、本書はそういったオチはありません。ただひたすら意外などんでん返しが待っていて、サイコパスの犯人が明らかになるだけです。その分、やや『ゴーン・ガール』から見劣りすると受け止める読者もいそうな気がします。実は、私もそうです。出版社の謳い文句ながら、ニューヨーク・タイムズのベストセラー・リストに初登場で1位に入る快挙を成し遂げ、その後も29週にわたりランクインした、とか、英米で100万部以上の売り上げを記録した、とか、早くも映画化されて来年2009年の封切り、とか、宣伝文句に大いに引かれて借りて読んでみたんですが、少し、私の期待するミステリ小説とは違っているかもしれません。なお、どうでもいいことながら、上巻巻末に主人公などが見ているモノクロの古いフィルム・ノワールのリストが収録されていますが、加えて、本書で言及されている処方薬の効能書きなんぞも必要ではないか、と私は感じてしまいました。

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2018年12月 1日 (土)

今週の読書は何と経済書と経営書ばかり計8冊!!

先週末にアップした先週と先々週の読書感想文は、めずらしくも、ほとんど経済書らしい経済書がなかったんですが、今週の読書はその反動で10冊近く経済書・経営書ばかりでした。日銀関連の話題の本を含めて、以下の通り計8冊です。

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まず、白川方明『中央銀行』(東洋経済) です。著者はご存じの通り白い日銀のころの総裁であり、私の実体験から知る限り、今世紀初頭の速水元総裁に次いで、日銀総裁として2番めに無能だった人物です。もちろん、上から目線バッチリで、ほとんどのトピックについて自分が正しかった旨を主張しています。しかし、私が見ていた限りでは、リーマン証券が破綻した後の Great Recession の際、金融政策が後手に回り、市場はもちろん政府・国会などからの要求が激しくなると金融緩和策を繰り出し、「追い込まれ緩和」といわれたのは記憶に残っています。デフレを人口動態に起因する事態と「発見」しながら、藻谷浩介『デフレの正体』の著作を引用するでもなく、2012年の民主党から自民党への政権交代の直前から円安が急速に進んだのは、アベノミクスの金融緩和策への期待ではなく、ギリシアなどにおける欧州債務危機の後退から、円の安全資産としての安全性が低下したからである、といった主張には唖然としてしまいました。民主党政権下で当時の菅総理の辞任を受けての代表選で、野田候補以外はリフレ的な主張をしていて、暗澹樽気持ちになったというのは正直でいいとしても、市場や政府や国会から日銀無能説の大攻勢を受けていた中で、共産党の参議院議員だけが日銀の理解者だった、なんてことは、思っても著書に書くべきかどうか迷わなかったんでしょうか。唯一、中央銀行の独立性とは目標の独立ではなく、手段の独立、すなわち、オペレーショナルな独立性である、と記している点はやや意外でした。ただ、最後の方の p.672 で著者ご自身も認めているようで、日銀白川総裁の5年間の任期中に何と2度の政権交代があり、総理大臣が6名交代した、と記していますが、そのもっとも大きな原因を作った人物を1人だけ上げようとしたら、それは当時の日銀白川総裁その人であった、という事実にはご本人はまったく気づいていないようです。さらに、付け加えるとすれば、2012年12月の第2時安倍内閣成立から国政選挙で与党が連戦連勝なのは、これもその最大の功労者は現在の日銀黒田総裁である、という点は忘れるべきではありません。米国クリントン大統領の選挙キャンペーンのスローガンであった "It's the economy, stupid!" はかなりの程度に普遍的に成り立つわけです。

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次に、大村敬一ほか『黒田日銀』(日本経済新聞出版社) です。上の表紙画像に見えるように、7人のマクロ経済学や金融の専門家が、6年余りに及ぶ黒田日銀を評価しています。7人の中には翁教授のように日銀出身で旧日銀理論に立脚する著者も含まれていますが、1人を除いて、6人は黒田日銀に好意的な評価を下しているように私は読みました。典型的なのは第1章と第2章であり、典型的に評価するポイントは為替の円安誘導であり、逆に、量的緩和が物価目標を2年程度では達成できずに、金融緩和が長期化している点には懸念あるものの、実は、その昔の西村清彦『日本経済見えざる構造転換』でいつの間にか構造改革が進んでいたと主張されていたように、量的緩和は出口に向かい、ステルスでテイパリングが進められている可能性も指摘されています。その点を評価しているのは翁教授などの旧日銀理論の信奉者だという気もします。そして、いまだに物価目標2%が達成されていない原因は根強いデフレマインドである、ということになります。そして、本書で何人かの論者が指摘している黒田日銀への批判のうち、私も同意するのは、黒田日銀の市場との対話がコンセンサス形成ではなく、サプライズによる政策効果を狙っている可能性であり、その方向性が間違っている可能性が強い、という点です。もう1点、ETFを通じた日銀の株式買い入れやJ-REIT購入による株価や不動産価格に対する歪みを懸念する意見もありますが、私はこの方は大きな心配はしていません。パッシブに購入している限りは株価形成などに歪みをもたらすことはありませんし、サイレントな株主になって、ガバナンスに悪影響を及ぼす可能性は否定しませんが、リスク資産購入による政策効果のベネフィットの方が大きいものと考えるべきです。6年経過しても物価目標を達成できないながら、少なくともデフレ状態からは脱却していますし、それなりの景気拡大効果のある金融政策運営ですから、本書のような黒田日銀の評価は極めて正当なものと私は考えています。

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次に、奥村綱雄『部分識別入門』(日本評論社) です。著者は横浜国立大学の研究者であり、専門は数理経済学です。本書で詳しく解説されていますが、部分識別とは、私の知る限りでは、モデルの組み方ではなく、あくまで、モデルのパラメータの推計に関する新しい方法論であり、従来のパラメータ推計が標本を基に何らかの分布を前提とするのに対して、部分識別とは標本ではなく全母集団情報を対象にして何らの分布を前提とせずにパラメータ推計を行います。というと、ノンパラメトリック推計なのか、という疑問が出るんですが、従来のパラメータ推計が確率変数に対して何らかの信頼区間は置くとしても、ほぼほぼ決定論的な数値を得るのに対して、部分識別ではパラメータの値そのものでなか卯、その存在するバウンドを求めるという作業になります。別の角度から、従来のパラメータ推計では前提となる仮定を緩めることにより一般化を図るのに対して、部分識別では弱い前提から強い前提を加えることでバウンドの範囲を狭めようとします。ただ、本書の著者が少し説明不足であるのは、操作変数法を用いたりする場合は別として、一般にパラメータを推計するなり、パラメータのバウンドを推計するなりは、因果関係ではなく相関関係の有無や強さの測定になります。この点はやや説明不足を感じました。基本的に、本書では教育の効果の例を出しての解説を進めているんですが、私が強い興味を感じたのは第5章の政策効果の測定です。単純に、フードスタンプを用いる家庭の子供の栄養状態は、フードスタンプに頼る必要のない家庭の子供より悪くなるのは当然ですが、単純なOLSに頼ると、フードスタンプを用いるとかえって子供の栄養状態が悪化するように見えかねません。この問題が部分識別では見事にクリアされています。また、家庭内暴力(DV)被疑者逮捕の効果の比較に関して、ランダム化比較実験(RTC)、操作変数法、部分識別の3つの手法による政策効果の把握が試みられており、単純なオツムの私なんぞから見れば、かなり説得的です。ただし、最後に、完全な学術書ですから、グラフによる直観的な説明は優れている印象はあるものの、数式はバンバン登場しますし、とても難易度は高いと考えるべきです。その意味で、一般的なビジネスパーソン向きとはいえません。その意味で、著者の講演スライドが大阪大学のサイトにあるのを発見しましたので、それを見てから読むかどうかを決めるのも一案かという気がします。

