2020年7月 4日 (土)

今週の読書は話題のMMTを取り上げた経済書をはじめとして計4冊!!!

今週の読書は、話題の現代貨幣理論(MMT)を取り上げた経済書をはじめとして、私の専門分野である時系列分析の学術書も含めて、以下の通りの計4冊です。關西に引越して来て3か月あまりとなり、だんだんと読書のペースが整って来た気がします。

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まず、永濱利廣『MMTとケインズ経済学』(ビジネス教育出版社) です。著者は、シンクタンクのエコノミストです。本書の巻末にある著者ご紹介で、略歴の後にいくつか公職を書いていますが、最初の研究会委員は私がお誘いしたもので、その次の学会の幹事については、私も面識ありますので、引越しと転職のお知らせをメールで送った記憶があります。ということで、本書では、注目の現代貨幣理論(MMT)を軽く解説しながらケインズ経済学との関係を、これまた、軽く解説しています。他に、いくつかの論点も整理されていて、アベノミクスは国際的に標準的な経済学に則った政策であるとか、まあ、エコノミストの間では一般的なの理解が展開されていたりします。MMTと私なんぞの標準的、というか、主流派経済学との関係については、著者のオリジナルな理解というよりは、本書にも明記されているように、専修大学の野口教授がニューズウィーク日本版で連載していたコラムを基にしています。どんどんと前置きが長くなりましたが、要するに、MMTと主流派経済学の違いは3点あり、第1に、MMTでは、中央銀行は自然利子率に金利を固定するだけで政府からの独立性も不要で、何ら権能を持ちません。第2に、失業の発生している不況下における財政政策の役割については、MMTと主流派で違いはとても小さい一方で、完全雇用下で政府支出を増加させれば、主流派はクラウディングアウトが生じると考えますが、MMTはクラウディングアウトが生じるかどうかどうかはともかく、インフレの加速をターゲットに政策運営をすべきと考えます。第3に、MMTにはケインズ経済学におけるIS-LM分析のフレームワークにおけるような財市場の分析は存在しません。現在の日本経済に当てはめて考えると、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の影響が及ぶ前ですら、完全雇用までまだスラックがあって物価が上昇しなかったわけですから、MMTと主流派経済学の間に、控えめにいっても、大きな違いはありません。ただ、政府で長らく官庁エコノミストの役割を担ってきた私の目から見て、財政政策で物価をコントロールするのはかなりムリがあるような気がします。機動的な政策運営は可能なんでしょうか。やや疑問に思わないでもありません。最後に、本書は決して学術書ではないとはいえ、引用などで少し気にかかる点があります。本文に一括して明記されているとはいえ、専修大学の野口教授がニューズウィーク日本版で連載していたコラムからダイレクトに切り取っている部分があるほかに、私の目についたところでは、インフレ目標に従ったLM曲線の下方シフト(p.18)も、参考文献にあるとはいえ、杏林大学の西教授の論文から出展を明記せずに引用しているようで、ややアブナい気がしないでもありません。著者は、アベノミクスの政策を強力に支持するエコノミストですので、がんばればひょっとしたら、片岡さんや安達さんの後の日銀審議委員になれる資格があると私は考えているだけに、もう少しマナーに則った著書に仕上げて欲しかった気がします。

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次に、平井健之『財政運営の時系列分析』(晃洋書房) です。著者は、大学の研究者であり、私とそう年齢は違わないようなのですが、本書は学位請求論文だそうです。その昔の京都大学経済学部でも、少し前に亡くなった私の恩師などは早々に博士の学位を取得していたんですが、定年退職間際に学位取得するのがひとつのファッション的な要素を持って見られていた時期もあったような記憶があります。それはともかく、私が10年ほど前まで役所から出向して勤務していた長崎大学経済学部で最初に書いた紀要論文が財政の持続可能性に関する検定のサーベイでしたので、本書についても興味をもって読みました。基本的に、私の興味範囲と同じで時系列データによる日本の財政に関する数量分析なんですが、ひたすら計量検定をしている印象があります。博士学位請求論文であれば、それでOKなのかもしれませんが、学術書とはいえ一般の出版社から公刊するのであれば、その数量分析が経済学的にどういった意味を持っているのか、などにももっとていねいに示して欲しかった気がします。少なくとも、私の紀要梵文では、Hamilton and Flavinの論文は「直感的には、財政のプライマリー・バランスに関して検証していると考えて差し支えない。」とか、Bohnの検定が「最も緩やかなものと考えられ、直感的には、プライマリー・バランスが赤字であっても、その赤字幅が縮小していれば財政は持続可能と判断される。」とかの解説を付けています。一応、役所からの出向者ですので、ちゃんと理解している証拠を示しておいたわけです。本書でも、それくらいの解説は欲しい気がします。もうひとつは、検定せずとも無条件に財政が持続可能なケースが2つある点への言及がありません。ひとつは、本書でもチラリと別の意味で言及しているリカード等価定理が成立している場合で、もうひとつは、成長率が国債金利を上回って動学的非効率が生じているケースです。このりカード等価定理は時系列データを用いて検定の対象になりますし、動学的非効率についても理論モデルで示すことができるハズですから、できることであれば、1章を割いて、この2ケースについても取り上げるべきではなかったか、という気がします。なお、ついでながら、順序が逆になるものの、先に取り上げた『MMTとケインズ経済学』では、動学的非効率という学術用語は使っていませんが、国債金利と成長率の大小で財政破綻が生じなくなることは言及されていますので、完全な学術書である本書でも何らかの指摘が欲しかったと思います。最後に、時系列VARモデルでのインパルス応答関数の見方に疑問が残ります。特に第8章の地方財政の分析では、2標準偏差のコンフィデンス・インターバルがほとんどのケースでゼロをまたいでいるにもかかわらず、そういった統計的な有意性を軽視する形で結論を急いでいるというか、自分なりの結論を強引に持ち出しているような気がします。

