2026年3月 7日 (土)

今週の読書は芥川賞受賞作を含めて計7冊かな?

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、軽部健介『人事と権力』(岩波書店)では、内閣が日銀の総裁・副総裁や政策委員の任命という人事をテコとして、中央銀行の独立を無意味にしたり、金融政策を歪めたりといった可能性について、ジャーナリストの視点からの考察しています。ただ、国民主権の観点から私は疑問を感じました。鳥山まこと『時の家』(講談社)は、第174回芥川賞受賞作品であり、30代半ばの男性が『売物件』と掲示された家に忍び込んで、その家を中心に人々の暮らしや何やを描写しています。ストーリー全体としてタイムスパンは長いのですが、各センテンスはとても短くテンポよくなっています。畠山丑雄『叫び』(新潮社)は、第174回芥川賞受賞作品であり、30歳を過ぎた地方公務員の主人公が結婚を考えていたお相手に振られて、自暴自棄になって金遣いが荒くなったところで、銅鐸作りの先生に出会い銅鐸にのめり込みます。関西言葉の会話のテンポがいい作品です。山口二郎『現代ファシズム論』(朝日新書)では、戦後民主主義の危機の時代にあって、21世紀の現代型のファシズムをフェイク=虚偽をフルに活用した「フェイクファシズム」として捉え、米国トランプ政権がファシズムであるかどうかを運動、思想、体制の3つの観点から分析しています。橋本努・金澤悠介『新しいリベラル』(ちくま新書)では、従来型のリベラルが弱者救済型の福祉政策や高齢者への支援を重視するのに対して、新しいリベラルは成長支援型の福祉政策を支持し、子育てや世代や次世代への支援を重視するのではないか、との仮説から、その特徴を把握しようと試みています。エルモア・レナード『ビッグ・バウンス』(新潮文庫)は、1960年代の米国5大湖周辺を舞台に、流れ者=季節労働者として農園で働く主人公が、その農園の社長の愛人である10代の若くて奔放な女性と出会って引かれて行き、農園労働者の給料を盗む計画を持ちかけられる、というノワールな小説です。葉室麟『螢草』(文春文庫)では、16歳の主人公の菜々が風早家に女中奉公に上がり、身分の分け隔てなく接してくれる主人、優しい奥方様や2人の可愛い子供たちに囲まれますが、奥方様は結核で亡くなり、藩政改革派の主人も卑劣な謀略に嵌められます。菜々は周囲に助けられながら風早家の2人の子どもを守って孤軍奮闘します。
今年2026年の新刊書読書は、1月中に24冊、2月に25冊、今週の7冊を加えて合計56冊となります。また、本日取り上げた新刊書読書のほかに、井上真偽『ぎんなみ商店街の事件簿』Sister編とBrother編(小学館)も読んでいます。ただ、新刊書ではないので、本日のレビューには含めず、すでにいくつかのSNSにポストしてあります。残る読書感想文についても、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。

 

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まず、軽部健介『人事と権力』(岩波書店)を読みました。著者は、帝京大学経済学部教授なのですが、時事通信社に長らくお勤めのジャーナリストです。本書のタイトルは大きく出ていますが、実は、日銀総裁の任命をめぐる問題点を議論しています。時期的には、1998年の新しい日銀法の制定の直前、すなわち、新日銀法の企画立案のころから始まっています。新日銀法により、日銀は中央銀行として世界標準の独立を果たしたものの、人事で日銀の金融政策が歪められた可能性はないのか、すなわち、総裁や政策委員の任命は国会の同意のもとに内閣によって行われることから、内閣が、あるいは、首相が総裁・副総裁や政策委員の任命という人事を通じて日銀の独立を実体的に無意味にするような支配力を行使しているのではないか、という問題意識からファクトを積み重ねています。特に、アベノミクス期の安倍首相がリフレ派のエコノミストを日銀に送り込んで、金融政策に対する大きな影響力を持っていたのではないか、という疑問を解明しようと試みています。ただし、私の考えでは、中央銀行とて民主主義国家では民主主義的な統治の下にあります。当然です。他方、本書で1回も登場しない国民主権が民主主義の大きな原則です。ですから、中央銀行は政府から独立しているとしても、国民主権を離れて経済社会や国民生活から独立しているわけではありません。その国民主権によるチェック・アンド・バランスとして、国会の同意と内閣の任命という行為があるのだろうと私は考えています。本書が、中央銀行の独立というのは、あくまで、政府からの独立である点を認識しているのかどうか、読んでいて、私は少し疑問を感じました。まさか、中央銀行が国民主権からも独立して、あくまで専門家として行動すべき、と考えているとは思わないのですが、中央銀行というインナーサークルが主権者たる国民からのチェックを受けずに、あまりに国民生活を考慮することなくデフレに陥ったために国民生活が犠牲になった、というのが一面の真理ではないだろうかと私は考えています。本書で言及されている「オーソドックスな人事」の基礎の下に、金融政策は国民生活からも独立して、日銀エリートだけが関与する、というのは明らかに民主主義国家の中央銀行として誤った道だと私は考えます。例えば、かつては日銀エリートは「岩石理論」を振り回してリフレ派理論を否定していたのですが、今では「岩石理論」なんて恥ずかしくて、誰も口にしないと思います。はい、本書でいう中央銀行の独立のもとで日銀エリートが政策判断を間違った、という観点は本書ではとても希薄に感じます。米国の連邦準備制度理事会はいわゆるデュアル・マンデートで物価と雇用の両睨みですが、日銀は他の中央銀行と同じで物価安定がもっとも重要な金融政策目標です。そこに、1990年代初頭のバブル崩壊から「羹に懲りて膾を吹く」教訓を得て、バブルを回避すればバブル崩壊は起こらない、という誤った使命感からデフレに陥った面があると私は考えています。ですので、デフレに陥ることがなければ、それほどリフレ派に頼った政策変更を必要としなかったように感じています。逆から見て、アベノミクス前の日銀が金融政策運営を失敗してデフレになったので、その反動も含めてアベノミクスで強引なリフレ政策が持ち込まれた、というのが私の理解です。そのあたりは、どちらの面を見るかで違ってくるのだろうと思いますが、本書の視点は逆に反リフレ派的な印象を持つのは私だけではないと感じます。最後に、私が本書を読もうと考えた内幕を明かすと、本書は2年前の出版であり、それほど新刊という気はしないのですが、先月2月に高市内閣が日銀政策委員の新規候補者2人を国会に提示した、しかも、2人ともリフレ派エコノミストである、というニュースに接して、読み逃していた本書を手に取った次第です。

 

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次に、鳥山まこと『時の家』(講談社)を読みました。著者は、小説家であり、京都府立大学から九州大学大学院を終えており、ご専門は建築のようです。本作品は第174回芥川賞受賞作品です。一応、お断りですが、表紙画像は単行本のバージョンを引用していますが、私は『文藝春秋』2026年3月特別号にて、選評や受賞者インタビューとともに読んでいます。ですので、単行本の読者よりは、ある意味で、情報は豊富かと考えています。ということで、まず、主人公はタイトル通りに家なんだろうと思います。冒頭、30代半ばの男性が『売物件』と掲示された家に忍び込んで、その家を中心に人々の暮らしや何やを描写しています。ストーリー全体としてはタイムスパンも長くて、決して短文ではないのですが、各センテンスはとても短くしてあります。テンポがよくなっています。私なんかが大学や大学院で論文指導をする場合に、「一文一義」という原則を最初に教えます。そういった短いセンテンスの文章が続きます。ただ、取壊しの際の描写にはセンテンスが長くなり、取壊しが終わるとまた短いセンテンスに戻ります。このあたりは意識して書いたのであれば素晴らしい技巧ですし、無意識にそうなったというのであっても素晴らしい文章センスだと感じました。ただ、短いセンテンスにしては前半はモッチャリした描写が続きます。吉田修一の選評によれば、立ち上がりが遅い、暖房器具だったら風邪をひく、と表現されています。ただし、逆にそのペースに慣れれば段々とストーリーにのめり込む読者もいそうです。

 

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次に、畠山丑雄『叫び』(新潮社)を読みました。著者は、小説家であり、京都大学文学部のご出身です。本作品は第174回芥川賞受賞作品です。一応、お断りですが、表紙画像は単行本のバージョンを引用していますが、私は『文藝春秋』2026年3月特別号にて、選評や受賞者インタビューとともに読んでいます。ですので、単行本の読者よりは、ある意味で、情報は豊富かと考えています。ということで、まず、舞台は大阪府茨木市です。我が立命館大学は茨木にもキャンパスがあって、私は何度も授業に通ったことがあります。でも、それほど土地勘はありません。それはともかく、主人公は30歳を過ぎた地方公務員らしいのですが、結婚を考えたお相手がいて、両者の中間地点の茨城に引越してまでしたのですが、そのお相手に振られて、自暴自棄になって金遣いが荒くなったところで、銅鐸作りの先生に出会い銅鐸にのめり込みます。ストーリーもさることながら、関西言葉での会話のテンポがいいです。かつての川上未映子の芥川賞受賞作「乳と卵」のようでした。ただ、それは私が関西出身だからという面がある可能性は否定しません。ですから、島田雅彦の選評では、読者の東西の出身によって評価が分かれる可能性が指摘されています。すなわち、関西出身者には高く評価されそうだ、という指摘です。もうひとつ、小説の重要な要素に「聖」があります。社会福祉によって「聖」を支える必要性については、私自身も「聖」のスコープをもう少し芸術くらいまで広げて賛成です。最後の最後に、山田詠美の選評に私が激しく同意するのは、最後のエピローグがまったく不要、という点です。

 

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次に、山口二郎『現代ファシズム論』(朝日新書)を読みました。著者は、長らく北海道大学の教授だと私は思っていたのですが、今は法政大学法学部の教授だそうです。前世紀ながら社会党の村山内閣のブレーンだったり、今世紀初頭には政権交代した後の民主党の鳩山内閣などのブレーンであったと私は認識しています。本書では、タイトル通り、約100年前の戦間期のイタリアやドイツのファシズムではなく、現在の21世紀における民主主義の危機を現代型のファシズムという観点から分析しようと試みています。ただ、その前提として、戦間期ファシズムの成立の3条件を上げています。すなわち、第1に、民主主義の宿命ですが、民主主義を否定する勢力の拡張です。ロシアで成立した共産党政権とか、イタリア・ドイツのファシズム政党などを上げています。第2に、オルテガ・イ・ガセットの論点で、普通選挙制による民主主義を担う市民層の拡大により、それまで所得や資産の裏付けのある教養や公共的な精神を持った市民だけではなく、自己の利益を追求するグループも参加を拡大した点です。第3に、1929年から始まる世界恐慌と経済危機により、合理的に判断できる基盤を失った市民が少なくありませんでした。加えて、ウンベルト・エーコ『永遠のファシズム』からファシズムを構成する14の要素をpp.15-16に列挙しています。その上で、戦後から1970年代くらいまでは安定した経済成長とともに民主主義が機能していた一方で、1980年代から新自由主義的な経済政策運営とともに民主主義が怪しくなり、21世紀に入り、特に、2016年の英国のいわゆるBREGXITや米国でのトランプ大統領を選出した大統領選挙あたりに象徴されるように、民主主義が危機に陥った、と指摘しています。そして、その21世紀の民主主義の危機の背景としてグローバル化への反発、SNSをはじめとする情報やコミュニケーションの変化を上げています。経済面では、新自由主義的経済政策とともに、まるで営利企業を経営するような国家運営が始まり、国家が政権権力者の家産国家化した、との結論を導いています。要するに、トランプ大統領に対して "No King" とのプラカードを持ったデモがあったように私は記憶していますが、国家が権力者の私物になって、権力さえあれば、嘘をついても不法行為をしても、何でも許されるという日本でも安倍内閣から菅内閣のころに見られた国家観が示されています。そして、慶応義塾大学の金子勝教授の著書のタイトルを借りて、フェイク=虚偽をフルに活用したファシズムという意味で、現代型のファシズムを『フェイクファシズム』と読んでいます。また、第6章では米国のトランプ政権を運動、思想、体制の3つの観点からファシズムであるかどうかについて短い考察を提供しています。トランプ政権の分析とそれに続く左派勢力のファシズムへの対抗などについては、読んでみてのお楽しみです。最後に、私自身はこの著者に対して、一定の親近感は持っているものの、それほど強い思い入れはありません。1980年代だったと思いますが、強烈に小選挙区制を推奨していましたし、かつ、村山内閣の成立時に当時の社会党に安保や自衛隊に関して、いわゆる「現実路線」を主導したりと、なし崩し的な左派勢力の右傾化を進めてきたような印象もあります。したがって、本書に関してもいわゆる「左からの批判」が出る可能性があると認識しています。はい、期待しているのではなく、予想しているだけです。

 

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次に、橋本努・金澤悠介『新しいリベラル』(ちくま新書)を読みました。著者は順に、北海道大学大学院経済学研究科教授とシノドス国際社会動向研究所所長、および、立命館大学産業社会学部現代社会学科教授だそうです。まず、本書ではリベラル派の衰退について事実関係を示しています。はい、その通りだと思います。本書のスコープを超えて、先月2月の総選挙でも立憲民主党が公明党に取り込まれて新党を結成した上で選挙でも大敗した、という事実は隠しようがありません。そういったリベラルの衰退を考える際に、本書ではかつての保守vs革新、という構図からの変化を基に、実は、旧来リベラルではなく、本書のタイトルになっている新しいリベラルはそれほど衰退していない可能性がある、という主張を数千人規模の社会調査に基づいて検証しようと試みています。その新しいリベラルの特徴として、3点上げています。すなわち、(1) 旧来リベラルの弱者保護ではなく、成長支援型の社会福祉、(2) 従来の高齢世代支援ではなく、子育て世代や将来世代への支援、(3) 新しいリベラルは反戦護憲などの戦後民主主義的な論点には強くコミットしない、ということになります。そして、社会調査結果の分析に先立って、新しいリベラルの理論的背景をなす4つの潮流を考えます。第1に、1990年代の英国労働党のブレア政権の理論的基礎となったギデンズの『第3の道』、第2に、エスピン-アンデルセンの『福祉資本主義の三つの世界』、第3に、ベッラメンディの『先進的資本主義の政治』、そして、第4に、マッツカートの『ミッション・エコノミー』です。一応、私はエコノミストですので『ミッション・エコノミー』は読みましたし、『第3の道』と『福祉資本主義の三つの世界』の2冊は大雑把に内容を把握していますが、『先進的資本主義の政治』についてはよく知りませんでした。その理論的解明の上で、社会調査結果から日本における6グループを抽出しています。すなわち、新しいリベラルのほか、従来型リベラル、成長型中道、政治的無関心、福祉型保守、市場型保守、となります。それぞれが占めるシェアや特徴などはp.240表6-4に簡単に取りまとめられており、その後に詳細な分析結果が続きます。そのあたりは読んでみてのお楽しみです。最後に、私自身の政治経済的な傾向は、おそらく、新しいリベラルと従来型リベラルの間のどこかにあるような気がします。

 

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次に、エルモア・レナード『ビッグ・バウンス』(新潮文庫)を読みました。著者は、米国の小説家であり、カウボーイたちの西部小説から本作品で現代ノワール小説に転じています。舞台は米国の5大湖周辺のリゾート地ジェニーヴァ・ビーチで、主人公はジャック・ライアンです。かつてはマイナーリーグの野球選手をしていたこともありますが、現在は流れ者=季節労働者として、ピクルス向けのキュウリの摘み取りをしています。働き先の農園リッチー・フーズの社長であるレイ・リッチーの愛人のナンシー・ヘイズと出会います。ナンシーは奔放なハイティーンで、よその家の窓ガラスを割ったり、不法侵入などでスリルを求める生活を送っていたりします。ジャックは作業頭に大立ち回りを演じて裁判沙汰になり農園をクビになります。町から出て行けといわれますが、その裁判に関連した治安判事、ジェニーヴァ・ビーチでカバーニャ=コテージをいくつか所有している治安判事のミスター・マジェスティックのリゾートで雑用係として働き始めます。親しくなった仲で、ナンシーはリッチー・フーズの季節労働者への給料5万ドルの強奪をジャックに持ちかけます。ということで、出版が1960年代後半ですから、それほど荒唐無稽なお話ではありません。荒唐無稽ではない、という意味は、禁酒法下の大恐慌時代、1930年代の Bonnie and Clyde、すなわち、「俺たちに明日はない」と題して映画化された実在の2人のような物語を想像して読むことに比較して、という意味です。どうして、そういう発想になったかといえば、表紙画像の帯に「あんた、いったい、何発撃ったんだよ?」とありますので、発砲しまくって銀行強盗を繰り返す、というイメージを持ってしまったからです。ですので、Bonnie and Clyde の一行のようにド派手、というか、何というか、拳銃をぶっ放しまくる、というストーリー展開ではありません。その分、地味なお話と感じないでもありませんが、それでも、なかなかビミョーに面白いです。ナンシーの実に適当に振る舞う遊び心、奔放さに何ともいえず、本能的に引かれるジャックの心理や行動・言動が、実にたくみに微妙なラインで描写されています。

 

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次に、葉室麟『螢草』(文春文庫)を読みました。著者は、時代小説作家なのですが、2017年に亡くなっています。本書は2012年に双葉社から単行本として出版され、2015年に双葉文庫で文庫化され、今年2026年1月に文春文庫で再文庫化されています。本書の舞台は江戸末期の小藩である鏑木藩です。主人公は女中として武家に仕える16歳の菜々です。菜々が仕える風早家は150石取りながら、鏑木藩は5万2千石の小藩ですので、中士ではなく上士の格となります。主人の風早市之進は藩内の改革派で、清廉な人物であり、病弱な妻の佐知とともに菜々にやさしく接してくれ、子どもの嫡男の正助ととよもよく菜々に懐いています。年配の家僕の甚兵衛が通いで主人に仕えています。菜々はもともと武士の娘でしたが、父親が城内で刃傷沙汰に及んで切腹を命じられお家は断絶し、母親の里の赤村の庄屋の家で育っています。母親の五月が亡くなり、菜々が赤村を離れて風早家に仕えるようになったわけです。しかし、病弱だった奥方様の佐知が亡くなり、主人の風早市之進が謀略にあって罪人として江戸に送られたあげく、他藩預かりという流罪に処せられます。もちろん、風早家のお子2人と菜々は屋敷から追い出されます。何と、菜々の父が刃傷沙汰に及んだ仇が、風早市之進を嵌める謀略を仕組んだ黒幕と知ります。そこから、菜々はがんばって自活し、質屋のお船、地廻りの親分である涌田の権蔵、鏑木藩の剣術指南役である壇浦五兵衛、塾を開いている儒学者の椎上節斎らの助けを得て、父親の仇を討ち、風早市之進の復権を目指す、というストーリーです。結末は見えているわけですが、あらすじはここまでとします。それほど重いお話ではありません。例えば、菜々に助力するお船を「おほね」と、涌田の親分を「駱駝の親分」と、壇浦五兵衛を「だんご兵衛」と、椎上節斎を「死神先生」と、それぞれ誤って呼びかけるというコミカルな要素もありますし、全体のお話のトーンがとても明るい時代小説です。最後に、菜々に助力する人々の設定がとてもご都合主義的に見えるかもしれません。でも、時代小説はしばしばこういった人柄のいい主人公に自然と加勢する人が集まる、そして、主人公は成功裏に目的を達成する、あるいは、勧善懲悪ハッピーエンドのお話が完成する、というものです。その点が、私が時代小説に感じる大きな魅力のひとつだといえます。

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2026年2月28日 (土)