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次に、木内登英『トランプ貿易戦争』(日本経済新聞出版社) です。著者は、ご存じ、最近まで日銀政策委員をしていた野村総研のエコノミストです。私は、チーフエコノミストやシニアエコノミストという肩書は知っていましたが、エグゼクティブエコノミストという肩書はこの著者で初めて知りました。ということで、本書のタイトル通りに、米中間の貿易戦争について取り上げています。基本的に、自由貿易を外れる貿易戦争、関税率引上げや輸入制限などに対しては、通常、エコノミストは批判的であり、本書も同様です。ただ、本書の米中貿易戦争に対する分析は、かなり多くのエコノミストの緩やかなコンセンサスの通り、というか、ハッキリいえば、特段の新しい発見のないありきたりな内容ともいえます。すなわち、米中間の貿易戦争に突入したのは、おおむね米国サイドの要因であり、2017年中は特段のアクションなかった米国トランプ政権が、2018年になって急に中国の貿易不均衡にセンシティブになり、関税率引上げなどの行動に出た背景は、核ミサイルをはじめとする北朝鮮問題で米朝間の直接対話に道が開かれ、中国の北朝鮮に対する影響力への期待が薄れ、それだけ強気に出ることが可能になった、という点が強調されています。そして、製造業の復権に強い期待をかけるトランプ大統領が、最先端技術分野で中国が米国を凌駕する恐れも中国への強硬姿勢の背景とされています。同時に、かなりバブリーな中国経済の現状に対しても、米国の関税引き上げに伴って経済にショックを生じて、景気が下り坂となれば、実体経済に加えて金融面からも大きなマイナスの影響を生じる可能性が指摘されています。そして、その対中強硬姿勢の理論的な支柱として、『米中もし戦わば』の著者であるナバーロ教授の存在を重視しています。本書でも指摘されている通り、かつて、日本に対しては口先介入を含めて「円高カード」を切って、かなり高圧的に経済交渉を持たざるを得なかった時期があり、私個人も1990年代半ばの日米包括経済協議の外交交渉に巻き込まれた経験があります。その日本の果たすべき役割について、自由貿易の利益を粘り強く米国に訴える、というのはやや寂しい気もしますが、そういった対応策は別にして、背景を含めた現在の米中貿易戦争、そして、それに伴って生じ得る中国経済の何らかの困難、などについて、コンパクトに理解するには役立つ読書だった気がします。

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次に、バーリ・ゴードン『古代・中世経済学史』(晃洋書房) です。著者はオーストラリアのニューカッスル大学教授であり、専門はキリスト教経済思想や古典経済学だそうです。英語の原題は Wconomic Analysis before Adam Smith であり、もっとも最初の出版は1975年だそうです。原題からも理解できる通り、アダム・スミスが経済学の創始者であるという、我々エコノミストの常識を真っ向から否定していて、古典古代から経済学の歴史を説き起こしています。よく間違われるんですが、私は大学のころは経済史のゼミにいて、経済史は経済の歴史ですので、かなり大昔にさかのぼっても何らかの経済活動がある以上は経済史は成り立ちます。一般には、マルクス主義的な経済史では古典古代の奴隷制から始まって、中世の封建制ないし農奴制、近代の資本制、さらに、革命を経て社会主義や共産主義が来る、ということになっていたわけです。他方、経済学史は経済学の歴史ですから、アダム・スミス以前は経済学が近代的な科学として成り立っていなかったので、本書のようなアダム・スミス以前の経済学史については、意味がないと考えられているわけです。しかし、私の暴行の京都大学経済学部の経済学史の口座を持っていた出口先生の言葉を訳者あとがきで引いていて、「経済生活の知的反省」と考えれば、スミス以前の経済学も考えることは出来るのかもしれません。私は、たぶん、古典古代からの経済学のテーマとしては、勤労はほぼほぼ一致した重要性が与えられるとして、貨幣と利子に関する考察、さらに、狭い範囲ながら交易の考察が含まれるべきと考えますが、本書ではそれぞれの時代の知識人の経済学的な活動を編年体で構成しています。もちろん、価値と価格の問題など、とても興味深いテーマも含まれています。全般的には、私のような不勉強な人間には、かなり判りにくい内容です。

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次に、小島寛之『宇沢弘文の数学』(青土社) です。著者は大学の学部で数学を修めた後、大学院では経済学に転向して宇沢教授に師事した経済学者です。専門は数理経済学のようです。ということで、タイトルは数学となっているんですが、私は宇沢先生の経済学の方がいいように感じました。唯一、数学的な理解が深まったのは、数学の言語性と数学能力が人類の innate と宇沢先生が表現したような先天的な形質かもしれない、という点かと思います。演繹的な数学と帰納的な統計の対比もなかなか興味深いと感じました。その一方で、数学ではなく宇沢先生の経済学は、典型的に、倫理感を重視し、本書にもある通り、その昔のシカゴ学派のベッカー教授のような合理性は、必ずしも肯定されません。合理的に薬物の乱用に走るのはあくまで非合理、という考えです。ですから、いつも称しているように、官庁エコノミストにして左派、という私の考え方にはとても親和性があります。著者は、冒頭に、経済学は数学の応用分野ながら、現実の説明力に乏しい、と記していて、まあ、多くの人が感じているところではないかという気がします。そして、宇沢先生の力点は市場が完結しているわけでも、市場化が効率化を意味するわけでもない、という点にあるんですが、その市場の解決策として宇沢先生は社会的共通資本を持ち出すわけですが、そこにおける政府の役割が私にはハッキリしません。単に、人間関係や流行りの絆とか、単なる文化的な共通認識で市場の不完全性を正すことができるとは私にはとても思えません。最近の日産・ルノーのカルロス・ゴーンの事件も、人間としての欲望丸出しで、ベッカー的な合理性ある犯罪なのかもしれませんが、こういった資本主義、というか、現代経済の歪みを正すのが社会的共通資本であるというのは、マルクス主義に対する空想的社会主義のように私には見えます。理想論は大いに共鳴するところがあるものの、もう少し地に足つけた議論も必要ではないでしょうか。

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次に、山本勲『労働経済学で考える人工知能と雇用』(三菱経済研究所) です。著者は、日銀から慶應義塾大学の研究者に転じた経済学者です。私も面識ありますが、労働経済学が専門だったりします。タイトルにあるような人工知能という狭い範囲ではなく、技術革新というもう少し広い視野から雇用を考えています。すなわち、技術と雇用が代替的であって、新技術の採用とともに雇用が減少するケースもあれば、保管的であって雇用が謳歌する場合もある、ということになります。そして、1980年台の英国サッチャー政権や米国レーガン政権の発足などとともに、格差が拡大した事実については、スキル偏向型技術革新仮説について、スキルに対するプレミアムの見方を、中間層の没落と貧困層と高所得層の増加という二極化を説明できない、などの理由から否定し、routinization 仮説=定型化仮説に基づく非定形化した業務への高報酬とする説を支持しています。そして、英国オックスフォード大学の研究者の成果も取り上げられており、AIに代替される雇用についても、Autor ほかによる AML タスクモデルの観点から疑問を提示しています。100ページ足らずのボリュームで、本というよりもパンフレットのような出版物ですが、それなりの内容を含んでいる気がします。