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次に、魚柄仁之助『国民食の履歴書』(青弓社) です。著者は、食文化研究家と紹介されています。本書では、いわゆる日本食の代表としての寿司とか天ぷらなどではなく、タイトルに有るように国民食ですから家庭料理の代表として、上の表紙画像に見えるように、カレー、マヨネーズ、ソース、餃子、肉じゃがを取り上げています。可能な範囲で婦人雑誌などをさかのぼって当たり、紹介されているレシピにそって実際に調理してみた結果が報告されています。さらに、それらの雑誌や書籍の図版が極めて豊富に紹介されています。ですから、現在の時点で考えられている料理ではなく、その時点で考えられていた料理が並びます。その昔は、レストランでの外食などが一般的ではなく、今でいえば高級料理店のシェフ、というか板前さんがそのお店の料理のレシピを紹介したりしています。さらに、興味深いのは戦時下で代用食のようなレシピも豊富に収録されています。加えて、著者の解説がなかなかにユーモアたっぷりに洒落ています。私がなるほどと思ったのは、餃子の章で、よくいわれるように、中国は水餃子、日本は焼餃子らしいんですが、当然のように、出征も含めて中国大陸で餃子に接した人が国内に持ち込んだわけで、それまで餃子については皆目情報がなかったわけですので、それぞれに持ち帰った情報に基づく餃子がアチコチで作られたため、「本家」だとか、「元祖」だとかで、日本全国いろんなところで餃子の食文化が花開いた、という見方です。これには私も大いに納得してしまいました。ただし、最終章の肉じゃががいわゆるお袋の味になった歴史的な推察にはやや疑問があります。というのは、肉じゃががそうでもないかもしれませんが、食文化の背景には、食品会社の陰謀とまではいわないとしても、それなりのプロモーションがあったのではないか、と私は想像するのですが、その点について、著者の目配りが欠けています。私の知る範囲で、典型的なケースはバレンタインデーのチョコです。本書で指摘されているように、極めて短期間に肉じゃががお袋の味になった背景に、バレンタインデーのチョコに類似した何かがあるんではないか、という気がしないでもありません。しかし、著者にはそういった視点はないようです。

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最後に、左巻健男『学校に入り込むニセ科学』(平凡社新書) です。著者は、理科教育の研究者であり、東京大学教育学部附属中学校・高等学校の教諭から、いくつかの大学に転じています。私も教員に復帰して、学校教育の現場に怪しげな情報がいっぱいあることは認識していますので、それなりの興味をもって読み始めました。本書では、『水からの伝言』やEM菌をはじめ、ゲーム脳や親学などなど、一見して科学的な装いをしながら、実際には科学的な根拠はなく、教員や生徒の「善意」を利用して勢力を拡大してきたニセ科学について、そのオカルトまがいの内容を明らかにしています。加えて、そういったニセ科学の背後に潜む右翼勢力についても言及しています。本書では著者の専門領域から、理科、自然科学に限定されているんですが、経済学なんて学問分野ではもっと怪しげな情報でいっぱいです。そもそも、経済学はそこまで発達した学問分野でないことも確かです。ただ、本書ではプレゼンの仕方が下手というか、何というか、読む人によっては特定の集団を攻撃しているように見えるかもしれません。リフレ派のエコノミストが日銀をしつこく批判した今世紀冒頭の状況をついつい思い出してしまいました。それにしても、自然科学に疎い私でも、明らかに怪しげなニセ科学がいっぱい取り上げられているんですが、おそらく、本書でも指摘されているように、宗教的な色彩や個人崇拝により、学校にニセ科学が持ち込まれないように、教員として心したいと思います。

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2020年6月27日 (土)

今週の読書は経済学の学術書をはじめとして計4冊!!!

ようやく今週に至って、本格的な学術書の経済書も含めて週4冊までピッチが上がりました。らいしゅうも少なくとも1冊は経済書をすでに借りてありますが、ペースは少し落ちそうな気もします。

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まず、古川顕『貨幣論の革新者たち』(ナカニシヤ出版) です。著者は、我が母校である京都大学経済学部の名誉教授であり、経済学史、特に金融史がご専門のようです。ジョン・ローやJ.S.ミルから始まって、私のような中途半端なエコノミストには知られていないような貨幣論者を取り上げています。ジョン・ローなんかは、私には例のバブルの語源にもなった「南海泡沫事件」でしか知りませんが、スコットランドに貨幣が足りないという主張についても、私は不勉強にして知りませんでした。貨幣の起源に関する議論は私には興味ないんですが、貨幣が資本に転化するというマルクス主義的な見方も登場すれば、銀行が貨幣を創造するという、今でいえば、MMTの「キーストローク」マネーのような見方まで、幅広い貨幣論を取り上げ、預金を受け入れて信用を創出する銀行により貨幣が生み出されるように、経済そのものが進化するとともに、経済理解の進化もうかがえます。ただ、本書でも主張されているように、実際の歴史を振り返れば、物々交換経済なんてものはなかったでしょうし、信用は貨幣に先立って経済活動の仲介を始めているのは間違いないと私は考えています。その点で、MMT学派が主張するように、政府が税金を収めるために貨幣を負債として発行する、というのは難点が大きいと思っています。自然発生的だったのは信用であり、その信用が貨幣という形になったのだろうと私は考えています。いずれにせよ、完全に学術書だと考えるべきですが、貨幣や信用、さらにひいては銀行活動などの理解に役立つと思いますが、私には、むしろ、その貨幣をヴェールとしてしか扱わなかった古典派経済学の考えこそが不思議で、なぜそうなったのかにも興味あります。

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次に、岡部直明『分断の時代』(日経BP) です。著者は、日経新聞のジャーナリストであり、2016年の米国大統領選挙と英国のBREXIT国民投票の少し前からの世界的な国際政治の潮流を概観しようと試みています。ジャーナリストらしく、米国のトランプ政権のポピュリズム路線にはとても批判的で、「米国ファースト」をかかげた分断よりも協調と連合を目指す姿勢はとてもいいんですが、これまたジャーナリストらしく、具体的に何を目指して、どのような道筋で進めるかについては、ほとんど言及ありません。本書の立場ではないかもしれませんが、ジャーナリズムのひとつの立脚点として、時の権力に対しては、一定の緊張感を持って対応し、「何でも反対」とまではいわないとしても、一定の冷めた反対意見を提示するのも必要そうな気がしています。その点で、本書の内容は今の米国や欧州の分断の時代に一石を投じていて、それなりの価値はあります。加えて、私がこういった時代の流れを解説した本に求めているのは、今の流れは一時的、というか、循環的なものなのか、それとも、かなり一直線に進むのか、という点です。例えば、今は新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の影響で人の流れが止まっているのかもしれませんが、いわゆるグローバル化という流れは押し止めることのできない一直線なものであるのに対して、本書で焦点を当てている分断化というのは、このグローバル化の流れに抗した一時的・循環的な揺り戻しに過ぎないのではないか、という視点を私は持っています。もちろん、だからといって放置すれば元のグローバル化や世界協調の時代に戻るとは考えていませんし、キチンと反対の声を上げることはとても重要だとは思いますが、本書の視点はちょっと違うような気がします。