今週の読書は為替に関するノンフィクションのほか計5冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、河浪武史『円ドル戦争40年秘史』(日本経済新聞出版社)は、40年に渡る日米の通貨、すなわち、円ドル関係の「攻防」を日米の政策当局、日本の大蔵省・財務省や日本銀行、また、米国の連邦準備制度理事会(FED)や財務省の当局者にインタビューした結果などを基にしたノンフィクションです。ダニエル・チャンドラー『自由と平等』(早川書房)は、ロールズの政治哲学を解説し、それに基づいて、自由と平等を論じています。2部構成となっており、第1部でロールズの政治哲学をひも解いた後、第2部でその実践、政策としての実現策を模索しています。阿津川辰海『ルーカスのいうとおり』(幻冬舎)は、ホラーミステリであり、近代物理学に反するかのような現象を基にする特殊設定ミステリです。どろぼうルーカスという30センチほどのぬいぐるみが、主人公のタケシを守護するような振舞いを見せ、殺人に至ったりもします。内山由紀子『日本人の幸せ』(中公新書)では、個人の瞬間的な幸せに加えて、持続的で周囲の環境も含むウェルビーイングについて、文化心理学の観点から、国際比較も含めて、日本人的な特徴的を解明しようと試み、調和的な志向や行動が、ウェルビーイングの重要な基盤、と指摘しています。朝宮運河『日本ホラー小説史』(平凡社新書)は、戦後から現在までの80年間のホラー小説の歴史を後づけています。終戦直後に、ミステリだけでなくホラー小説でも江戸川乱歩の果たした役割を改めて知るとともに、黄金期の1980-90年代に出版された『リング』や『パラサイト・イヴ』についても再認識しました。
今年2026年の新刊書読書は、1月中に24冊、2月に入って先週までに20冊、今週の5冊を加えて合計49冊となります。また、これらの新刊書読書のほかに、今さらながら、ですが、芥川賞受賞の村田沙耶香『コンビニ人間』も読んでいます。ただ、新刊書ではないので、本日のレビューには含めていません。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。

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まず、河浪武史『円ドル戦争40年秘史』(日本経済新聞出版社)を読みました。著者は、日経新聞のジャーナリストであり、現在はワシントン支局長です。本書は、1970年代にいわゆるブレトン-ウッズ体制が崩壊して、為替が世界的に変動相場制に移行した後、タイトルからすれば約40年に渡る日米の通貨、すなわち、円ドル関係の「攻防」を日米の政策当局、日本の大蔵省・財務省や日本銀行、また、米国の連邦準備制度理事会(FED)や財務省の当局者にインタビューした結果などを基にしたノンフィクションです。繰返しになりますが、タイトルは「40年秘史」ということになっているのですが、目次ではコロナ禍後の2023年までをカバーしていて、いわゆるニクソン・ショックなら1971年、為替が一気にフロートに移行したのなら1973年から数えれば50年になるのですが、タイトルと中身の違いは謎です。ついでに、表紙画像の1万円札の肖像も古そうな気がします。編集者はどう考えていたのでしょうか。実は、私自身は1980年代の前半から2020年まで経済官庁に勤務していますので、かなりの部分は重なります。ただ、1970年代のニクソン・ショックや1973年8月の変動相場制移行はさすがに歴史の中でしか知りません。本書でもクローズアップされているイベントのひとつ、1985年のプラザ合意から始まった円高についてはよく記憶しています。1980年代後半に円高が進んだにもかかわらず、一向に日本の経常黒字が縮小しなかった謎をマクロ計量経済モデルをシミュレーションして解明しようと試みていた記憶は特に鮮明です。ともかく、プラザ合意から時々のテンポの速さは別にして、2012年のアベノミクス開始まで、ほぼほぼ一本調子で円ドル関係は円高が進んだのは歴史的事実です。もちろん、本書で解明しようと試みているように、それぞれのイベントにより要因は異なるわけで、プラザ合意後は実にブルータルにも政策当局は為替市場に直接に介入してドル高修正に努めたわけですし、1990年代初頭のバブル崩壊以降はいわゆる「安全通貨」としての円が選好され、危機時の円買いにより円高が進みました。リーマン・ショック後の円高局面がそうですし、「安全通貨」ではないとしても、神戸・淡路大震災や東日本大震災後の円高は、いわゆるレパトリの本国送金増による円高でした。また、本書を読めば、ほぼほぼ日本の政策当局が米国の政策方向に追従しているのがよく理解できます。現在のトランプ政権と同じで、ドル安=円高は米国の輸出を促進することから、決して米国にとって悪いことではなかった点が理解できます。ただ、本書では政策動向について詳細にインタビューなどであとづけていますが、同時に、直接市場に介入する政策は別にして、金融政策が為替相場に割り当てられていた、とまではいわないとしても、少なくとも政策当局者の意識としては、金融政策が為替相場の動向に対して極めてコンシャスに対応していたのがよく判ります。最後に、本書は決してマクロ経済政策の理論から為替を理解しようとするものではありません。そうではなくて、日米両国における為替に対する政策の決定過程の記録に重点が置かれています。その意味で、理論面を重視すると物足りないかもしれません。例えば、ケースバイケースで円ドル相場を名目で考えたり、円の実質実効為替レートで考えたり、アドホックな部分もあります。アベノミクス以降、現在まで続く円安の理論的解明はなされていません。しかし、米国大統領が日本の閣僚の更迭を求めていた、といった部分もあったりして、ある意味で、一級の歴史的資料だと私は受け止めています。

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次に、ダニエル・チャンドラー『自由と平等』(早川書房)を読みました。著者は、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)を本拠とする経済学者・哲学者です。LSEの結束資本主義プログラムの研究部長も務めています。本書は、ロールズの政治哲学を解説し、それに基づいて、自由と平等を論じています。2部構成となっており、第1部でロールズの政治哲学をひも解いた後、第2部でその実践、政策としての実現策を模索しています。まず、第1章冒頭p.41でロールズの正義の2つの原理を示しています。これ自体が、本書でも指摘しているように十分難解なのですが、特に重要な第2の原理を「格差原理」と呼んでいて、要するに、社会的および経済的不平等は公正な機会均等の下で、社会で最も恵まれないメンバーの最大の利益をもたらす必要がある、ということで、後者はマキシミン原理です。そして、続く第1部と第2部で広範なテーマについて議論が展開されています。少し私の専門外の部分もありますので端折って、いくつかの論点だけに集中してみたいと思います。まず、軽く想像されるところですが、現在の日本を含む欧米先進国で「機会の平等」とされているものは不徹底であると結論しています。当然です。ただ、教育の機会の平等について、私は少し異論があります。すなわち、著者は英国人ですので、私の想像ながら、英国的なパブリックスクールを念頭に置いた有償学校に対して、少なくとも公的補助はやめて、むしろ禁止すべきと結論しています。私は逆の方策もあり得ると考えます。すなわち、有償学校と同等の教育を可能とするために、有償学校以外の学校に潤沢な公的補助を提供する、という考えです。実は、私の地元からほど近い大津市は待機児童数が全国ワーストなのですが、何と、市立幼稚園教員の給与を保育士水準に合わせて賃金引下げを行うことを決定しています。私が見たのは毎日新聞の記事「幼稚園教員、賃下げへ 保育士と均衡図る 大津市が給与見直し条例案」と、それを基にした集英社オンラインの記事「『違う。逆。保育士の給与を上げるんだ』待機児童数全国ワーストの大津『幼稚園教員"賃下げ"で炎上』市の狙いは人材流動化も…現場は離職危機」なのですが、本書の有償学校に関する主張は大津市と同じです。集英社オンラインの記事のタイトル通りであり、逆の方向が望まれます。ただし、本書の独自の主張ではありませんが、市場経済における分配の結果については興味深い議論を展開しています。すなわち、累進課税などで平等化を図るとともに、ロールズの財産私有制資本主義を基にして、貧しい人に対して事後分配を実施するのではなく、事前の分配を実行する、というものです。アトキンソン教授などが『21世紀の不平等』で資産提供を論じていますし、同じラインの議論だと思います。もちろん、本書では、ストックとしての資産だけではなく、ユニバーサル・ベーシックインカム(UBI)の必要性も論じています。極めて多岐に渡る議論が展開されていますし、私の専門外の分野も少なくありませんので、ぜひとも多くの方が手に取って読むことを願っています。最後に、こういったテーマの本ですので、本書を読むことなく、ひょっとしたら、私のこのレビューすらも適当に流し読んだだけで、延々と自説を展開するコメントが付くことを予想しています。許容しますが、適切な返信をしたいと思います。

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次に、阿津川辰海『ルーカスのいうとおり』(幻冬舎)を読みました。著者は、ミステリ作家であり、私はアンソロジーに収録された短編作品はいくつか読んだ記憶がありますが、長編作品は初読だと思います。本書は、一言でいえば、ホラーミステリといえます。近代物理学に反するかのような現象を基にする特殊設定ミステリです。割と最近では、例えば、私も方丈貴恵のタイムトラベルしてパラドックスを引き起こすミステリとか、時空の割れ目から姿形を変えられる怪物が出現するミステリとか、いくつか読んでいます。方丈貴恵以外にもあるかと思います。本書の主人公は、小学5年生の沢城タケシです。出版社の編集者だった母親は2年前に交通事故で亡くなり、市役所勤務の父親と暮らしています。同じ小学校のクラスのシゲ、ビャク、カンタの3人からイジメにあっています。転校生の森くんと仲良くなるのですが、森くんの父親は心霊探偵として事件解決に当たっており、森くんの父親は霊感がないものの、同級生の森くんは霊感があって「視える」体質だったりします。母親が編集を担当した絵本の出版記念でわずかに100個だけ限定配布されたぬいぐるみが、表紙画像に見えるどろぼうルーカスです。そのルーカスのぬいぐるみ、わずか30センチほどの小さなぬいぐるみがタケシを守護するかのように振る舞う、殺人事件まで起こってしまう、というミステリです。タケシが「死ねばいいのに」とか、「いなくなればいいのに」といった趣旨の発言をすると、まるでルーカスが聞き届けて実行するかのように、近隣に住んで迷惑行為を繰り返す隣人が2階から転落したり、イジメを繰り返すクラスメートに怪我を負わせたりした上に、段々とエスカレートして、イジメを見て見ぬふりをする小学校の単に教師が刺殺されたり、父親が再婚を予定している市役所の同僚の女性がタケシの家で襲われたりするわけです。霊感がある森くんによれば、ルーカスには何かが取り憑いているといいますし、果たして、ぬいぐるみのルーカスがタケシを守るためにやっているのか、もしそうだとすれば、誰の怨念が取り憑いているのか、あるいは、ぬいぐるみが動くはずもなく、近代物理学で説明のつくミステリなのか、第1部で展開されたこういった事実関係に対して、第2部から警察も交え、第3部では解決に至ります。当然です。ミステリですから、あらすじはこれくらいにします。1点だけ、藤崎翔によるお梅のシリーズと違って、少なくともルーカスは自分の意志ではなく、動いているとしても、誰かの怨念で、あるいは、別の何かの物理力で動いています。これは大きいな違いです。ただ、お梅と同じで30センチほどのぬいぐるみという物理的な存在としての限界はあります。

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次に、内山由紀子『日本人の幸せ』(中公新書)を読みました。著者は、京都大学人と社会の未来研究院教授であり、ご専門は社会心理学、文化心理学だそうです。私の子どもが心理学を大学で勉強していたのですが、経済学と同じように心理学にもミクロとマクロがあり、臨床心理学がミクロで、社会心理学はマクロだと聞き及んだ記憶があります。それはともかく、本書では幸せや幸福に対して、ウェルビーイングを眼目としています。私は専門外なのでよく判らなかったのですが、ウェルビーイングというのは個人の瞬間的な幸せに加えて、もっと持続的で周囲の環境も含む、と説明しています。その上で、表紙画像にあるように国際比較を考え、文化心理学の観点から日本人に特徴的なウェルビーイングを解明しようと試みています。ただ、常識的にも理解できますが、国際比較や国別ランキングなどにどこまで意味があるかは懐疑的な見方を示しています。日本だけに限られた特徴ではありませんが、『孤独なボウリング』のパットナム教授のいう社会関係資本の重要性を指摘します。加えて、日本的な特徴を考える場合、欧米では個人的な達成感や自己実現などが重視されるのに対して、日本では対人関係やいろいろと調和的な志向や行動が、おそらく、幸福感やウェルビーイングの重要な基盤となる、という指摘をしています。そうかもしれません。したがって、地域コミュニティや学校・職場といった所属する組織を「場」という言葉で表現し、その重要な基盤的役割を強調しています。ただ、日本でもしばしば見られますが、この「場」に対する同調圧力が強い、というのも日本的な特徴のひとつといえます。そういった学校の学風、職場の企業風土などに対して、日本的な特徴を示すとともに、特に後者の企業風土が国際化、グローバリゼーションによって変化しつつある点を指摘しています。具体的には自己の2階建てモデルとして。第6章、p.134で図解しつつ示しています。そのあたりは読んでみてのお楽しみです。最後に、私は経済政策の目標を個人の幸福度の上昇に置くことは懐疑的です。すなわち、物価を抑制したり、失業率を引き下げたりするよりも、ドーパミンだか、セロトニンだかの幸福ホルモンを国民に配布するのが経済政策として重要かといえば、否定的な意見が多いと考えています。ただ、本書で示されているような幸福やウェルビーイングの基礎をなすような経済社会的の諸条件を整備することは経済政策の重要な役割である、と考えています。

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次に、朝宮運河『日本ホラー小説史』(平凡社新書)を読みました。著者は、ホラー、怪談、怪奇幻想小説を専門とするライター、書評家だそうです。本書は、戦後から現在までの80年間のホラー小説の歴史を後づけています。まあ、タイトル通りなわけです。序章として前史を取り上げ、日本の戦後史からはみ出す中世文学の「雨月物語」とか、あるいは、日本ならざる英語圏のホラー小説などを軽くおさらいした後、章別の構成は編年体となっています。すなわち、第1章で終戦直後の1950年くらいまで、第2章で高度成長期の1950-60年代、第3章が1960-70年代、第4章が黄金期の1980-90年代、第5章は停滞から令和のブームとなった2000年から2020年代、という時代区分です。私自身はそれほど好んでホラー小説を読むわけではありませんが、ミステリやSFなどとともに、エンタメ小説のひとつのジャンルとしてホラー小説の読書を楽しんでいます。もうひとつは、子どもがホラー小説を好きでよく読んでいて、親として子どもの読んでいるホラー小説は十分把握し、教育上の悪影響が出ないようにすべき、と考えてせっせと読んでいたこともあります。そのきっかけは2010年の貴志祐介『悪の教典』ではなかったか、と記憶しています。私の個人的な事情はともかく、やはり、日本のホラー小説、特に、戦後ホラー小説史で重要な人物は江戸川乱歩であったと確認できました。1948年雑誌『宝石』に掲載された江戸川乱歩の「怪談入門」と題するエッセイを本書でも取り上げています。日本以外では、ホラー小説の帝王ともいわれるスティーヴン・キングが歴史的にも重要な役割を果たしている点は衆目の一致するところです。そして、本書でも日本ホラー小説の黄金期としている1980-90年代の金字塔は鈴木光司『リング』です。ただ、小説としてよりも映画としてヒットしたような気もします。「貞子」へと続くシリーズです。『リング』に続いて、1990年代半ばには瀬名秀明『パラサイト・イヴ』もスケールの大きな作品として、本書でも特筆されています。そして、最近時点では、いろいろとホラー小説も広がりを見せています。もちろん、本書でもホラー小説の隣接領域としてミステリやSFへの言及も少なくありません。停滞期ながら、21世紀では綾辻行人の『Another』のシリーズについても、映画とともに私も楽しみました。ホラー小説としては、奥様の小野不由美よりも綾辻行人の方を読んでいるかもしれません。最近の注目点として、本書では創元ホラー長編賞を受賞した上條一輝『深淵のテレパス』について、超常現象を心霊調査チームに調査を依頼するという形で、単なる超常現象の描写に加えて、科学的な装いを持った新しいジャンルに踏み出した可能性を指摘しています。『深淵のテレパス』はもちろん、同じ作者の次作『ポルターガイストの囚人』も私は読みましたが、その科学的な裏付けめいた部分が強化されていると感じました。最後に個人的な感想を1点、2015年第22回日本ホラー小説大賞受賞の『ぼぎわんが、来る』でデビューした澤村伊智が、一時の停滞期を脱する推進役として指摘されています。実は、このころに角川書店ではモニター制度をというのがあり、出版前のゲラ刷りの段階で一般読者に感想を聞くという制度がありました。この『ぼぎわんが、来る』の事前評価版に私は当選して読んで、もちろん、私なりの評価をフィードバックした記憶があります。何回か引越を繰り返して紛失していますが、あの事前評価版を良好な状態で保存しておけば、ひょっとしたら、いい「お宝」になっていたのかもしれない、と考えないでもありません。

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2026年2月21日 (土)

今週の読書は経済書からエンタメ小説まで計7冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、山川哲史『市場が見た日本経済』(金融財政事情研究会)では、海外投資銀行ご勤務の経験から、金融市場の視点から見た日本経済論、円資産を中心とした金融市場論が展開されており、各章も海外投資家によるトレーディングに応じた構成です。マクロ経済と金融市場の乖離の視点はありません。高橋和志・樋裕城・牧野百恵[編]『実証から学ぶ開発経済学』(有斐閣ブックス)では、途上国や新興国における開発案件の選定に関する実証的な研究成果が集められています。ただ、ミクロの案件選択問題ばかりですし、戦後日本の経済発展の経験を活かすという視点は見られません。上條一輝『ポルターガイストの囚人』(東京創元社)は、前作『深淵のテレパス』に次ぐ「あしや超常現象調査」シリーズ第2段であり、幽霊屋敷のような古い一軒家におけるポルターガイスト現象を芦屋晴子と越野草太らが解明しようとするホラー小説で、ラストはアクションの要素も入っています。円居挽『京都市民限定で求人が出ているとあるバイトについて』(角川書店)は、京都を舞台にしたホラー小説です。地方出身で京都に下宿する主人公の大学生が留年し5回生になって親元からの仕送りを止められたため、古道具屋の女主人から怪しげな高額アルバイトを次々と請け負います。森バジル『探偵小石は恋しない』(小学館)は、福岡にある探偵事務所を舞台に、浮気などの素行調査を通じて、様々な謎を解明するのですが、とても不自然、というか、小説を書くために設定されたような謎が多く、本格ミステリとしては評価が分かれるところだと思います。岩城一郎『日本のインフラ危機』(講談社現代新書)は、高度成長期に整備されたインフラの老朽化が進んでいる中で、前半はインフラ老朽化について、後半はご専門のコンクリート構造物のメンテナンスなどについて、国民生活のライフラインの重要性の観点から議論しています。海老原嗣生『外国人急増、日本はどうなる?』(PHP新書)は、タイトルから想像されるヘイト系ではなく、外国人の犯罪比率などをデータで示して誤解の解消に努めるとともに、人材としての外国人をどう考えるかを論じています。人手不足解消の守りの立場とともに、知日家を育てる攻めの姿勢も強調されています。
今年2026年の新刊書読書は、1月中に24冊、2月に入って先週までに13冊、今週の7冊を加えて合計24冊となります。また、これらの新刊書読書のほかに、大山誠一郎『アリバイ崩し承ります』と『時計屋探偵の冒険』(実業之日本社)も読んでいます。ただ、新刊書ではないので、本日のレビューには含めていません。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。