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最後に、服部泰宏・矢寺顕行『日本企業の採用革新』(中央経済社) です。著者2人は神戸大学大学院の同級生らしく、阪神方面で経営学の研究者をしています。タイトル通りの内容なんですが、もう少し詳しく展開すると、2016年卒業生の採用から、人手不足が顕著になり、いわゆる売り手市場が現出したことから、いくつかの企業で採用に関する革新が生まれ、その革新の謎解きをしています。ただ、「革新」は経済学では通常シュンペーター的な新機軸を指していて、英語では inovetion であるのに対して、上の表紙画像に見られる通り、本書では regeneration を使っています。経済学を大学時代に専攻していて、官庁エコノミストを自称する私には見慣れない「革新」だという気がします。本書の著者もそれには気付いているようで、第3章では、経営課題としては新規顧客の獲得や顧客との関係強化が上げられる場合が多く、採用が経営課題として認識されているのでなければ、何らかの確信をもって採用活動を変革しようとするインセンティブは小さい、と指摘してます。それはともかく、本書では採用の革新を募集活動の革新、選抜の革新、募集と選抜の革新、革新の対外発信、他企業との協力の5カテゴリーに分類しています。その上で、採用活動の従来系について、入学偏差値の高い大学の卒業生であって、頭脳明晰かつ明朗闊達な人材を採用する、そのために、早い時期から時間をかけて多くの志願学生から選抜する、という点が重視されてきたところ、このパターンから外れるユニークな採用を2016年スつ行政に対して実施した3社のケーススタディを実施しています。ただ、私が疑問に感じているのは、いつもながらの経営学のケーススタディですから、取り上げられたサクセス・ストーリーの裏側に死屍累々たる失敗例がいっぱいあるんではないか、という点です。そして、いつもの通り、その疑問には答えてくれていません。加えて、採用の革新例として、広く報じられた2社の採用革新、すなわち、ドワンゴの受験料徴収と岩波書店のコネ限定を冒頭に取り上げていますが、人手不足下の売り手市場に対応したものではないんではないか、という気もします。

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2018年11月24日 (土)

先週と今週の読書は合わせて11冊!!!

先週は土曜日11月17日まで北京出張のイレギュラーな週でしたので、本日、先週と今週の読書11冊を合わせてレビューしておきたいと思います。経済所がとても少なく、中にはごく短めの読書感想文もあります。

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まず、根井雅弘『英語原典で読む経済学史』(白水社) です。著者は我が母校である京都大学経済学部の経済学史を担当している研究者です。経済学の父と呼ばれるアダム・スミスから始まって、20世紀の巨人ケインズまで、一部にマルクス主義経済学の文献も織り込みつつ、加えて、タイトルからは少し離れて英語以外のフランス語やドイツ語の原典も引きつつ、さまざまな経済書を取り上げています。タイトルの順番通りに、経済学史の勉強は後回しで、「英語原典で読む」の方に重点が置かれています。別の言い方をすれば、、スミスをはじめとして経済学史的に重要というよりも、有名で人口に膾炙した表現を多く拾っている印象があります。何かの折に、経済学の名著の英語原典を引用するには便利そうな気がします。

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次に、ローレンス・フリードマン『戦略の世界史』上下(日本経済新聞出版社) です。著者は、英国ロンドン大学キングス・カレッジ戦争研究学部に在籍した研究者です。意地悪な解釈をすれば、シンギュラリティが訪れてAIに取って代わられる前に、人類が築き上げた戦略の要諦について取りまとめた労作といえます。戦争や戦闘行為の戦略から始まって、個人の選択の問題、さらに、現代ビジネスマンの興味分野である企業経営の戦略などに至るまで、幅広い「戦略」に関しての歴史を集大成しています。第1部では、戦略の起源を、聖書、古代ギリシャ、孫子、マキャベリ、ミルトンに探り、ナポレオン、ジョミニ、クラウゼヴィッツ、モルトケ、マハン、リデルハート、マクナマラ、カーン、シェリング、ロレンス、毛沢東などの軍事戦略をひも解こうとしています。このあたりはまだ、私のような専門外のエコノミストにも馴染みがあるといえます。でも、下巻に入ると企業経営戦略も含まれているとはいえ、私なんぞには難しく感じられ始めます。すなわち、「下からの戦略」として、ガンジーらの非暴力運動、キング牧師らの公民権運動、クーンの科学革命論、フーコーの哲学、アメリカ大統領選挙戦など、多様な話題を通じて戦略思想の変容をとらえる一方で、「上からの戦略」として、テイラー、スローン、フォードら経営者、ドラッカーなどの経営理論家の思想、さらには、ゲーム理論などの経済学の隆盛、社会学的な取り組みを明らかにし、合理的選択理論の限界、ナラティブ、ストーリーとスクリプトの有効性を取り上げています。まあ、何かの記念に読んでおくのも一案かという気がします。

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次に、イワン・クラステフ『アフター・ヨーロッパ』(岩波書店) です。著者はブルガリア出身の政治学研究者です。欧州における極右・ポピュリズムの台頭、米国優先政治を掲げる米国トランプ政権、これらは、リベラリズム、民主主義、寛容といったキリスト教と啓蒙主義の遺産ともいえる西欧的な価値観を根底から覆しつつあるとの危機感を出発点として、従来の欧米価値観について論じています。すなわち、一般大衆がコスモポリタン的なエリートとトライバルな志向の移民の両方にNOを突きつけた結果としてのポピュリズムの台頭と捉え、その原因として、難民・移民危機はどのように欧州社会を変化させたか、支配階層にあるエリートへの有権者の反乱はなぜ起こっているのか.EU諸国のリベラル・デモクラシー体制がポピュリズムの台頭で内部的危機に直面する現在、その原因を解き明かし,どのように対応すべきかを論じています。ただ、その結論は私には説得的ではありません。といって、私自身が解決策を持っているわけでもなく、解がない問題なのかもしれません。私の偏見かもしれませんが、著者の出身から、どうしても視点が中欧ないし東欧に置かれている気がしてしまい、自由と民主主義の本流である西欧的な価値観に著者がやや理解が浅い気もしなくはありません。もちろん、専門外の私の理解が浅いだけかもしれません。

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次に、吉田忠則『農業崩壊』(日経BP社) です。著者はジャーナリストであり、現在の肩書は日本経済新聞社編集委員となっています。本書では我が国の農業について、小泉進次郎、植物工場、企業の農業参入の3つをキーワードに、問題点のあぶり出しとその解決策を模索しています。私は農業問題にはそれほど詳しくないんですが、中学や高校のころから、日本農業の問題点として上げられて来た経営規模の問題だけでなく、最新技術の応用や作物育成から流通問題まで、幅広い視野で農業を見ています。ただ、私の直観ながら、農業政策の本流の視点ではないような気もします。というのも、農政問題については、先の経営規模の問題と関係して、農地所有のあり方や補助金の問題などを議論して来たと思うんですが、本書ではこの2点はまったくといっていいほど触れられています。本書でスポットを当てられている植物工場に至っては、失敗例ばかりが並んでいる印象すらあります。植物工場は、企業の農業参入とともに、うまく立ち行かない我が国農業に経営効率の視点から、上から目線で農業に取り組んだ企業の失敗談とも読めます。将来の総理候補とまでいわれる小泉代議士についてもまだまだ未知数の部分が大きいのも事実です。やや眉に唾つけて読むべき本なのかもしれませんが、それなりに示唆に富む内容と受け取る向きもありそうです。

