2015年2月 2日 (月)

チリのカトリック教徒はフランシスコ法王をどのように見ているか?

私は1990年代前半に南米チリの首都サンティアゴにて3年間の独身生活を日本大使館勤務の経済アタッシェとして過ごし、さらに、2000年から3年間家族4人でジャカルタに赴任しています。宗教的なマジョリティでいえば、チリはカトリック教国でインドネシアはイスラム教国です。ということで、2年ほど前の2013年3月14日付けのエントリーでは、カトリックの法王に南米アルゼンティン出身フランシスコ1世が就任したことを取り上げましたが、クリスマスからこの年末年始にかけて海外の友人と旧交を温めていたところ、フランシスコ1世は必ずしもチリで評判が高くない、と聞き及んでしまいました。知り合いが証拠として示すに、このブログでも時折取り上げているピュー・リサーチ・センターによるフランシスコ法王のイメージ調査の結果 Pope Francis' Image Positive in Much of World を知りました。昨年12月11日付けで発表された古い情報ですが、なかなか興味深い内容を含んでいますので、簡単に取り上げたいと思います。

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まず、上のグラフはピュー・リサーチのサイトから引用していますが、フランシスコ法王は世界から概して好意的に受け止められているようです。もちろん、好意にも濃淡はあり、カトリックに限らずクリスチャンが多い欧米からはより好意的な見方が示される一方で、中東では見方が拮抗しています。宗教的な人口構成が違うんですから、この程度の差は当然に生じ得ると考えるべきです。

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次に、上のグラフはピュー・リサーチのサイトから引用していますが、今度の結果は地域別ではなく国別にカトリック教徒と非カトリック教徒に分けて結果が示されています。当然ながら、どの国でもカトリック教徒からはより好意的に、非カトリック教徒からはそれほど好意的ではなく見られている法王ですが、その差が大きい順にソートしてあります。私が着目したのは、一番左の列で、カトリック教徒の間でのフランシスコ法王の見方であり、好意比率が80%を下回っているのはチリとガーナだけだったりします。法王の出身国であるチリの隣国アルゼンティンではこの表の中で最高スコアの98%をたたき出しているんですが、その隣国のチリではガーナに次いで低い比率を示しています。長らくチリに外交官として暮らした経験から、もちろん、長大な国境線を有する両国では国境紛争も絶えませんし、チリ人の隣国アルゼンティンに対する何らかのコンプレックスというか、必ずしも友好的でない感情が、ここに出てしまっているのではないか、と感じずにはいられません。

島国の日本ではなかなか想像しがたく、長い国境をもって接する大国でしか見られないとは思いますが、とても興味深い近隣国への感情だという気がします。

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2015年1月28日 (水)

博報堂「アジア14都市における和食・日本酒・緑茶の浸透度 (経験度)」にみる和食の経験度やいかに?

ひと月余り前の昨年2014年12月19日付けのこのブログのエントリーでホットペッパーによるアンケート調査を取り上げ、日本食を楽しむことが我が国への観光のひとつの眼目になっているとの結果を紹介しましたが、一昨日の1月26日に博報堂から観光で日本に来る外国人ではなく、主としてアジア各国の現地における日本食事情に関するリポート「アジア14都市における和食・日本酒・緑茶の浸透度 (経験度)」が公表されています。まず、博報堂のサイトから調査結果のポイントを3点引用する以下の通りです。

アジア14都市における和食・日本酒・緑茶の浸透度 (経験度)
  1. 食べたことがある和食は寿司がダントツ1位。次いで高いのはラーメンと天ぷら。
    和食経験は台北、香港、ソウルが突出。次いで高いのはシンガポールとメトロマニラ。
  2. 日本酒経験はアジア12都市計12.5%にとどまるものの、香港とソウルは40%前後。
  3. 緑茶の飲用経験は、アジア14都市計で52.2%。
    台北、香港、中国3都市、ソウルは70%以上。バンコクとシンガポールは60%強。