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まず、山川哲史『市場が見た日本経済』(金融財政事情研究会)を読みました。著者は、日本銀行から外資系投資銀行、すなわち、ゴールドマン・サックス証券とバークレイズ証券を経て、現在は立命館アジア太平洋大学(APU)国際経営学部の教授を務めています。私はゴールドマン・サックス証券のチーフエコノミストをされていたころに1度か2度かお会いしたことがります。本書は冒頭で明記されているように、「金融市場の視点から見た日本経済論であり、円資産を中心とした金融市場論である。」ということになります。ですので、章構成は海外投資家による7大トレード、すなわち、日本化トレード、脱デフレトレード、正常化トレード、機会主義トレード、割安トレード、日本売りトレード、匍匐前進トレード、ということになっています。多くのエコノミストが注目しているマクロ経済指標や統計、あるいは、それらに基づく景気循環といったものではなく、株式+債券というくくりの証券を中心とする金融市場の動向を通じて日本経済をひも解こうと試みています。その試みが成功であるかどうかは、まあ、読者次第なのかもしれませんが、私は基本的に懐疑的です。なぜなら、第1に、バックグラウンドに理論モデルが見えないからです。したがって、因果関係や相関関係も不明で、金融市場における証券価格の動向がそこにあるだけで、何で決まるのかについての解説に欠けています。第2に、金融市場は経済のファンダメンタルズと乖離することがあるからです。乖離してもいいから金融市場でひと儲けしたい、という向きにはいいのかもしれませんが、どちらに乖離するかは、ある意味で、ギャンブルですから、金融市場へのベットもギャンブルの要素を含む可能性がある、と私は考えています。ですから、私は金融市場の証券価格動向よりは雇用の質と量を重視するエコノミストでありたいと願っています。ただ、強く同意するのは、足元の株式市場の高騰は脱デフレに基づいていてる、という見方です。政府や日銀は慎重に「脱デフレ」とはいいませんが、少なくとも、現在の物価が日銀目標を上回っていることは明らかで、株式価格が上昇しているのはこの物価上昇と連動している面があります。ですから、逆に、昨日2月20日に公表された消費者物価上昇率(CPI)、生鮮食品を除く総合のコアCPIの上昇率が日銀目標の+2%近傍にまで落ち着いてきましたので、先行き物価上昇がさらに鈍化すれば、株式相場の上昇が終了する可能性もあります。もしも、物価上昇が鈍化しても株式相場の上昇が終わらなければ、それはバブルの要素が入っている可能性もあります。最後に、海外投資家の7大トレードにはいちいち英訳がつけられていて、7大トレード以外にも英語表現が明記されているものがあるのですが、少なくとも「匍匐前進」はMuddling thoughではなく、crawling forwardではないかと思います。まあ、泥っぽい表現にしたい気持ちは判ります。

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次に、高橋和志・樋裕城・牧野百恵[編]『『実証から学ぶ開発経済学』(有斐閣ブックス)を読みました。編者は、順に、政策研究大学院大学教授、上智大学経済学部准教授、アジア経済研究所主任調査研究員となります。本書は4部構成であり、農村開発、人的資本、産業振興、政治経済的アプローチ、の各部で構成されています。少しわかりにくいのが最後の政治経済的アプローチなのですが、ノーベル賞を受賞したアセモグル教授のような制度論、あるいは、汚職などが取り上げられています。冒頭のはしがきで明記されているように、本書は同じ出版社によるジェトロ・アジア経済研究所[編]『テキストブック 開発経済学』の後継書という位置づけになっています。私はその『テキストブック 開発経済学』は読んでいて、もしも、私が開発経済学を大学で教えることになれば教科書として使おうというくらい、とってもいいテキストだったのですが、本書はかなり違う趣きではないかと思います。というのは、一言でマクロとミクロの違いです。単に、私には合わない、というだけです。『テキストブック 開発経済学』は、割合と早いページでハリス-トダロ・モデルによるマクロ経済の開発や成長を解説しているのに対して、本書は延々と分野別のマイクロな経済開発のための案件選択を実証的に、半分くらいはランダム化比較試験(RCT)による開発案件選択の問題を取り上げて論じています。ですので、実証分析の宿命ではありますが、分析が部分均衡的であり一般均衡やマクロ経済の動向から乖離する可能性があります。しかも、多くのチャプターは実証分析をていねいに説明している一方で、実証研究論文を参考文献に示すだけで、いわば丸投げしているチャプターも散見されます。学生の出来のよくない論文で、ChatGPTなどの生成AIに参考文献をリストアップしてもらって、アブストだけを読んで勝負しているのがありますが、そういった雰囲気を漂わせているチャプターもあったりします。さすがに、第Ⅱ部の人的資本と第Ⅲ部の産業開発はいい出来だと思う一方で、私なんかが考える開発経済学のひとつの考えは、日本の発展モデルなのですが、そういった視点はまったく見られません。もちろん、本書でも言及されているメキシコ就学助成金プログラム=PROGRESAなんかは、世界的に見ても最近の特筆すべき成功例で実証分析結果もいっぱい出ているのですが、例えば、日本の高度成長期前の1950年には50%に満たなかった高校進学率が1955-75年の20年間で大きく上昇して、現在と同じほぼほぼ100%に達しています。こういった日本の歴史的な実例は本書にはありません。例えば、私がまだ公務員をしていたころに同僚と取りまとめた "Japan's High-Growth Postwar Period: The Role of Economic Plans" はそういった経済開発の上で個別の案件選択というよりも、政策的なガイドラインの提示が果たした役割を強調しています。個別の開発プロジェクトの案件採択に関する実証研究ももちろん重要ですし、私はほぼほぼ本書のコラムにあるようなフィールドワークをしたことがないので、そういった地に足ついた現地活動も必要なのでしょうが、アジアの多くの国は制度的にも政策的にも、かなり日本の高度成長期の経験を参考にしているところがあります。開発経済を専門にする日本のエコノミストなのですから、高度成長期の経済発展の経験を参考にするのも一案ではないかと思います。最後に、もう一度繰り返すと、マクロエコノミストである私には合わない、というだけで、マイクロな案件選択に関してはいい実証研究成果を集めていると思います。

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次に、上條一輝『ポルターガイストの囚人』(東京創元社)を読みました。著者は、まだ会社員の兼業作家らしいのですが、前作『深淵のテレパス』で創元ホラー長編賞を受賞してデビューしています。私はこの前作を読んで高く評価していますので、次作の本書も読んでみた次第で、その評価は裏切られませんでした。ということで、本書も映画宣伝企業に勤務する芦屋晴子と越野草太の「あしや超常現象調査」の2人が御茶ノ水自由大学の研究者と協力して超常現象のデータを収集するというシリーズ第2弾です。タイトル通り、ポルターガイストがテーマになっています。あしや超常現象調査に案件を持ち込むのは、アラフォーで売れないイケメン俳優の東城彰吾です。父親が脳卒中で施設に入った後、雑司ヶ谷にある古い一軒家の実家に戻るとポルターガイストに悩まされます。越野が中心になって法則性を探り一応の対策をしますが、超常現象は続いてしまいます。そして、依頼者の東城彰吾は行方不明になってしまいます。前作でも登場した元警察官で現実主義者の倉元、超能力者のオカルトマニアの犬井、そして、倉元の事務所で働き始めた前作の被害者(?)の桐山楓がチームになって超常現象の解明に努めます。前作と同じ登場人物のキャラが明確で、単なる怪奇現象や超常現象というだけではなく、この作品ではチョッピリ科学的な裏付けらしきものもありますし、ラストはアクションシーンもあって、前作よりも格段にパワーアップしています。加えて、依頼者の東城彰吾が行方不明になってからの場面では、叙述トリックも駆使されています。ですので、ホラーなのはもちろんですが、ミステリの要素も入ってたりします。はい、私のようなジーサンでも前作よりもずっと怖いと感じました。未確認で、SNSか何かの情報だと思うのですが、このあしや超常現象調査シリーズは三部作で、次作で完結というウワサを小耳に挟みました。もしホントにそうなら残念ですが、私は次作も読みたいと思います。

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次に、円居挽『京都市民限定で求人が出ているとあるバイトについて』(角川書店)を読みました。著者は、京都大学ミス研ご出身のミステリ作家です。ただ、本書はミステリというよりはホラーと考えるべきです。本書の主人公は神田祟といって、閉じた田舎で生まれ育って、黒髪の乙女と出会う青春を夢見て京都の大学に進学したものの、就活に失敗して留年し5回生となったところで親からの仕送りを止められて、ちゃぶ台を古道具屋の深村堂に売りに来たところ、その深村堂の女性店主の深村魔美から怪しげなアルバイトを紹介される、そして、次々にその怪しげなアルバイトが連鎖する、というストーリーです。最初の方は、幽霊が出るかどうかの確認で古アパートに泊まり込んだり、小学校に上る前の子どもの部屋で不審音を確認したり、だったのですが、本格的なホラーめいたアルバイトとしては、第4章で尾張谷橘人という高校生の家庭教師をし、実は、あの世とこの世を行き来するヨモツミハシラだった、というあたりから始まります。続いて、第5章で京都、いや日本最古の古書店である書楼祇陀林へ行って稀覯本の『洛東巷説顛末』を取ってきたり、第6章で深村堂の魔美とともにお宝の骨董品を探す百歩の家に入ったり、第7章ではきしもじ講への代理出席したり、とかがあります。詳細はレビューでは言及しません。どこがホラーなのかは読んでみてのお楽しみです。そして、第10章では沌蘭寺でビデオの監視を請け負い、「それ」が出現する時刻を特定するアルバイトながら、「それ」と目を合わせてはいけない、という条件です。ラストの方では、失敗するとホラーな結果が待っているというリアル京都市民.botの出す指示に従って、京都市内を移動する、というのもあり、この部分はホラーというよりも、ややアクションのような内容です。最後に、なにぶん我が母校ですので、私は京大ミス研ご出身の作家の小説はなるべく読むようにしていますが、本書の作者の作品は初読でした。京都の地名のついた作品はいくつか聞き及んでいますが、文庫本でかなりの分厚さなので手が出せずにいました。本書を読んで、特に、ほかの作品を読みたい、というカンジはしませんでしたが、機会があれば以前の作品にも挑戦したいと思います。

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次に、森バジル『探偵小石は恋しない』(小学館)を読みました。著者は、もちろん、小説家なのですが、前作の『ノウイットオール』が松本清張賞を受賞してデビューしています。私はこの前作は読んでいます。本書は、福岡に拠点を置く探偵事務所を舞台に、代表兼調査員の小石27歳、相談員兼調査員の蓮杖2-3年年下を中心にストーリーが進みます。探偵事務所にはアルバイトの雛未という大学院生もいますが、個人情報には接しませんし調査もしません。小石は殺人事件とか、警察でも手を焼くような難事件の推理をしたいのですが、依頼される案件はほぼほぼ素行調査、というか、浮気の調査ばかりです。小石は特殊技能として、誰から誰に対して恋情の矢が延びているかが見えたりします。したがって、浮気をはじめとする素行調査にはうってつけで、事実、やる気がないにもかかわらず、かなり成績はよかったりします。高校生ながら、1000億企業の創業者の娘が、親も許した結婚を前提に付き合っている恋人の浮気調査、事実婚の男性が妻の浮気を疑って事実調査、アイドルと結婚した男性が脅迫状を受け取って、ボディガード兼犯人解明、などですが、主人公の小石の高校のころの事件も振り返って語られます。それらの謎解きも興味深いところですが、ラストにドカンと大きな謎が待ち構えています。もちろん、小石が謎を解き明かします。最後に、本書はミステリであることは確かですが、謎や事件がどうこうというよりも、目いっぱい読者をミスリードすることに主眼が置かれているような気もします。その意味で、本格ミステリかということになると、疑問を持つ読者がいそうな気もします。私自身は、かなり本格性の高いミステリだと思いますが、ノックスの十戒やヴァン・ダインの20則には則っていたとしても、その当時の想定外の点もあるため、本格ではないと考える読者がいても不思議ではありません。ただ、本格ミステリとはいえ、というか、本格ミステリであるがゆえに、とても不自然で作為的なストーリーで、通常ではありえない設定です。「事実は小説よりも奇なり」という言葉がありますが、本書は常識的な事実からはかなりかけ離れていて、よく考えたものだと私は感心していますが、否定的に評価する読者がいておかしくありませんし、その意味で、評価が分かれる可能性は大いにあると思います。

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次に、岩城一郎『日本のインフラ危機』(講談社現代新書)を読みました。著者は、日本大学理工学部土木工学科の教授であり、コンクリート構造物の高耐久化やインフラのメンテナンスがご専門のようです。ですので、本書ではコンクリート構造物のインフラを主として取り上げています。昨年1月末に埼玉県八潮市で道路が陥没し、トラック運転手の方が亡くなったのは、まさに、本書で指摘するインフラの劣化が原因のひとつと考えられます。本書では、米国も1980年代にインフレの劣化対策が進められています。1930年代のいわゆるニューディール政策のに基づくインフラ整備の50年後に相当するわけです。日本では、米国が1930年代から進めてきたインフラ整備を、1960年代から70年代に急速に進めたため、現在の時点で50年ほどを経過して老朽化が進み、タイトルになっている「インフラ危機」の時期となっている、という指摘です。前半ではこういったインフレ整備や老朽化の一般論、日米比較がなされた後、後半では著者ご専門の橋などのコンクリート構造物についての技術論が展開されています。後半は私の専門外の分野ですし、本書の技術的な内容なほとんど理解できませんでしたが、そろそろ、日本もリニア新幹線なんかの新しいインフラを建設するよりも、ひょっとしたら、既存インフラのメンテナンスや耐久診断などに力を入れる段階に来ているのかもしれないと感じさせられる部分はありました。特に、インフラは地方公共団体に依存する部分が少なくないわけですから、いずこも同じご予算不足で限られたリソースをインフラの維持管理に振り向ける必要も感じました。最後に、本書ではコンクリート構造物に焦点を当てていますが、ある意味では、国民生活のライフラインとしてさらに重要な水道、特に上水道の水道管の劣化が私は気になっています。でも、技術的なことに理解が及ばないだけに、ややもどかしさも感じています。

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次に、海老原嗣生『外国人急増、日本はどうなる?』(PHP新書)を読みました。著者は、リクルートワークス研究所にて雑誌「Works」の編集長を務め、その後、人材コンサルのようなお仕事をしているのではないか、と私は想像しています。前作『静かな退職という働き方』も同じ出版社から上梓されており、私は昨年読んでいます。ということで、本書は、タイトルからすれば、最近よく聞く一種のバズワード調であり、ヘイト系の本かと受け止める読者もいるかもしれませんが、決してそうではありません。外国人の犯罪比率などをデータで示して誤解の解消に努めるとともに、人材としての外国人をどう考えるかを論じています。まず、外国人で本書で問題と考えるのは不法滞在者、すなわち、外国人滞在者の中のわずかに2%ほどだと指摘し、ほかの大部分の外国人滞在者は真面目に働いたり、勉強したりしている、としています。当然です。その上で、ここまで外国人が増加したのは政策の瑕疵であると指摘し、2010年に難民認定制度が改正され、それまで認められていなかった就労が、難民申請から半年を経過すれば可能になったため、ごく一部の国から難民申請数が激増し、半年を経過して就労するようになってしまった、と指摘しています。少なくとも、外国人とか、難民とか、一括りにした議論は避けることが賢明だろうと本書でも結論しています。その上で、人口が減少する中で労働力確保のための外国人受入れといった守りの考え方ともに、積極的に日本を好きになり、知日家を増やすための方策などの攻めの考え方も示しています。具体的には読んでみてのお楽しみです。私は、本書第2章の議論の中で、菅内閣のころに流行りそうになったアトキンソン流の淘汰選別の議論があって、それには賛成しませんが、ほかにはいくつか考えさせられるトピックが展開されていると受け止めています。ただ、外国人の「同化」にやや傾いた議論のような気もします。外国人をあるがままに受入れて、決して野放図ではない多様化を適切に進める、という観点は大事だと思います。

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2026年2月14日 (土)

今週の読書は経済書や政治学の学術書をはじめ計6冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、岩田一政・日本経済研究センター[編著]『2075 次世代AIで甦る日本経済』(日本経済新聞出版)では、50年後の2075年の日本経済について、AIの活用が進んで明るい展望が持てる改革の未来のほか、停滞の未来や悪夢の未来の3つのシナリオを考え、人口やGDPの規模といったデータに基づいて議論しています。此本臣吾[監修]。森健[編著]・NRI拡張社会研究会チーム[著]『AIで拡張する社会』(東洋経済)では、野村総研のグループがAIにより人間の知力の拡張やマクロ経済などの社会の拡張を通じて、知性、労働、経済の未来予想図を考えています。もちろん、個人情報保護やAIの暴走といったリスクも議論されています。上川龍之進『消費税と政治』(有斐閣)では、消費税の導入と税率引上げの長期の歴史を後づけています。すなわち、財政再建策としての消費税がどのように位置づけられ、歴代首相がどのような理念や思惑で導入・税率引上げを進めたかを官僚・財界・世論の影響も含めた政治過程として描き出しています。小倉充夫『民主主義の躓き』(東京大学出版会)では、民衆、暴力、国民国家の3つの要素から、民主主義がタイトル通りに躓きを内包しつつ、歴史的に進化ないし発展してきた過程を分析し、未完の統治形態である現在の民主主義の危機を解明しようと試みています。新自由主義が民主主義を劣化させている、とも主張されています。豊下楢彦『「核抑止論」の虚構』(集英社新書)では、戦後広く信じられてきた核抑止論を根本的に批判していますが、それでは実際に核兵器を廃絶し、あるいは、その前段階で核兵器の削減を進めるにはどうすればいいか、については、それほど説得力ある議論がなされているとも思えません。唐沢かおり『「気が利く」とはどういうことか』(ちくま新書)では、他者に配慮した「気が利く」行動や言動については、学習できるスキルである、としつつも、弊害も同時に指摘していて、自分で心をすり減らしてしまったり、見透かされて逆効果だったり、過保護に陥って成長を妨げたりする可能性も指摘しています。
今年2026年の新刊書読書は、1月中に24冊、2月に入って7冊、今週の6冊を加えて合計37冊となります。また、これらの新刊書読書のほかに、瀬尾まいこ『その扉をたたく音』(集英社文庫)も読んでいます。ただ、新刊書ではないので、本日のレビューには含めていません。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。

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まず、岩田一政・日本経済研究センター[編著]『2075 次世代AIで甦る日本経済』(日本経済新聞出版)を読みました。編著者は、私と同じ内閣府ご出身で日銀副総裁も務められた大先輩のエコノミストです。本書では、現状維持の停滞の未来、AIの活用が進んで明るい展望が持てる改革の未来、そして、現状維持よりももっと悪い悪夢の未来の3つのシナリオを示し、本書と同様のタイトルの日本経済研究センター(JCER)の長期予測「2075年 次世代AIでよみがえる日本経済」の研究成果を基にした長期の将来予測です。そもそも、約50年後の2075年には私は生き長らえていないでしょうし、経済学的な予測がそこまでのことを可能にできるかどうかは疑問ですが、あくまで、可能性としての将来予測、ということで考えておくにとどめるべきだという気がします。現状維持的な未来では、世界的に汎用AIの導入が進む一方で、日本では遅れが目立つものの、総人口は9000万人台で下げ止まる一方で、改革が進めばAIの導入によって医療や介護を軸にした成長が達成され、総人口も1億人超を維持する、ということになります。悪夢のシナリオでは世界的に保護主義が蔓延し、日本国内でも格差が拡大する一方で貧困も増加し、社会保障は破綻する、ということになります。改革が進めば、ケインズの「わが孫たちの経済的可能性」にあるような労働時間の大幅な削減が可能となり、教育投資の拡大による人的資本の強化が図られ、現在のようなメンバーシップ型ではないジョブ型の雇用がさらに普及し、繰返しになりますが、人口は1億人を維持できることになり、GDPの規模も世界4位にとどまる、という未来が描かれています。ただ、ではどうすればいいのか、については4章で改革シナリオが示されているのですが、現時点でいわれていることの寄集め、としか私には見えませんでした。この改革シナリオでは、いいところ現状維持の停滞の未来のシナリオが実現されるだけなのではないか、という疑問が残ってしまいました。ただ、さすがに、狭い意味での経済だけではなく、カーボンニュートラルや世代間格差などのテーマにも手を広げており、日本社会全体を視野に収めた幅広い議論が展開されています。さらに、単なる方向性や印象論だけではなくデータの裏付けが示されていますので、それはそれで参考になる部分が少なくないような気がします。私自身は2章の現状分析や3章の標準的なシナリオ設定の議論が勉強になりました。参考文献もしっかりしています。