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次に、鈴木董『文字と組織の世界史』(山川出版社) です。著者は長らく東京大学東洋文化研究所をホームグラウンドとしていた研究者であり、オスマン・トルコ帝国の歴史が専門とあとがきにあります。本書は、いわゆるグローバル・ヒストリーを基礎としており、一国史やせいぜい地域史の範囲を超えて、ネットワークとして世界史を俯瞰する試みのひとつといえます。そのネットワークやリンケージのキーワードとして、タイトルにある言語と組織を基礎的な視点にして議論を展開しています。なお、小耳にはさんだウワサなんですが、東大東洋文化研究所では新しい世界史とタイトルされたサイトを解説しています。また、東大生協駒場書籍部における2018年9月度の人文書部門で『ホモ・デウス』につぐ第2位だったそうです。ということで、元に戻ると、タイトルにある文字と組織については、私の読み方が悪かったのかもしれませんが、圧倒的に文字に重点が置かれている気がします。むしろ、組織よりも文字にあわせた宗教の方がキーワードになっている気がします。我が国は、もちろん、文字や言語の点からは中国を拠点とする漢字圏なんですが、宗教的にはインドを拠点として東南アジアに広がっている梵語圏の中心をなす仏教の影響も大きいですし、経済的には少なくともアジアの中では西欧から米州大陸に広がるラテン語圏の影響も小さくありません。もちろん、グローバル化の進展の中で、東欧からロシアに広がるキリル語圏や中東からアフリカ北部のアラビア語圏とも決して関係が浅いわけでもないといえます。歴史書でいつも私が注目しているポイントのひとつに、欧米が現時点までで世界的な覇権を握っているのは英国を期限とする産業革命をいち早く成功裏に開始したからであり、どうして産業革命が西欧で始まったかは歴史家の間でもコンセンサスがないことから、この産業革命の視点がありますが、本書では極めてアッサリと、ウェーバー的な『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で済ませていて、やや物足りないと感じましたが、400ページ近い本書にしても、1冊ですべての世界史を十分な深さで取り上げられるわけではないと考えるべきなのかもしれません。いずれにせよ、グローバル・ヒストリーの見方に触れ、それなりの世界の歴史観を感じ取れる読書だった気がします。

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次に、野村進『どこにでも神様』(新潮社) です。著者は大学の研究者であるとともに、ノンフィクション・ライターとしても活躍していて、何冊かノンフィクションの書籍を出版しているようです。本書では、副題にもある通り、出雲と神様をキーワードとして、出雲から少し広い範囲のや山陰地方の伝統文化や精神構造などを解き明かそうと試みています。すなわち、出雲ならざる鳥取の水木しげるの視点から、神様ならざる妖怪を取り上げたり、今では同じ島根県とはいいつつも、石見地方の神楽に注目しています。本書の後半で詳しく論じられますが、専門家ならざる私の見方でいえば、国譲りの伝説にもある通り、古典古代の我が国に置いては出雲政権は大和政権に敗れた、と考えているんですが、本書の著者は少し違った視点も盛り込んでいます。もちろん、古典古代においては極東に位置する我が国からして、中国という隣国はあらゆる意味において地域どころか世界の超大国であり、漢字を文字として受け入れたことに典型的に現れているように、中国やその文化の経由地である朝鮮半島に近い出雲の方が大和よりも先進地域であったことは想像に難くありません。もちろん、大和政権も九州かどこかはともかく、西から大和に攻め上ったんでしょうが、中国や朝鮮の直接の窓口をなる位置にある出雲の方が先進地域であった可能性の方が高いと私は考えています。しかし、21世紀の今、というよりももう少し前の20世紀半ばの戦後においては、本書でも「裏日本」とか、今でも山陰という表現があるように、決して、文化や政治経済の中心とはいえないのが現状であるという気がします。でも、神様や妖怪をキーワードに出雲周辺の歴史を振り返り、文化に着目するのはいい試みかもしれません。

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次に、東野圭吾『沈黙のパレード』(文藝春秋) です。著者は、ご存じの通り、売れっ子のミステリ作家であり、本書は人気のガリレオ・シリーズ最新刊です。湯川は米国留学を経て教授に昇進し、草薙も警視庁捜査一課で係長に昇進しています。本書では、グレーから極めてクロに近い犯罪容疑がありながら、かつては「証拠の王様」であった自白を避けて黙秘を通すことにより、「疑わしきは罰せず」の刑法の原則に従って無罪となった男が、いかにも、ということで、事件の犯罪被害者とその友人から殺害されたようなシチュエーションから始まります。そして、私もこのブログで何度か、例えば、同じ著者の『夢幻花』を5年前の2013年6月15日に取り上げた際に明記したように、この著者の遵法精神以外に何も感じられない正義感に疑問を感じていたんですが、ガリレオこと湯川教授に独白させ、『容疑者Xの献身』における一般的な善悪の感覚や広く受け入れられた道徳よりも、単なる遵法精神をあまりに優先させ倫理観にやや欠ける解決に対する反省の弁が見られます。私なんぞには理解できないガリレオ・シリーズ特有の殺害方法も首尾よく解決され、私も湯川教授の犯罪被害者とその友人に対する態度や考え方に深く納得しましたので、いい読書だった気がします。直木賞を授賞された『容疑者Xの献身』よりも、私は個人的に高く評価します。

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次に、池井戸潤『下町ロケット ゴースト』及び『下町ロケット ヤタガラス』(小学館) です。このシリーズの第3作と第4作だと思います。当然ながら、大田区の町工場地域にある佃製作所が舞台であり、第1作では、まさに、ロケットのエンジンに使うバルブそのもの、そして第2作の『ガウディ計画』では人工心臓向けのバルブを諦めての心臓の人工弁、そして、この最近2作のでは前2作のハイテク路線からグッとローテクに回帰して、農業機械、トラクタなどのエンジンとトランスミッションに挑戦します。『ゴースト』ではトラクタのトランスミッションに挑戦し、『ヤタガラス』ではトラクタのエンジンとトランスミッションを帝国重工に供給しつつ、その自動運転化技術にも挑みます。相変わらず、この作者の作品らしく、善悪が明瞭に分岐していて、悪いヤツはトコトン悪く、いい人はどこまでも勝ち続けます。経済学や物理学などのモデル分析を主流にする科学に親しもあればともかく、善悪をあいまいなままでコトが進む日本的な風土で、ここまでこの作者の作品が支持され、テレビでもドラマとして成功を収めているのはやや不思議な気がしますが、私が読んでも面白いんですから、かなり完成度は高いといえます。この2作と前の『沈黙のパレード』の3冊の小説は買って読みました。3冊も買うのは久し振りかもしれません。