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次に、金敬哲『韓国 行き過ぎた資本主義』(講談社現代新書) です。著者は日本への留学経験のある韓国出身ジャーナリストです。初等中等教育のころはいわゆる偏差値の高い大学進学を目指し、大学入学後は大企業への就職を目指し、就職した後も会社内での強烈な競争に勝ち抜くことを目指し、なかなか日本人からは想像もできない韓国の強烈な競争社会をルポしています。私は教員ですので、ついつい、大学を目指した競争や大学生の就活の一環としての競争などに目が行きましたが、エコノミストとして、ここまで不毛の競争をすことに何の意味があるのか、という観点は本書には抜けています。少なくとも私が本書を読んだ範囲では、おそらく、教育投資の平均リターンはマイナスでしかないでしょうから、こういった競争は経済活動として成り立ちません。ですから、社会的に不毛の競争は参加者が減少するしかないと思いますが、そうなっていないようです。また、私が経営学のケーススタディに疑問を持つ点として、成功した企業の裏側に大量の失敗企業があるハズ、というのがありますが、その逆で、ここまで強烈な競争をするからには、人い斬りながら成功者がいるのではないか、と想像するわけですが、その方面の実態は本書からはうかがいしれません。ジャーナリストのケーススタディですので、経営学と同じで、都合のいい事例だけを取り出しているような気がしないでもありませんが、もう少し幅広い取材が必要だったのではないか、やや一面に偏りが見られる、と感じる読者もいそうな気がします。

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最後に、守屋淳『『論語』がわかれば日本がわかる』(ちくま新書) です。著者はよく判らないんですが、「大手書店勤務後、中国古典の研究に携わる」とありますので、いわゆる市井の研究者的な存在かもしれません。最近、大学時代の友人から、私の読書感想文を見て読書会のオススメを問われて、小説の好みであれば青山七恵の純文学、お勉強モノなら宮崎市定先生の中国史とかアジア史、とオススメしておきましたが、まあそういった分野なのでしょう。ということで、私は数年前に、どこかの新書で出版された『論語と算盤』を読んだ記憶がありますが、本書でも、新しい一万円札を飾るにふさわしい渋沢栄一翁の思想もひも解きつつ、日本人の『論語』性に考えを巡らせています。長幼の序とか、空気を読むとか、『論語』に起源ある日本人の気質とか組織運営とかに加えて、本書では、論語になく日本的な要素として男尊女卑を加えたいくつかのポイントを『論語』的価値観として列挙して、学校生活、職業生活、などなどをひも解こうと試みています。ただ、比較対象が米国を始めとする西欧ですので、中国や韓国なんかはどうなのだろうか、と疑問に感じる読者は私だけではないと思います。特に、私の場合は、直前に感想文をおいた韓国事情の新書も読んでいますのでなおさらでした。でもまあ、何となく、「日本あるある論」としては説得力ある内容ではないかと思わないでもありません。『論語と算盤』も併せて読みたい気がします。

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2020年6月20日 (土)

今週の読書は新書1冊を含めてわずかに2冊!!!

今週の読書もわずかに2冊で、うち1冊は新書です。なぜか、私の奉職する大学の図書館は新書を豊富に取りそろえてくれていて、というか、地域の公立図書館もそうなんですから、むしろ、大学図書館では新書は人気なく貸し出されていない方が目について、ついつい、私が借りたりして稼働筆を引き上げています。しばらく、大学転職1年目で忙しいこともあり、東京都のように予算が潤沢でなくて図書館や体育館がそれほど利用可能ではないので、これくらいのペースの読書が続きそうな気がします。でも、私にしては大きなペースダウンなんですが、週2冊ということは年間100冊ですから、世間一般ではそれなりの熱心な読書家、と勝手に自任してもよさそうな気がしないでもありません。

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まず、宇野常寛『遅いインターネット』(幻冬舎) です。著者は、評論家であり、批評誌『PLANETS』編集長だそうですが、私はよく知りません。知らないものの、私が奉職する大学の卒業生ではないかと聞いたことがあります。本書では、かなり正面切って民主主義について考えています。そのきっかけは、読み進めば、どうも、2016年の英国のBREXITと米国のトランプ大統領当選にあるようなんですが、ポピュリズムと民主主義について、デモをする意識の高い市民と投票に行く意識の低い大衆を対比させて、論じています。そして、私には議論の飛躍と映るんですが、吉本隆明の『共同幻想論』に話が進みます。私の拙い理解では、共同幻想とはマルクス主義のコンテクストでは、いわゆる上部構造であり、その下部構造たる経済を論じる必要がありそうな気もしますが、その部分をすっ飛ばしているのがやや気がかりです。米国民は選挙人制度というのを外せば現在の米国大統領であるトランプ候補に投票したのは少数派といえますが、英国民についてはLEAVEに投票したのが多数派であり、その背景は経済だけでなく年齢・性別・学歴などをはじめとして、かなり明らかに分析されています。最後に、速報性を重視するのではなく、調査報道的なスロージャーナリズムに加えて、本書のタイトルにした遅いインターネットを持ち出しますが、結局、私の目から見てカギカッコ付きながら「全共闘的」な上滑りの議論にしか見えませんでした。このタイトルにして、国民目線の議論を期待した私が悪いのかもしれません。

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次に、橘木俊詔・迫田さやか『離婚の経済学』(講談社現代新書) です。著者は、京都大学や同志社大学などで研究者をしていたマイクロな労働経済学の研究者師弟です。50年ほども昔のシカゴ学派のベッカー教授のような経済学帝国主義的な分析を展開していて、それなりの面白くはあるんですが、もともと、極めてデータが限られた世界の分析をサーベイしているもんですから、かなり都合のいい結果を引き出せているような気がしてなりません。というのも、本書の展開からしてかなり都合よく編集されていて、論旨がとても飛び跳ねています。チャプターごとに別の著者がいるのではないかとすら感じてしまうほどです。ですから、ついつい200ページあまりの新書ですから、私の悪いクセで読み飛ばしてしまうんですが、キチンと読めば章ごとに論旨が矛盾している点も上げられそうな気すらします。どこだったか忘れましたが、著者が章ごとに査読を付けている、かのような記述がありましたが、逆にいえば、全体の査読はないわけで、そこは出版社の編集者の責任かもしれませんが、それほど出来のいい本ではありません。新書でももっと出来のいい紳士はいくらでもあります。というか、単行本に出来なかったから新書に回されているのかもしれません。ということで、ひとつひとつのトピックとしては面白い出来ですし、カーネマン教授が『ファスト&スロー』の目的として強調していた点で、部分的に取り出せば職場の井戸端会議で話題として持ち出せるような気がしますから、それはそれで重要な出版物の目的となります。最後に、私の経験からして、離婚するのは、現時点での目の前の結婚に失望したからではなく、その先の再婚に希望を見出しているケースが一定の割合であるような気がします。不倫の果ての離婚と再婚のケースが典型なので気がひけるんですが、分析の時間軸が違っているのかもしれません。

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2020年6月13日 (土)

今週の読書は経済書なしで計3冊!