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次に、此本臣吾[監修]。森健[編著]・NRI拡張社会研究会チーム[著]『AIで拡張する社会』(東洋経済)を読みました。著者は、野村総研(NRI)のグループです。本書は3部構成であり、第1部はAIの現在までの進化と将来の予想、第2部は人間を中心に据えた知力の拡張、第3部はマクロの社会の拡張を考えています。表紙画像のサブタイトルに見られるように、知性、労働、経済の未来予想図を考えています。まず、AIが拡張する知力としては6項目を並べています。すなわち、予測する=Predict、識別する=Distinctify、個別化する=Customize、会話する=Comunicate、構造化する=Model、創造する=Create、となります。その萌芽的な実例がp.74図表3-1に示されています。そして、単なるソフトウェアとしてのAIだけではなく、フィジカルなロボットも同時に議論していて、ロボット店員なんてのも議論されています。自動運転はソフトに重きがあるものの、ハードとしての自動車も考えれば、中間的なものかもしれません。ただ、私が少しびっくりしたのは、カーネマン教授の指摘するシステム2だけではなく、システム1も可能なAIが登場する可能性です。演算の速さから考えて、時間をかけるシステム2がAIの主たる活躍の場であることに変わりないのでしょうが、システム1も実装するAIが登場する可能性も本書では指摘しています。ただ、AIに対するキーリソースとして、学習データ、半導体、電力、冷却水を上げていて、AI活用の制約を考えるとともに、もちろん、個人情報保護やAIの暴走といったリスクも忘れてはいません。私は賢い人が詐欺に走ったら、私のような凡人がコロリとだまされて、被害が大きくなると前々から考えていたのですが、そういったAI詐欺についても取り上げています。もちろん、労働がAIで代替された失業も議論されています。詳細は読んでみてのお楽しみです。本書を読んでいて、私の最大の疑問はAIは人間を補完するのか、あるいは代替するのか、という観点です。本書では前者の補完を主として考えていますが、労働や雇用を考えると代替の観点も忘れるべきではありません。場合によっては、人間がAIに知性の点で凌駕され、AIが操るフィジカルなロボットはもともと人間の身体能力を上回っていて、人間がAIに支配される、あるいは、隷従するという将来が考えられなくもありません。AIはマイクロな個々人に対するリスクとチャンスの両面ありますが、マクロな経済社会にもリスクとチャンスの両方があり得ることは忘れるべきではありません。その意味で、日本はAI利用が遅れていたので助かった、被害が小さかった、という未来もあり得る、と私は考えています。

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次に、上川龍之進『消費税と政治』(有斐閣)を読みました。著者は、大阪大学大学院法学研究科の教授であり、ご専門は政治過程論、現代日本政治、行政学だそうです。本書はあとがきにあるように、著者による「財政政策に関する研究の集大成」(p.377)と位置づけられています。今年2月の総選挙でも消費税減税が各政党の公約として持ち出されましたし、加えて、私の専門とする経済学の隣接領域でもあり、読んでみた次第です。構成としては、序章と第1章で日本の財政赤字について概観し、そもそも、国際的にもかなり小さな政府で政府予算の歳出の規模は決して大きくないにもかかわらず、先進国の中で突出して公的債務残高が大きい謎を示し、要するに、歳入が歳出に輪をかけて少ないからである、と指摘しています。まあ、当然です。その上で、第2章で1965年度の赤字国債発行から始まって、第8章のアベノミクスまで、延々と消費税の導入と税率引上げの歴史を後づけています。すなわち、財政再建策としての消費税がどのように位置づけられ、歴代首相がどのような理念や思惑で導入・増税を進めたかを、官僚・財界・世論の影響も含めた政治過程論として描き出しています。この部分は、ひつは本書の中心かもしれませんが、エコノミストの私にはそれほど関心ないところで、昼食に知り合いのエコノミストとビールを飲んで酔っ払って、半分居眠りしながら流し読みしてしまいました。著者と出版社も考え合わせて、完全に学術書なのでしょうが、こういった歴史回顧の部分が多くのボリュームを占めていて、多くのビジネスパーソンにも判りやすくなっている反面、私には物足りなく見えました。ただ、しっかり読めば消費税の導入と税率引上げに関する政治過程論として十分な内容なのかもしれません。ただ、エコノミストの目から見て、消費税に関する多くの政治的決定が総理大臣のパーソナリティから論じられている気がして、財政の背景にある経済の景気動向などが少し軽視されている印象があります。特に、終章の総括において、p.341以下の財政再建への態度の要因分析があまりに雑で、分析というよりは適当に分類しただけのように見えます。まあ、それは、政治過程論だから経済学的観点は一部捨象されている、ということなのかもしれません。政治過程論であるならば、いわゆる中選挙区制のころの総理大臣官邸と大蔵省のパワーバランスと小選挙区になってからの官邸と大蔵省/財務省のパワーバランスはもう少していねいに分析してほしかった気がします。最後の最後に、タイトルが消費税であって、サブタイトルに財政再建が入っていますが、小泉内閣の時の三位一体改革がまったく無視されています。中央政府と地方政府の関係なども、それほど歴史をさかのぼることなく、最近の分だけでもOKなので、もう少していねいに論じてほしかった気がします。その意味で、ほぼほぼ消費税の歴史の本でした。

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次に、小倉充夫『民主主義の躓き』(東京大学出版会)を読みました。著者は、津田塾大学の名誉教授です。本書は、副題にあるように、民衆、暴力、国民国家の3つの要素から、民主主義がタイトル通りに躓きを内包しつつ、歴史的に進化ないし発展してきた過程を分析し、未完の統治形態である現在の民主主義の危機を解明しようと試みています。ですので、民主主義ですから、当然に、ギリシアから歴史が始まります。ただ、実際に近代ないし現代で民主主義の画期のひとつとなったのは1968運動であり、代議制民主主義に対する市民の直接的な抗議活動から本格的な分析を始めています。日本ではベ平連が活躍した時期であり、70年安保につながります。ただ、民主主義にはいくつかのタイプがあるかどうかも議論しており、西欧や日本の民主主義だけではなく、植民地支配を受けていたアフリカにおける単一政党による民主主義の可能性についても考えています。本書においても、歴史的な民主主義の範囲の広がりが示されます。投票というやや狭い範囲での決定の方式としての参政権の観点からは、資産や納税額による制限から始まって、そういった制限の緩和ないし撤廃、さらに、男性から女性への参政権の広がりを経ているのは、広く知られたところです。さらに、米国などでは黒人奴隷、植民地では現地住民の参加などに広がるわけです。民主主義批判のひとつの観点はこういった参加の広がりが愚民制に陥る、という視点です。他方からの批判は、数少ない民主主義を執行するエリートは真に国民を代表していない、という批判です。そういった議論にていねいに本書は応えようと試みています。そのあたりは読んでみてのお楽しみといえます。本書がすぐれていると私が考えるひとつの点は、民主主義を参加と統治の形態と捉えていることです。識者の中には民主主義を狭く投票による決定の方式であると考える向きがありますが、私は本書と同じ考えをしています。ですので、本書でも強く批判している新自由主義的な考えが民主主義を劣化させていると考えています。新自由主義は市場の重視であり、市場に供給された商品を貨幣の所有という意味での購買力にしたがって配分することを重視します。厚生経済学の基本定理から、市場の価格に基づく配分がもっとも効果的だからです。他方で、ピケティ教授が脱商品化といっているや、斎藤幸平准教授がコモンの拡大、といっているのは、私は同じと考えていますが、貨幣を持っている購買力ではなく、必要性や適性などに応じてさまざまなリソースを配分するというやり方もあります。現在の日本では教育や医療などの社会保障がそうなっています。加えて、住宅、交通、通信、食料なども購買力に基づく配分をヤメにすることを考えるべき時期に差しかかっている、と私は考えています。そして、それについて多くの参加者が熟議し、統治システムとして結論を出すのが民主主義だと考えます。経済から少し離れた参加や統治について、私の専門外ながら、とてもタメになる読書でした。

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次に、豊下楢彦『「核抑止論」の虚構』(集英社新書)を読みました。著者は、国際政治学者・外交史家であり、京都大学法学部助教授、立命館大学教授、関西学院大学法学部教授などを歴任し、ご専門は国際政治論・外交史だそうです。本書は、第2次世界対戦後における冷戦期やその後の核抑止論を根本的に批判する目的を持っています。すなわち、戦後、広く信じられてきた核抑止論は、核兵器の保有により事前はもちろん、先制攻撃を受けた後でも、相手国を確実に大規模に破壊できるという脅威を見せつけて、攻撃を抑止するというものです。ですから、私の理解によれば核兵器が開発される前の通常兵器の時代の論理、すなわち、勢力均衡=balance of powerとはやや異なっています。本書でも勢力均衡は一向に現れません。批判はまず、私が考えても理解できるのですが、核兵器の使用により大規模な破壊が実現する可能性がどこまで認識されるかです。相手国に大規模な破壊をもたらす可能性や蓋然性が、決して、客観的ではなく相手国の主観的な受取り方次第の不確実なものである、という点は考えておく必要があります。実に、20世紀前半の日本は、まったく客観的ではない認識に基づいて戦争を開始し遂行したことは忘れるべきではありません。加えて、核兵器使用が狂気、ないし、狂人の仕業であるという点も本書では強調しています。米ベトナム戦争当時の国ニクソン大統領の発言からの狂人理論も印象的です。ですので、そういった従来からの核抑止論への批判はとても適切なのですが、それでは、実際に核兵器を廃絶し、あるいは、その前段階で核兵器の削減を進めるにはどうすればいいか、については、それほど説得力ある議論がなされているとも思えません。もちろん、そんなに決定的な手段があるのであれば、誰かがすでに実行しているでしょうから、核廃絶を目指す勢力を拡大させ、核保有国への圧力を高めることにより段階的な核兵器の削減やその先の廃絶を地道に目指す、というしかいいようがないのかもしれません。そういった究極の核兵器廃絶という目標に対して、一昨年2024年の被団協=日本原水爆被害者団体協議会のノーベル平和賞受賞は画期的であったと私は評価しています。

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次に、唐沢かおり『「気が利く」とはどういうことか』(ちくま新書)を読みました。著者は、東京大学大学院人文社会系研究科教授であり、ご専門は社会的認知だそうです。タイトルになっている「気が利く」というのは振る舞い方と見られ方に関してであり、他者が望むこと、他者が嬉しく思うことに応答する、また、他者がどう解釈するかに関する自分の評価、だそうで、判りにくいのですが、要するに、他者に配慮した行動や言動であり、もっと重要な点は、学んで学習できるスキルである、ということです。他者との円滑な人間関係を築くということなのですが、本書ではその弊害も同時に指摘していて、何ごとも「過ぎたるは及ばざるが如し」といえます。気が利くように思われようとし過ぎると、逆に、自分で心をすり減らして精神的に参ってしまったり、他者から見透かされて逆効果だったり、あるいは、私のような教員からすれば、他者を助けすぎて過保護に陥って成長を妨げたりする可能性もあると指摘しています。ですので、気が利くというのは決して万能ではなく、ネガな面もあることを意識すべき、という結論です。当然、不適切な配慮というのもありえます。ですから、「気が利く」を学ぶハウツー本をひも解く前に、その基礎的な理論を解明するため、こういった心理学のきちんとした本を読んでおくのも重要だという気がします。ところで、私の専門である経済学では、アダム・スミスのいうところの「見えざる手」が人々の利己的な経済活動を調整します。ですから、「我々が食事を手に入れられるのは、肉屋や酒屋やパン屋の慈悲心のおかげではなく、彼らが自分の利益を考えるからである」として、市場における価格付けによる分散的な資源配分が実現されることを示しました。他者からどう見られるか、どう思われるか、ではなく、自分の利益を考えれば経済活動は見えざる手で調和が図られる、気が利く必要はない、ということになります。最後の最後にどうでもいい点がら、有名なナイロンストッキングの評価に関する心理学実験の論文が本書でも引用されていて、ニスベットの論文とされています。私はこの論文を読んだことがあるのですが、ウィルソンとニスベットの共著論文です。しかも、ファースト・オーサーはウィルソンであったと記憶しています。でも、なぜか、本書に限らず、いつも「ニスベットの論文」として言及されるケースが多いような気がします。謎です。

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2026年2月 7日 (土)

今週の読書はいろいろ読んで計7冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、藤川清史・渡邉隆俊『産業連関分析入門』(日本評論社)では、産業連関表に基づくマクロ経済の分析手法を学ぶことを主眼としています。マクロ経済学に関する基礎知識があって、BASICのプログラムコードの理解があれば、なおよいのですが、BASICのコードについてはサンプルが豊富に収録されています。トマ・ピケティ『エコロジー社会主義に向けて』(みすず書房)では、カーボンニュートラルは達成できないとしても、エコロジーを重視する方向を目指さないと、最悪の場合は人類文明が大きく後退することにもなりかねませんから、脱商品化や累進課税の強化による不平等是正の必要性を強調しています。マイケル・マン『ファシストたちの肖像』(白水社)では、極端なナショナリズム、権威主義的な国家主義、階級闘争の超越、政治・民族・宗教などの面での敵の浄化、の4つの主要なイデオロギー的要素の結合、という観点からファシズムを定義し、戦間期大陸欧州のファシズム運動について統計的な把握を試みます。平尾清『ビジネス経験を活かしきる「40代から大学教授」という最高の働き方』(青春出版社)は、バラ色のお話で終始していて、学歴・学位、研究業績、教育経験がなくても、大学教員=研究者ではなく、プロジェクト調整員のような形で、教員と職員の中間的な存在としての大学教授への転職をオススメしているような気がします。金子玲介『クイーンと殺人とアリス』(講談社)では、クイズとアイドルを2つの軸にして、ミステリ仕立てにしてあります。アイドル候補と運営の十数名が孤島に渡ってクイズなどのオーディションを進める中で殺人事件が起き、アイドル候補の1人の主人公がクイズのメタ分析で犯人を解明しようと試みます。岡崎琢磨ほか『猫で窒息したい人に贈る25のショートミステリー』(宝島社文庫)は、猫にまつわるミステリのショートショート25作品を収録しています。作品の出来は当たり外れがありますし、短いだけにミステリとして不十分な面もありますが、数ページのショートショートだけにスキマ時間のヒマつぶしにピッタリです。福井健太[編]『新・黄色い部屋』(創元推理文庫)は、「読者への挑戦」ミステリを中心に精選されたアンソロジーであり、10話の短編を収録しています。冒頭に収録された高木彬光「妖婦の宿」は、神津恭介のシリーズですし、本格的なミステリも数多く収録されています。
今年2026年の新刊書読書は先週までの1月中に24冊、2月に入って今週の7冊を加えると合計で31冊となります。また、これらの新刊書読書のほかに、佐藤紅[編著]『京都文具大全』(光村推古書院)も読んでいます。ただ、10年前の出版であり新刊書ではないので、本日のレビューには含めていません。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。

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まず、藤川清史・渡邉隆俊『産業連関分析入門』(日本評論社)を読みました。著者は、いずれも愛知学院大学経済学部の教授です。タイトル通りの本です。産業連関表とかIO表と呼ばれるマクロ経済の分析手法を学ぶことを主眼としています。ある程度のマクロ経済学に関する基礎知識があって、BASICのプログラムコードの理解があれば、なおよいのですが、BASICのコードについてはサンプルが豊富に収録されていますので、初心者でも十分取り組みやすいように工夫されています。ものすごく基本的な産業連関表の使い方は、何らかのショックがあった際に、レオンティエフ逆行列からマクロ経済全体への波及効果を計算することです。基本は行列式の計算ですから、高校の数学で習っているはずですが、私の経験上、我が立命館大学クラスであっても、高校レベルの行列に関して十分な理解を持っている経済学部生はそれほど多くありません。私は高校の数学の先生ではありませんので、高校の数学に関して教えられる範囲は限定的であり、本書についても、基礎学習を終えた段階の大学生を対象にしているようですが、そのあたりの数学的な基礎がないと苦しいかもしれません。ただ、本書では図解をいくつか工夫していて、例えば、第8章では需要曲線が垂直で、供給曲線が水平、なんてグラフを持ち出して、均衡価格決定モデルを説明しています。なるほど、と思いました。最後に2点だけ本書に関連して、産業連関分析についての私の感想です。第1に、本書のp.114にもあるのですが、ショックの波及に関して、ケインズ的な乗数分析では無限の波及を想定して限界消費性向の逆数だけの大きさの乗数を考える一方で、産業連関分析では波及は1回限りと見なす向きがありますが、これは正しくありません。産業連関分析ではケインズ的な無限の波及を終えた段階でのショックの広がり=総和を考えているのであって、決して1回限りの波及というわけではないと私は考えています。第2に、産業連関分析は固定係数ですから、生産関数が同じという条件での分析です。ですから、それほど長期の分析には向かないと考えるべきです。20年も30年も固定係数=技術革新がなく同じ生産関数のまま、と想定するのはムリがあります。だからこそ、産業連関表はおおむね5年毎に改定されているわけです。阪神タイガース優勝の経済効果ぐらいでしたらともかく、日本の人口減少や高齢化の未来を考えるに当たって、どこまで長期に適用するかは十分に見定めて使うべきだと私は考えています。

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次に、トマ・ピケティ『エコロジー社会主義に向けて』(みすず書房)を読みました。著者は、2013年の『21世紀の資本』がベストセラーになったフランスのエコノミストであり、パリ経済学校経済学教授・社会科学高等研究院経済学教授です。本書のフランス語の原題は Vers le Socialisme Écologique であり、2024年の出版です。書下ろしの論考とともに、フランスの夕刊紙 Le Monde に掲載されたコラムを収録しています。まず、冒頭で、「20世紀は社会民主主義の世紀であった。21世紀は民主的かつ参加型のエコロジー社会主義の世紀となるだろう。」との見通しを明らかにしています。はい、私もまったく同意します。現時点での足元は米国のトランプ政権をはじめとして、欧州でもポピュリズム政党が勢力を伸ばしていますし、日本でもかなり右派に偏った高市内閣が成立し、明日の総選挙でも与党が議席を伸ばすという予想が広く報じられていますので、時代の流れは社会民主主義とか社会主義から逆行しているのではないか、と見る向きもあるのでしょうが、大きな時代の流れ、ここ100年ほどを見るとピケティ教授の指摘する通りとなっています。1930年代の大恐慌からケインズ政策を援用した福祉国家建設が進み、20世紀半ばの終戦直後からその方向は確たるものとなっています。21世紀がエコロジーを中心とする社会を目指すかどうかはもう少し先のお話ですが、21世紀半ばのカーボンニュートラルは達成できないとしても、少なくともエコロジーを重視する方向を目指さないことには、最悪の場合は人類文明が大きく後退することにもなりかねません。そのために、本書では脱商品化や累進課税の強化による不平等の是正の必要性を強調しています。本書では日本はまったく対象外の扱いのようですので、私の考えを展開すれば、現在でも日本では医療をはじめとする社会保障と教育とが大きく脱商品化されていることは明らかで、おそらく、エネルギーや通信・交通といった分野にも脱商品化の動きが広がり、さらに、農業や食料生産にも拡大し、一歩一歩社会主義に近づいていくプロセスが進むのだろう、と私は期待しています。最後に、本書は新聞のコラムが大きな部分を締めており、一見すると統一的なテーマがないように見えかねませんが、そこはピケティ教授の見識をいろんな論考から読み取る題材として考えるべきではないか、という気がします。例えば、フランスのマクロン大統領がよく使う表現に "première de cordée" というのがあります。私の理解でもほぼトリックルダウン理論に近いものであり、本書ではピケティ教授が何度も持ち出して強く批判しています。