と言うことで、今夜のエントリーではこの博報堂の調査結果と全文リポートのpdfファイルから図表を引用しつつ、簡単に紹介したいと思います。

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まず、上のグラフはアジア14都市における食べたことのある和食に対する回答結果です。寿司が群を抜いてトップになっていますが、12月19日付けのエントリーで取り上げたホットペッパーの調査結果と整合的に、ラーメンが2位に食い込んでいます。また、12月19日付けのエントリーでは11位に焼きうどんが入っていたんですが、博報堂の調査結果ではうどんが堂々の4位となっています。なぜか、カレーライスは入っていません。選択肢に入れ忘れたのかもしれないと勘ぐったりしています。都市別に見ると、食べたことのある和食メニューの合計値で、台北、香港、ソウルが突出しており、シンガポールとメトロマニラの東南アジア都市がこれに続いています。

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次に、上のグラフは、最近3か月間に日本酒を飲んだことがあるかどうかとの問いの結果です。アジアからは12都市にとどまっており、宗教上の理由からジャカルタとクアラルンプールは除かれています。また、シンガポールの一部も入っていません。イスラム教は飲酒を禁じているからです。1位香港、2位ソウル、3位台北は和食の経験度でもトップスリーでしたから、日本の食文化を広く取り込んでいるのかもしれないと受け止めています。

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最後のグラフは、最近1年間の緑茶の飲用経験を問うた結果です。なぜか、日本酒が最近3か月で、緑茶が1年なんですが、この期間の設定は私にはよく理解できません。それはともかく、緑茶については中国系の都市が上位を占めています。これは分かる気がします。アジアの都市ではないんですが、ニューヨークとサンパウロに着目すると、日本酒ではサンパウロのほうが経験度が高かったんですが、日本酒ではニューヨークが逆転して3人に1人とかなり割合が高くなっています。最近の流行だったりするんでしょうか?

1月20日に政府観光庁から発表された「訪日外国人消費動向調査」によれば、2014年における1人当たり訪日外国人旅行消費額は前年比+10.7%増の15万1,374円、また、その総額は前年比+43.3%増の2兆305億円と推計され、どちらも過去最高額と推計されています。私は日本が世界に誇る文化はアニメであり、すなわち、ドラえもん、ポケモン、ガンダム、ジブリ作品だと長らく思っていたんですが、日本の食文化もアジアや世界の売れ筋なのかも知れません。あんまり関係ありませんが、久し振りに「海外生活の思い出の日記」に分類しておきます。

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2014年10月17日 (金)

JETRO から Santiago Style が発行される!

これまた、やや旧聞に属する話題ながら、10月9日に日本貿易振興機構(JETRO)から Santiago Style が公表されています。2011年4月にも発行されていますので、その改訂版ということになろうかと思います。私は1991年3月から1994年4月まで、3年余りに渡ってサンティアゴにある日本大使館の経済アタッシェを務めた経験があり、当然ながら、チリの首都サンティアゴに3年余り住んでいました。もう20年も昔の結婚前の海外赴任ですが、それなりに懐かしく感じられます。以下に表紙とコンテンツのページを画像として引用しておきます。

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私が住んでいたころのサンティアゴはホントに田舎町そのもので、1991年3月の赴任時に空港から大使館に移動する際、高速道路の側道をのんびりと馬車が通っており少し驚きましたし、3年間の赴任の最後の1994年にサンティアゴで3軒目のマクドナルドが自宅の近くにオープンして大いに感激した記憶があります。東京に帰任すると、マクドナルドなんて駅ごとにあって何の有り難味もありませんでしたが、サンティアゴではクリスマスなどでいっせいにお店が閉まる時期が年に何回かありながら、マクドナルドだけはほぼ常に開店してくれていて、私のような独身者の食事にとても有り難かったのを思い出します。

久し振りに「海外生活の思い出の日記」に分類しておきます。

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2014年2月 8日 (土)

東京では、というか、全国的に大雪!