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最後に、森本公誠『東大寺のなりたち』(岩波新書) です。著者は我が母校の京都大学のイスラム史の専門家であり、東大寺の長老としても名高い僧侶です。「東大寺」の懐かしい響きを感じ、ついつい借りてしまいました。聖武天皇の勅から始まったと考えられがちな東大寺の造営につき、その前の段階からていねいに歴史をひも解きつつ、東大寺や国分寺のなりたちや役割について解き明かしています。私は中学高校と6年間ずっと奈良に通っていたんですが、まさに南大門を入って大仏殿の前に校舎がありました。今はかなり離れたところに移転し、私が通ったころの2クラス100人足らずの生徒数から、倍くらいに大規模化したように聞き及んでいますが、男ばかりのムサイ6年間ながら、京都大学の学生時だよりも青春そのものの想い出深い時代でした。いまだに Facebook でつながっている仲間もいますし、逆に、顔も見たくないイヤなヤツもいます。それも合わせて、貴重な青春の6年間だった気がします。その中学高校は東大寺からのいくばくかの補助があったと聞いたことがあり、京都の名門である洛星高校などよりは、それなりに学費負担も大きくなく、決して恵まれた所得があったとはいえない我が家でも私を通わすことが出来たのかもしれない、と思い起こしています。約10年前に100歳超で亡くなった祖母が、私の学校との関係で東大寺のお水取りに加わって喜んでいたのは、もう40年以上も前のこととなりました。改めて、東大寺への感謝の気持ちを込めて拝読しました。

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2018年11月10日 (土)

いろいろ事情があって今週の読書は計9冊読み飛ばす!!!

今週は経済書や話題の小説をはじめとして、計9冊とかなり大量に読みました。というのも、来週の予定を考えに入れると、今週中に読んでおきたい気がしたからです。今週も自転車で図書館回りを終えていますが、諸般の事情により来週の読書はちょっぴり抑える予定です。ついでながら、今週の読書感想文は読んだ本の数が多くて、感想文のボリュームは抑えてあります。

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まず、大矢野栄次『ケインズの経済学と現代マクロ経済学』(同文舘出版) です。作者は久留米大学の研究者です。冒頭のプロローグにあるんですが、「現代経済学の流れのなかで、唯一、現代の世界経済の考え方と経済政策の方向性を変革しうる経済学が『ケインズ経済学』であり、『ケインズ革命』の再認識であると考える」との意識から書き始めていますが、本書の中身は、大学の初学年ではないにしても2年生ないし学部レベルのケインズ経済学の解説に終止しています。それなりの数式の展開とグラフは判りやすく取りまとめられていますが、1970年台に石油危機に起因するインフレと景気後退のスタグフレーションにおいてケインズ経済学批判が生じ、そして、2008年のリーマン証券破綻から再び見直され始めた流れについてはもう少していねいに解説してほしかった気もします。

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次に、ルチアーノ・カノーヴァ『ポップな経済学』(ディスカヴァー・トゥエンティワン) です。著者はイタリアの行動経済学を専門とするエコノミストです。原書はミラノで2015年の出版ですから、ややトピックとしては古いものも含まれていて、逆に、新しい話題は抜けています。当然です。冒頭ではAIによる職の喪失から話を始め、行動経済学のナッジやゲーミフィケーションの活用、クラウドファンディングの台頭についてはやや唐突感もあるんですが、テクノロジーの進歩による情報カスケードによすフェイクニュースの蔓延、ビッグデータの活用、大学教育の変革などなど、どこまでポップかは議論あるかもしれませんが、それなりに興味深いトピックを論じています。繰り返しになりますが、2015年の出版ですので新しいトピックは抜けていますが、概括的な解説としてはいいセン行っている気がします。

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次に、本田由紀[編]『文系大学教育は仕事の役に立つのか』(ナカニシヤ出版) です。8人の研究者によるチャプターごとの論文集です。科研費を利用してマクロミルのネット調査からデータを収集し、かなり難しげな計量分析手法により、タイトルの文系大学教育と実務のレリバンスを探っています。ただ、自ら指摘しているように、あくまでアンケート対象者が役立ったと思っているかどうかのソフトデータであり、ホントに客観的なお役立ち度は計測しようがありません。その上、東大教育学部の研究者と大学院生が半分を占める執筆陣ですから、本書のタイトルの問いかけに対して否定的な回答が出るハズもありません。各章についても、ラーニング・ブリッジングといわれても、教育者により定義や受け止めは違うでしょうし、理系と文系の対比がありませんから、やや物足りない気もします。しかし、奨学金受給者が専門分野には熱心な学習姿勢を示しつつも、正規職員就職率には差が見られない、という計量分析結果については、やや悲しい気がしました。

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次に、持永大・村野正泰・土屋大洋『サイバー空間を支配する者』(日本経済新聞出版社) です。著者3人の打ち最初の2人は三菱総研の研究員で、最後の土屋先生は慶応義塾大学の研究者です。芸剤の先進国に限らず、新興国や途上国でも、国民生活も企業活動も、もちろん、政府に政策も、何らかの形でサイバー空間と関係を持たないわけには行かないような世界が形成されつつあります。そこでは、おどろおどろしくもサイバー攻撃、スパイ活動、情報操作、国家による機密・個人情報奪取、フェイクニュース、などなど、ポストトゥルース情報も含めて乱れ飛び、そしてグーグルを筆頭とするGAFA、あるいは、中国のバイドゥ、アリババ、テンセントのBATなどに象徴される巨大IT企業の台頭が見られます。そして、従来は、国家の中に企業や組織があり、その中に家計や個人が属していたという重層的な構造だったんですが、多国籍企業はいうまでもなく、個人までも国家や集団をまたいで組内する可能性が広がっています。私の専門がいながら、安全保障面でも、米国を始めとして軍にサイバー部隊を創設したり、何らかのサイバー攻撃を他国や他企業に仕かける例も報じられたりしています。こういった中で、サイバー空間の行方を決める支配的な要素として技術と情報を考えつつ、我が国がどのように関与すべきかを本書の著者は考えようとしています。ただ、私としては左翼の見方として対米従属に疑問を持つ見ながら、ここはサイバー空間においては米国に頼るしかないんではないか、という気もしないでもありません。

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次に、ジェイムズ Q. ウィットマン『ヒトラーのモデルはアメリカだった』(みすず書房) です。著者はイェール大学ロースクールの研究者です。英語の原題は Hitler's American Model であり、年の出版です。米国での出版ですから、ドイツで発禁処分となっている『わが闘争』からの引用もいくつかなされていたりします。タイトルから容易に想像される通り、ユダヤ人への差別、というには余りにも過酷な内容を含め、ナチスの悪名高いニュルンベルク諸法のモデルが、実に不都合な事実ながら、自由と民主主義を掲げた連合国の盟主たる米国の有色人種を差別する諸法にあった、という内容です。ジム・クロウ法とか、ワン・ドロップ・ルールなど、1950~60年代の公民権運動のころまで、堂々と黒人やネイティブ・アメリカンは差別されていたわけで、それなりの研究の蓄積もありますので、特別な視点ではないような気もしますが、2016年大統領選挙でのトランプ大統領の当選などを踏まえて、こういった差別をキチンと考え直そうという動向は米国だけでなく、日本も含む世界全体をいい方向に導くような気がします。