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次に、マイケル・マン『ファシストたちの肖像』(白水社)を読みました。著者は、英国出身のようで、米国カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)社会学部教授を務めた後、現在は名誉教授となっています。本書の英語の原題は Fascists であり、いささか古くて2004年の出版です。邦訳タイトルは英語の原題に引っ張られてしまったようですが、「肖像」というのはややミスリードかもしれません。というのは、ファシズム運動を進めたファシストといえば、イタリアのムソリーニやドイツのヒトラー、と私のような専門外のシロートの頭に浮かぶわけですが、決して、個人を取り上げてパーソナリティを論じたりしているわけではなく、戦間期の大陸欧州のファシズム運動について統計的な把握を試みようとしています。ですので、巻末にいくつか付表が掲載されており、例えば、最初のテーブルのタイトルは「付表3.1 イタリア・ファシスト党員の職業的背景」ですし、2番目は同じように「付表4.1 ドイツ・ナチ党員の職業的背景」だったりします。本書冒頭の第1章でも何点かの重点のうちのひとつはファシズム運動の社会的支持層について真剣に考える必要を論じています。繰返しになりますが、まず、本書の歴史的地理的なスコープは戦間期1930-40年代の大陸欧州です。ですから、日本は対象に入っていません。そして、本書の著者の従来からの見方として、古典的ファシズムの運動と体制について、極端なナショナリズム、権威主義的な国家主義、階級闘争の超越、政治・民族・宗教などの面での浄化、の4つの主要なイデオロギー的要素の結合、という観点から定義しています。私のような専門外のシロートには最初の2点がついつい強調されますが、後の階級闘争の超越や民族などの浄化もファシズムの重要な要素であり、いわれてみればその通り、という気がします。本書では冒頭2章でファシズム運動について広く議論した後、第3章からは国別にファシストの統計的な分析を試みています。元祖ともいうべきイタリア、そして、ドイツの2国が最初で、続いて、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、スペインとなり、最終章で結論を提示しています。詳細は読んでみてのお楽しみというところですが、運動や体制としてのファシズムですから、個人としてサディストやサイコパスだけで構成されているわけでもなく、通常の一般国民と変わることなく、「高邁な理想を掲げた運動」であることを信じ込ませた点を強調しています。その意味で、よく引用されるハンナ・アーレント教授(Hannah Arendt)の代表作『全体主義の起源』The Origins of Totalitarianism の次の文章を思い出しました。すなわち、"The ideal subject of totalitarian rule is not the convinced Nazi or the convinced Communist, but people for whom the distinction between fact and fiction (i.e., the reality of experience) and the distinction between true and false (i.e., the standards of thought) no longer exist." です。明日の総選挙の投票には、心して臨むべき、という気がします。

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次に、平尾清『ビジネス経験を活かしきる「40代から大学教授」という最高の働き方』(青春出版社)を読みました。著者は、岩手大学特任教授、青山学院大学非常勤講師、酒田市政策参与だそうです。リーマンショックにより失業した後、43歳で山形大学教授へと転身されているようです。まず、本書のいいところは著者の自慢話ではない点です。ただ、常識的に考えて、万人に適用できる本ではありません。私自身は60代で大学教授に転職=再就職しましたが、通常のサラリーマンは、本書でも指摘しているように、第1に、学歴・学位がありませんし、第2に、研究業績がありませんし、第3に、教育経験もありません。実は、私も学歴・学位はありません。フツーに大学4年間で学士の学位を取得して終わっています。博士号は持っていません。ただ、公務員をしている際に長崎大学経済学部に出向する機会がありましたので、紀要論文は2年間で10本以上書きましたし、教育経験も積みました。立命館大学への応募要件は著書1冊または公刊論文3本以上だったと記憶していて、フツーのサラリーマンにはハードルが高いかもしれません。ただ、本書はバラ色のお話で終始していて、学歴・学位も、研究業績も、教育経験も何もなくても、大学教員=研究者ではなく、プロジェクト調整員のようなかたちで、教員と職員の中間的な存在としての大学教授への転職が可能であり、したがって、オススメしているような気がします。まあ、それならアリかもしれませんが、本書で強調しているように、ローカルに展開する、すなわち、地方大学を主眼とすることになる気がします。地方私大の中には、学生の定員充足率が低くて、経営が必ずしも盤石ではない大学があります。加えて、かつての就職氷河期の大学生の就活なんかと同じで、本書でも大学教授への転職の際の重点は、志望書の書き方や面接に終止しています。最後の接点での努力よりもバックグラウンドでの経験値を無視しているようで少し怖い気がします。研究論文を書かないまでも、せめて、研究論文を読むことくらいは推奨しておいた方がいいと私は考えます。大昔の米国のゴールドラッシュの時代、もっともいいビジネスをしたのは金鉱を掘り当てた人もさることながら、金鉱を探す人にツルハシを売った人である、といいます。本書も最後の方のp.164から実務家教員の養成機関とマッチングサポートが紹介されていて、40代で大学教授になる人よりも、それをサポートする人のビジネスの方がいいビジネスそうな気がします。私も今の大学を辞めたら、サラリーマンから大学教授になった経験を活かして、こういった方面のコンサルでもしようかしらん、と思わせる内容でした。

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次に、金子玲介『クイーンと殺人とアリス』(講談社)を読みました。著者は、小説家なのですが、私は前作の『死んだ山田と教室』をそれなりに評価しているので、次作となる本書も読んでみました。本書のひとつのテーマはクイズで、もうひとつはアイドルです。それを軸に少しミステリ仕立てにしてあります。まず、謎解きアイドル Queen & Alice のオーディションがあり、予選を勝ち抜いた候補生が、運営サイドの7人とともに帽子島という孤島に渡ります。そこで3泊4日のオーディションが行われ、総合プロデューサーの鯨井玄二のお眼鏡にかなった女性がアイドルとしてデビューすることになる、というわけです。失格者は毎日夜8時に来る船で帽子島を離れます。候補生は8人いて、高校3年生の同級生の麻木想空と佐藤七色のうちの麻木想空がひとつの視点を提供し、フリーター最年長でアイドルのオーディションに100連敗中と称する石崎真昼がもうひとつの視点を提供し、交互に語り手となってストーリーが進みます。少し前に私も読んで、今年映画化される小川哲『君のクイズ』と少し似たところがあります。必ずしも本格的なミステリではないので、殺人事件は中盤を過ぎたあたりでようやく起こります。その犯人探しでクイズのメタ分析が行われます。このあたりは、しっかり読ませどころです。前に読んだ『死んだ山田と教室』もそうだったのですが、会話のテンポがよくて、文体もいいのでスラスラと読み進むことが出来ます。ただ、人名が凝りすぎていて、なかなか頭に入らず、その割には、謎解きアイドル Queen & Alice なんて、明らかに、元ネタはエラリー・クイーンと有栖川有栖というあまりにも安直なネーミングだったりするギャップを感じます。繰返しになりますが、謎解きはクイズのメタ分析から始まりますが、決して、本格的、あるいは、論理的というわけではなく、やや雑に感じる読者もいそうな気がします。

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次に、岡崎琢磨ほか『猫で窒息したい人に贈る25のショートミステリー』(宝島社文庫)を読みました。著者は、ミステリ作家が多いんでしょうが、収録されているショートショートが必ずしもミステリとはいえないものもあるような気がします。というか、ミステリよりはホラーに近いものも散見されます。なお、本書は2025年4月の出版ですが、少し後に『猫に蹂躙されたい人に贈る25のショートホラー』というシリーズに近い位置づけの文庫も出ています。私はミステリとともにホラーも読みますので、「ぜひとも」とまでは思いませんが、機会があれば読んでみたい気がしています。タイトル通りに25のショートショートが収録されていますので、全部取り上げるのは骨ですし、2作品、猫とコミュニケーションを取るというミステリを2つだけ取り上げておきます。まず、猫森夏希「キャットーク」では、猫との会話が可能になるアプリが開発され、主人公がそれを使うと、猫が殺人犯を知っていることが判ります。貴戸湊太「猫又警部と猫のいる殺人現場」では、猫と会話できる刑事が猫から事情聴取して殺人犯を解明します。猫の知能が高くて、しかも、アチコチに出没していろんなものを見ているわけですから、猫が言葉をしゃべれたらブラックな結果を引き起こす、というのはサキの短編「トバモリー」で世界中に知れ渡っています。取り上げた2作品以外にも、そういった猫の知能と行動をフィーチャーした作品がいくつかあります。もちろん、ミステリとはいいつつ、ホッコリと心が暖かくなるような作品もあります。各作品はショートショートでわずかに数ページですので、スマホをいじって時間潰しするよりは、ひょっとしたら、本書を読む方が知的な印象を周囲にもたらすかもしれません。もっとも、作品の出来はバラツキ、というか、当たり外れがありますし、短いだけにミステリとして不完全、というか、深みやひねりに欠ける面もあります。ただ、バラエティに富んだ短編集ですので、その意味からは十分楽しめます。

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次に、福井健太[編]『新・黄色い部屋』(創元推理文庫)を読みました。編者は、書評家であり、ワセダミステリクラブのご出身です。本書は、昨年2025年に創元推理文庫から出版されたアンソロジーの第1弾であり、「読者への挑戦」ミステリを中心に精選されています。同じ編者による『横丁の名探偵』が第2弾となり、すでに出版されていて、私は先週のうちにレビューを済ませています。なお、シリーズは全3巻を予定しているようで、次巻は2月末に同じ編者により『以外な犯人』の出版が予定されています。本書は10話の短編を収録しています。本格ミステリを中心に、いくつかピックアップすると、まず、冒頭に収録された高木彬光「妖婦の宿」は、一応、というか、何というか、神津恭介のシリーズです。ホテルの密室殺人事件を題材にした本格的なミステリ短編です。ラストに大きなどんでん返しが待っています。飛鳥高「車中の人」は刑事が追う人物を突き止めるミステリです。誰が犯人か、と同時に、刑事が追っているのは誰か、の二重の謎を解き明かそうとします。車中という限られた時間と空間をたくみに利用して論理を積み重ねる本格ミステリです。山村正夫「高原荘事件」では、東京で起きた強盗事件の犯人が逃げ込んだ高原の職泊施設で、客や従業員から聞き込んだ情報を基に、謎解きが進みます。戯曲のような構成ですので、読者が順を追って犯人解明を試みることが出来ます。すでに読んだ次作の『横丁の名探偵』も含めて、どうしても1950-70年代の、いわば時代ミステリですので、金額の桁が少し今とは感覚が違ってきます。ただ、そのあたりは仕方ないものと諦めるしかないような気がします。取り上げた短編のほかも、本格的なミステリが収録されています。私はまだ出版されていない次作の『以外な犯人』も読みたいと思います。

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2026年1月31日 (土)

今週の読書はいろいろ読んで計7冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、萩野覚・西村清彦・清水千弘『日本の経済社会統計』(有斐閣)では、個別の公的統計をリストアップして取り上げているだけではなく、GDP統計を中心に最新の付加価値貿易とか、あるいは、GDPのサテライト勘定としてデジタル経済の指標やグリーン経済の把握などの最新分野にも目を配っています。上武康亮・遠山祐太・若森直樹・渡辺安虎『実証ビジネス・エコノミクス』(日本評論社)は、商品の価格設定、新商品の導入、新規事業への参入など実践的なビジネス課題をミクロ経済学に基づいて評価するためのテキストであり、ミクロ経済学が専門外でもRのコードが理解できれば、順を追って実践的な学習が進められます。伊与原新『翠雨の人』(新潮社)は、50歳以下の女性科学者に贈られる猿橋賞にその名をとどめる猿橋勝子博士の伝記小説です。第5福竜丸が被爆したビキニ環礁での水爆実験に端を発して、いわゆる「死の灰」による大気汚染や海洋汚染の研究に三宅博士とともに取り組んだ研究成果が印象的です。宮島未奈『それいけ! 平安部』(小学館)では、県立菅原高校の入学式からストーリーが始まり、同じ1年5組になった平尾安衣加が牧原栞を誘って県立菅原高校に平安部を設立します。夏休みに京都で開催される平安蹴鞠選手権、そして、秋の菅原高校の文化祭がクライマックスとなります。ジェフリー・ディーヴァー & イザベラ・マルドナード『スパイダー・ゲーム』(文春文庫)では、米国の南カリフォルニアを舞台とし、連邦捜査官のカルメン・サンチェスと大学教授でセキュリティコンサルタントでカルメンの捜査に加わるジェイコブ・ヘロンが協力して、知能の高い秩序型の連続殺人犯を追い詰めます。石田祥『猫を処方いたします 5』(PHP文芸文庫)はシリーズ5巻目であり、保護猫センターのスタッフの梶原友弥が飼っているニケ、そして、芸妓のあび野が飼っていて行方不明になった千歳という2匹の猫がいますが、中京こころのびょういんのニケ先生と看護師の千歳さんの関係やいかに。いよいよ、クライマックスが近づきつつあるのでしょうか。福井健太[編]『横丁の名探偵』(創元推理文庫)は、「読者への挑戦」ものを中心に精選されたアンソロジーです。1960年代から70年代の短編ミステリで、現在のようなDNA鑑定などの科学的な操作方法は確立しておらず、それだけに論理的な謎解きが展開されます。時代背景とともに楽しむことが出来ます。
今年2026年の新刊書読書は先週までに17冊、今週の7冊を加えると合計で24冊となります。また、これらの新刊書読書のほかに、東野圭吾のガリレオのシリーズ『禁断の魔術』(文春文庫)も読んでいます。ただ、新刊書ではないので、本日のレビューには含めていません。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。

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まず、萩野覚・西村清彦・清水千弘『日本の経済社会統計』(有斐閣)を読みました。著者は順に、麗澤大学教授、東京大学名誉教授・政策研究大学院大学名誉教授、一橋大学教授となっています。少し前に、肥後雅博『経済統計への招待』(新世社)を取り上げてレビューしたのですが、それとはかなりカバレッジが異なっています。個別の公的統計をリストアップして取り上げているだけではなく、GDP統計を中心に最新の付加価値貿易とか、あるいは、GDPのサテライト勘定としてデジタル経済の指標やグリーン経済の把握などの最新分野にも目を配っています。詳細な目次は出版社のサイトにあります。ただし、かなり数多くの統計や統計把握上の考え方を網羅しようと試みているだけに、やや「広く浅く」という方向に流れているところは見られます。ですので、出版社から考え合わせると学術書であろうという気がするものの、決して小難しい内容になっているわけではなく、大学生レベルでも十分読みこなせると思います。歴史的、国際的な流れにも目が配られており、GDP統計であれば国連、国際収支(BOP)統計であれば国際通貨基金(IMF)、さらに、付加価値貿易指標であれば経済協力開発機構(OECD)などの国際機関との関係、さらに、統計が開始された歴史的経緯、それも国際的視野からの歴史も含めて、幅広い統計をカバーしている印象です。加えて、GDP=SNA統計との関係で、従来の産業連関表(IO表)だけでなく、最新の供給使用表(SUT)も視野に入れて解説しています。繰返しになりますが、GDP=SNA統計を中心に据えつつ、サテライト勘定も含めて、マクロ経済全体を把握できる統計を解説しています。最後に、本書に関連して、私のGDP統計に対する考えを示しておきたいと思います。すなわち、GDP統計のもっとも重要なポイントは雇用とかなり強くリンクしているところだと私は考えています。典型的には経済学のオークン法則があります。それを別にしても、例えば、よく批判されるのがアンペイドな家事労働がGDPには含まれていない点ですが、2つの家計の主婦ないし主夫がお互い別家計の家事労働をして賃金を受け取れば、やっている実態はほとんど変わりないのにGDPが増加する、という批判です。ただ、両家計の主婦ないし主夫が別家計の家事労働をして賃金を得る場合、確かに、両家計の所得はキャンセルアウトされて実質的な影響を及ぼさないように見えますが、雇用は違います。所得は相殺されるとしても、両家計の主婦ないし主夫は明らかに労働市場に参入して雇用者となっていますので、雇用者がGDPの増加に従って増えている点は見逃すべきではありません。大規模にそういった動きがあれば、おそらく、GDPが増加するだけではなく、失業率を計算する際に分子の失業者が変わらない一方で、分母の労働力人口だけ大きくなりますので、失業率は低下するのだろうと考えるべきです。従って、政府の税収に変化が生じますし、社会保障負担も増加することは当然です。主婦ないし主夫が家事を相互に交換するとしても、決して、所得や何やが実質的に変わりないわけではないと考えるべきです。その意味で、アンペイドの家事労働とそれを家計で交換するのは同じではありません。それを把握できるGDP統計という指標、今もって十分な有効性があると私は考えています。オマケで、本書第2章の参考文献に、私が役所に勤務していたころの論文「シェアリング・エコノミーのGDP統計における捕捉の現状」をリストアップしていただいております。

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次に、上武康亮・遠山祐太・若森直樹・渡辺安虎『日本評論社』(実証ビジネス・エコノミクス)を読みました。著者は順に、イェール大学経営大学院マーケティング学科教授、早稲田大学政治経済学部准教授、慶應義塾大学商学部教授、東京大学大学院経済学研究科および公共政策大学院教授、東京大学エコノミックコンサルティング取締役です。本書は、商品の価格設定、新商品の導入、新規事業への参入など実践的なビジネス課題をミクロ経済学に基づいて評価するためのテキストといえます。レベルとしては大学院修士課程くらいで、ミクロ経済学とゲーム理論のテキストを読了した上で、間接効用関数やベイジアン・ナッシュ均衡などの基礎的な概念理解できる水準、と明記しています。ただ、本書の主人公ともいうべき役回りをしているのは就職直後の若手であり、自動車会社などから発注を受けてコンサルティングを行っている、という設定です。ですので、少なくとも、私のようにミクロ経済学が専門外であってもRのコードが理解できるのであれば、順を追って実践的な学習は不可能ではないと思います。5部構成となっており、第Ⅰ部のイントロダクションでそもそもビジネス・エコノミクスとは何か、などについて解説した後、第Ⅱ部の需要の推定で価格付けについて議論しています。製品間の代替、さらには、旧来商品への需要減などのカニバライゼーションについても議論が展開されています。製品レベルだけではなく、企業合併のシミュレーションも示されています。第Ⅲ部の動学的なシングルエージェントの意思決定では、単に新車投入の際のマーケティングだけではなく、モデルチェンジなどに伴う動学的に新車への買替えなどを考慮するのですが、このあたりからマルコフ過程の考えやその確率的なシークエンスが導入されて、私の専門分野にやや近づきます。特に、確率的に状態空間表現したモデルを考えるのは、私のようなマクロエコノミストも馴染みあるところかもしれません。第Ⅳ部の静学ゲームの推定では市場参入について考えます。動学的な参入タイミングのお話ではなく静学的に参入するか、参入しないかです。企業ではなく病院のMRIの導入をトピックにしています。最後の第Ⅴ部では、ハンバーガーチェーンを例にして、ライバル企業の将来行動を考えた上での出店戦略の議論を展開しています。私の感想としては、繰返しになりますが、それほどミクロ経済学に強くなくても、というか、通り一遍の理解があってデータ分析やR言語のコードが判れば、それなりの理解に達することが出来ます。サポート材料もネットで提供されていて、それなりに親切ともいえます。最後の最後に、私のように参考文献をじっくりとひも解くエコノミストから見て、このビジネス・エコノミクスの分野の基礎は1980年代には十分出来上がっていたように見えます。その後、コンピュータのハードとソフトが十分な発展を遂げて実用化が進んだわけで、分析対象とするモデルの理論的な基礎は1980年代に出来上がっていたように見受けました。おそらく、実業の世界ではそうで、1990年代以降はむしろマクロの金融などの理論モデルの発展があったのだろうという気がします。もっとも、それをいえば、私の専門分野であるマクロ経済学についてはケインズ卿の貢献により1930年代には理論的基礎ができていた、ということもいえそうです。