今週の読書は経済書はなく、地政学の専門書・教養書のほかに新書が2冊です。大学の対面授業がなく、オンライン授業の資料作成に追われていて、私の実感では、おそらく、対面授業よりも準備に時間がかかっているような気もして、なかなか読書が進みません。それでも、学生がほとんど大学に来ないためなのか、大学の図書館に所蔵されている新書がほとんど借り出されていません。普通は手軽に読める新書は一般の公立図書館では人気があり、私はもともと新書は「借りにくい」という観点から読んでこなかったのですが、ここまで借りやすいとなればせっせと読むことに方針転換しています。

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まず、ペドロ・バーニョス『国際社会を支配する地政学の思考法』(講談社) です。著者は、軍人です。スペイン軍の予備役大佐であり、フランスに本部を置く欧州合同軍の防諜・治安部隊の長官を歴任し、地政学、国家戦略、防衛政策、安全保障、テロリズム、諜報活動、国際関係の第一人者でもある、とのことです。スペイン語の原題は Aí se domina el mundo であり、受動態を能動態にしつつ英訳すると、上の表紙画像に見えるように、How They Rule the World となります。邦訳者がスペイン語の専門家らしい経歴ですので、本書には明記されていないながら、スペイン語からの邦訳なのであろうと私は想像しています。原書は2017年の出版です。ということで、全25章から構成され、冒頭の5章と最後の4章を別にした残りの16章が16の地政学的な戦略として省タイトルになっています。出版社のサイトからコピペでお手軽に羅列すると、ハシゴを蹴り倒す戦略、隣人を弱らせる戦略、上手にあざむく演技派の戦略、ブレイキング・ポイントの戦略、分裂させる戦略、間接的に支配する戦略、法を歪曲する戦略、権利と権力の戦略、敵をつくり出す戦略、大衆を操る戦略、フェイクニュースの戦略、貧者の名のもとの戦略、不和の種をまく戦略、宗教を使った戦略、善人主義という戦略、マッドマン戦略、ということになります。何らかの政府が組織されていて、それなりの制度的な統治機構のある国では、国内的に何らかのルールがあると考えられますが、国際社会におけるせめぎあいではルールはなく、弱肉強食というか、強いものがあからさまに弱い国を支配する、という構図が出来上がっていると本書は主張します。場合によっては、敵対国をおとしめる権謀術数も利用されます。そして、ひとつの行動原理として、広い意味で、経済的な利益を求める背景も指摘されています。私もそう思います。かなり原理的な地政学の考えを展開していて、それはとてもあからさまだったりするんですが、根底にはスペイン人が米国の戦略をどう見ているのか、という点も忘れるべきではありません。日本のように対米従属一辺倒ではなく、本書の著者は日本と同じように米国の同盟国であるスペイン出身ながら、米国とその昔のソ連、今のロシアを等距離で見ているような冷めた視点がところどころに。垣間見えます。なかなかに面白い読書でした。

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次に、中川右介『阪神タイガース1985-2003』(ちくま新書) です。この著者には、角川新書による『阪神タイガース 1965-1978』という著書があり、私は読んでいませんが、本書と同じことなんだろうと思います。その前著が1978年で終わっていて、本書が1985年から始まっていますので、少し隙間があったりするんですが、大きなイベントはなかったという判断なんだろうと思います。前著は阪神がリーグ優勝した1964年の直後から始まっている一方で、本書は日本シリーズにも勝って初めての日本一になった、まさにその年から始まっています。基本的には、バックグラウンド情報が含まれているとはいえ、各シーズンの試合経過を収録していると考えていいと私は受け止めています。もちろん、阪神タイガースのことですから、ストーブリーグ期間中に限らずお家騒動は年中行事となっており、特に、本書の期間はいわゆる「暗黒時代」を長々と含みますので、シーズン途中に監督交代があった年もめずらしくなく、助っ人外国人が退団したあとで他球団で活躍したり、バースもそうでしたが、シーズン途中で帰国したりするのはもっとありふれた時代だった気がします。ただ、本書のスコープとなっている20年近くについては、私は3年ずつ2回の海外勤務をしています。すなわち、1991-94年の在チリ大使館勤務と2000-03年のジャカルタです。本書でも詳細が取り上げられていますが、1992年のスワローズとの優勝争いは、父親がビデオを送ってくれてサンティアゴで見た記憶があります。実に、淡々とジャーナリストらしく事実に基づく記述が続くんですが、それなりの読み応えがあり、私のような阪神ファンには読んでいて引き込まれるものがあります。

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3冊めですぐに最後になってしまい、松本亘正『超難関中学のおもしろすぎる入試問題』(平凡社新書) です。著者は、中学受験専門学習塾を創設した経営者です。私も中学受験をして私立の中高一貫性の中学・高校に進学しましたし、我が家の2人の倅どもも同じです。もちろん、3人とも違う学校です。著者がどうしても首都圏で事業展開をしている学習塾経営者ですので、のっけの灘以外は、開成や麻布などの東京の私立中学入試問題が中心になっていて、実に不愉快(?)なことに、私の出身中学の試験問題は取り上げられていないように見受けます。まあ、それはともかく、なかなかに興味深く読めました。私は大学教員として、1回生の初っ端の演習を担当していて、アカデミック・ライティングを学習しているのですが、なかなか題材が得られにくいので、本書の中に取り上げられている有名私立中学の試験問題のうち、経済的なテーマのものを大学1回生に材料として提示してみようかと考えているところです。

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2020年6月 7日 (日)

先週の読書は結局2冊!!!