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次に、平野啓一郎『ある男』(文藝春秋) です。弁護士を主人公に、林業に従事する中年男性が事故で亡くなったところ、兄が来て写真を見て「これは弟ではない」と言い出し、そこから未亡人の依頼を受けて弁護士の調査が始まります。もちろん、戸籍の違法な取得や交換が背景にあるわけですが、例えば、宮部みゆきの『火車』のように、決して、ミステリとして謎解きが主体のストーリー展開ではなく、登場する人々の人生について深く考えさせられる純文学といえます。調査する弁護士は、まったく人種的な違和感ないものの、在日三世で高校生の時に日本人に帰化しているという経歴を持ちますし、中年以降くらいの人間が過去に背負ってきたものと人間そのものの関係、さらに、『火車』では借金が問題となるわけですが、本作では殺人犯の子供から逃れるための戸籍の違法な取引が取り上げられています。こういった、ひとりの人間を形作るさまざまな要素を秘等ひとつていねいに解き明かし、人間の本質とは何か、について深く考えさせられます。ただし、私はこの作者の作品としては『マチネの終わりに』の方が好きです。でも、来秋の映画封切りだそうですが、たぶん、見ないような気がします。

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次に、三浦しをん『愛なき世界』(中央公論新社) です。作者は私も大好きな直木賞作家であり、私は特に彼女の青春物語を高く評価しています。この作品も青春物語であり、舞台は東京は本郷の国立T大学とその近くの洋食屋さんであり、主人公はT大の生物科学科で研究する女性の大学院生とその院生に恋する洋食屋の男性のコックさんです。まあ、場所まで明らかにしているんですから、東大でいいような気もしますが、早大出身の作者の矜持なのかもしれません。タイトルは、ズバリ、植物の世界を表しています。コックさんは2度に渡って大学院生に恋を告白するんですが、大学院生は研究対象である植物への一途な情熱から断ります。そして、最後は、研究対象である植物への情熱こそ愛であるとお互いに認識し、新たな関係構築が始まるところでストーリーは終わっています。一体、どのような終わり方をするんだろうかとハラハラと読み進みましたが、この作者らしく、とてもポ前向きで明るくジティブな結末です。この作者の作品の中では、直木賞を授賞された『まほろ駅前多田便利軒』などよりも、私は『風が強く吹いている』や『舟を編む』が好きなんですが、この作品もとても好きになりそうです。

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次に、堂場瞬一『焦土の刑事』(講談社) です。終戦の年の1945年から翌年くらいの東京は銀座などの都心を舞台に、刑事を主人公に据えて殺人事件の舞台裏を暴こうとします。終戦前の段階で、東京が空襲された後の防空壕に他殺の女性の死体が相次いで発見されたにもかかわらず、所轄の警察署による捜査が注されて、事件のもみ消しが図られます。そして、その殺人事件は終戦後も続きます。特高警察や戦時下の異常な体験などの時代背景も外連味いっぱいなんですが、最後の解決は何とも尻すぼみに終わります。特高警察や検閲への抗議、あるいは、殺人事件のもみ消しなどは吹き飛んで、実につまらない解決にたどり着きます。大いに期待外れのミステリでした。

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最後に、久原穏『「働き方改革」の嘘』(集英社新書) です。著者は東京新聞・中日新聞のジャーナリストであり、本書は取材に基づき、現在の安倍政権が進める「働き方改革」とは労働者・雇用者サイドに立ったものではなく、残業を含めて使用者サイドに長時間労働を可能にするものだという結論を導いています。そして、最後の解決策がやや寂しいんですが、人を大切にする企業活動を推奨し、「官制春闘」といった言葉を引きつつ、労使自治による雇用問題の解決を促しています。私が考えるに、現在の我が国における長時間労働、いわゆるサービス残業を含めた長時間労働は、マルクス主義経済学の視点からは絶対的剰余価値の生産にほかならず、諸外国の例は必ずしも私は詳しくありませんが、もしも先進国の中で我が国が突出しているのであれば、我が国労使の力関係を示すものであるともいえますし、逆に、政治的に使用者サイドを支援せねばならないくらいの力関係ともいえます。いずれにせよ、長時間労働の問題と現在国会で議論が始まろうとしている外国人労働者の受入れは、基本的に、まったく同じ問題であり、抜本的な解決策の提示が難しいながら、エコノミストの間でも考えるべき課題といえます。

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2018年11月 3日 (土)

今週の読書は話題の経済書をはじめ大量に読んで計9冊!

今週の読書は、かなり大量に読みました。日経センターの金融政策に関する話題の経済書をはじめ、経済的な不平等に関するリポートなど、以下の通りの計9冊です。今週の図書館巡りはすでに終えており、来週もそれなりに読書がはかどりそうな予感です。

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まず、岩田一政・左三川郁子・日本経済研究センター[編著]『金融正常化へのジレンマ』(日本経済新聞出版社) です。今春に黒田総裁が再任され、2期目10年の人気まっとうを目指して、引き続き、異次元緩和の金融政策が続いています。しかし、他方で、10月末に明らかにされた「展望リポート」でも政策委員の大勢見通しは、またもや、成長率も物価もともに下方修正され、日銀のインフレ目標達成の時期は先送りされっぱなしです。そして、本書は副総裁経験者である岩田理事長を筆頭に日本経済研究センターの金融分析部門を上げて、金融正常化への道を探ろうと試みています。本書では章ごとにジレンマを付して金融政策を概観していますが、何といっても最大の問題点は第2章の強力な緩和を続けつつも物価が上昇しない点です。おそらく、現状では人で不足に現れている通り、実体経済は景気循環的にはピークを過ぎたという議論はあり得るものの、景気はかなり好況を呈していると考えるべきであり、需給ギャップは需要超過であることはいうまでもありません。他方で、政府による女性や高齢者の労働市場への参加拡大策の成功等により、労働のスラック墓だ完全には尽きているとはいい難く、賃金が上昇する気配すらありません。賃金と物価のスパイラルによる内生インフレの段階には達していないわけです。それだけに、日銀による財政ファイナンスや日銀財務の健全性の問題などの観点からの批判も絶えません。ただし、本書の底流にある、こういった日銀金融政策のカッコつきの「正常化」を目指すべしとの見方は、日銀を浮き世離れして国民生活から切り離されたかの視点からの議論であり、私はどうも受け入れがたい気がしています。まず、デフレではない状態になった経済の現状から、さらに一歩進めてデフレ脱却にどのような政策が必要か、金融政策だけでは物価目標達成がムリなのであれば、いかなるポリシー・ミックスが考えられるのか、もう少し突っ込んだ議論が求められています。

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次に、木下智博『金融危機と対峙する「最後の貸し手」中央銀行』(勁草書房) です。著者は日銀から学界に転じたらしいんですが、法学部出身であり、専門分野は物価をターゲットとする金融政策ではなく、金融システムの安定性をターゲットにしたプルーデンス政策のようです。特に、本書ではプルーデンス政策の中でも最後の貸し手としての中央銀行、Lender of Last Resort (LLR) を分析対象としています。もちろん、バックグラウンドには2008年9月のリーマン証券破綻をどう考えるか、の疑問があります。従って、冒頭からいわゆる日銀特融23件を分析対象にしつつ、巷間指摘される銀行の救済は、誤ったイメージであると主張します。すなわち、日銀から流動性が供給されても、両建てで借方と貸方の両方に日銀から供給された流動性が計上されるわけですから、債務超過の額は日銀からの流動性供給の前後で変わりないというわけです。しかし、私は大きな疑問を持ちます。すなわち、流動性供給による支払能力の維持が救済であって、債務超過の解消をもって「銀行救済」と考える人はいないハズです。資本注入は政府のプルーデンス政策であり、中央銀行の場合は流動性供給による支払能力、すなわち、ソルベンシーの確保であると考えるべきです。こういった根本的な疑問がありつつも、金融政策の経済分析ではなく、金融の安定性確保のケーススタディもなかなかに興味深いもんだということが本書を読んでいてわかった気もします。すなわち、私の専門のひとつである景気循環の平準化などのマクロ経済の安定性確保とともに、金融システムの安定性確保もシステミック・リスク回避の観点から大きな意味があります。ただし、どちらも恣意的に解釈されて不必要な政策対応となり、いわゆるモラル・ハザードにつながる危険もあります。本書では、中央銀行の最後の貸し手としての原則を確立した19世紀半ばのバジョット原則を基本として、日米英欧州などの中央銀行による最後の貸し手昨日の実際の発揮のケーススタディが豊富に取り入れられています。また、BOX 17で中央銀行の債務超過は問題かどうかを論じていて、中央銀行の会計上の健全性と金融システムの安定性確保との関係の複雑性が解説されています。