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次に、伊与原新『翠雨の人』(新潮社)を読みました。著者は、理学博士の学位を持つ小説家であり、『宙わたる教室』がNHKドラマになって大きな注目を集めて、『藍を継ぐ海』で第172回直木賞を受賞しています。科学的な見識に裏打ちされた小説で人気を集めています。私も『宙わたる教室』や『藍を継ぐ海』などを読んでいます。本書は、50歳以下の女性科学者に贈られる猿橋賞にその名をとどめる猿橋勝子博士の伝記小説です。小説ですので、部分的にフィクションが混じっているかもしれませんが、重要な部分は事実に基づいているとされていますし、人名や学校名、機関名などは実名のようです。物語は猿橋博士の女学校のころから始まり、女学校を卒業してから一度生命保険会社に就職しながら、帝国女子理科専門学校に入学し、実習で当時の中央気象台の三宅泰雄博士と出会い、気象庁気象研究所の研究員として働き始めます。何といっても、第5福竜丸が被爆したビキニ環礁での水爆実験に端を発して、いわゆる「死の灰」による大気汚染や海洋汚染の研究に三宅博士とともに取り組んだ研究成果が有名です。当時副会長を務めていた平塚らいてうの勧めで女性国際民主連合の会合に出席したり、日本女性科学者の会の設立に加わったりといった核兵器に反対し民主的な科学の力を前面に押し出す活動にも焦点を当てられています。ただ、本書ではそのあたりはバランスに配慮し、ソ連の核実験からの放射能測定により左派から攻撃された点も言及されています。そして、続く本書のハイライトは、カリフォルニア大学サンディエゴ校スクリップス海洋研究所のフォルサム博士と猿橋博士の放射能汚染の測定精度の相互検証です。そこで、猿橋博士の測定精度が上回って、核実験の汚染を小さく見せようとしていた米国の測定結果よりも10~50倍も高いセシウム濃度の測定結果を示していた三宅・猿橋の測定の信頼性を大いに高めた点を本書でも特筆大書しています。戦時中の暗い世相も、戦後の戦勝国である米国の傲慢さも、ともに科学の力で克服してきた猿橋博士の実像について判りやすい小説で示してくれています。なお、どうせもいいことながら、本書冒頭から最後の舞台回しに重要な役割を担っている奈良岡の生まれ故郷は関西の宇治だそうです。私と同じです。また、定年退職まで役所の研究機関で研究者をしていたのも私と同じです。同列に並べてしまうのは、きわめて心苦しいながら、いくつかの共通点を見出すことが出来たので、本書の読書に親しみを持てた気がします。

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次に、宮島未奈『それいけ! 平安部』(小学館)を読みました。著者は、成瀬あかりのシリーズで有名な小説家です。『成瀬は天下を取りにいく』では2024年に本屋大賞も受賞しています。ですので、出版社の期待も大きいようで、本書の特設サイトが開設されています。人物相関図などはそちらを参照するのが吉かと思います。小説の舞台は京都から190キロ離れた県立菅原高校です。主人公は平尾安衣加であり、姓と名から冒頭1字ずつを取れば「平安」となります。おじいさんが書道教室をしています。この平尾安衣加が成瀬あかりのように観察対象となり、観察する主体で視点を提供する島崎みゆきの役回りを牧原栞が務めます。平安時代にモテた色白でのっぺりした顔だそうです。この県立菅原高校の入学式からストーリーが始まり、同じ1年5組になった平尾安衣加が牧原栞を誘って、県立菅原高校に平安部を設立しようとくわだて、中学のころはサッカー部で蹴鞠にアツくなる大日向大貴が平安部に入ります。ここまでが1年生で、2年生も2人誘います。高身長かつメチャメチャなイケメンで物理部から移籍してきた光吉光太郎は、書道教室に通っていた縁で平尾安衣加の幼馴染みです。百人一首部の幽霊部員だった明石すみれも加わります。牧原栞だけが菅原市の隣町の森富町から鉄道で通っていますが、ほかの4人は菅原市民であり、自転車通学もいます。顧問は平尾安衣加と牧原栞の1年5組の担任で数学教師の藤原早紀子先生であり、平安時代にゆかりのある姓なのはいうまでもありません。まず、冒頭で部活動として成立する要件として5人を集め、平尾安衣加の家で書道体験をしたりした後、夏休みに京都で開催される平安蹴鞠選手権に遠征し、そして、秋の菅原高校の文化祭での活動がクライマックスとなります。高校生を主人公とするさわやかな青春小説であり、いくつかピンチはありますが、お約束でくぐり抜けます。悪い人物や意地悪な仕打ちはほぼほぼなく、適度に天然なキャラの登場人物もいますし、とても読みやすい良い小説です。

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次に、ジェフリー・ディーヴァー & イザベラ・マルドナード『スパイダー・ゲーム』(文春文庫)を読みました。著者は、ともに米国の小説家です。おそらく、ディーヴァーは世界中を見渡しても、もっとも売れているミステリ作家の1人だと思います。マルドナードは警察において20年超のキャリアを積んだ小説家だそうです。ただ、私はマルドナードの小説は読んだことがないと思います。本書の英語の原題は表紙画像にも見えるように Fatal Instruction であり、2024年の出版です。小説の舞台は米国の南カリフォルニアであり、主人公はFBIから国土安全保障捜査局の連邦捜査官に移籍したカルメン・サンチェスと大学教授でセキュリティコンサルタントでカルメンの捜査に協力するジェイコブ・ヘロンです。ヘロンは特にサイバー犯罪の専門家です。侵入専門家ということになっていて、この場合、どうも、侵入=intrusionなのですが、物理的に部屋に押し入るとかではなく、サイバー空間上でサーバーやほかのコンピュータに侵入する、という意味での「侵入」です。ジェフリー・ディーヴァーは今まで私が愛読していた中では、物的証拠を重視する四肢麻痺の捜査官リンカーン・ライム、供述の場で嘘を見抜く専門家キャサリン・ダンス、賞金稼ぎのコルター・ショウなど、いろんなシリーズで主人公を生み出してきました。本書では、たぶん、ヘロン教授が新たな主人公になってシリーズが始まるんだろうと受け止めています。サンチェス捜査官はリンカーン・ライムに対するアメリア・サックス刑事のような役回りではないかという気がします。本書では南カリフォルニアのアチコチで、一見無関係に見える事件が発生します。しかし、いわば倒叙ミステリの技法によりストーリーが進んで、犯人には手首にクモのタトゥーがあり、冒頭の登場人物一覧では氏名が明らかにされています。本書では、最初から知能の高い秩序型の連続殺人犯、ということになっています。もちろん、ディーヴァーが共著者として名を連ねているわけですから、スンナリと終わるはずもなく、最後に大きなどんでん返しを期待する読者も多いことと思います。事件解決後のラストで、国土安全保障省に新部門が創設されることになり、捜査官はカルメン、アシスタントというか、コンサルタントにヘロンの2人でチームを組む活動がこれからも続くようです。最後の最後に、私はこのレビューで意識的に本書にある「カーメン」ではなく、「カルメン」と表記しています。本書の中身からも明らかなように、カルメン・サンチェスは一家そろってのラテン人、たぶん、メキシコのルーツであり、スペイン語が母語に近くて、ヘロンに対してスペイン語の罵詈雑言を浴びせたりします。ですので、英語表記の「カーメン」よりは、「カルメン」の方がしっくりくるんではないでしょうか。でもたぶん、邦訳者さんと出版社ではこのまま押し通すんでしょうね。最後の最後に、600ページ超のボリュームながら、上下に分冊せずに1冊で出版したのは出版社の英断だと思います。

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次に、石田祥『猫を処方いたします 5』(PHP文芸文庫)を読みました。著者は、小説家であり、このシリーズ第1巻『猫を処方いたします』は第11回京都本大賞を受賞しています。本書はタイトルから明らかなように、シリーズ第5巻となります。京都市中京区麩屋町通上ル六角通西入ル富小路通下ル蛸薬師通東入ルという住所で、京都中心部の路地にある怪しげなクリニック「中京こころのびょういん」には、今日も飄々としてノリが軽いニケ先生とクールで強面のところもある看護師の千歳さんがいて、やって来る患者さんに猫を処方しています。本書も4話の短編からなる短編集であり、あらすじは順に、「第一話」では、平山世奈が急な海外出張の入ったバリキャリの姉である斎藤弥生に代わって、中京こころのびょういんへ猫を返しに来ますが、猫が1日分「飲み残って」いるからと、ニケ先生にもう一度同じ猫を預かるよう強引にいわれてしまいます。「第二話」では、一般形ケアハウス勤務で30歳過ぎの冨川真澄が、将来のためになることを何かしなければと、焦って不安になってしまい、中京こころのびょういんにやって来ますが、ニケ先生から「猫を聞く」ようにいわれます。「第三話」では、中京こころのびょういんの隣室をオフィスにする日本健康第一安全協会の社長にして唯一の社員である椎名彬が視点を提供します。彼の別れた元妻が保護猫センターのスタッフの寺田円花であることが明らかになり、小学生の娘の百寧の悩みを椎名彬が聞きます。「第四話」では、芸妓のあび野が視点を提供します。同僚の芸者の菊花や後輩のゆり葉と置屋のこま野でおしゃべりしたりしますが、冒頭で梶原友弥からのメールが紹介されます。梶原友弥とあび野は同じ出生の猫でつながっています。すなわち、梶原友弥がニケを飼っていて、あび野は千歳を飼っていましたが、今は行方不明です。衝撃のラストが待っています。取りあえず、ネタバレにならない範囲だと思いますが、この第5巻ではまだ物語は終わりません。ただ、「第三話」や「第四話」から、終盤が近づいてきたのではないか、ということは、感受性が鈍くて鈍感な私でも読み取ることができました。

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次に、福井健太[編]『横丁の名探偵』(創元推理文庫)を読みました。著者は、書評家であり、ワセダミステリクラブのご出身です。本書は、昨年、創元推理文庫から出版されたアンソロジーの第2弾であり、「読者への挑戦」ものを中心に精選されています。同じ編者による『新・黄色い部屋』が第1弾となり、シリーズは全3巻を予定しているようで、次回は2月末に同じ編者により『以外な犯人』の出版が予定されています。本書は7話の短編を収録しています。以下、収録短編ごとにあらすじは、まず、仁木悦子「横丁の名探偵」では、落語のように八っつぁんとご隠居さんの会話から始まります。長屋の一角で掛軸の盗難事件が起こり、ご隠居さんが犯人の言動から真相を突き止めます。続いて、石沢英太郎「アリバイ不成立」では、マイホームブームの中で悪徳不動産詐欺師が殺害されます。何人かの被疑者には犯行時刻のアリバイが主張されますが、結局、成立しないアリバイばかりの中、意外な犯人が浮かび上がります。続いて、巽昌章「埋もれた悪意」では、恩人の息子を探すためにテレビ放送で呼びかけた依頼に2人が名乗りを上げますが、赤ん坊を取り上げて肉体的な特徴を把握するという産婆が殺されてしまいます。続いて、泡坂妻夫「ダイヤル7」では、元刑事の回想から始まり、暴力団の抗争から一方の組長が殺害され、その時に起こった地震から真相が解明されます。続いて、岡嶋二人「聖バレンタインデーの殺人」では、菓子教室のバレンタインイベントでチョコレートの交換会が開かれ、毒入りのチョコを受け取った被害者が死亡します。限られた時間と場所、関係者の証言から、巧妙なトリックが明らかになります。続いて、中西智明「ひとりじゃ死ねない」では、高校の料理クラブで自殺者が出た後、OBとOGたちの間に不審な出来事が続き、過去の確執や思い出が絡み合う中、事件の真相が明らかにされます。最後に、今邑彩「時鐘館の殺人」では、新人ミステリ作家である「私」が、自作の犯人当て短篇を本筋の物語に織り込む異色作です。登場人物の言動や館の構造などがヒントとなり、一度は解決編が示されるのですが、読者からも挑戦状が寄せられる多重解決ミステリとなっています。最後に、私はさかのぼって同じ編者による『新・黄色い部屋』を読みたいと思いますし、次に出る予定の『以外な犯人』も読みたいと思います。少なくとも本書は、1960年代から70年代のミステリで、現在のようなDNA鑑定などの科学的な操作方法は確立しておらず、それだけに論理的な謎解きが展開されます。しかも、その時代背景とともに楽しむことが出来ます。

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2026年1月24日 (土)

今週の読書はいろいろ読んで計7冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、萩原伸次郎[監修]「米国経済白書 2025」(蒼天社)は、米国バイデン政権最末期に公表されており、4年間の施政を総括する分析も第1章に続いて、第2章リモートワーク、第3章国際租税システム、第4章医療保険、第5章カーボンニュートラル、第6章国際資本移動、第7章K-12の初等中等教育、について分析しています。小川洋子『サイレントシンガー』(文藝春秋)では、内気で言葉を発しない人々の「アカシアの野辺」の門番小屋の雑用係をおばあさんから引き継いだリリカが、役場から依頼されて夕方に流す放送向けに「家路」を録音したりしながら成長し、羊の毛を刈る際には「羊のための毛刈り歌」を歌ったりします。柳広司『コーリャと少年探偵団』(理論社)は、ドストエフスキーの名作『カラマーゾフの兄弟』のうち、三兄弟の父親であるフョードルが殺された部分について、コーリャくんの視点からリライトして、とてもすぐれたミステリのジュブナイル小説に仕上げています。特に、原作から大きな違いはありません。坂本貴志・松雄茂『再雇用という働き方』(PHP新書)では、「ミドルシニアのキャリア戦略」という副題に見られるように、大雑把に50-70歳くらいを対象にした雇用について、転職・独立するかどうか、仕事のペースを落とすかどうか、などの観点から分析しています。小林哲夫『関関同立』(ちくま新書)では、関西私大の雄である関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学について、学部構成やロケーション、ジェンダー平等、学生や教員の活躍、グローバル化、卒業後の進路、OBやOGの活躍、などなどの観点からそれぞれの特色を浮かび上がらせています。フリーダ・マクファデン『ハウスメイド 2』(ハヤカワ・ミステリ文庫)では、主人公のハウスメイドであるミリーは、ニューヨークに超高級ペントハウスを持つIT長者のダグラス・ギャリックの家で働くことになりますが、当然のように通常と違う奇妙な点があり、何があってもゲストルームには入らないように言い渡されます。加藤鉄児『実家暮らしのホームズ』(宝島社文庫)では、天才的な推理の力を持つ主人公が、巨大IT企業の創始者による財団主催の「眠れる探偵プロジェクト」の予選で最高得点を記録し3万ドルの賞金の返還を求められて、未解決事件などの謎解きによって弁済するコミカルな連作短編ミステリ集です。
今年2026年の新刊書読書は先週までに10冊、今週の7冊を加えると合計で17冊となります。また、これらの新刊書読書のほかに、大山誠一郎の短編集『アルファベット・パズラーズ』(創元推理文庫)も読んでいます。ただ、新刊書ではないので、本日のレビューには含めていません。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。

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まず、萩原伸次郎[監修]「米国経済白書 2025」(蒼天社)を読みました。著者は、米国大統領経済諮問委員会であり、萩原教授が組織する翻訳研究会が邦訳をしています。その研究会の一員が我が立命館大学経済学部の教授であり、昨年版の「米国経済白書 2024」の研究会が立命館大学であり、私も出席していたりします。国立情報学研究所のCiNiiで見る限り、「米国経済白書」が現在の形で邦訳され、蒼天社から出版されるようになったのは2014年からのようです。私の記憶が正しければ、私が役所に入った1980年代前半くらいは経済企画庁で邦訳を担当していたと思います。ただし、私がその担当課であった経済企画庁の調査局海外調査課に異動した1990年ころにはもう邦訳はしていませんでした。ということで、英語の原題は Economic Report of the President 2025であり、米国政府刊行物ですので、日本の政府白書などと同じように、全文がpdfでダウンロードできます。ただ、この2025年版は出版が昨年2025年1月9日、すなわち、トランプ大統領就任直前のバイデン前大統領の政権末期となります。ですので、バイデン大統領の4年間の施政を総括する分析も第1章に始まって、第2章ではリモートワーク、第3章では国際租税システム、第4章では医療保険、第5章ではカーボンニュートラル、第6章では国際資本移動、最後の第7章ではK-12の初等中等教育、についてそれぞれ経済分析を試みています。政権交代直前の出版ですから、当然ながら、4年間の前半はコロナのパンデミック期と重なります。第2章のリモートワークや第4章の医療保険などはコロナ期の分析も含まれています。ですので、リモートワークは地域的な労働需給のミスマッチの程度を軽減する一方で、リモートワーク可能な労働者は元々が高所得を得ており、リモートワークがそれ自体として格差の拡大の縮小につながるものではない、という指摘はもっともです。第3章のグローバル化とともにデジタル化も大きく進んだ国際社会の課税を考える必要性も、現在のトランプ政権のような米国の利益一辺倒ではない考えが示されています。第4章の医療システムや第5章のカーボンニュートラルなんかは、現在のトランプ政権はバイデン-ハリス政権とは方向性が大きく違うのだろう、ということは広く報じられている通りだと思います。第6章の国際公共財の提供についても、米国ファーストではない視点が示されています。最終章でも、高等教育だけではなく初等中等教育を重視する視点が示されています。最後に、2点だけ指摘しておくと、元が英文ですので、いわゆるabbreviationが頻出します。Inflation Reduction Act=IRAなんて、一般にはそれほど広く認識されていませんし、American Rescue Plan Act=ARPもご同様です。3人の邦訳者は何年かご担当になって慣れ親しんでいるのかもしれませんが、邦訳版にはabbreviation一覧のようなものをオマケで付けていただくわけには行かないものでしょうか。世銀などの国際機関のリポートなんかではよく見かけるので、そう難しくはないと思います。第2に、通常このリポートは毎年1月中には公表されますが、今年2026年はまだです。トランプ政権になってから大きく経済政策が転換されたのは広く認識されている通りです。どのような分析が登場するか、怖いようでもありますが、エコノミストとして興味はあります。

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次に、小川洋子『サイレントシンガー』(文藝春秋)を読みました。著者は、芥川賞作家であり、本書は著者の6年ぶりの長編小説だそうです。ですので、私も大きな期待を持って読んだ次第です。主人公は両親を亡くしておばあさんと暮らすリリカです。農業を主体として自給自足に近い生活を目指す「アカシアの野辺」がE-5地区に移り住んで開墾して畑を耕し、動物を飼い始めます。内気な人々であり、言葉で話すことをせずに指言葉で会話したりします。気象管と呼ばれる涙形のガラスのペンダントをしています。日本的にいえばヤマギシ会を思わせるところがあり、海外ではアーミッシュを連想する人がいるかもしれません。その門番小屋の雑用係としてリリカのおばあさんが雇われ、「アカシアの野辺」の内気な人々と外部との接点となります。リリカは役場から依頼されて夕方に流す放送向けに「家路」を歌ったりしながら成長し、高校卒業直前におばあさんが亡くなってからは門番小屋の雑用係の仕事を引き継ぎ、同じように、「アカシアの野辺」の人々と外部との接点となります。「アカシアの野辺」で出来た農産物の販売をしたり、自給自足しきれないものを外部の商店などで買ってきたりします。それだけではなく、ボイスレッスンに通って、先生から歌のアルバイトを紹介されたり、「アカシアの野辺」で羊の毛を刈る際には「羊のための毛刈り歌」を歌ったりします。リリカは自動車免許を取得し行動範囲を大きく広げ、有料道路の料金所の男性と淡い恋をしたりもします。はい、純文学ですので、ボイスレッスンを始めた経緯や料金所の男性との恋の行方など、個別のストーリーの流れも興味深いところなのですが、文章表現や文体を楽しむべき読書ではないか、という気がします。ただ、沈黙を言葉にして表現するとどうなるか、あるいは、沈黙=サイレントな状態で歌はどう聞こえるのか、といった疑問に対しては、作者は見事なまでに答えを用意しています。久しぶりに心が澄み渡るような小説を読んだ気がします。