昨日に一昨夜公表の米国雇用統計が割り込んで、毎週土曜日恒例の今週の読書が「先週の読書」になってしまいました。しかもわずかに2冊なんですが、これくらいのペースが続くような気がします。東京都区部の文教ご予算と京都府南部との差なのか、転職直後の私が時間が取れないのか、何なのか、繰り返しになりますが、来週も3冊以内くらいの気がしてなりません。

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まず、リチャード・ボールドウィン『GLOBOTICS』(日本経済新聞出版) です。著者は、米国出身のエコノミストであり、現在はジュネーブ高等国際問題・開発研究所の研究者です。英語の原題は The Grobotics Upheaval であり、2019年の出版です。日本語タイトルから Upheaval を抜いているんですが、まあ、著者としては本書が学術書ではないという意味で入れた語でしょうから、あってもなくても、どちらでもいいような気がします。ということで、見れば明らかな通り、GLOBALとROBOTICSを組み合わせたタイトルです。グローバル化とロボット化が同時に手を携えて世界を変える、という意味なんでしょうが、やや強引な立論だという気がしました。ただ、もちろん、グローバル化とロボット化が世界経済の大きな変革要因だという点については、当然といえます。本書では、特に、遠隔移民テレマイグレーションという新たな用語も交えて、商品が自由貿易に乗って世界を移動するという大変革になぞらえつつ、ただ、少し残念なのは、AI化というソフトの動向ではなく、ロボット化というハード面に着目したのは、少し違和感あります。また、私は大昔にインターネットの普及に関する書評を書いた折、もっぱら生活面での変革を強調していた書評の対象本に関して、生産過程における変革にどのように応用されているか、にもっと着目すべきという批判をした記憶があり、本書もgローバル化とかロボット化といった大変革が生産過程に何を及ぼすのか、本書でも少しだけ雇用について着目しているんですが、やや私の着眼点とは違うような気がしました。ケインズ的な週3日労働といった形で短時間労働経済はやって来るのか、それとも、相変わらずフルタイムで働く雇用者と完全失業者のグループに大きく分断されるんでしょうか。

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次に早くも最後で、京都大学経済研究所附属先端政策分析研究センター[編]『文明と国際経済の地平』(東洋経済) です。本書は、2019年6月に開催されたG20大阪サミットを受けて開催された京都大学経済研究所のシンポジウムの記録を取りまとめています。何人かのプレゼンやパネルディスカッションです。ですから、木に竹を接いだような内容になっていて、内容に一貫性はありませんが、それはそれでOKなのでしょう。それにしても、藤田先生は私がもっとも尊敬するエコノミストの1人なんですが、ややお年を召した、という印象を受けてしまいました。誠にもって失礼千万で申し訳ありませんが、お読みになれば、私の見方もご理解いただける方が少しくらいいそうな気がしないでもありません。

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2020年5月30日 (土)

今週の読書は経済書をはじめとして計3冊!!!

図書館が活動を再開し始め、私も読書が進むようになっています。今週の読書は、以下の通り、経済書を始めとして、京都本まで含めて計3冊です。

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まず、トマ・ピケティ『不平等と再分配の経済学』(明石書店) です。著者はご存じ、『21世紀の資本』で世界的に著名になったフランスのエコノミストであり、不平等や格差にまつわる経済学を展開しています。本書のフランス語の原題は L'Économie des Inégalités であり、最後の訳者解題にもあるように、邦訳タイトルの「再分配」は原題には含まれていません。この邦訳書は今年2020年に入ってからの出版ですが、原書は1997年から何度か改版を重ねています。本書は原書2015年版だそうです。従って、著者の端書きでは、本書ではなく、とまでかいてはありませんが、『21世紀の資本』を参照されたい旨が明らかにされています。ということで、第1章なんかは私のやっている計測に関する分析で、不平等の変化の計測を試みています。ただ、本書の中心は第2章の労働と資本の分配における不平等、第3章の労働の中における不平等であろうと考えられます。第4章最終章の再分配は、まあ、付け足し的な印象です。著者も明記しているように、単純に資本所得と労働所得=賃金の間の不平等であれば、資本家と労働者の階級の間のマルクス主義的な階級闘争にもつながりかねないわけですが、労働者間での不平等も決して無視できるわけではありません。私も当然そうですが、著者も現在の不平等は社会的に許容されるレベルを超えていると考えていて、それを解決するための財政による所得の再分配が置かれています。特に、第3章の労働所得の不平等に関する現状把握やそれに基づく分析は読み応えがあります。

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次に、諸富徹『資本主義の新しい形』(岩波書店) です。著者は、私の母校である京都大学経済学部の研究者です。本書では、私はよく理解できなかったネーミングなんですが、資本主義の「非物質主義的転回」という言葉を設定して、サービス化の進展や無形資産の活用などをそこに位置づけています。そして、なぜか、サービス経済化のための産業政策が必要であると指摘してみたり、最後はそのラインに低炭素化経済の流れを位置づけて、穴だらけ、とはいなないものの、やや強引な理論展開をしていたりします。私は環境経済学的に、環境グズネッツ曲線を推計した紀要論文を書いた経験もありますが、先進国でエネルギー集約的な産業からサービス化が進んでいる背景で、例えば、鉄鋼業が典型的なところで、新興国や途上国にそういった炭素消費型の産業が移転しているという点は忘れ去られています。まあ、本来の経済発展が進めば不平等の度合いは最初は不平等化が進む一方で、転換点があって後に不平等化が後退する、というのがオリジナルな「発見」だったわけで、それ自体はかなりの程度に自律的な方向性を持っていた可能性があると考えられます。しかし、少なくとも産業構成の変化とそれを背景にした低炭素化は、先進国から新興国や途上国に炭素多消費型産業を移転した結果であることは、本書でもそうですが、都合よく忘れられています。先の例でいえば、もちろん、技術革新などによって、鉄鋼業で低炭素化が図られていることも確かながら、それだけではないと私は考えています。すなわち、日経新聞の記事「19年世界粗鋼生産、3年連続過去最高に」などで指摘されているように、世界全体で鉄鋼の生産は増加している一方で、先進国の生産が減少していて、その分、先進国で低炭素化が進んでいる面を忘れるべきではありません。それを「産業政策」的にバックアップすることは意味ないとはいいませんが、Appleのようなファブレス化が進んで、実体的に中国で生産されて、中国で二酸化炭素排出が増加しているのをもって、Apple本国である米国の二酸化炭素排出が減るのが望ましいことなのかどうか、もう一度考えるべき段階に達しているような気がしてなりません。