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次に、ファクンド・アルヴァレドほか[編]『世界不平等レポート 2018』(みすず書房) です。「ほか」に入れてしまいましたが、『21世紀の資本』で有名なピケティ教授も編集人に名を連ねています。そのベストセラー『21世紀の資本』を作り出したデータべースを基に、世界各国及び世界経済の不平等の最新動向を世界横断的にの100人以上の研究者ネットワークを駆使して、隔年で報告する新たなリポートとして発汗される運びとなったと出版社のサイトにはあります。第Ⅰ部ではWID.worldプロジェクトと経済的不平等の測定と題して、本リポートの目的意識などを明らかにし、第Ⅱ部では世界的な所得不平等の傾向を取り上げ、米国、フランス、ドイツなどの先進国はもとより、中国・インド・ロシアなどの新興国や途上国の不平等、この場合はフローの所得の不平等を、場合によっては100年以上の歴史的なタイムスパンで跡付けます。もっとも、我が国はデータがないのか、取り上げられていません。第Ⅲ部では公的資本と民間資本の動向を分析し、我が国はバブル経済期において不動産価格が高騰したことなどから、先進国の中でも民間資本が公的資本に比べて大きな割合を占めていると指摘しています。第Ⅳ部では富の不平等に着目し、ストックである富はフローの所得よりも不平等の度合いがさらに大きいと結論しています。そして、最後の第Ⅴ部では不平等と闘うとして、累進課税の役割の重視やタッkスヘブンでの課税逃れに対応するため世界金融資産台帳の必要性を明らかにし、教育の重要性に焦点を当てています。繰り返しになりますが、国によっては100年を超える超長期に渡るデータに基づく議論を展開し、不平等の改善のための政策についてはやや弱いところがありますが、事実をまず明らかにして今後の研究のツールとするという姿勢が読み取れます。なお、邦訳書は7,500円プラス消費税と高額ですが、以下のWID.worldのサイトでは英語版のpdfファイルが無料でダウンロードできますし、その他、各章のもととなっているワーキングペーパー、さらに、本リポートで用いられているデータはもとより、データプロセッシング向けのプログラムコードも圧縮ファイルでアップされています。大学院生向けのような気もしますが、ご参考まで。

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次に、佐藤航陽『お金2.0』(幻冬舎) です。著者は、私はよく知らないんですが、いわゆる青年起業家なんだろうと思います。タイトルからして、お金や経済についての話題が多いものの、副題が上の表紙画像に見られるように「新しい経済のルールと生き方」となっていますので、仮想通貨やブロックチェーンなどのFINTECHの簡単な解説も含まれていますが、同時に、人生論を始めとして、哲学的とまではいわないまでも、かなり抽象度の高い、決して具体的な応用可能でない議論も展開されています。その意味で、年配の経営者の人生を振り返ったエッセイに近い印象もあります。本書の底流に一貫して流れているのは、今までの常識を疑うという視点であり、逆から見て、事故を確立し自分なりの味方ができるように自分を鍛える、教養や見聞を広める、ということになります。電車の広告などで、メチャメチャ目についたので借りてみましたが、確かに、私のように大きな組織の中でのうのうとサラリーマンをしてきて定年に達してしまった人間には出来ない発想もいっぱいありましたが、特に、マネーキャピタルとソーシャルキャピタルを対比させて、前者の資本主義的色彩と後者のより共同体的、というか、人によっては社会主義的な色彩まで読み取る読者もいるかも知れません。ただ、起業家として資本主義のルールのもとで成功して、十分な所得を得たからいえるのかもしれない、と思わないでもない部分も少なくなかった気がします。年齢的に、上から目線になっていないのも好ましい点かもしれません。私のような年配の読者ではなく、もっと若い学生からなりたてビジネスマンくらいの読者を想定しているように受け取れる部分もありました。ただ、我が家の倅どもに読ませたいとは私は思いませんでした。むしろ、私くらいの引退世代に近い読者の方が理解が進むような気がします。ただし、複数の経済システムが共存する世界、というのは、不勉強にして私は理解できませんでした。

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次に、大原扁理『なるべく働きたくない人のためのお金の話』(百万年書房) です。著者は、数年前から25歳にして東京都内国立市にて「隠居生活」を実践し、定収入のもとで支出の少ない生活を送っていて、今では台湾に移り住んで同様のケチケチ生活を海外で続けているそうです。私も、来年3月には定年退官し、無職無収入に陥る可能性もかなりあり、あるいは、参考になるかもしれないと考えて読んでみました。もっとも、私の場合はカミさんがパートにでも出てくれれば、私は楽ができますし、今の人で不足が叫ばれる東京で私もまだ何らかの収入ある職につける可能性は少なくないと楽観しています。私も大学を卒業してから現在まで、キャリアの国家公務員として、ほぼほぼ日本国民としての平均的な生活を保証するだけの収入を得てきましたが、60歳で定年退官すれば自力で収入を得る必要があるわけで、それが出来なければ、本書で低回しているようなケチケチ生活を送らねばなりません。もっとも、本書ではケチケチ生活のすすめを展開しているわけではなく、桶ねとの付き合い方の基本論を展開しています。ただ、私が疑問に受け止めたのは、お金との付き合いであって、お金を稼ぐための労働観とか働くということについての著者の考えがまるで伝わってきませんでした。勤労という行為は、一面では社会的な貢献、あるいは、社会的貢献をしている自分に対する責任感であり、他面から見れば個人や家族の生活の基となる収入を得る手段です。マルクスが喝破した通り、資本制下では商品生産がその特徴を表し、商品を市場において貨幣と交換するために労働力しか持たないプロレタリアートはその労働力を売ることを余儀なくされます。そして、本書の著者は支出を低水準に抑える結果として、労働も低水準の供給しかしない、という選択をしています。あるいは、低生産性の労働にしか従事しない、ともいえます。労働供給と生活水準は、どちらが卵か鶏かは議論が分かれる可能性もありますが、私は本書の著者のように生活が先にあってそれに必要な労働供給があるんだろうという気がしています。単なるケチケチ生活の実践だけでなく、なかなかに、基本哲学がしっかりしていて驚きました。