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次に、柳広司『コーリャと少年探偵団』(理論社)を読みました。著者は、ミステリ作家だと私は思っており、『ジョーカー・ゲーム』をはじめとするD機関のシリーズを私は愛読しています。数年前に『アンブレイカブル』(角川書店)を読んだ後、少しご無沙汰していると思ったら、最新刊の本書はジュブナイルのミステリです。タイトルからピンとくる人はかなりの文学通であり、本書はドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』のうちの父親フョードルが殺された部分をコーリャくんの視点からリライトしてミステリに仕上げています。ですので、主人公は新制中学校に通う13歳、本人の言い分ではもうすぐ14歳になるコーリャ・クラソートキンです。忠実な副官=子分はスムーロフであり、少年探偵団の中核を成します。ベレズウォンという雑種の犬を飼い、母親には頭が上がらず、人格家でもある教師のダルダネロフにしばしばピンチを救われます。もちろん、カラマーゾフ家の父親フョードルや三兄弟も登場します。ただ、本書はジュブナイル向けということを意識してか、スメルジャコフがフョードルの私生児ではないか、という点には言及がありません。三兄弟の末のアリョーシャ(アレクセイ)は、ゾシマが亡くなって修道院を離れますが、まだ還俗していません。『カラマーゾフの兄弟』を読んだ人は決して多くないと思いますが、読んだ人であれば、視点を提供する主人公がコーリャになったところで、殺されたのが三兄弟の父親のフョードルである点はご存じのことと思います。この点も変わりありませんし、フョードルが持っていた3000ルーブルという大金が紛失している点も同じです。誰が裁判にかけられて、どういう判決が出たかも原典通りです。ただし、繰返しになりますが、日本人の中で『カラマーゾフの兄弟』を読んだ人は決して多くないでしょうし、本書が対象読者に想定している小学校学年や中学生くらいまでであれば、ほぼほぼ通読した人はいないと思います。その意味で、その年代の少年少女にはなかなか痛快なミステリとして楽しめる気がします。私が小学生高学年だったころは、こういったミステリ仕立てのジュブナイル小説といえば、江戸川乱歩の明智小五郎シリーズや海外モノでいえばホームズよりはルパンだったような気がします。本書も、そういった大昔のジュブナイル向けミステリと同じで、やや大時代的、というか、現代向けではありませんが、それなりに楽しめるし、スメルジャコフの設定のように若い世代の読者にも配慮されている気がしました。ただ、「オッカムの剃刀」はとても重要な見方ながら、少し難しいかもしれません。

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次に、坂本貴志・松雄茂『再雇用という働き方』(PHP新書)を読みました。著者は、リクルートワークス研究所の研究員とリクルートご出身でポストオフ後にシニア活躍支援などをしている方のようです。本書では、「ミドルシニアのキャリア戦略」という副題に見られるように、大雑把に50-70歳くらいを対象にした雇用について、雇用者のサイドと企業のサイドの両方から分析しています。公的年金支給開始年齢が65歳、しかし、定年退職年齢は多くが60歳という雇用と年金支給のミスマッチにあって、どのようなキャリア戦略でもって働くか、また、雇うか、というテーマだろうと思います。私自身はエコノミストとして、働くなくてもいいような社会保障体制が整えられるのが一番と考えていますが、所得確保だけでなく社会との接点の維持や人生目標などから考えて、働き続けたいと考えているミドルシニアは少なくないことも事実です。私自身は60歳で当時の役所の定年を迎えた後、現在の立命館大学に再就職して現役生活を継続し、さらに大学でも65歳の定年の後に大学の特任教授として、まあ、本書でいうところの定年後再雇用に入っています。でも、それほど業務負担=授業コマ数が減ったわけではありません。65歳の定年前は標準で週5コマだったのが、標準週4コマになっただけなのですが、お給料は半減しています。同年齢の大学の同級生の中には、まだ職探しをしている者もいますが、警備や清掃といった高齢者向けの仕事しかないとぼやいています。本書では、タイトル通りに、雇用者のサイドからキャリア形成を考えるとともに、企業サイドから高齢者の雇用確保やスキル活用をどう考えるか、といった視点も大いに取り入れています。すなわち、定年を延長した上で役職定年=ポストオフの後のミドルシニアの活用については、企業にとっては不連続な処遇変更は生じないものの、報酬が高止まりしたまま処遇が硬直化する、というリスクを指摘し、逆に、定年で一度退職金も支払った後の再雇用では、定年延長とはまったくシンメトリーに逆のメリットとデメリットがあると結論しています。それに、どちらにしても、東洋的というか、儒教的な「長幼の序」がある世界で、年上の部下を年下の上司が指揮監督するという組織運営上の難しさもついて回ります。私個人のケースでは、役所の公務員だったころは、そもそも能力不足によって出生が遅くて、60歳の定年前の段階で年下の上司から仕事の命令を受けることがありました。大学に来れば、組織や人事はほぼほぼフラットですから、組織上の難しさは関係なくなりました。また、本書では、企業サイドではなく雇用者のサイドからのキャリア戦略としては、仕事の働き方のペースを落とすか維持するかを縦軸に、同じ組織で働き続けるか転職・独立するかを横軸に取って、4象限で考えています。はい、私の場合は転職して仕事のペースを落とす、という選択をしたわけで、私にとっては悪くない選択だったと思っています。ただ、最後に、私の同級生の見方も理解できる部分が少なくありません。すなわち、私は日本の企業が評価をミスっているコーホートが2つあり、高齢者と法経系の大学院卒だと考えています。繰返しになりますが、高齢者には警備や清掃といった仕事しか割り当てられず、法経系の大学院卒はまったく採用しようとはしません。特に、後者は日本のオフィスの生産性が低い一因である可能性を私は感じています。最後の点は本書のスコープ外の私の感想です。

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次に、小林哲夫『関関同立』(ちくま新書)を読みました。著者は、教育ジャーナリストと紹介されています。はい、関関同立とは本書にもある通り、関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学の関西の名門私大をひとまとめにして表現する言葉です。本書ではこの順番で個別項目に取り上げています。ただ、私の実感では、この4校の中でも、本書では言及ありませんが、最近では明らかに序列化が出来上がりつつあり、同志社大学、関西学院大学、関西大学、立命館大学の順で固定化されつつある気がします。要するに、ミッション系のオシャレな大学の評価が高くなっている、ということのようです。そういったオシャレなイメージある大学の方が、いわゆる「バンカラ」なイメージの大学、関西であれば関西大学や立命館大学、といったあたりよりも高校生から評価されている、といった気がします。その昔に「国民的美少女」と称された後藤久美子が制服で進学先の高校を選んだ、と一部で報じられたこともありますし、今になって急に始まった傾向ではないと思います。それはさて置き、その関関同立の関西の雄である4私大に関して、学部構成やロケーション、ジェンダー平等、学生や教員の活躍、グローバル化、卒業後の進路、OBやOGの活躍、などなどの観点からそれぞれの特色を浮かび上がらせています。もちろん、私の勤務する立命館大学を中心に読んでみたわけで、特に、私の勤務しているのは京都ではないのですが、もともとが京都にあったわけですし、2校だけの「同立」という表現もありますので、ついつい、関関同立ではなく同志社大学との比較で読んでしまいました。いろいろな観点がありえますが、もっとも立命館大学の特色を表しているのは、卒業生の中でも国会議員の政党別構成ではないでしょうか。関関同には自民党や維新の会といった連立与党の国会議員を輩出しているのですが、立命館だけは与党議員はいません。逆に、共産党議員が入っていたりします。本書でもキツい言葉で「日本共産党の影響を受けた学生、教員が少なくなかった(p.279)」とされています。これを褒め言葉と受け取る人は決して多くはないでしょうが、少なくもないと思います。

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次に、フリーダ・マクファデン『ハウスメイド 2』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を読みました。著者は、脳外科医で作家だそうです。英語の原題は The Housemaid's Secret であり、2023年の出版です。なお、本書が「2」とナンバリングされている以上、当然「1」があるのですが、まあ、何と申しましょうかで、田舎町の隣町の図書館に行くと、無造作に本書が新刊書コーナーにおいてあり、話題の本であることは確かに知っていたので、取りあえず借りてみました。その後、「1」と「2」を順番に読む必要性は高くないと判断し、本書から読み始めています。ただ、知り合いからのアドバイスによれば、順番は逆でも、さかのぼって「1」は完成度高く必読であり、主人公のミリーがエンツォと出会うシーンがあるので、特にその点は重要である、と聞き及びました。「1」ではエンツォは庭師だそうで、本書「2」では職業不明です。本書「2」のストーリーは、ハウスメイドのミリーが冒頭で失職します。なぜかといえば、赤ちゃんが母親ではなくミリーのことを「ママ」と呼ぶからです。前科があって難しいながらも職を探して、ニューヨークのアッパー・ウェストサイドに超高級ペントハウスを持つIT長者の雇い主ダグラス・ギャリックを見つけます。ただし、当然のように通常と違う奇妙な点があり、何があってもゲストルームには入らないように言い渡されます。そこには、病身の妻ウェンディが静養していて人と会いたがらない、と説明されます。なお、ミリーには、私の目からとても不自然なのですが、ハイスペックな恋人ブロックがいます。イケメンで富裕な弁護士をしていて、ミリーが前科を隠していることもあるのですが、ミリーとの結婚に前向き、というか、むしろ両親に紹介した上で結婚したがっています。ただ、ミリーの方は前科持ちで服役していたことを打ち明けられず、やや消極的な態度を取り続けます。そして、クライマックスにはエンツォが登場するわけです。ミステリですので、このあたりまでとします。とっても凝ったプロットで、ラストのどんでん返しもびっくりしましたし、これだけ登場人物が少ないにもかかわらず、すごい構成力だと感心しました。しかも、原文がいいのか、邦訳がすぐれているのか、海外ミステリの翻訳としては、とても読みやすく仕上がっています。ぜひとも前作も読みたいと思います。

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次に、加藤鉄児『実家暮らしのホームズ』(宝島社文庫)を読みました。著者は、ミステリ作家なのですが、第13回「このミステリーがすごい!」大賞・隠し玉として、『殺し屋たちの町長選』により2015年にデビューしています。本書の主人公は判治リヒトという千葉県柏市郊外の実家暮らしで引きこもりの24歳男性ながら、天才的な謎解きの能力を持っています。この主人公が、ストーリー冒頭で、巨大IT企業ビットクルーの創始者が設立したオリバー・オコンネル財団が主催する「眠れる探偵プロジェクト」の予選で最高得点を記録し、3万ドルの予選通過褒賞金を手にしながら、ニューヨークの本選には出向かずに行方をくらます、というか、引きこもりなのですから、どこかに逃亡ないし逃走するわけではなく、要するに、連絡を絶ったのですが、オリバー・オコンネル財団に居どころを発見され、日本支部のホルツマン・ユキがリヒトの実家を訪ねます。ホルツマンは3万ドルの予選通過褒賞金の返還を求めますが、リヒトはすでにネットカジノのルーレットで3万ドル全額を溶かしてしまっており、未解決事件などの謎解きをすることによって弁済させられる、ということになります。そういった謎解きを集めた連作短編集といえます。でも、当初は、リヒトが引きこもりなのですから、外出しないでいいという条件だったような気がしますが、パトカー乗りたさにアチコチ外出することになります。なお、謎解きをする主人公の判治リヒトがホームズ役であることは間違いないのですが、ワトソン役はオリバー・オコンネル財団日本支部のホルツマン・ユキとともに、柏みなみ署捜査1課の矢野も同様な役回りをします。でないと、リヒトはパトカーには乗れないというわけなのだろうと思います。各短編のあらすじは、まず、「Case 1 8ビットの遺言」では、オリバー・オコンネルの友人である極東ソフトコマース社長の城ノ戸淳が殺された事件の謎を解きます。続いて、「Case 2 自殺予告配信」では、インターネットで自殺を予告したナチュラルボーン・コレクターの居場所を特定します。続いて、「Case 3 撲殺モラトリアム」では、資産家老人の猟奇的な撲殺事件の真相を解明します。続いて、「Case 4 零下二十五度の石棺」では、正月明けの漁協の冷凍倉庫で発見された漁師の事件の謎を解きます。続いて、「Case 5 ダイムの遺言」では、Case 1で殺害された極東ソフトコマース社長の城ノ戸淳からオリバー・オコンネルに送られてきた暗号解読に挑みます。やや、コミカルなミステリであり、オリバー・オコンネル財団日本支部のホルツマン・ユキが判治リヒトの実家を訪ねてくるたびに用意する手土産がなかなか凝っていたり、また、ホルツマン・ユキの来訪を主人公の母親の和美が露骨に喜んでいたりと、謎解き以外の設定も楽しく仕上がっています。

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2026年1月17日 (土)

今週の読書はいろいろ読んで計6冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、郡司大志『金融政策の効果測定』(慶應義塾大学出版会)では、1999年2月のゼロ金利から始まって、2024年3月の量的・質的金融緩和の解除と金融政策の「正常化」までの期間の金融政策の効果の測定を試みています。因果推論を活用した計測なのですが、計測対象が適切かどうかは疑問です。マルチェロ・ムスト[編著]『マルクス・リバイバル』(地平社)では、資本主義や共産主義、さらに、民主主義から始まって22のチャプターで専門家たちが最近時点でのマルクス研究の成果を紹介しています。ただ、日本人研究者は参加しておらず、マルクス研究で遅れを取っているのだろうか、と思ってしまいました。岩井圭也『真珠配列』(早川書房)では、近未来の中国を舞台に、異常な速さで進行する癌による死者が出始め、その中に有力政治家の子息が含まれていて、北京市公安局刑事偵査総隊の捜査官アーロンが、ウイグル人の遺伝子エンジニアであるマリクの協力を得て操作を進めます。麻根重次『千年のフーダニット』(講談社)では、コールドスリープした7人が1000年後に目覚めると、そのうちの1人が死んでいた、という事件について、ハウダニットとフーダニットの謎を解き明かそうと試みます。SF的な色彩豊かなミステリです。和仁かや『江戸の刑事司法』(ちくま新書)では、バーチャルお白州ということで、タイトル通りに、徳川幕府の「公事方御定書」を基に、さらに、実際の裁判記録である「御仕置類例集」などをひも解いて、徳川時代の刑事司法を紹介しています。碧野圭『凜として弓を引く 覚醒篇』(講談社文庫)は、中学を終えて名古屋から東京に引越して来て、武蔵西高校に入学する矢口楓を主人公とする弓道青春小説であり、そのシリーズ第5巻に当たる本書では、西武蔵高校弓道部は関東大会に出場し、同級生の真田善美はインターハイの個人戦で優勝します。
今年2026年の新刊書読書は先週に4冊、今週の6冊を加えると合計で10冊となります。また、これらの新刊書読書のほかに、瀬尾まいこ『幸福な食卓』(講談社文庫)、『千年のフーダニット』の前作である麻根重次『赤の女王の殺人』(講談社)、大山誠一郎の短編集『密室蒐集家』と『赤い博物館』と『記憶の中の誘拐』(文春文庫)も読んでいます。ただ、新刊書ではないので、本日のレビューには含めていません。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などでシェアしたいと予定しています。

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まず、郡司大志『金融政策の効果測定』(慶應義塾大学出版会)を読みました。著者は、大東文化大学経済学部現代経済学科教授だそうです。本書は、タイトル通りに、金融政策の効果を測定していますが、当然ながら主眼は四半世紀に渡った非伝統的な金融緩和政策にあります。すなわち、1999年2月のゼロ金利から始まって、2024年3月の量的・質的金融緩和の解除と金融政策の「正常化」までの期間の金融政策の効果の測定にあります。そして、もともとの著者の姿勢がどうなのかは私は存じませんが、軽く想像されるように、否定的な側面が全面に押し出されている印象があります。ただ、手法としてははやりの因果推論を用いています。というのは、しばしば金融政策分析に用いられるニュー・ケイジアン・モデルには明示的な銀行部門がないから、という理由です。ただ、冒頭第1章で、金融政策や金融政策の効果に関する定義では「はっきりしない」と結論していて、金融論は専門外の私なりにも、本書で金融政策の効果として測定している代理変数に疑問あるものもないわけではありません。例えば、第7章でETF買入れ政策で株価が押し上げられていたという結論ですが、第8章でROA/ROEを企業のパフォーマンス指標として用いると逆の結果が得られます。要するに、株価はROA/ROEを反映していない、という矛盾を不問にした分析がどこまで整合性ある結果を引き出せているかは疑問です。また、第5章のインフレーションターゲティング政策も、効果を測定する指標として企業パフォーマンスを取るのが適当かどうかも疑問です。日銀法は冒頭で、日銀は物価安定を通じて国民経済の健全な発展に貢献するという役割を負うと規定していますが、ほとんどの分析で企業が金融政策効果測定の対象になっている印象があり、国民生活への影響は無視されている、ないし、いわゆるトリックルダウン効果が前提されていると考えられます。せいぜいが、第6章の個人の借入れ意欲に対する効果くらいで、消費への効果分析をもっと前面に打ち出してもいいように思うエコノミストは私くらいで、多くのエコノミストは企業への効果に目が行くのは悲しいことかもしれません。最終第10章のテーマである金融政策に何を求めるのかの視点が、少し私とはズレている気がしました。最後に、私は黒田総裁当時の日銀の異次元緩和は失敗だったと考えています。大きな理由は物価目標を達成できなかったからです。

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次に、マルチェロ・ムスト[編著]『マルクス・リバイバル』(地平社)を読みました。著者は、カナダのトロントにあるヨーク大学社会学教授であり、マルクス研究の復権に近年多大な貢献をしてきた論者として世界的に知られる存在だそうです。実は、この編著者を招いて、今週、私の勤務する立命館大学で講演会がありました。私も出席しようかと考えなくもなかったのですが、先週に私が参加した経済学部教員の飲み会で講演会が話題になり、reprpductive/reproduction とは、私は something 不妊治療だと思っていて、普通は不妊治療も含めた生殖医療を指すのですが、マルクス研究では「再生産」という特殊な意味を持つ、と聞いて少し驚いてしまいました。少なくとも本書冒頭の資本主義を邦訳している我が同僚教員の宇野派のプリンスは、私の理解が通常の英語の理解だろうと認めてくれましたが、どうも、マルクス研究の界隈では違うようです。私は官庁エコノミストとして60歳の定年まで公務員をしていて、まさに、政府公認の経済学を持ってお仕事をしてきたわけで、マルクス研究ははるか彼方の大昔の大学生だったころで終了しています。ですので、日本語でも理解がおぼつかないマルクス研究なのに、英語の講演会では出席しても意味はなかろう、と考えて出席は取り止めました。本書も読んでみましたが、それほど理解がはかどったとも思えません。序章に続いて、冒頭の資本主義や共産主義、さらに、民主主義から始まって22のチャプターで専門家たちが最近時点でのマルクス研究の成果を紹介しています。最後の22章は、マルクス主義と題してウォーラーステイン教授が執筆しています。繰返しになりますが、冒頭章は資本主義と共産主義から始まる一方で、私がマルクス研究のもっとも興味ある経済学と歴史研究については章立てされていない点は少し不思議に感じました。まあ、好意的に考えれば、経済学や歴史研究についてはすべてのチャプターでそれぞれ言及されている、ということなのかもしれません。いくつかの章で史的唯物論というのはお目にかかった気がしますが、それでも、歴史発展の方向性や法則は私にとってはマルクス研究のもっとも重要なポイントのひとつですので、章立てしてほしかった気がします。最後に、ノーベル経済学賞に日本人がまったくウワサにもならないように、主流派経済学では日本の学界や研究者は決してトップレベルに達していません。ほど遠いといえます。本書を読むと、これまた、マルクス研究でも日本人研究者がまったく執筆に参加していません。グローバル化をテーマとする第16章執筆のチョン・ソンジン教授が慶尚北道国立大学の所属となっていて、韓国のご出身のように見えます。日本人研究者は主流派経済学だけでなく、マルクス研究でも遅れを取っているのだろうか、と少し気になってしまいました。極めて限定的な私の経験からして、日本のマルクス研究は脱成長と環境問題に重点を置いているように見えますが、AIをはじめとする技術進歩の問題にもマルクス研究の観点からの発言を期待しています。はい、大いに期待しています。