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最後に、西川照子『京都異界紀行』(講談社現代新書) です。著者は、民俗学を専門とするジャーナリスト、編集者のようで、本書は、私が年に何冊か読む京都本です。タイトル通り、我が国の古典古代である平安時代を中心に、怨霊にまつわる場所の紀行本です。私なんぞの中途半端な京都人は知らない場所が満載です。本書では、京都の3大怨霊として、菅原道真、平将門、崇徳天皇を上げ、多くは神社仏閣なんですが、京都の異界を紹介しまくっています。多くは観光名所でもあったりするんでしょうが、別の顔を持つ観光名所も少なくないような気がします。ひとつは、私が東京で暮らしていた城北地区に「縁切榎」というのがあって、和宮が中山道を通って降嫁された際には、晒で巻いて隠した、といわれるくらいに、まあ、「由緒」あるものです。ただ、私が知る限り、「縁切り」とはいえ、例えば、喫煙や飲酒も含めて、悪癖と縁を切るとか、に効用あると宣伝されていて、DV夫との「縁切り」などはあるんでしょうが、決して表に出てきません。京都では、私の大学への通学路にあった安井金比羅宮が縁切りのご利益あると昔からいわれていますが、モロに「あの人を殺してほしい」といった願文があるそうで、さすがは京都らしく極めてダイレクトだと感じてしまいました。恨み、つらみを基にした怨霊が発信源なわけですから、それなりに、おどろおどろしい内容が含まれていrたりして、それはそれで読み応えがありました。

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2020年5月23日 (土)

今週の読書は話題のハラリ教授の新刊書をはじめとして計3冊!!!

ようやく、今週に入って、新刊読書がはかどり始めました。もちろん、世間から遅れていることは明らかなんですが、もともとの私の人生がそうである上に、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の拡大防止のために、非常事態宣言の上にも特定警戒都道府県に住んでいるもので、図書館サービスが順調でなかったのも響いた気がします。在宅勤務はそれなりに多忙を極め、読書ペースを維持するのがどこまで可能かは未知数です。取りあえず、今週の読書は以下の3冊です。

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まず、ユヴァル・ノア・ハラリ『21 Lessons』(河出書房新社) です。英語の原題は 21 Lessons for the 21st Century であり、2018年の出版です。なお、著者はイスラエルの歴史研究者ですが、もう私なんぞが紹介するまでもなく世界的ベストセラーを次々に上梓しています。私も、『サピエンス全史』と『ホモ・デウス』は読みました。本書は5部21章構成で400ページ余りのボリュームながら、それなりにスラスラと読めた気がします。冒頭に著者自身が書いているように、『サピエンス全史』が過去の歴史を振り返り、『ホモ・デウス』が先行きの見通しを語っているのに対して、本書は今現在を対象にしています。ただ、2016年のトランプ米国大統領の当選などに象徴されるように、ポピュリズム的なイベントに対して批判的な見方を展開していることも事実です。これも自由主義のセットメニューと題して、国家レベルでも国際レベルでも、自由は経済と政治と個人の3分野でセットであって、ひとつだけを欠けさせるわけには行かない、という主張にも現れています。サンデル教授のように正義の分野まで哲学的に解明しようと試みているかのようですが、少なくとも歴史学の観点からは私は難しそうな気がします。実は、正義や倫理については経済学が早々に放棄しているのも事実です。では、歴史学者としてはどの観点かというと、私はこの著者の進歩史観に信頼感を感じています。ほぼほぼ私と同じ理解で、保守派は歴史の流れを押し止めようとし、保守派に対する進歩派は歴史を前に進めようとする。あるいは、歴史を逆転させようとするのは反動的である、などなどです。もっとも、米国の例を引きつつも、地球温暖化が進む歴史を押し止めようとするのが進歩派で、もっと温暖化の歴史を進めようとするのが保守派だとか(p.284)、テクノロジーの過度な進み過ぎには悲観的な味方をする場合とかはありそうです。私もAIを含めて、テクノロジーの過度な進展には悲観的だった時期があるのですが、今ではそれが人類の幸福に寄与する可能性のほうが大きいと考えています。最後に、p.61にある「最低所得保障」というのは、かなりベーシックインカムに近い制度のように私の目に映るんですが、そうなんでしょうか?

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次に、友原章典『移民の経済学』(中公新書) です。著者は、世銀などの国際機関で開発に関するコンサルをした後、今は国内の大学で研究者をしています。基本は、タイトル通りの経済学ですので、労働経済学の観点からの雇用に対する移民の影響とか、経済成長や財政に移民はどのような影響を及ぼすのかが定量的な研究成果をサーベイして示されています。ただし、本書でもやや批判的に示されていますが、研究者によって少なからぬ研究成果のバイアスが見られます。移民に関する経済学研究で著名であるとともに、自身もキューバから米国への移民であるボージャス教授(私は、スペイン語読みで「ボルハス」の方が馴染みがあったりします)は移民に関しては否定的な研究成果を示しがちである、などです。私は移民の経済学を展開するに当たって、2つの問題点があると考えています。ただ、この2点は基本的に同じコインの裏表であって、おそらく同じ問題だろうという気がします。すなわち、ひとつには経済学がまだ未熟な科学である、という点で、もうひとつは、経済学的な表現ですが、すべてを部分均衡により分析していて、移民のような広範な影響を及ぼしかねない重要な分析であるにもかかわらず、一般均衡的な分析ができない、もしくは、していないことです。「群盲象を撫でる」結果に終わっているわけです。幅広く十分な範囲から視覚を活用した観察が、現在の経済学の到達水準ではできない、ということだろうと思います。従って、本書のように、得する人と損する人という分析も、どこまで信頼性あるかはやや疑問です。部分均衡分析では得するように見えても、回り回って損する場合もあるからで、それは経済学的にはモデルの構築次第、すなわち、言葉を変えれば分析者の「思惑次第」ということにもなりかねません。結論がある程度決まっていてモデルを構築しデータを集める、ということも可能なわけです。最後に、私自身の移民に対する直感的で決して定量的でない意見は、ややネガティブというものです。おそらく、移民は経済学的には生産要素の多様性に大きく寄与し、従って、サプライサイドからは成長にも貢献します。ただ、日本は、韓国とともに、先進国の中で、文句なしの「人口大国」である中国に隣接しているという地理的条件から、どこまで移民を受け入れるかには覚悟が必要です。現状の数百万人を超えて、1000万人単位で中国からの移民を受け入れれば、もはや国家としてのアイデンティティをなくす可能性も視野に入れるべきです。でも、そこまでして企業は安い労働力を欲しがるんだろうな、という気はします。強くします。