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次に、キャス・サンスティーン『#リパブリック』(勁草書房) です。著者は、憲法専門とする米国ハーバード大学の法科大学院(ロースクール)の教授であるとともに、ノーベル経済学賞を受賞したセイラー教授らとともに行動経済学や実験経済学の著作を公表したり、あるいは、その見識をもってオバマ政権において行政管理予算局の規制担当官を務めたりしています。本書は、タイトルからは判りにくいかもしれませんが、もう15年以上も前に刊行された『インターネットは民主主義の敵か』の問題意識をいくぶんなりとも共有し、熟議民主主義に重点を置いた現在の民主制に対して、インターネットや進歩の激しいテクノロジーが何をもたらすかについて考察を巡らせています。特に、ツイッターやフェイスブックなどのSNSを対象に、フルター・バブル≅情報の繭≅エコーチェンバー(共鳴室)により意見を異にする他者からの断絶を生じかねない、また、それを快いとも感じかねない情報やコミュニ受け―ションのあり方に疑義を呈しています。少なくとも、その昔の新聞は、完璧とはほど遠いながらも、それなりに異なる意見を収録し、例えば、私が見ている範囲でも、専門家の意見として両論併記を試みたりしているわけですが、ネット上のSNSなどでは意見を同じくする集団が形成されてしまい、その中に取り込まれて自分と同じ意見だけに接するようになると、それなりに快く感じたりする一方で、熟議に基づく民主主義の健全な運営にはマイナス要因ともなりかねない、というのは一般にも理解できるのではないでしょうか。我が国におけるネトウヨなんかがひょっとしたら当てはまるのかもしれません。そこに、無制限の表現の自由を許容するのではなく、何らかの政府による規制が必要になる可能性の端緒があります。米国的な極端なリバタリアンの世界ではなく、日本的な世論形成を考えれば、本書の主張はもっと判りやすいような気がします。かなり難しい内容ですが、テクノロジーと民主主義の未来について、次に取り上げる『操られる民主主義』とともに、考えさせられる1冊でした。

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次に、ジェイミー・バートレット『操られる民主主義』(草思社) です。英国の左派シンクタンクに属するジャーナリストで、上の表紙画像に見られる通り、英語の原題は The People vs Tech であり、今年2018年の出版です。前の『#リパブリック』と同じように、民主主義が技術の進歩により歪められる危険を指摘しています。例えば、典型的には、先の2016年の米国大統領選挙においてトランプ陣営で暗躍したケンブリッジ・アナリティカの果たした役割などです。もちろん、行動経済学や実験経済学の見識からして、アルゴリズム的に処理された情報に基づく一連のナッジの支配下に人々が置かれる危険はあり、私もこういった技術の過度の利用、というか、悪用に近い利用により世論が歪められる危険があるのは理解できますが、選挙などでは逆の陣営もこういった技術を利用し始めるわけですから、長期的には民主主義には悪影響はないものと理解していましたが、例えば、独占が形成されるなどにより長期に渡って技術の悪用により世論が歪められる可能性がある点は理解が進んだ気がします。また、本書では民主主義を支える人々へのベーシックインカムの必要性も主張していますが、同時に、ベーシックインカムはあくまで基礎的な生活の必要をまかなうだけであり、決して格差を解消するほどのパワーはないと結論しています。こういったリスクは当然にあるわけですが、私は民主主義も技術に合わせて、というか、やや遅れつつも、システムとして進歩するんではないか、という気がしています。本書ではカーネマン教授の言うところのシステム2に基づく熟慮の民主主義に重点を置いていますが、そのためには一定の時間的な余裕も必要ですから、生産性の向上も不可欠です。経済と民主主義が車の両輪としてともに進化する中で、技術の過度の進歩に起因する民意の歪曲などの問題は、個々人の自覚ではなく、社会経済のシステムの問題として、システムそれ自身の進化や進歩により、あるいは言葉を変えれば、同じ意味ながら、技術革新により解消される部分が小さくないというのが私の直観的な理解です。その意味で、民主主義に関しては、私は本書の著者ほど悲観的ではありません。

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次に、ノーマン・オーラー『ヒトラーとドラッグ』(白水社) です。著者はドイツの作家・ジャーナリストであり、本書のドイツ語原題は Der totale Rausche となっていて、直訳すれば、「全面的な陶酔」ということにでもなりそうです。ドイツ語原書は2015年の出版ですが、邦訳のテキストは2017年出版のペーパーバックだそうです。ということで、ナチス・ドイツの総統だったヒトラーとその主治医モレルを中心に据えて、ヒトラーが重度のジャンキーであったことを本書は主張しています。私自身のイメージとしては、ナチスは道徳的に退廃しきったワイマール帝国への嫌悪感や反省からドラッグに対しては厳しい態度で臨み、同時に、自分の肉体は自分の裁量下にあるというユダヤ的、あるいは、マルクス主義的な見解ではなく、いかにも全体主義的な遺伝子のベクターという見方に立脚して、肉体的にも精神的にも健全なアーリア人の育成に努めていた、と思っていたんですが、まったく事実は異なるようです。ヒトラー自身は菜食主義者であったのは有名ですし、ヒトラー・ユーゲントでは今どきの田舎のボーイスカウトよろしく、地産地消などの大地に根ざした活動を進めていたと私は認識していて、それはそれで、田舎っぽくて私の趣味に合わない、と感じていたんですが、カギカッコ付きで「超都会的」な薬物中毒だったとは知りませんでした。前線兵士については、特に日本の神風特攻隊の兵士などは薬物で精神的に高揚しきった状態でなければ、とても任務に臨むのは不可能だったとは容易に想像できますが、いやしくも国家の最高指導者であったヒトラーが薬物中毒のジャンキーだったわけですから、第三帝国が英米連合国に負けたのも当然といえます。それなりにショッキングな内容の本でした。私はもともとがマルクス主義をバックボンとする左翼ですので、ファシズム・ナチズムやヒトラーは目の敵なんですが、その感をいっそう強くした気がします。

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最後に、中澤克昭『肉食の社会史』(山川出版社) です。本書の著者は当然ながら歴史の研究者です。本書では古典古代ほどではないものの、律令制の成立した平安期くらいから近世江戸期くらいまでを対象に、我が国における肉食の歴史を宗教史とともにひも解いています。すなわち、我が国では明治維新まで動物を殺して肉食するという文化が、いわゆる「薬食い」などで例外的な肉食はあったものの、決して肉食は一般的ではなかった、という俗説的な理解はそれほど正しくない、というのが本書の著者の主張です。その日本での肉食を本書では歴史的に跡付けているわけですが、その際のひとつの観点は、天皇を頂点とする身分制の中での差別と格差の問題であり、もうひとつは殺生を禁じた仏教という宗教的な影響です。まず、身分の違いによる肉食については、天皇家から始まって、摂関家、侍(≠武士)の食事を解明し、それなりに肉食が行われていた実態が明らかにされます。加えて、宗教の観点からも、動物が人間に肉食されることにより、食べた方の人間が死ぬ際に同時に成仏できる、との宗教観もあながち一般的でなくもなかった、との見方を著者は示します。そうかも知れません。ただ、本書で強調しているのは、明治維新まで肉食される対象はあくまで野生の動物が狩りによって仕留められた場合であって、肉食を目的として飼育されていた家畜を屠殺してまで肉食のもととなることはない、という点です。すなわち、我が国では家畜は農耕などの際の実用的な使役獣であって、肉食の目的で飼育されているわけではない、ということで、これは西洋的な家畜の概念とは大きく異なっているような気がします。

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