今日は朝から、ものすごい大雪でした。7時のNHKニュースでは「東京では16年振りの大雪」と表現していました。ということは、我が家の下の倅にとっては、人生で最大の大雪なのかもしれないと思ったりしてしまいました。
私の海外生活は、公式には、南米チリの首都サンティアゴで大使館勤務の経済アタッシェとインドネシアの首都ジャカルタでの開発援助で国家開発庁での計量モデルの経済協力、ということになっていて、サンティアゴは南緯を北緯に引き直せば、ほぼ福岡並みということで、雪はほとんど降りませんでしたし、ジャカルタは南緯7度ですから赤道直下の熱帯です。もちろん、雪は降りません。ただし、短期間で海外勤務にはカウントしていないながら、バブル真っ最中の1989年の冬は2か月ほど米国の首都ワシントンで連邦準備制度理事会 (FED) のリサーチ・アシスタントをして、やっぱり、計量モデルをオペレーションしていた経験があります。
さすがに、2月の米国東海岸は寒かったです。私は毎日のようにABCのニュースと天気予報を見ていたんですが、華氏を摂氏に換算すれば、最高気温が0度に届かず、すなわち、1日中氷点下で、最低気温はマイナス20度近くある日もめずらしくありませんでした。ウィスコンシン通りから少し入ったジョージ・タウンに住んで、ウィスコンシン通りの先にあるメリーランド州のフレンドシップ・ハイツとワシントン市内のダウンタウンを結ぶバスで FED に通勤していました。ウィスコンシン通りは北に向かって緩やかに上り坂になっている、というか、南のポトマック川に向かって下り坂になっているんですが、メチャメチャ寒くて路面が凍結した朝に、まったくコントロールの効かない自動車がゆっくりと回転しながら南に滑って行くという恐ろしい場面も見たりしました。たぶん、人生で最大に寒かった日のうちのひとつの体験だったのかもしれないという気がします。また、私は手が小さいので手袋を重ねてはめていたことを覚えています。手袋なしでの外出は考えられませんでした。なお、寒い冬の気候とは何の関係もないんですが、ちょうど私がワシントン勤務をしているころ、官庁街のフォギー・ボトム近くにタワー・レコードが出来て、リサーチ・アシスタント仲間で繰り出した記憶があります。

どうでもいいことながら、とても久し振りに、「海外生活の思い出の日記」に分類しておきます。

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2013年3月14日 (木)

カトリックの新法王は初めてラテンアメリカからアルゼンティン人のフランシスコ1世がコンクラーベで選出される

広く報じられているところですが、カトリック聖職者の最高位である法王ベネディクト16世が前月限りで退位し、新たな法王を選出するコンクラーベがバティカンで開催されていたところ、昨日、白い煙が上がり新しい法王が決まりました。長い歴史で初めてラテンアメリカから、ブエノスアイレス大司教のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が第266代法王に選出され、フランシスコ1世と名乗ることが発表されました。まず、NHKオンラインのサイトから記事を最初の5パラだけ引用すると以下の通りです。

新法王はフランシスコ1世
新しいローマ法王を選ぶ選挙、コンクラーベでは、日本時間14日午前3時過ぎに法王が選出されたことを示す白い煙が上がり、アルゼンチン出身のホルヘ・ベルゴリオ枢機卿が第266代のローマ法王に選ばれ、フランシスコ1世と名乗ることになりました。
新しい法王に選ばれたフランシスコ1世は、アルゼンチンの首都ブエノスアイレス出身の76歳。中南米出身の法王が誕生するのは、バチカン史上初めてです。
フランシスコ1世は、1997年にブエノスアイレスの大司教に就任したあと、2001年に2代前のヨハネ・パウロ2世から枢機卿に任命されました。
フランシスコ1世は、日本時間午前4時半ごろ、バチカンのサンピエトロ大聖堂のバルコニーに姿を見せ、集まった数万人の人々を前に手を振ったあと、「世界全体の友情と愛と信頼のために祈りをささげ、実りある旅を続けることができることを期待したいと思います」と述べました。
日本時間13日未明に始まった今回のコンクラーベは、開始から2日目に新しい法王が選出される結果となりました。