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最後に、斉藤賢爾『2049年「お金」消滅』(中公新書ラクレ) です。著者は、専門分野はそれほど意味ないとしても、デジタルマネーやコンピュータエンジニアリングの研究者であり、何となくタイトルにひかれて読んでみましたが、とても興味深い論考でした。ひとつだけ注意すべきは、タイトルの「お金」とは、あくまでマネーであり、紙幣やコインという実態ある貨幣がなくなって、デジタルマネーに置き換わる、という主張ではありません。デジタルマネーまで含めてマネーが不要となる経済社会が実現する、というのが著者の主張の肝です。ということで、著者は、基本、エンジニアのようですから、経済学的な「希少性」という言葉はまったく出現しませんが、要するに、供給面では社会的な生産力が大きく拡大され、需要面では財やサービスに希少性がなくなり、別の表現をすれば、限界費用がゼロとなることから市場での価格付けが最適配分に失敗し、従って、市場における交換が社会的な欲求を満たすために行われなくなり、結果として、贈与経済に近い経済社会が出現する、それも、今世紀半ばにはそうなる、という近未来の将来社会の姿を描き出そうと試みています。一言で表現するつもりが、ついつい長くなりましたが、そういうことです。そして、19世紀的には多くのマルクス主義者がこれを「社会主義」と読んでいたような気がします。私は20世紀ないし21世紀のエコノミストですが、同じように、この本書で描写されている経済社会は現代的な意味でのマルクスのいう社会主義だと思います。ただし、著者が否定しているように、社会主義的な経済計画や中央政府からの司令に基づく資源配分が実行される経済システムである必要はサラサラありません。そして、本書のような社会主義経済ではマネーは確かに必要なくなりますし、著者はご自身で気づいていないかもしれませんが、まったく同じ意味で所得も必要ありません。ですから、本書で著者が強調しているように、ベーシック・インカムの議論はまったく意味をなしません。私は進歩派のエコノミストとして、著者の主張するような経済社会が、今世紀半ばに誕生するかどうかはともかく、そう遅くない未来に現れるものと期待しています。ただ1点だけ、本書のスコープのはるか外ながら、その際に金融資産、あるいは、実物資産、例えば土地や不動産がどのように評価されるのかは興味あります。生産されない資産は希少性が残る気がします。おそらく、生産される財とサービスに希少性がなくなるので、その生産要素たる資産には希少性が認められないと思うのですが、生産要素ではない資産はどうなるのでしょうか。

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2020年5月16日 (土)

新刊読書はないものの読み逃していた本の読書感想文!!!

定例の土曜日の読書感想文ながら、今週については新刊書はありません。ただ、住まいは特別警戒地域でまだ非常事態宣言は解除されておらず、関西圏内でも屈指の蔵書を誇る京都市立図書館は閉館していますが、大学の図書館は利用可能になりましたので、何冊か新刊書も借りてみました。昨日からユヴァル・ノア・ハラリ最新刊『21 Lessons』を読んでいます。来週の読書感想文では、他の何冊かとともに取り上げることができると思います。なお、現役の大学生ででもなければ、大学の図書館を利用する人はそれほど多くないと思いますが、実は、大学の図書館はかなり幅広い図書を収集しています。当然です。私は10年前まで長崎大学の在籍していましたが、そのころ、少し遅れて直木賞受賞作の山本兼一『利休にたずねよ』を読んだ記憶があります。つまらない思い出話しでした。

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まず、W.H. マクニール『疫病と世界史』(新潮社) です。私が読んだのは上の表紙に見られる1980年代半ばに新潮社から出版された邦訳なんですが、今では上下に分けて中公文庫から出版されています。著者はカナダ出身で、長らくシカゴ大学において歴史学の研究者をしていました。20世紀後半を代表する米国の歴史家の1人です。英語の原題は Plagues and Peoples であり、1976年の出版です。本書は、翻訳家の山形浩生さんなどによれば、ダイヤモンド教授の『銃・病原菌・鉄』のネタ本のひとつといわれていたりします。他方、王朝の一代記を中心とする歴史学から疫病などの世界的なリンケージを重視した現代的な歴史学、いまのグローバル・ヒストリーへの系譜を作ったのはウランすのアナール学派であって、その代表者は『地中海』のブローデルなどですが、米国の歴史学でもマクニールなどは本書で新たな視点を切り開いていたりしているわけです。ただ、本書の場合、疫病が世界史で果たした役割は、あくまで、人口増加の抑制や人口減少にとどまっており、本書原題の後半の人々の数的な把握にとどまっています。すなわち、生産や生活様式とかの質的な部分には踏み込み不足となっている恨みはあります。私のような経済誌を学んだエコノミストから見て、典型的には、産業革命との関わりについては物足りない気がします。もっとも、逆に、というか、何というか、アナール学派で大きく批判された質的な面の「集合心性」といったわけのわからない概念を作り出すようなマネはしていないのはいい点かもしれません。世界を揺るがす新型コロナウィルス感染症(COVID-19)について考えるに当たっても、ジェニファー・ライト『世界史を変えた13の病』(原書房)ダイヤモンド教授の『銃・病原菌・鉄』上下(草思社文庫) などとともに読み返すにもいいような気がします。