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次に、岩井圭也『真珠配列』(早川書房)を読みました。著者は、小説家なのですが、最近ではドラマの原作となった『最後の鑑定人』が人気のようです。本書の舞台は近未来の中国であり、その理由はゲノム操作の規制がもっとも緩やかな国のひとつだからであり、本書はそのゲノム操作をテーマとしています。タイトルの真珠配列とは理想的なゲノム配列を意味します。癌をはじめとする病気に罹患しにくかったり、肥満しにくい体質だったり、というような感じで、いわゆるデザーナベビーのヒトゲノム配列のようなものです。それをこれから生まれてくる生殖段階で実施するデザイナーベビーではなく、すでに生まれた後の成人などでゲノム操作をする、というものです。あらすじは、異常な速さで進行する癌による死者が出始め、特に、その死者の中に有力政治家の子息が含まれていて、北京市公安局刑事偵査総隊=犯罪捜査課の捜査官である郝一宇=アーロン・ハオが本書の主人公で、操作を担当する警察官の1人です。捜査協力者として、新疆ウイグル自治区出身のウイグル人の遺伝子エンジニアであるマリク・ヌアイマーンと協力しているのですが、ウイグル人は漢人から強く差別されており、ほとんどテロリストとみなす警察官もいたりします。例えば、アーロンが付き合っている恋人がいて、彼女の父親が警察幹部であることから、アーロンはそのコネを持って出世を期待しているのですが、その恋人の父親がウイグル人を捜査から外すように圧力をかけたりします。ということで、ゲノム操作と異常に早く進行する癌の関係をめぐって捜査が進み、真相が明らかにされます。最後に、ゲノム操作とか遺伝子関係の私の知識は極めて限定的なのですが、そういったこの界隈の情報をそれほど持ち合わせていなくても、ミステリとして十分楽しむことが出来ます。ただ、ウイグル人に対する漢人の感情については、少し日本人の想像を超えています。

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次に、麻根重次『千年のフーダニット』(講談社)を読みました。著者は、ミステリ作家なのですが、2023年に『赤の女王の殺人』で島田荘司選 第16回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞を受賞して、作家としてデビューしています。この前作は私はすでに読んでレビューしています。本書と前作とはまったく何の関連もなく、それぞれ独立した作品として楽しむことが出来ます。本書、基本的にはミステリと考えるべきなのですが、舞台はほぼほぼ1000年後の世界です。冷凍睡眠=コールドスリープした7人が1000年後に目覚めると、そのうちの1人が死んでいた、という事件について、ハウダニットとフーダニットの謎を解き明かそうと試みます。主人公はコールドスリープした7人のうちのクランです。若くして妻を喪い失意に沈んで人類初のコールドスリープに参加します。ほかにも、イリヤ、シーナ、カイ、シモン、クロエ、マルコのさまざまな事情を抱えた男女7名は「テグミネ」という繭のような装置で長い渡る眠りにつき、1000年後に目覚めると、テグミネのなかでミイラと化したシモンの他殺体を発見することになるわけです。そして、残された6人は、結局、コールドスリープの施設の外に出て活動を始めます。最後はどんでん返しもあって、当然ながら、驚くべき真相が待っています。SF仕立てのミステリで、単行本で400ページ近くと、それなりのボリュームありますが、とてもスラスラと読めます。当然、コールドスリープや何やの基礎知識は必要とされません。ただ、コールドスリープに入るには、本人以外が装置のオペレーションをする必要がある、というのがポイントです。また、私のベタな感想では森博嗣『すべてがFになる』を思い出してしまいました。はい、この2点はギリギリながらネタバレではないと思います。最後に、私個人としては、ハウダニットとフーダニットの謎解きはいいとしても、動機にややムリを感じました。

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次に、和仁かや『江戸の刑事司法』(ちくま新書)を読みました。著者は、早稲田大学法学学術院教授であり、ご専門は近世日本法制史だそうです。本書では、バーチャルお白州ということで、タイトル通りに、徳川幕府の「公事方御定書」を基に、さらに、実際の裁判記録である「御仕置類例集」などをひも解いて、徳川時代の刑事司法を紹介しています。本書冒頭でも指摘しているように、近代以降の日本や西洋の刑事司法と違って、徳川期は理不尽な拷問をしたり、残酷な刑罰を乱発したり、といったイメージがある一方で、人情味溢れるいわゆる「大岡裁き」だって存在した、というTVドラマの影響も見逃せないところです。本書では章別に、盗みと火附といった犯罪から始まって、不倫、というか、いわゆる姦通、さらに、現時点でも決して議論がつきない処罰なのか更生なのかの議論、また、現代的な心神耗弱の前近代の表れのひとつである「物の怪」などに起因した乱心による犯罪、最後に、女の罪、のそれぞれを取り上げて歴史的にひも解いています。裁きを下す裁判官役の役人も、重罪である資材や遠島を申し渡す際には前もって幕閣の老中に確認するなど、手続き面も大いに言及されています。もちろん、近代的な三権分立の概念が成立する以前のことであり、立法権と行政権と司法権すべてを幕府が一手に握って、さまざまな配慮をしつつも、近代的な行政や司法制度と違って強権的な裁きを行っていた例があることは明らかです。その意味で、国際法を無視して独裁者的に振る舞って、勝手な利益を追求する米国トランプ政権のやり方を少し思い起こさせるものがありました。

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次に、碧野圭『凜として弓を引く 覚醒篇』(講談社文庫)を読みました。著者は、ラノベ作家であり、私が聞いたのことがあるのは「書店ガール」のシリーズです。読んだことはありませんし、渡辺麻友が主演し、稲森いずみも出演しているTVドラマ化されていたのは知っていましたが、それほど熱心には見ていません。この「凜として弓を引く」シリーズは、初巻から始まって、「星雲篇」、「初陣篇」、「奮迅篇」ときて、本書「覚醒篇」で5巻目となります。当たり前ですが、私は第1巻から第4巻まで順に読んでいます。中学を終えて名古屋から東京に引越して来て、武蔵西高校に入学する矢口楓を主人公とする弓道青春小説です。同級生の真田善美やその兄の真田乙矢に誘われて、近くの神社の弓道教室に通うようになり、かつて名門弓道部のあった武蔵西高校2年に進級して、弓道同好会として復活させて各種大会予選に出場する、というのが第4巻奮闘篇までです。この第5巻覚醒篇では、3年生に進級して同好会を弓道部に昇格させて、主人公の矢口楓は引き続き部長を務めます。西武蔵高校弓道部は関東大会に出場し、同級生の弓友である真田善美はインターハイの個人戦で優勝したりします。関東大会やインターハイの場面もあるわけですので、都内や関東に限らず弓道部のある全国の高校のライバルも何人か登場します。そして、この第5巻の最後で、主人公の矢口楓は武蔵西高校を卒業して西北大学に推薦入学により進学します。西北大学というのは「都の西北」なんですから、早稲田大学がモデルなんではないかと想像しています。当然、弓道部がありますし名門だという設定です。主人公の矢口楓や同級生の真田善美が大学生になって、まだまだ、第6巻以降に続きます。なお、私は弓道についてはまったく知識も経験もなく、本書で頻出する弓道の技術的な用語はすべてすっ飛ばして読んでいます。たぶん、そのあたりの知識や情報があった方が読書を楽しめそうですが、そこはラノベですので、窮屈なことはいわない方がいいと思います。

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2026年1月10日 (土)

今週の読書は新刊書読書少なく計4冊

今週の読書感想文は以下の通りです。
まず、ヘンリー・サンダーソン『電気自動車は本当にエコなのか』(原書房)では、電気自動車(EV)などに広く用いられているバッテリー生産のために、リチウムやコバルトといった鉱物資源が自然環境や労働条件を考えることなく乱掘されており、環境破壊や労働者の健康被害を起こしている実態に着目しています。町田章『AI時代になぜ英語を学ぶのか』(文春新書)では、言葉が持つ機能は決してコミュニケーションだけではなく、そのバックグラウンドとなる文化や体験も含めて、人間らしい思考力を身につけるために外国語学習が必要であり、自分の生まれ育った環境以外の経験も重要と指摘しています。レオ・マレ『探偵はパリへ還る』(新潮文庫)は、フランスのハードボイルド・ミステリ小説であり、第2次世界大戦下のドイツで捕虜として収容所の病院で働く探偵ビュルマは、瀕死の男から「エレーヌに伝えてくれ、駅前通り120番地」と謎の言葉を残され、釈放後フランスへ戻ると探偵助手が死の間際に同じ住所を告げます。大山誠一郎『死の絆』(文春文庫)では、赤い博物館と通称される警視庁付属犯罪資料館の館長である緋色冴子が助手の寺田聡とともに30年以上も前の事件も含めて、資料館に送られてくる事件の真相解明のために再捜査に挑みます。
今年2026年の最初の新刊書読書はこの4冊となります。これらの新刊書読書のほかに、新刊書ではないので取り上げていない年末年始の読書もかなりあります。麻根重次『赤の女王の殺人』(講談社)は同じ作者の最新作である『千年のフーダニット』への準備を兼ねて読みましたし、碧野圭『凜として弓を引く』(講談社文庫)のシリーズ計5冊も読んで、すでに、SNSでシェアしていたりします。また、本日レビューしている大山誠一郎『死の絆』(文春文庫)のシリーズ前2作『赤い博物館』と『記憶の中の誘拐』も読んでいます。加えて、シリーズ外ながら、大山誠一郎『蜜室蒐集家』(文春文庫)も読みました。ただ、新刊書ではないので、本日のレビューには含めていません。これらの読書感想文については、できる限り、FacebookやX(昔のツイッタ)、あるいは、mixi、mixi2などのSNSでシェアしたいと予定しています。

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まず、ヘンリー・サンダーソン『電気自動車は本当にエコなのか』(原書房)を読みました。著者は、ファイナンシャル・タイムズ紙のジャーナリストです。英語の原題は Volt Rush であり、2022年の出版です。私がタイトルから期待した内容と少し違って、電気自動車に限定せずにスマートフォンなどでも広く使われている蓄電池のためにリチウムやコバルトをはじめとする各種鉱物が環境負荷を考えずに乱掘されている実態を告発しています。最初に取り上げられている金属はリチウムであり、私くらいの専門外のエコノミストでもリチウム電池は聞いたことがあります。次がコバルトであり、こういった金属あるいは鉱物資源について、周囲の自然環境や労働条件を考えることなく乱掘されており、環境を破壊するとともに、労働者の健康被害なども着目しています。その上で、典型的な環境破壊・健康被害をもたらしているのが中国企業である点が強調されている気がします。たぶん、その通りなのだろうと思いますが、何分、米国でトランプ政権が成立する前の出版ですので、今後、環境問題を無視する政権下で米国企業も名を連ねる可能性がある点は忘れるべきではありません。最後に、私が期待した内容と違っている点を書きとめておきたいと思います。すなわち、私はトヨタなんぞと同じように、現在の日本では、電気自動車(EV)が輸送部門のカーボン・ニュートラルの決め手になるとは考えていません。なぜなら、EVが走行中に二酸化炭素を排出しないのは明らかであり、製造や廃棄まで含めたライフサイクル・アセスメントでもEVの二酸化炭素排出が小さい点は確認されているのですが、そもそも、EVに充電する電力が化石燃料で発電されていれば、結局、カーボンニュートラルへの貢献が限定的になるからです。資源エネルギー庁のパンフレット「日本のエネルギー」などを見る限り、水力発電を含む再エネ比率がドイツ、英国、スペインなどで40%を超えている一方で、日本の場合、まだその半分の20%そこそこにしか過ぎません。二酸化炭素を発生させない再エネで発電された電力をEVに充電するのでないと、カーボンニュートラルは進みません。発電段階で化石燃料を使って二酸化炭素を排出していたのでは何にもなりません。その意味で、本書の内容は私の期待通りではありませんでした。

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次に、町田章『AI時代になぜ英語を学ぶのか』(文春新書)を読みました。著者は、日本大学法学部教授であり、ご専門は認知言語学だそうです。AIを持ち出す前にも、とっても有能な機械翻訳サービスが始まっており、私自身はそれほど英語については苦労していません。ですので、本書でも指摘しているように、言葉が持つ機能は決してコミュニケーションだけではなく、そのバックグラウンドとなる文化や体験も含めて、人間らしい思考力を身につけるために外国語学習が必要、という結論なのだと思います。その点は同意します。ただし、そういった異文化体験というか、自分の生まれ育った環境以外の経験のために視野を広げるのは、本書では何ら言及ありませんが、読書やズバリ海外生活なんかも大いに役立つわけで、外国語の学習以外にも手段や方法はいっぱいあります。そのうちのひとつ、という理解で私はいいと思います。本種の著者はもっとも有効な手段のひとつ、と考えているかもしれません。加えて、機械翻訳がここまで発達すればOKなのかもしれませんが、母語をしっかり理解するという役目も、私は外国語学習に期待していて、その観点も本書では抜けています。機械翻訳が今ほど発達していなかったころ、英語に翻訳しやすい日本語で考えて表現する、という作業が重要であったのを記憶している人も少なくないものと思います。そういった外国語の表現を頭に入れて母語の表現を考える、というのも有効かと私は考えています。最後に、本書はタイトル通りに「英語」の学習に特化した観点で議論を進めていますが、お示しした観点も含めて、たぶん、英語よりもスペイン語の方が論理的で本書の視点には合致しそうな気がします。例えば、ということでいえば、スペイン語には過去形が2種類あり、一定の継続性を伴う行為を示す線過去と一時的な過去の表現をする点過去です。本書では、英語の現在完了形で have gone to と have been to で苦しい言い訳めいた違いの説明をしていますが、スペイン語であればこういった説明が不要になる可能性がある、と私は考えています。ただ、pax Britanica や pax Americana の時代が長らく続いて、英語が事実上の世界標準言語の地位をしっかり占めている現在では、やっぱり、英語学習が外国語教育の中でももっとも重要になるんだろうということは理解しています。

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次に、レオ・マレ『探偵はパリへ還る』(新潮文庫)を読みました。著者は、フランスの小説家なのですが、第2次世界大戦中に国家反逆罪で収監されドイツの収容所に送られ、フランスに帰還した後、ハードボイルド小説を書き始めています。本書のフランス語の原題は 120, rue de la Gare であり、1943年の出版です。本書は本邦初訳だそうです。主人公はフィアット・リュクス探偵事務所の所長であるネストール・ビュルマであり、私立探偵と考えるべきです。ハードボイルドなミステリなのですが、ホームズに対するワトソン役は見当たりません。ストーリーは場所により2部構成となっていて、リヨン編とパリ編に分かれます。ストーリの冒頭は第2次世界大戦下のドイツで、主人公のビュルマは捕虜として収容所の病院で働いています。その病院で、記憶を喪失し瀕死の状態の男から謎の言葉を告げられます。「エレーヌに伝えてくれ、駅前通り120番地」です。その「駅前通り120番地」がフランス語の原題となっているわけです。ビュルマは収容所から釈放されて、リヨンに着いたところで、探偵事務所の助手のロベール・コロメルが射殺されます。その際に、何と、同じように「所長、駅前通り120番地」という言葉を残して死んで行きます。なお、どうでもいいことながら、文庫本の後ろカバーや出版社の紹介文で、なぜか、この助手が射殺されるのがパリであるかのような言及がなされていますが、ドイツで釈放されてスイスを横断してリヨンに到着した矢先の出来事ですので、パリではあり得ないと思います。さらに、コトを複雑にしているのが、ビュルマの秘書がエレーヌ・シャトランという名で、メッセージを伝えるべき相手と同じファーストネームなものですから、警察は彼女を尾行したりします。そして、ビュルマはパリに帰還し、いろいろと、いかにもハードボイルドな調査を実行して謎を解明し、助手の射殺犯を突き止めます。なにぶん、1943年というドイツに占領されていた当時のパリですので、科学捜査などの時代的な制約とともに、交通の不便さもありますし、まったくドイツや占領軍批判は現れません。底意地の悪いドイツ軍将校に調査の邪魔をされる、といった場面もありません。繰返しになりますが、捜査の進め方はハードボイルドですし、謎解きはとても明快です。今まで邦訳されていなかったのが不思議なくらいです。

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次に、大山誠一郎『死の絆』(文春文庫)を読みました。著者は、ミステリ作家であり、京都大学ミステリ研究会のご出身です。今まで私はまとまった本としては、この著者の作品を読んだことがありませんでしたので、初読の作家さんといえます。ただ、短編ミステリの名手ですので、どこかのアンソロジーで短編作品を読んでいるのではないかという気がします。本書は、三鷹にある警視庁付属犯罪資料館「赤い博物館」の館長である緋色冴子警視と助手の寺田聡の2人が、すでに時効となった事件などの古い犯罪について、ほぼほぼ勝手に再捜査して真実を突き止める、というシリーズ第3作です。本書以前の『赤い博物館』と『記憶の中の誘拐』についても、本書に先立って読んでいて、シリーズを順番で読書しています。館長の緋色冴子はキャリアの警察官ながら、コミュニケーション能力に問題があって無愛想で、閑職に追いやられています。表情にも乏しいので、本書では時折「雪女」と表現されていたりします。助手の寺田聡は警視庁捜査1課の敏腕刑事だったのですが、捜査資料を現場に置き忘れるという大失態があって、これまた、閑職に追いやられています。シリーズはすべて短編ミステリであり、第1作の『赤い博物館』では、緋色冴子はまったく館外には出かけず、寺田聡に捜査を任せっきりにして安楽椅子探偵の役割を務めています。逆に、第2作の『記憶の中の誘拐』では、緋色冴子は必ず資料館の外部に出かけていって、寺田聡とともに捜査活動をしています。そして、このあたりが作者のシリーズの進め方の上手なところなのですが、この第3作では、とうとう公式・非公式に警視庁捜査1課から再捜査の依頼を受ける事件も出始めています。ただ、30年くらい前の事件もあ含まれていて、関係者の記憶については作者の都合で鮮やかに蘇らせることは可能としても、いわゆる科学捜査の技術的な限界があったりするのは当然です。本書に収録sれているのは6話の短編であり、まず、「30年目の自首」では、時効が成立した殺人事件の真犯人だと男が名乗り出てきます。続いて、「名前のない脅迫者」では、飲酒運転の取締りから逃走した自動車が炎上します。続いて、「3匹の子ヤギ」では、深夜のコンビニに押し入った強盗犯がウォークイン冷蔵庫で自殺してしまいます。続いて、「掘り出された罪」では、社員寮の解体の際にコンクリートからナイフが発見され、昔の殺人事件の再捜査が始まります。続いて、表題作の「死の絆」では、衆議院議員とホームレスが、多摩川沿いの小屋で野球のバットで殴り殺された未解決事件の真相に挑みます。最後に、「春は紺色」は、前日譚であり、警視庁の兵頭英介警視と寺田聡が偶然出会って、兵頭英介と同期の緋色冴子が入庁当初に警察学校に通っていたころの謎解きの思い出を語ります。私は、このシリーズ3作だけでなく、同じ作者の短編集『蜜室蒐集家』も年末年始休みに読みましたが、いずれもとてもレベルの高い短編ミステリです。ただ、なりすまし、というか、入替りがトリックに多用されているように感じました。その点で、好みが分かれるかもしれません。

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2025年12月30日 (火)

今年の Book of the Year

先日、今年の #2025年の本ベスト約10冊 ということで、経済書・専門書編と小説編で、それぞれ、約10冊をリストアップしましたが、番外編で今年2026年の Book of the Year は『ポケモン生態図鑑』(小学館)で決まりです。何といっても、フルカラー200ページ近い充実した内容ながら、税別1300円というのは抜群のコスパだろうと思います。孤島に1冊だけ持って行くとすれば、『歎異鈔』かこれか、私は大いに迷うんではないかと思います。

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最後に、ついでながら、私の見立てによる Person of the Year は、参議院選挙で当選されたラサール石井先生です。コチラは、ぶっちぎりです。

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