私は南米の大使館に経済アタッシェとして3年間勤務した経験があります。その間、宗教的な儀式の一例として、葬式にも結婚式にも出席した記憶があります。すべてカトリック様式でした。ちなみに、ジャカルタに駐在していた際にはイスラム教の結婚式に招待されたことがあります。それはさて置き、中南米のカトリック事情を明らかにする画像を Pew Research Center から2枚ほど引用しておきたいと思います。まず、Geography of the Conclave: Where Do the Cardinals Come From? と題する記事の画像は以下の通りです。欧州に比べてラテンアメリカは信者数と枢機卿のバランスが偏っていることが読み取れます。

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次に、Conclave Elects Pope Francis と題する記事の画像は以下の通りです。特に、フランシスコ1世の出身地であるアルゼンティンに焦点を当てています。

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ラテンアメリカからの法王選出となれば、何といっても、ガルシア・マルケスの『百年の孤独』が思い出されます。我々は歴史的な瞬間に立ち会ったのかもしれません。やや無理やりに、「海外生活の思い出の日記」に分類しておきます。

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2011年1月 7日 (金)

スターバックスのロゴ変更からサンティアゴのカフェを思い出す

Starbucks: An Illustrated History

一部のメディアに報じられていましたが、スターバックスのロゴが変更されるそうです。ロゴ変遷の歴史は上の画像の通りです。スターバックスのサイトから引用しています。1971年の創業以来のロゴの移り変わりを示しています。なお、理由は知りませんが、スターバックスの日本法人のサイトにはこのロゴに関する情報がなく、米国のサイトから画像を引用しています。
実は、私はかなり前からコーヒーは原則として飲みません。「原則として」というのは、例えば、訪問先で出されたりすると飲まなくもない、という程度で、少なくとも喫茶店やスターバックスのようなカフェに自分の意思で入って、自分の財布からお金を出してコーヒーを飲むことはしません。それでも、スターバックスは利用します。例えば、昨年暮れに30年来の付き合いのある京都大学同窓の友人と渋谷のマークシティにあるスターバックスで待合わせしたりしています。では、何を飲むのかというと、最近は抹茶ティーラテを頼んでいます。サイズはグランデが多いような気がします。
このスタバのロゴに関して思い出したことがあります。単に「カフェ」という言葉に反応しただけなんですが、1990年代前半に私が外交官をしていたサンティアゴのカフェです。3年ほど前にもAFPのサイトで「チリの首都で『脚のカフェ』、男性の間で人気急増」と報じられたこともありますが、私がいたころから、ボディコン・ミニスカのウェイトレスがアテンドしてくれるカフェがサンティアゴのダウンタウンにいくつかありました。私がサンティアゴに赴任したのは我が国のバブル崩壊直後ですから、バブル期のディスコなんぞをある程度は知っており特に驚きもなく、日本人の感覚からすれば現地ではランチタイムがとっても長かったので、ランチの後に立ち寄ったこともあります。ここでもコーヒーではなく、ミルクティーを頼んでいたと記憶しています。20年前に比べてすっかり地味になった現在の我が国から考えれば、少し過激だと思わないでもありません。なお、どうでもいいことですが、当時のサンティアゴでコーヒーを頼めばインスタントのネスカフェが出て来るのがデフォルトでした。カフェだけでなく、大使館でもそうだったんだろうと思います。もっとも、私は大使館でコーヒーを頼んだことはありません。

スターバックスからサンティアゴのカフェに連想が飛んでしまいました。3連休前の金曜日の夜にふさわしいテーマだったと勝手に自負しています。もちろん、久し振りに「海外生活の思い出の日記」に分類しておきます。

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2010年10月15日 (金)

落盤事故からの救出に見られるチリ人の国民性やいかに?