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そのまま一気に最後で、ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』上下(岩波書店) です。著者は、おそらく、多くの読者から北米でももっとも左派・リベラル派と見なされているであろうジャーナリストです。英語の原題は The Shock Doctrine となっていて、邦訳はそのまんまです。副題も英語の原題の The Rise of Disaster Capitalism が『惨事便乗型資本主義の正体を暴く』と訳されています。本書では、ハリケーン「カトリーナ」の被害によるニュー・オーリンズの低所得者向け住宅や公立学校の一掃に関する取材から始まって、自然災害や政変など、経済学的には不連続と見なされる微分不可能点で政策が一変され、副題にあるように、惨事に便乗して市場原理主義的な政策に変更される手法について論じています。特に、シカゴ学派のフリードマン教授が槍玉に上がっていて、私が3年余りを過ごしたチリのアジェンデ大統領に対するクーデタにより政権を掌握したピノチェト独裁制に対する批判にもつながっています。もちろん、現在のCOVID-19の拡大による経済的なマイナスの影響ついても、考えようによっては、ものすごい惨事ですので、便乗した何らかの悪巧みめいた政策が展開される恐れがあるかもしれず警戒すべきです。そして、私は、このCOVID-19という惨事に便乗して政策変更する際に、注意すべきは2つの方向かと考えていました。すなわち、第1に、生産や国民生活などを国家的な統制下に置くというファシズム的な方向です。マスクが足りないから企業に生産を命じたり、要請したり、今も続いているように、国民生活にかなり直接の規制や統制を加える方向です。そして、もうひとつ、第2に、幅広く免疫ができるのを待つなどを口実にして逆に放置するに任せて、富裕層と貧困層の格差をさらに拡大することを許容する政策です。今のところ、日本は第1の方向に近いんですが、第2に方向の要素もあります。しかし、少なくとも、国民の支持は得ているように見えます。他方で、「自粛警察」と称されるような行き過ぎた方向も容認されているようにも見えます。COVID-19終息後の企業活動や国民生活のあり方も見据えて、いま現時点で、何を必要とするのか、何を警戒すべきなのか、本書を読んでじっくりと考えたいと思います。

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2020年5月 9日 (土)

左派・リベラル派ではない政権交代必要論を読む!

今週の読書は1冊だけで、以下の通りです。緊急事態宣言のため、図書館が軒並み閉館していて、来週以降は読書感想文で取り上げるような読書はないものと覚悟しています。

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田中信一郎『政権交代が必要なのは、総理が嫌いだからじゃない』(現代書館) です。著者は、千葉商科大学の研究者であり、専門分野は政治学です。現在の政治の仕組みをかなり判り易く解説した上で、政権交代の必要性を解き明かしています。政治の転換は現在の与党には出来ないと断言し、野党への政権交代の必要性を解説しています。その際の現在の政治の最大最悪なポイントは、まさに「省あって国なし」のようなタコツボ的な部分最適化であると指摘しています。ですから、左派・リベラル派のような「反緊縮」とは違いますし、かなり独特の観点だという気がします。私はエコノミストながら、その昔のアダム・スミス的に、各個人が最適化を目指せば神の見えざる手の予定調和により経済全体が最適化される、という厚生経済の命題が今も成り立つとは決して考えませんが、著者の主張する全体最適化の理論は、とてもよく理解できる一方で、ホントにちゃんと運用するとなれば、コストが高そうな直観を拭えませんでした。加えて、人口減少をやや過大に悲観しているような印象もある一方で、人口減少を食い止めるのか、それとも、人口減少に適応したしシステム構築を目指すべきなのか、やや腰が定まらない気もしました。ただ、経済成熟に関しては、成長率の極大化ならともかく、今さら昔の高成長を目指すというのは、どうも政策目標にならないような気がしますから、人口減少や経済成熟に対しては適応するしかないんだろうと私は考えています。なお、最後にどうでもいいことながら、上の表紙画像の帯に見えるお写真は、推薦者の金子教授であって著者ではないような気がします。もっとも、私は著者とは面識がなくて、お顔も存じませんので、あくまで推測です。

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2020年5月 2日 (土)

読み逃していた何冊かの本の読書感想文!!!

大学の図書館も、地域の公立図書館も、すべて非常事態宣言で閉館されてしまい、その直前に大学の図書館で借りた本を中心に読み終えたものを取り上げてみました。

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まず、C.P. キンドルバーガー & R.Z.アリバー『熱狂、恐慌、崩壊』(日本経済新聞出版) です。ノーベル賞受賞者であるキンドルバーガー教授の代表作のひとつであり、キンドルバーガー教授はすでに2003年に亡くなっていますので、その後はアリバー教授が引き継いでおり、2人とも米国の研究者です。私が読んだのは原書第6版で、上の画像に見られるように、英語の原題は Manias, Panics, and Crashes です。近代に入ってからのバブルの歴史をひも解き、第9章では和楽のに1980年代後半のバブル経済も取り上げています。最後は第13章のリーマン・ショックであり、キンドルバーガー教授はその時点ですでになくなっていますので、アリバー教授の分析に従えば、「避けられた」と結論されています。古典とまではいえないとしても、おそらく、歴史に残るであろう、そして、50年先には古典となっている可能性も十分ある大著です。なかなか重厚な味わい深い読書でした。

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次に、トーマス・フリードマン『レクサスとオリーブの木』上下(草思社) です。著者は米国のジャーナリストであり、本書はグローバル化を称賛する書として有名なところです。私は同じ著者のこの次の著書である『フラット化する世界』を読んだ記憶はあるんですが、この最初の有名になった著書はまだ読んでいませんでした。大きな理由は、本書は2000年の3月か4月ころに邦訳が出版されたと記憶しているんですが、その夏には幼稚園児を連れての海外赴任でジャカルタに出発する予定で多忙を極めており、ジャカルタにつくとベストセラーとなっていた本書の入手が困難となっていたからです。マクドナルドが店舗展開している国同士は戦争をしないなど、読んでいなくても聞いたことのある本書の主張はいくつかあると思います。でも、さすがに、20年前の主張ですので何ともいえない違和感はあります。何年待っても古典にはならないような気がします。

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最後に、ナシーム・ニコラス・タレブ『ブラック・スワン』上下(ダイヤモンド社) です。著者は基本的に投資家だろうと思うんですが、実務家として大学の口座を持っていたりもするようです。本書では、リーマン・ショックの直前に確率分布から、「ファットテール」とか、必ずしも正規分布に従わない分布の場合に何が起こるかを論じていて、その上で、金融資産の価格については、正規分布に従わず、平たくいえば、とんでもないことが起こりがち、という結論を導いています。本書は2007年か2008年に邦訳が出版され、ちょうど長崎大学に出向しているときに全国的に注目が集まったと記憶していて、よく覚えていませんが、長崎で入手できなかったんだろうと思います。というのも、長崎大学では研究費はかなりPC回りにつぎ込んでしまい、ハードとソフトにかなり使ってしまい、その分、粗製乱造ながら論文はいっぱい書いたんですが、図書まで研究費が回りませんでした。東京に戻って、統計局勤務になった際には、統計局が依拠している正規分布に対する「冒涜的な記載」があるとかで、周囲の同僚などからよくない評判が聞かれたりして、結局、読む機会を失った気がします。

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