我が国のメディアでも広く報じられている通り、チリ北部コピアポ近くのサンホセ鉱山の落盤事故で地下約700メートルに2か月あまり閉じ込められていた33人が24時間近くかけて無事に救出されました。私は外交官として1990年代の前半の3年間チリの首都サンティアゴにある大使館に勤務した経験があり、それなりに、チリ人の国民性や気質なんかをを肌で感じていましたので、今夜は週末前の気楽な話題として取り上げたいと思います。まず、チリ人の国民性について、朝日新聞のサイトで見かけた論調は以下の通りです。

冷静沈着、まじめ、団結…チリ人の国民性、救出劇に見た
地下約700メートルに閉じこめられた作業員33人を約22時間半で救出したチリ。当初の想定より2カ月も早い迅速な救出活動は世界を驚かせた。なぜ成功できたのだろう。
元駐チリ大使で日本チリー協会副会長の小川元(はじめ)・文化女子大教授は救出開始直後、地球の反対側に住む友人たちに祝福のメールを送った。
現地は深夜にもかかわらず、「ありがとう」とすぐに返信があった。「全国民が自分のことのように見守っている」と実感した。「チリ国民は冷静沈着な面がある。この冷静さが33人の一糸乱れぬ団結につながったのだろう」
チリに10年以上住んでいた国際協力機構研究所・上席研究員の細野昭雄さん(70)によると、チリ人は約束や時間を守る気質から「中南米の英国人」と表現されるという。
計画を準備周到に進めるまじめさも特徴で、南米で働く日本人のビジネスマンは、チリについて「仕事がやりやすい」「忍耐力があり持続的な結束力がある」と評価することが多いという。今回の救出劇を、細野さんは「合理的、組織的で、まさにチリ人の良さが発揮された」と評価する。
「国内外から注目され、大統領にとっても、絶対に失敗できない作戦だったでしょう」と話すのは、東京出身でサンティアゴ在住の商社員、佐藤剛志さん(45)。長年、首都の日本料理店で板前を務め、地元の人と接してきた。
チリは約17年間に及ぶピノチェト軍政の後も、左右両派の対立が長く続いた。中道右派のピニェラ大統領は、テレビ局オーナーなどとして知られた大富豪。有能なビジネスマンと評価される一方で、貧しい人や左派からは「エリートの大金持ち」の批判を浴びがちな存在だ。その大統領がヘルメットをかぶり、地上に戻った貧しい作業員と抱き合った。佐藤さんは「幅広い支持を得ようと、救出に全力を傾ける姿勢を見せていました」と話した。

全国紙の扱いも大きいんですが、さすがに、私の知った名前、知り合いも取材を受けているんだということが実感できました。チリに駐在していた時、私はまだ独身でまったく料理はしませんので、板前姿の佐藤さんのすぐ前のカウンターで楽しくおしゃべりしながら、ほぼ毎晩のように夕食をとっていたことを思い出します。いつの間にか商社員にご転進のようです。細野教授は長らく筑波大学でラテンアメリカ研究に携わっていらして、奥様がチリのご出身だったように記憶しています。私が外交官をしていた当時には、細野教授を指導教員と仰ぐ大学院生が専門調査員として大使館に派遣されていました。
その細野教授の見立てにある通り、チリ人は英国人的な気質を有しています。それは移民の出身によるといわれています。すなわち、俗説ながら、南米で長い国境を接するチリとアルゼンティンはともにメキシコのように混血の形ですら現地のインディオがほとんど残っておらず、逆にいえばインディオは死滅した歴史があり、欧州からの移民の8割はスペイン人である点までは同じですが、残りの2割について、チリは主として英国人に少しフランス人が来たのに対して、アルゼンティンは多くがイタリア人であったといわれています。統計的な根拠は示せないんですが、例えば、私がサンティアゴに駐在した当時の大統領はピノチェット将軍から民政移管された直後のエイルウィン氏でしたし、その内閣の財務大臣はフォクスレイ氏で、名前から判断するに2人とも英国系の移民の末裔でしょう。ついでながら、ピノチェット将軍はフランス系です。他方、私がチリにいた当時に絶大な人気を誇ったアルゼンティンのテニスプレーヤーはサバティーニ選手でした。全米オープンを1990年に制した直後だった記憶があります。私も彼女のマネをしてタッキーニのウェアを買ったりしました。いずれもイタリア系の姓です。また、「母をたずねて三千里」のマルコはジェノバから母の出稼ぎ先であるブエノス・アイレスに旅をします。最近では、サッカーのアルゼンティン代表メッシ選手は明らかにイタリア系です。
移民の出身に基づく先天的に英国人的な国民性に加え、気候や自然条件が南米の中ではそれなりに厳しいことが、後天的にチリ人の気質にも影響を及ぼしています。南米の中の相対的な話ながら、気候が厳しく自然条件に恵まれないため、チリ人はそれなりに勤勉である必要があります。地図を見れば分かりますが、チリは北が砂漠、南が南極、東がアンデス山脈、西が太平洋となっていて、隔絶された島国に近い地理を示しています。赤道直下の熱帯も含めて温暖なブラジルと違って、サンティアゴ以南では薄着で路上生活をすれば凍死する恐れがありますし、アルゼンティンに広がる肥沃なパンパのように、小麦や牧畜に適した平野も少なく、それなりに勤勉でなければ生活に困ってしまいます。
さらに、国民性だけでなく、やや経済的なアプローチも加えると、事故が起き救出が実行されたのが鉱山であるという観点も考えに入れる必要があります。というのは、チリの主要輸出品のひとつは銅のインゴットであり、私が駐在していた1990年代前半では輸出の半分近くを占めていました。銅の他にも鉱物資源は豊富で、鉱山はメインストリームの職場のひとつといえます。現在の日本で自動車工場や電機工場に勤めるのと同じです。国営銅公社をはじめとする鉱山会社への就職を希望する優秀な大学生は少なくありませんし、鉱山の現場には指導力あふれるリーダーもいれば、規律正しく勤勉な労働者もいっぱいいます。

いくつかの偶然と必然が重なった落盤事故からの救出劇だったと感じていますが、私がチリから帰国して約15年、ほとんど話題になることのない南米の国にスポットライトが当たって、やや誇張された部分は少なくないものの、日本人の中にもそれなりに親しみを感じる人が増えたんではないかと私なりに喜んでいます。

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2010年7月 2日 (金)

ワールドカップ決勝トーナメント1回戦で負けても前向きに考える南米気質

今回のワールドカップでは私は当然のことながら日本を応援していましたが、同時に、外交官として大使館勤務をした経験のあるチリも応援していました。残念ながら、どちらも決勝トーナメントに進出したものの1回戦で敗退していしまいました。何となく、私にとってのワールドカップは終わった気がしているんですが、チリの方の総括が面白いです。私がサンティアゴ大使館に勤務していた当時も高級紙として有名だった El Mercurio 紙のサイトで以下のような画像とともに、南米気質がよく表れている記事を発見しました。

Cantidad de equipos entre los 8 mejores
Sudamérica hace su mejor mundial a costa de Europa
Sólo faltó Chile. La Roja, eliminada por Brasil en octavos de final, es el único equipo de Sudamérica que no ingresó a la ronda de los ocho mejores del torneo. Pero de todos modos, el subcontinente celebra: nunca antes en la historia había tenido cuatro representantes en esta fase.
Además del Scratch, Argentina, Uruguay y Paraguay alcanzaron los cuartos de final, y tienen la posibilidad de lograr unas inéditas semifinales compuestas solamente por equipos de la zona.
El récord anterior era de tres equipos, con dos formatos de torneo distintos: en 1970 Uruguay, Brasil y Perú llegaron a cuartos de final, mientras que en 1978 Argentina, Brasil y Perú se instalaron en la segunda fase, que se disputaba con dos grupos de cuatro equipos.
Y mientras Sudamérica celebra su mejor rendimiento histórico, Europa se lamenta por su peor torneo: los tres clasificados (Holanda, Alemania y España) son el número más bajo en esta instancia. Antes sólo habían tenido cuatro representantes en México 1970 (Italia, Alemania Federal, Inglaterra y Unión Soviética) y en Japón-Corea del Sur 2002 (Alemania, Turquía, Inglaterra y España).
"Estaban las condiciones para que esto pasara. Lo que hemos hecho es importante, ya que nos ha prestigiado, y espero que se tenga en cuenta a la hora de establecer los cupos para el próximo Mundial y de cara a las eliminatorias," indicó el DT de Uruguay, Óscar Washington Tabárez.
"Tenemos muy buenos equipos, más allá del potencial de Brasil y Argentina, puesto que jugamos en altura, con frío, con calor, con viajes largos. Es una clasificación muy comprometida," complementó Diego Forlán.
"El mejor premio para Sudamérica es saber que lo que nosotros les damos son grandísimos jugadores a todos los clubes del mundo," apuntó Diego Maradona, mientras que Carlos Alberto Parreira sostuvo que la región "una vez más muestra la fortaleza de su fútbol."
Pese a ello, la Conmebol igual tendrá que dar lucha para mantener los 4,5 cupos para el Mundial de 2014. De hecho, ayer Joseph Blatter descartó que se aumenten las plazas para la zona: "Sólo son diez federaciones," justificó. ¿Y quitarle lugares? "El debate ya comenzó entre bastidores, pero dejen que termine este torneo," dijo el presidente de la FIFA, dejando la duda en el aire.

要するに、ワールドカップで8強に進んだうち、4チームが南米で、欧州は3チームだから、ワールドカップの歴史上初めて南米は欧州を上回ったことを誇らしげに記事にしているわけです。最初に書いた通り、チリは決勝トーナメント1回戦でブラジルに負けて8強には入れず、しかも、南米チームの中では唯一の1回戦敗退チームだと記事にも書いているんですが、そう言いつつも、チリ自身の勝敗は忘れて、南米で一括して自慢しているわけです。もちろん、中南米諸国はブラジルを大きな例外として、その他の小さい例外もあるものの、スペイン領であった歴史と言語を共有し、地域として文化として大きなまとまりがあります。このあたりはアジアやアフリカと明らかに異なっています。
こういった超前向きな思考が南米特有の生活の明るさと、同時に経済の停滞をもたらしている、と私は外交官らしくもなく堂々とサンティアゴにある Universidad Central のセミナーで別の例を引いて発言し、押し殺した笑いを誘ったことを記憶しています。能天気な対応に何度となく仕事上で悩まされたことを思い出します。日本人的な反省は何ら見られないんですが、何事もポジティブに考える能力は素晴らしいと感じたことは確かです。持って生まれたものかもしれません。3年余り生活しましたが、私にはマネ出来ません。

週末前の軽い話題として、日本と同じように決勝トーナメント1回戦で敗退したチリの新聞記事を取り上げてみました。久し振りに「海外生活の思い出の日記」に分類しておきます。

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2010年1月20日 (水)

チリでも政権交代

チリ国旗

やや旧聞に属することで、これも、私がセンター試験の監督に気を奪われている間の虚を突いて、でもないんでしょうが、チリで大統領選挙の決選投票が実施されました。昨年の段階では過半数を制する候補がなく、中道右派「チリのための同盟」 (Alianza por Chile)のセバスティアン・ピニェーラ (Sebastián Piñra) 候補が、元大統領である中道左派「コンセルタシオン」 (Concertación) のエドゥアルド・フレイ (Eduardo Frei) 候補を抑えて次期大統領に選出されました。まず、地元紙の El Mercurio のサイトから記事を最初の3パラだけ引用すると以下の通りです。なお、数字については、スペイン語圏ではコンマとピリオドが日本とは逆ですのでご注意ください。

Con poco más de tres puntos porcentuales de ventaja respecto del candidato oficialista, Eduardo Frei, el abanderado de la Coalición por el Cambio, Sebastián Piñera, se impuso en la segunda vuelta de la elección presidencial.
A las 19:40 horas, y cuando ya el senador DC había reconocido su derrota, el subsecretario del Interior, Patricio Rosende, entregó los resultados del segundo cómputo con el 99,2% de las mesas escrutadas, equivalentes a 6.903.358 votos.
Piñera se impuso en el primer lugar de la votación con el 51,61% de los sufragios, lo que representa 3.563.050 votos, una votación histórica para su sector, que en el año 2000, con Joaquín Lavín logró 3.495.569.
チリでは、世界で初めて選挙で選ばれた社会主義政権だった当時のアジェンデ大統領をクーデタで追い落とした悪名高き独裁者のピノチェット将軍から1990年に民政移管され、民政移管後初代となるエイルウィン元大統領、今回も立候補したフレイ元大統領、ラゴス前大統領、現在のバチェレ大統領と4代にわたってコンセルタシオンの中道左派が政権の座にあったんですが、米国や日本に少し遅れてチリでも政権交代となりました。なお、どうでもいいことですが、私が在チリ大使館に勤務していたのは1990年代前半のエイルウィン元大統領からフレイ元大統領のころにかけてです。 一応、我が国のメディアの表記に従って、「中道右派」と「中道左派」とこのエントリーでも書きましたが、今どき、まともな国で極右や極左が大統領選挙に立候補して話題になるのはフランスくらいのもんですから、チリにおいてもいずれも「中道」が冠してあっても、私はかなり違いは大きいと受け止めています。専門外ながら政治的にはピノチェット将軍時代の政治に近いかどうかの差もありますし、経済政策的にも保守的な市場経済重視か社会民主主義的かの違いはあります。私がチリから帰国してから15年以上もたっていますので確かなことは分かりませんが、我が国の自民党と民主党の違いより大きそうな気がしないでもありません。

いずれにせよ、民主主義に基づく直接選挙で選ばれた政権ですから大統領のリーダーシップは強大です。ピニェーラ次期大統領の下で、チリがいかなる道を歩むのか、私も大いなる興味を持って見ています。

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2010年1月18日 (月)

テキサスバーガーを食し、日本の豊かさを実感する

マクドナルド Big America

今日は基本的にマクドナルドの提灯記事です。お気に召さない向きはパスして下さい。

昨日のランチタイム、経済学部ではなく文教地区にある本学の本部キャンパスの近くのマクドナルドに行き、先週金曜日から期間限定で全国発売が始まっているテキサスバーガーを試しました。ややお値段は高めながら、ボリュームがあり満腹感が楽しめます。なお、テキサスバーガーはマクドナルドの Big America キャンペーンの第1弾で、上の写真を引用したマクドナルドのサイトによれば、以下の第4弾までが予定されているようです。いうまでもありませんが、上の写真はこの並び順になっています。

  1. テキサスバーガー
  2. ニューヨークバーガー
  3. カリフォルニアバーガー
  4. ハワイアンバーガー

私は全部試してみたい気がします。一部店舗では1週間早く1月8日から販売されていたようですが、やっぱりというか、長崎では通常通りの1月15日からでした。それにしても、15年以上も前の1990年代前半ながら、私が大使館勤務をしていたチリの首都サンティアゴでは、赴任当時に2店舗しかなかったマクドナルドが私の帰国間際に大使館近くに3店舗目が出来て、ある意味で、チリの経済発展を目の当たりにした感慨がありましたが、私が「貧しい」と言い切った長崎ですら軽く10店舗以上ありそうなので、日本の豊かさというものを実感します。

何となく「海外生活の思い出の日記」に分類しておきます。

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